シノドス黙想会が、9月30日(月)と10月1日(火)バチカンで開かれ、昨年の第1会期に続き、ドミニコ会前総長のティモシー・ラドクリフ神父が参加者に向けて、4回の講話を行いました。以下はその第3回です。(ラフ翻訳版) 黙想 […]
黙想会③
2024年10月1日(火)
ティモシー・ラドクリフ神父(ドミニコ会)
復活の漁 ヨハネ 21・1−14
「その夜は何もとれなかった」。復活のご出現のこれら1回1回は、どれも暗闇から始まります。マグダラのマリアにとって、それは主が復活されたことを知らない暗闇でした。しかし、主はそこで彼女を待っています。鍵のかかった部屋にいた弟子たちにとって、それは恐怖の暗闇でした。キリストは復活の主日に夜を征服して復活しましたが、わたしたちは何度も繰り返し、暗闇に戻ってしまいます。戦争の闇、性虐待の危機などなど、です。
漁に出た弟子たちを包む夜とは何でしょう? わたしたちは普段の世界に戻っています。ペトロは「漁に行く」と言います。彼らは以前の日常に戻っています。まるでエルサレムで何事もなかったかのようです。網は空っぽです。空っぽなのです。見知らぬ人が、何か食べるものはないかと尋ね、彼らは「ありません」と答えます。ギリシア語では、Ου(いいえ)です。このことばは、彼らと同じように空っぽです。Ου! 人間の漁師は一番小さな魚さえとることはできません。
わたしたちは皆、何も成し遂げられそうにない瞬間を知っています。最初の熱意は冷めてしまいました。第2会期を迎えるにあたり、そう感じている人もいるに違いありません。熱意と興奮に包まれて始めた人たちは、どこへも行けないのではないかと思っているかもしれません。自分たちが何かできると決して信じなかった人もいます。Ου! この11カ月間、シノドスについてわたしが受けたもっとも一般的な質問は、懐疑的なものでした。つまり、何か成し遂げたのか? 時間とお金の無駄ではないのか? というものです。
しかし、見知らぬ人は、弟子たちが彼を見つける前から岸にいます。わたしたちが気づく前に、神はいつも先にそこにいるのです。『聖ベネディクトの戒律』の序で、神はこう言います。「わたしの目はあなたを見つめ、わたしの耳はあなたの祈りに開かれています。そして、あなたがたが呼ぶ前に、わたしは『見よ、わたしはここにいる』と言うでしょう」1。 神は、わたしたちが祈る前から待っています。
なぜ彼らはイエスだと分からないのでしょうか? これは、学者が理解しがたい論文を書くような曖昧な問いの一つだと思うかもしれませんが、このシノドスにおけるわたしたちに深く関係しています。今日、わたしたちとともにおられるにもかかわらず、わたしたちに見えていない主を、どのようにすれば認識できるのでしょうか?
