シノドス的教会を目指して 日本のカトリック教会の挑戦

「シノドス的教会を目指して 日本のカトリック教会の挑戦」世界代表司教会議 第16回通常総会第2会期への日本の回答 1.はじめに このレポートでは、世界代表司教会議 第16回通常総会第1会期(2023年10月)の後、日本の […]

「シノドス的教会を目指して 日本のカトリック教会の挑戦」
世界代表司教会議 第16回通常総会第2会期への日本の回答

1.はじめに

このレポートでは、世界代表司教会議 第16回通常総会第1会期(2023年10月)の後、日本のカトリック教会が目指している「ともに歩む」教会について紹介する。最初に日本のカトリック教会の現状について報告し、続いて、日本の教会の取り組みと今後の課題について言及する。

1.1 日本のカトリック教会
日本(人口 123,250,274人)では、キリスト教徒は人口の1パーセントである。カトリック教会の信者は人口の0.35パーセント、およそ437,000人である。日本のカトリック教会は15の教区から成り立ち、773の小教区が存在する。
少子高齢化が激しい日本にあって、カトリック教会も影響を受けており、信徒の高齢化が目立つ。また、多国籍・多文化の教会の特徴を日本のカトリック教会は備えている。国内に住む多くの外国人、とりわけアジア、南米からの労働者たちが信仰の共同体である教会を形づくる大切なメンバーとなっている。さらに、小教区以外に様々な「愛の活動」(学校、施設)によって、カトリック教会は日本の社会において広く認められている。
日本には大規模な自然災害(地震など)の脅威がある。これまでの自然災害に対して、カトリック教会は苦しむ人々とともに歩んできた。そのような姿勢はキリスト教徒ではない日本人から認められ、受け入れられている。これは、1980年以降、日本のカトリック教会が「ともに歩む」教会を目指してきた結果である。つまり、すでに日本のカトリック教会は「ともに歩む」という「シノダリティ」を生きてきたのである。

2.日本のカトリック教会の挑戦

第1会期で発表された「神の民への手紙」は各教区の司教たちが折りに触れて信者たちに紹介し、説明をしている。日本のカトリック教会は、シノドス的な教会を目指すために個別の具体的な問題について考えるのではなく、問題の解決のためのプロセスに注目した。これは、次の教皇フランシスコの言葉からインスピレーションを受けてのことである。
「このシノドスとはシノダリティについてのものであり、他のあれこれのテーマについてではありません。……重要なのは、考察する方法、つまりシノドス的方法です」

そこで、第1会期で採用された「霊における会話」の普及と実践を目指している。すでに日本のカトリック教会ではみ言葉の「分かち合い」は広く行われている。また「レクチオ・デヴィナ」も多くの信仰の共同体で小グループを通じてなされている。さらに 2020年からのCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の蔓延のために信仰の共同体では「交わり」が薄れつつあった。このような背景をもとに「ともに歩む」教会ともう一度なるためには「霊における会話」は必要不可欠であると考えたのである。

2.1 シノドス特別チーム
2023年10月に開催された第1会期の後に日本カトリック司教協議会は司教、司祭、奉献生活者、信徒によって構成されるシノドス特別チームを編成した。そして、「シノドス的方法」を広く知ってもらうために、次の点を実行することを決めた。

  1. シノドスハンドブック:シノドス的な教会の姿を多くの人々に知ってもらうために作成する。
  2. 日本のシノドスのつどい:「霊における会話」を普及するために、日本国内でのシノドスの集いを開催する。
  3. 各教区での取り組み:シノドス的な教会となるために、教区で「霊における会話」を実行する。