見た目が変わったからではありません。そうではなく、それまでまったく一度も見たことがなかったからなのです。ハーバート・マッケイブ神父(ドミニコ会)はこのことをうまく表現しています。「人々は単にイエスのことを、殺されたと彼らが理解している人物だとは認識していないだけなのです。彼らはイエスを、なんとなく知っていて、知っていると思っていたものの、今に至るまで、本当には知らなかった人物として認識しているのです」2。彼こそ、受肉した愛の神秘であり、彼らはやっと今、すべての理解を超える愛の高さと深さを垣間見始めているのです。愛すべき弟子が「主だ」と叫ぶのは、彼が愛に満ちた目をもっているからです。初期の神学者たちは、なぜイエスはポンティオ・ピラトのように敵の前に現れなかったのかとよく問いました。たとえイエスがピラトの前で飛び跳ねたとしても、ピラトはイエスを見ることができなかったでしょう。
愛は「成長することばであり、その意義は変化し、発展していくものです」3。子どものころわたしたちは、母親の愛とは、わたしたちが食べ物を要求したときにそれを与えてくれること、そして決してわたしたちを一人にしないことだと思っていました。成長するにつれてわたしたちは、ときに愛は不在となること、また、iPhoneのようにあなたが望むものを与えないことを要求するのだと、理解するようになります。
2012年、ジャン=ジョセフ・ラタストというフランス人ドミニコ会士が列福され(beatified)ました。また、BBCは「美化された(beautified)」と表現しました! 彼の人生がひっくり返ったのは1864年、女性刑務所を訪れたときでした。彼女たちのほとんどは売春婦か嬰児殺しを犯した人でした。彼は彼女たちを見て言いました。「わたしの姉妹たち」。彼はシスターの修道会を設立し、彼女たちが他の女性たちとともに生活できるようにしたのです。多くの、敬虔で、高貴な人々は嫌悪感を抱きました。彼らはまだ、愛の行動を理解することを学んでいなかったのです。彼らは岸に立つ、見知らぬ人を認識できなかったのです。
聖書学者たちは、図書館で何時間も沈黙を守って、曖昧な死語を研究しています。これは時間の無駄だと見る人もいますが、これも愛の行為なのです。わたしたちがシノドスに集うのは、妥協点を交渉するためでも、反対派をバッシングするためでもありません。わたしたちは、この「愛」という奇妙なことばの意味を互いに学び合うためにここにいるのです。わたしたちの誰もが、岸に立つ見知らぬ人を見て、「主だ」と叫ぶ、特別なたまものをもつ愛する弟子なのです。
転機は、彼らが主の声に従い、反対側に網を投げるときです。それは無意味なことに思えます。漁のことを知っているのは彼らなのです。漁のことを何も知らないこの人になぜ従うのでしょうか? わたしたちは従順のためにこのシノドスに来たのです。多くの人にとって、それは無意味に思えます。わたしたちは昼も夜も労苦し、おそらく何も成し遂げられないだろうと疑っています。しかし、教会は集うように命じ、わたしたちは来ました。わたしたちの中には、獲物はないだろうと思っている人もいますが、わたしたちは舟の反対側に網を投げました。しかし、この従順は、わたしたちの想像を超えた形で実を結ぶかもしれません。
153匹の大きな魚という偉大なパズルがここにあります。この数字に関する驚くべき、そしてしばしば不合理な説明をすれば、何時間でも人を退屈させることができます。なぜ153匹なのか? 153匹いたに違いないという人もいます。しかし、153匹の魚があちこちに跳ねているのを想像してみてください。また、当時存在したと思われる153の教会を指すという人もいます。また、当時知られていた153の国々を指すという人もいます。これは明らかに豊かさを意味しています。神の豊かな摂理が働いているのです。聖ジョン・ヘンリー・ニューマンは、摂理を「音のない神の働き」と表現しました。『討議要綱』はイザヤ書からの引用で始まります。「万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒」(25・6)。
み国は、カナの婚宴のぶどう酒のように、陽気さ、過剰さをもって、わたしたちの生活に飛び込んできます。聖ドミニコは宣教を終えて、夜遅くにローマの修道女の修道院に戻ってきました。聖ドミニコは修道女たちを起こし、自分の説教について話しました。彼はぶどう酒を頼みました。それは少ししか残っていませんでした。修道女たちはコップをもってきて、彼は修道女たちに、飲み干して、Bibite satis、十分に飲んで、と言いながら回しました。そして、コップが空になることはありませんでした。
わたしたちは、神の摂理がこのシノドスを豊かに祝福してくださることを信じなければなりません。「押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる」(ルカ6・38)。もしそれを十分に欲するのであれば、わたしたちがここにいるのは、粗末な食事のためではなく、み国の高級料理のためなのです。
ペトロは即座に変容します。このシーンの冒頭、彼は空っぽでした。以前の生活に戻ってしまったのです。まるで何事もなかったかのようでした。今、彼は立ち上がり、水に飛び込む前に服を着ます。普通、泳ぎに行くときは服を脱ぐものですが、これは父親が放蕩息子を家に帰すときに服を着せるように、彼の尊厳が回復したあかしです。主に恥じているにもかかわらず、彼は友人に向かって泳ぎます。わたしなら、恥ずかしくて反対方向に泳いでいたでしょう。他の弟子たちは漁獲物を陸に揚げようと奮闘し、ペトロは片手でそれを行います。ペトロの秘密は何でしょう? 彼はどんなことをしても、何度でも主のもとに戻ります。彼の愛は恥よりも強いのです。
イエスは言いました。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12・32)。今、わたしたちは、ペトロが大きな魚でいっぱいの網を自分に引き寄せ、網が破れないのを見ています。これは彼の強さによるのではなく、主の引き寄せる力、復活した主の磁力との協力によるものです。破れない網を陸に引き上げるのは、主の引き寄せる力なのです。ペトロの一致の務めは、神の道を踏み外した子らを監視することではありません。わたしたちを引き寄せる主の魅力を明らかにすることなのです。
昨年シノドスに来たとき、伝統主義者と進歩主義者との間の、悪意ある対立を克服することが大きな課題だと思いました。カトリシズムにとって異質な二極化をどのようにいやすのか? しかし、話を聞いているうちに、さらに根本的な課題があるように思えました。世界のあらゆる文化から魚を集めた網を、どうすれば引き寄せることができるのか? どうすれば網は破れないのか?です。
1989年にベルリンの壁が崩壊したとき、冷戦は終わったとみなされました。フランシス・フクヤマは『歴史の終わりと最後の人間(The End of History and the Last Man)』4を出版し、わたしたちは新時代に突入し、西欧自由民主主義の勝利に到達したと主張しました。どの国も、西洋の生活様式に「進化」する運命にあるように思われました。一部の国、とりわけ南半球の国々は、ただ追いつかなければなりませんでした。これは幻想であって、西洋は徐々に目覚めつつあるところです。その代わりに、わたしたちは多極化した世界に生きており、そこではグローバル・サウスの多くの人々が西洋を退廃的で破滅的なものとして見ています。わたしたちは「西欧後」の世界に生きているのです5。多くの西洋人はまだこのことに気づいていません。
わたしたちは、各文化がそれぞれの母国語で語り、理解される、新たな聖霊降臨を待ち望んでいます。これはシノドス期間中のわたしたちの課題でもあり、引き裂かれ、分裂した世界へのわたしたちの宣教の基盤でもあります。結び目をほどくマリアと、網をほどくペトロの祈りをお願いします!
まず第一に、わたしたちがカトリックであるためには、互いが互いを必要としていることを認識しましょう。この総会に集う多様な文化は、互いにいやしを提供し合い、互いの偏見に挑戦し合い、互いをより深い愛の理解へと呼び覚まします。どの文化にも、岸に立つ見知らぬ人を見て、「主だ」と叫ぶ仕方があります。
たとえば、教皇ベネディクトは、西洋は「一種の精神の病」6に、聖ヨハネ・パウロ二世が「死の文化」と呼んだものに苦しんでいると告白しました。わたしたちは死から逃れ、死が決して起こらないように装うか、あるいは死への幇助によって死を支配しようとしています。ペトロのように、わたしたち西洋人は、死に打ち勝った復活の主を岸に見つけるための助けを必要としています。希望をもって死と共存するためには、助けが必要です。