以上の三つの点を詳しく解説する。

2.2 シノドスハンドブック
シノドス的な教会の姿を多くの人々に知ってもらうために、「シノドスハンドブック」の作成に着手した。2024年6月末には発行し、配布できるであろう。新しい世紀を迎えた頃から、結果を重視する社会になり始めた。信仰の共同体である教会もその影響を受けている。「交わりをつくる」
(共同体)、「ともに担う」(共同責任)、「ともに考え、祈る」(共同識別)という「シノダリティ」の本質を日本のカトリック教会は忘れてはならないのである。「誰をも排除しない」(包摂)教会となることを目指さなければならない。

2.3 日本のシノドスのつどい
日本のシノドスのつどいは次のように実施された。

日時 2024年3月7日(木) 午後3時~8日(金)午後3時まで
場所 日本カトリック会館
参加者 68 名
各教区の司教全員 17名
各教区から 45 名(司祭:15名、奉献生活者:15名、信徒:15名)
シノドス特別チーム 4名
ファシリテーター 2名
注 当日は、長崎大司教が体調不良にて欠席、代理として教区司祭 1 名が参加。
目的 1. シノドス的教会の姿をよく表している「霊における会話」を体験する。

2. 世界代表司教会議第 16 回通常総会 第 1 会期の『「まとめ」報告書 宣教するシノドス的教会』に基づいて、わたしたち日本のカトリック教会の現状を「霊における会話」の手法を用いて話し合う。

2.3.1 「霊における会話」の報告
日本のシノドスのつどいでは、「霊における会話」についての説明を受けた後にグループに分かれて 2 回実践した。会話の内容は『「まとめ」報告書 宣教するシノドス的教会』に示されている 20 のテーマから選んだ。各グループで話し合った後、会話の実りを参加者全員で分かち合った。

1. 共通テーマ:「シノダリティ:経験と理解(「まとめ文書」第1部1より)」
シノドスという言葉 「シノドス」という言葉をめぐって、様々な立場や司牧的責任から、豊かな霊における会話がなされました。何よりも「ともに歩む」ことの重要性が強調されました。そして、「聞く」ことが特に繰り返されました。相手の話をよく聞くことで、思い込みや偏見から解放され、様々な立場の人々が互いに尊重し合う関係が築かれていくことに気づきました。
新しい可能性: 心を開いて聞き、分かち合うことは祈りそのものであり、神を中心に人々が心を分かち合うことを通じて聖霊の働きを実感できると参加者は体験しました。もし、仮に「シノダリティ」の歩みに抵抗を感じる人がいたとしても、このような聖霊の働きを否定はできないでしょう。さらには、何か問題を解決するよりもイエスと「ともに歩む」プロセスそのものが大切であるという点についても異存はないはずです。問題解決よりもプロセスを重視するという、あり方の変化は簡単ではないでしょう。時間もかかるでしょう。しかし、ここに教会の新たな可能性を見出すことができるでしょう。
受け入れる教会へ: 「シノドス的」歩みのプロセスの実行を通じて、教会共同体にあっては他人の痛みや自分の痛みを共感し合う共同体、どんな人も受け入れる共同体、外国籍の方々との関わりを大切にする共同体、異なる文化や社会的なマイノリティーを生きる方々を受けいれる教会へ変化していくはずです。
神からいただいた本来の姿: そのような教会は、主イエス・キリストと痛みや弱さを分かち合いながら、「ともに歩む」教会です。社会に対して、また人々に対して大きな扉を開く教会です。「ともに歩む」とは、人間本来の姿です。見失いつつある人間に備わっている本来の姿を大切にする教会です。もちろん、社会のなかにある様々な問題や課題には挑戦しなければなりませんが、そればかりではなく、人として受け入られ、尊重する信仰の共同体、共同体に来られない仲間を思い続け、祈り続け、忘れない教会など、人々の痛みや喜びを共有し、思いやりを持って関わり、支え合うといった「シノドス的」教会の特徴や価値観についての気づきが生まれました。さらには、第二バチカン公会議で提唱された「交わりの教会」には、もう、すでに「シノダリティ」の要素が含まれています。この事実は、半世紀の間、聖霊が教会に寄り添ってくれた恵みの証しとなるでしょう。
聖霊の働き: さらに、こうした教会の姿を力づける、聖霊を大切にする必要性も指摘されました。聖霊はわたしたちを一致させてくださいます。それは、整然とした統一感(ユニフォミティ)ではなく、多様性を尊重する教会へと聖霊は変えてくださいます。また、声の大きさや世間の常識にとらわれず、共同の責任を担う教会へと変わっていきます。

「シノダリティ」を実現するには時間と努力が必要です。産みの苦しみにも似た苦しさを経験しながらも、希望を見出すことの重要性が指摘されました。加えて、教会はこの世に対しても影響を及ぼす存在ですので、多くの人々の声に耳を傾けることが求められます。これもまた、聖霊の恵みを願わないわけにはいかないでしょう。
具体的な歩み: 最後に、日本の教会での「シノドス的」歩みについての指摘がありました。さらには「霊のおける会話」の経験から他者に耳を傾ける姿勢が足りなかったと気づいた参加者もいました。どちらかと言うとトップダウンの傾向がある日本の教会ですので、そのような姿勢を根本的に変える必要があるという意見も出されました。そして、多言語によるミサを祝うことで一致の体験ができる点、マイノリティーの方々への教育現場での対応の充実なども注目されました。このように、多くの参加者にとって初めての体験だった「霊における会話」のおかげで、キリスト者の一人としての「シノドス的」歩みへの参加、教会共同体の取り組み、日本の教会の具体的な課題について皆で向き合うことができました。異なる意見や背景を持つ人々と「ともに歩む」ことの大切さは強調され、意見の違いが対立にならないようにするためには「聞く」ことが欠かせない点は参加者の誰もが実感したところです。

2.グループ毎のテーマ(6 グループ)

信仰共同体への参入:キリスト教入信(「まとめ文書」第1部3)

ともに喜ぶ: キリスト者の数が少ない日本にあって、多くの人びとはすでに何らかの宗教的な体験を経て教会を訪れます。ですので、入信までの信仰体験を分かちあいは必要でしょう。そして、洗礼を受けた後も、入信にいたるまでの個人的な出会いや、信仰の共同体の体験、教会に集う人びととの交わり、そして秘跡との出会いの喜びについて共有していくことは大切になります。信仰の共同体(小教区共同体など)が教会として、洗礼を受けた人びとを支えようとする姿勢は求められるでしょう。教会の中に自分の生き方を霊的に支えてくださる方がいるという実感はすばらしいものとなります。さらには、困難な状況にあってもともに十字架を担うことができる教会、自分の家のような居心地のよさを味わえる教会になる必要があります。教会で体験する喜びの背後にはいつも復活したイエスともにいてくださいます。こういった実感は、洗礼・堅信・聖体の秘跡というキリスト教入信を体験した人びとが、その後の生活を通じて、喜びの教会を伝える人となっていくと思います。

教会の旅の主人公である貧しい人びと(「まとめ文書」第1部4)

痛みを分かち合う: このグループでは、参加者がこれまでに関わった社会的弱者 (日雇い労働者、虐待を受けた人、高齢者、障がい者) について具体的に思い巡らし、祈ることを通じて、参加者自身の「貧しさ」について見つめました。これまで貧しい人びと、困難にある人びとを支援してきたのは、自己満足ではなかったのか、あるいは自分が下した判断がさらなる偏見を助長しているのではないかという祈りもなされました。
こういった葛藤を持ちながらも、社会から追いやられ、そして排除された貧しい人びとに近づくプロセスを通じて、人びとの「痛み」を知り感じるようになり、それは次第に「怒り」へと変化するという体験も分かち合いました。
しかし、その「怒り」のエネルギーを、神にかなった聖なるものとするのはとりもなおさず「祈り」しかないという事実も確認し合いました。祈りは心にスペースを作ります。この事実は「霊における会話」がやろうとしていることとつながっているという指摘もありました。