最愛のフランス人ドミニコ会士が、ボゴタでの総会中に亡くなりました。彼の葬儀では、西側から来た兄弟たちは悲しみに打ちひしがれました。コロンビアの若い兄弟はこう抗議しました。「今は死の時ではなく、信仰の時です」7。このシノドスの兄弟であるオロバトール神父(イエズス会)は、いのちのたまものに対する深い感覚をもつ、伝統的なアフリカの宗教を実践する両親に育てられたことを感謝しました。彼はこう書いています。「アフリカ全土の宗教体系の中心は、被造物は生きているという深い信念です」8。 死から隠れていては、生きるとはどういうことかわかりません。死に対して開かれた目をもち、生きていることの意味をより深く理解している世界の他の地域の兄弟姉妹から、わたしたちは多くのことを学ばなければなりません。
おそらくわたしたちの最大の課題は、教皇ベネディクトが「インターカルチュラリティ」と呼んだものを受け入れることでしょう。これは何を意味するのか、理論的に探求している場合ではありません。その代わりに、網を想像してみましょう。網は、ロープで結ばれた空の穴で構成されています。空間と絆。その両方がなければ、魚を引き寄せる網は存在しません。
文化が出会うとき、両者の間には空間が残るべきです。消費主義のグローバリゼーションがそうであるように、どちらも他方をむさぼり食うようなことがあってはならないのです。文化の違いを尊重すべきです。zwischenraumという素晴らしいドイツ語を思い出してほしいと思います。これは、それぞれがアイデンティティを保ちつつも、他方に対して開かれた、文化間の肥沃な空間です。聖トマス・アクィナスは、愛があるとき、二つは一つになるが、別個のままである、と言いました9。
どんな単一の文化も、わたしたちを一つにすることはできません。ラテン語も、トミズムでさえもできないのです! どの文化もそれぞれのやり方で真理に対して開かれているからこそ、網は破れないのです。ラッツィンガー枢機卿は、1992年に香港で行われた講演の中で、「各人が他者に対して基本的にオープンであることは、わたしたちの魂が真理に触れているという隠された事実によってのみ説明することができます。無数の洞察が、相互補完性と相互関連性を示す一種のモザイクを形成し、構築しているのです。全体であるためには、誰もが互いを必要としています。人間は、あらゆる偉大な文化的成果の相互関連においてのみ、わたしたちの存在の一致と全体性に近づくのです」10。
わたしたちは、どんな文化も超越する信条という共通の信仰によって結ばれています。しかし、ホモウシオス(homoousios)をスワヒリ語、ヒンディー語、日本語にどう訳せばいいのでしょうか? 確かに、相互の喜び、友情、喜びの共有、さらには笑いによって、網の目をつなぎ合わせる必要があるでしょう。この異文化間のもっとも魅力的な例のひとつが、16世紀のイエズス会の中国伝道です。この西洋と東洋の出会いは、互いを豊かにする友情によって花開きました。実際、マテオ・リッチの最初の著書は友情に関するものでした。友情は網を編むのです。
しかし、これらの称賛すべきイエズス会士について語るよりも、シノドスでのわたしたちの課題を想像する助けになるように、わたしが自らの修道会で経験した二つの例をざっと見てみようと思います。わたしのお気に入りの場所の一つは、兄弟ゴッドフリー・エンザムジョ神父が創設したベニンの農場です。ここは「ソンガイ」と呼ばれ、500年前にこの地域で栄えた偉大なアフリカ帝国にちなんでいます。エンザムジョ神父はアフリカの自宅で農業を学び、カリフォルニアで西洋科学も学びました。ソンガイはアフリカと西洋の農業の結晶なのです。誰も欲しがらない1ヘクタールの荒れ地から始まったこの農場は、今では24ヘクタールに広がり、アフリカ全土、いや世界中の若い農民たちを教育しています。
ここでは無駄なものは何もありません。ハエはレストランの残飯で肥え、それを魚の餌にします。エンザムジョ神父はソンハイを、ハエにとってのシェラトンホテルと呼んでいます。すべての動物や植物は相互依存の中で繁栄しています。蚊は神の最上の作品の一つではありませんが、ソンガイでは、蚊でさえもいのちのバランスにおいて果たすべき役割があるのです!