「あらゆる種族、ことば、民族、国家」からなる教会(「まとめ文書」第2部5)

「移住者」とともに生きる: 日本の社会同様に、日本の教会では多文化多言語化が進んでいます。この事実は、教会の中に新しい風を送ってくれます。それぞれの現場は状況が異なるものの、多文化多言語の教会となるように誰もが一生懸命取り組んでいるという現状は確認し合えました。一つの答えを求めるのではなく、教会に集う人びとの違いを大切にしなければなりません。違いを障壁にするのではなく、力に変えていくように努める必要があるでしょう。特に、日本の社会では一般的な「外国人」という表現に対する厳しい指摘がグループの中からありました。それに皆が共感しました。そして、「移住者」という呼び名が提案されたのは「シノダリティ」の一歩でした。
耳を傾けて: とりわけ、このグループの日本人参加者は、一人ひとりの状況を知るために丁寧に耳を傾ける必要性を感じました。文化と言語が異なる「移住者」と日本人の間には様々な点で違いがあるという事実をお互いに理解することが求められています。「移住者」の必要に応える取り組みは求められますし、「移住者」もまた日本の社会と日本の社会を深く知る姿勢が必要でしょう。これからは、日本人の信徒も「移住者」の信徒も、キリスト者としての生涯養成を実行するという課題があります。また、「移住者」の子どもたちにとって教会が安心していられる場所となるというビジョンも課題として分かち合われました。このような取り組みをしながら同じ「神の子」として「ともに歩む」教会になっていくでしょう。

教会は宣教である(「まとめ文書」第2部8)

関わり: まず、人々と関わることの大切さです。関わり方は様々です。ときには「迎える」、時には「出向く」、時には「寄り添う」。しかし、その関わりは、いつも「癒し」を生み出す関わりで、「癒し」に導く関わりでなければならないということが強調されました。関わる姿勢がないと、福音宣教はあり得ない。
福音を生きる: 一人ひとりが実生活の中で絶えず自分の価値観を見直す。教会共同体は、絶えず福音と向き合って自分の在り方を見直す。誰もが、キリスト者の一人ひとりの生き方や教会の在り方に福音の光を見ることができるように。
宣教の原動力の再発見: 信仰の喜びを感じた人は、その喜びの源である福音を伝えないでいられないはずです。そのために、イエスとの繋がりを深める必要を感じます。
「信仰をもってよかった」と心から言える確信を持ちたいと分かち合いました。ミサに与って喜びを感じ、兄弟姉妹との交わりの喜びを味わうことは福音宣教の働きを支える。分かち合いを通してお互いに励まされる。
気を落としてはいけない: 信者の減少を見ると気を落とすことがあります。ただ、分かち合いから、この現実がわたしたちに問いかけているいくつかの点が現われた。この現実は創造性を培う機会として取られて見ることが大事である。教会の存在理由を再考するきっかけにもなると分かち合った。また、地域との関わりを深めるきっかけになったと分かち合ってくださった方もいました。
注意すべき点: 「布教」という言葉を使う時に、人々に「何かを」教えるイメージが強く感じられる。ただ、「教える」よりは、「証しする」、「寄り添う」、「ともに歩む」ことが大事である。一方的に「教える」ことより、一人ひとりが心の中に語っておられる神の声に気づくための手伝いをすることが大切である。また、「福音宣教」はわたしたちの力によるものではない。わたしたちは、協力者であって、主人公は聖霊であると忘れてはいけない基本的なことです。

教会の生活と宣教における女性(「まとめ文書」第2部9)

– 女性が生き生きしていると教会は生き生きしている
– 女性の持つ様々な良さを語ることができた
– 戦争を始めるのは男性。
– 安い労働力とされている女性奉献生活者。解決のための仕組みが必要。
– 男女の違いをのりこえるために、「個」の大切さを教会の見える形にしていくことの呼びかけが必要な時期が来ていると思います。

耳を傾け、同伴する教会を目指して(「まとめ文書」第3部16)

現状の課題: 現状の課題としては、教会で傷ついている人がいることや、司祭が協力的でないこと、上に立つ人が孤立して共同無責任になっていること、意見が対立している中で聞くことの難しさ、教会内のいじめやハラスメントの多さが挙げられます。
目指す方向: 一方、目指すべき方向は、「同伴」「居場所づくり」「ともに考える」「チームで働く」「声掛けの大切さ」「聞く養成の必要性」「一人ひとりの信仰の感覚を大切にする」「時間を割く」「イエスの聞く姿勢がモデルとなる」ことです。これによって、「聞く」教会になることで、未来の宣教に向けた希望があると考えられる。

2.4 各教区での取り組み
3月に実施された「日本のシノドスのつどい」の結果、各地でシノドス的な教会を目指しての取り組みがなされている。特に「霊における会話」については各教区で実施されている。少しずつではあるが「シノドス的方法」は広まりつつある。

3.まとめ

以上、日本のカトリック教会が「ともに歩む」教会となるための挑戦についてレポートした。聖霊がわたしたちの教会をどのように導いているかを、感じ、分かち合うことが少しずつできるようになってきている点に感謝したい。
シノドス的な教会にさらになるために、特に「霊における会話」の点からいくつかの課題を指摘したい。
祈り: 「霊における参加者」は、沈黙のなかで祈ったことをグループに提供しなければなりません。このような手法は参加者にとって斬新なものです。どのような祈りもすばらしいものだと認め合うような教会の雰囲気を作る必要があるでしょう。そのためには「信仰のセンス」についてさらに深く理解する必要があるでしょう。
ダイナミックな共同体: 「霊における会話」では最初はあまりよく祈れなかったが、グループのメンバーの祈りを聞いて、少しずつ祈りの内容が抽象的なものから具体的なものへと変わった体験をした人が多かったです。いつも聖霊が共同体に働くことを感じる必要があるでしょう。そのためには信仰は個人的なものではなく、共同体とともにあるものだという意識が必要となります。
聖職者たち: 「日本のシノドスのつどい」では司教たちの分かち合いが参加者に勇気と希望を与えました。各教区でおこなわれてる「霊における会話」でも司教と司祭たちの姿勢と言葉に励ましを受けた人々が多くいました。この事実は聖職者たちの新しい奉仕のあり方を示唆するものです。その一方で、最後までかたくなな姿勢を崩せない司祭たちがいるのも事実です。シノドス的教会は「ともに歩む」教会である。それは、司祭たちの仕える生き方と無関係ではないという事実に気づかなければならないでしょう。
共同識別: 「霊における会話」の最後の段階である「ともに考え、祈り、判断する」(共同識別)は難しいようです。これは、「霊における会話」の実践を何度も繰り返す必要があるでしょう。
「霊における会話」は単なる方法論ではなく、人を深い会話、深い交わりへと招くものだからです。ともすると結果だけに目を向けてしまう現代社会にあって、「ともに歩む」プロセスを大切にするのだという点をさらに強調する必要があるでしょう。
目的: 「霊における会話」は信仰の共同体とって、パストラル・プランをつくるために必要なのだという点はさらに強調されなければならないでしょう。今後は教会のあらゆる団体がパストラル・プランを作るようにと勧められている点を強調してもよいかもしれません。
兄弟姉妹とともに: 忘れてはならないのは、日本のカトリック教会は多文化、多宗教の雰囲気のなかにあることだ。兄弟姉妹たちとともに生きていくためには「霊における会話」の手法は有効であると考えられる。

最後に「霊における会話」というすばらしい方法論との出会いは、教会をさらに「ともに歩む」教会としてくれると確信する。2021年から開催されている「シノドス 世界代表司教会議 第16回通常総会」は、日本のカトリック教会に大きな影響を与えている。

日本カトリック司教協議会 シノドス特別チーム
2024年5月4日

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