ここではエウカリスチアは、感謝の生態系の中で理解されます。エンザムジョ神父は言います。「ミサは太陽、水、土からのたまものの組み合わせです。ワインとは、押しつぶさなければならないブドウからもたらされる苦痛と苦悩であるのですが、それは友情の象徴となるのです」。ソンハイは希望を放っています。彼は言います。「生まれるのに時があり、死ぬのに時があります。というのも、それが自然だからです。アフリカは負ける側にいるように見えるかもしれませんが、正直に、わたしが感じるところ、わたしが見るところでは、明日はアフリカの時となります」。
諸文化が友情の中で出会い、希望を生み出すとき、このことが起きます。わたしたちの間のすき間は、互いの喜びと笑いによって埋められます。エンザムジョ神父は、彼の豚がプロジェクトとわたしたちの友情の両方を象徴していると主張します。豚は、わたしのような大きな白いヨークシャーの豚と、彼のような小さな黒いアフリカの豚との交配の結果生まれたものだからです。違いは肥沃さです。
もう一つ簡単な例を挙げましょう。日本人ドミニコ会士の押田成人神父は、自らをイエスに出会った仏教徒であると語りました。彼は富士山の近くにアシュラム(僧院)を設立し、そこでキリスト教徒と仏教徒が共生していました。彼は、抽象的な観念で現実を消し去ろうとする西洋の傾向を嫌悪したのです。彼はこれを「ニワトリの第3の足」と呼びましたが、それは右足でも足でもなく、抽象的な存在しない足でした。彼は言いました。「わたしたち日本人は、宗教とは何かを、血の中に染み込むように知っています。カトリック教会はチョコレートの箱でもビジネスでもありません」11。
押田神父は、とりわけ座ったままの生活に慣れた司教たちを対象に黙想会を開いたとき、腰が痛いと抗議するのをものともせず、水田で田植えをさせることを楽しみにしました。夜明けから日暮れまで懸命に働く農夫は、一粒の米が自分の産物ではなく、自分の努力によって作られたものでもなく、神から与えられたものであることを知っています。その米粒を、隠れているがすべてを与えてくださる神にささげなければなりません。「これはあなたのものです」12と言わなければならないのです。
押田神父は西洋文化に大変批判的でしたが、エンザムジョ神父のように、笑いと喜びをもって文化の隔たりを越えたのです。彼は神に騙されてキリスト者となり、ドミニコ会士になったと冗談を言うのが好きでした。素晴らしいキリスト者とドミニコ会士に出会って、みんなそうなのだと思ったからだというのです。「わたしは間違っていた! 神に騙されたんだ」と笑いながら話します。
ですから、ペトロの網は空間で満たされ、真理と喜びと歓喜によって保たれています。それは、法律的な力によってではなく、引き上げられるとき、すべてをご自身のもとに引き寄せる主の魅力によって、岸に引き寄せられるのです。美は網を岸に引き寄せます。第二次世界大戦で被害を受けたすべての国々に和解のシンボルである桜の木を送った長崎出身の日本人カトリック信徒、浅利政俊さんのことを考えてみましょう13。
神がこのシノドスを、両者が一つになりつつも別個の存在であり続けるような、愛に満ちた文化的出会いで祝福してくださいますように。どんな文化も支配することはできません。しかし、わたしたちは、わたしたちの会話において、力の不均衡がどのように作用しているかを痛感する必要があります。文化の出会いは決して無邪気なものでも、単に頭でっかちなものでもありません。植民地主義はいまだにわたしたちの世界を組織しています。ロバトール神父は、アフリカのことわざを紹介しました。「ライオンが文字を書き、話すことを学ぶまで、狩りはつねに狩人を賛美する」14 。ライオンはいまや話していますが、西洋は耳を傾けません。
わたしの若いころの歌によれば、「お金は世界を回します」。わたしたちは「西洋後」の世界に住んでいるかもしれませんが、金融システムはいまだに西洋に支配されています。帝国主義は終わっておらず、いまだにその価値観を他者に押し付けようとしています。しかし、岸の見知らぬ人は、裕福なエリートの一員ではありませんでした。彼は、当時最大の帝国権力によって十字架につけられたのであり、それは奴隷にゆるされた死であり、屈辱を与えるためのものでした。だからわたしたちは、現代の帝国権力によって十字架につけられた人々の声に耳を傾けましょう。互いに謙虚に耳を傾けましょう。今日の午後、わたしたちが出会うのは、謙遜なシモン・ペトロなのです。