教皇フランシスコ葬儀ミサ説教

2025年4月26日(土)午前10時(日本時間同日午後5時)から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコ葬儀ミサが行われました。葬儀ミサは、枢機卿団、東方典礼教会の総大司教が共同司式し、首席枢機卿のジョヴァンニ・バッティス […]

2025年4月26日(土)午前10時(日本時間同日午後5時)から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコ葬儀ミサが行われました。葬儀ミサは、枢機卿団、東方典礼教会の総大司教が共同司式し、首席枢機卿のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿(89歳)が主司式しました。感謝の祭儀の終わりに「死者を神にゆだねる祈り」(Ultima commendatio)と「告別の祈り」(Valedictio)が唱えられました。ローマ教会の総代理のバルダッサーレ・レイナ枢機卿がローマ教会の祈りを導きました。総大司教、自治権を有する東方典礼カトリック教会の総大司教と首都大司教が東方典礼教会の祈りのために棺の前を進みました。それから首席枢機卿のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿が聖水と香で教皇の棺を祝福しました。教皇フランシスコの棺は埋葬のためにサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に運ばれました。以下はジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿による葬儀ミサ説教の訳です(原文イタリア語)。教皇庁は、原文イタリア語のほか、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語、アラビア語訳を発表しています。
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ジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿による教皇フランシスコ葬儀ミサ説教

 教皇フランシスコが過去12年の間に何度も感謝の祭儀や大規模な集会を司式した、この荘厳なサンピエトロ広場に、わたしたちは教皇の棺を囲んで、祈りと悲しみの心をもって集まっています。しかし、わたしたちは信仰の確信で支えられます。信仰は、人間の存在が墓で終わらず、父の家で、終わりのない幸福ないのちに至ることを確信させるからです。

 枢機卿団を代表して、ご参列の皆様に感謝申し上げます。深い感動をもって、国家元首、政府首脳と公式代表者の皆様にご挨拶と感謝を申し上げます。皆様は、故教皇への感動と尊敬の念を表すために多くの国から来てくださいました。

 教皇の地上から永遠のいのちへの旅立ちの後にわたしたちが目にした、人々の感動と参加のあふれるような表明は、教皇の深い教皇職がどれだけ人々の精神と心を打ったかを物語ります。

 わたしたちの記憶に刻まれ続けている、教皇の最後の姿は、この前の復活の主日での姿です。そのとき教皇フランシスコは、健康上の深刻な問題があるにもかかわらず、サンピエトロ大聖堂バルコニーからわたしたちを祝福し、その後、この広場に降りて、屋根のないパパモビレに乗って、復活の主日のミサに集まった大勢の人々に挨拶しました。

 今、わたしたちは祈りをもって愛する教皇の魂を神にゆだねます。神がその限りない愛の輝く栄光のまなざしをもって、教皇に永遠の幸福を与えてくださいますように。

 わたしたちは福音のことばによって照らされ、導かれます。福音の中で響き渡るキリストの声は、使徒の首位者に呼びかけます。「シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」。ペトロはすぐに心から答えます。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。それからイエスは、ペトロに大きな使命を与えます。「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハ21・15、17)。これが、ペトロとその後継者の変わることのない務めです。すなわち、わたしたちの師であり主であるキリストの後に従って行う、愛の奉仕です。キリストは、「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マコ10・45)方だからです。

 教皇は、その最後の脆弱さと苦しみにもかかわらず、地上の生涯の最後の日まで、この自分をささげる道を歩むことを選びました。彼は、よい牧者である自分の主の足跡に従いました。主は、ご自分のいのちを与えるほどに、ご自分の羊を愛されたからです。教皇は、神の教会であるご自分の群れに寄り添いながら、この務めを力強さと落ち着きをもって果たしました。使徒パウロが引用したイエスのことばを思い起こしながら。「受けるよりは与える方が幸いである」(使20・35)。

 2013年3月13日にコンクラーベで教皇ベネディクト十六世の後継者に選ばれたとき、ベルゴリオ枢機卿はすでに長年にわたりイエズス会の修道生活を送り、何よりもブエノスアイレス大司教区での21年間の豊かな司牧職を経験していました。最初は補佐司教、それから協働大司教、次いで何よりも大司教として。

 フランシスコを名乗るという決断は、アッシジの聖フランシスコの精神からの霊感を求めながら、自分の教皇職をその上に築こうと望む計画とスタイルの決定として、すぐに思い浮かびました。

 教皇は、その気質と司牧的指導の形を保ちながら、その力強い個性の痕跡をただちに教会の統治に刻みました。教皇は、一人一人の人また人々との直接の接触を築きました。困難のうちにある人への際立った関心をもって、自分の力を限度なく注ぎながら、すべての人、とくに地上で最後に置かれた人、除け者にされた人に寄り添うことを望んだからです。彼は、すべての人に開かれた心をもつ、民のただ中にある教皇でした。さらに彼は、社会の中で生じた新しい現象と、教会の中で聖霊が引き起こす事柄に注意を向けた教皇でした。

 特徴的な言葉遣いと、豊かなイメージとメタファーから成る表現で、教皇は常に現代の諸問題を福音の知恵で照らそうと努めました。その際、教皇は、信仰の光をもって応答し、彼が好んで「時代の変化」と呼んだ、最近の変化の時代の挑戦と矛盾をキリスト信者として生きるようにと励ましました。

 教皇は、教会から離れた人を含めたすべての人に非公式な形で語りかける、深い自発性をもっていました。

 教皇フランシスコは、人間的な温かい心と現代の劇的状況への深い感性をもって、グローバル化の時代の不安と苦しみと希望を現実に共有しました。そして、直接的また即時に人々の心に届きうるメッセージをもって、人々を慰め、励ましました。

 現代の感性による行動様式と一致しながら、人々を受け入れ、人々に耳を傾ける教皇のカリスマは、人々の心を打ち、道徳的・霊的力を呼び覚ましました。

 福音宣教を第一に優先することが、彼の教皇職の指導原理でした。彼は明確な宣教的ビジョンをもって福音の喜びを広めました。それは最初の使徒的勧告『福音の喜び』(Evangelii gaudium)のタイトルとなりました。この喜びが、神に自分をゆだねるすべての人の心を信頼と希望で満たすのです。

 教皇の宣教のもう一つの導きの糸は、教会がすべての人のための家だという確信でした。教会は常に扉が開かれた家です。教皇はしばしば戦争の後の「野戦病院」を教会のイメージとして用いました。そこでは多くの人が傷ついています。教会は、人々のさまざまな問題と、現代世界を襲う深い苦しみに決然と関わることを望まなければなりません。教会は、信条や状況を問わず、すべての人に身をかがめ、その傷をいやさなければなりません。

 難民や避難民を守るために、教皇は数え切れない数の行動をとり、勧告を行いました。教皇は常に貧しい人のために働くことを求めました。

 教皇フランシスコの最初の訪問がランペドゥーサ島への訪問だったことは重要です。そこは、何千人の人が海で溺死した、移住者の悲劇を象徴する島だからです。同じ方向性で、世界総主教とアテネ大司教とのレスボス島への訪問や、メキシコ訪問におけるメキシコ・米合衆国国境でのミサも行われました。

 47回にわたる困難な使徒的訪問の中で、あらゆる危険を冒して行われた2021年のイラク訪問はとくに記憶に残ります。この困難な使徒的訪問は、ISISの非人道的な行為によって苦しむイラク国民の開かれた傷に塗られた香油でした。それは、教皇の司牧活動のもう一つの重要な側面である、諸宗教対話にとっても重要な訪問でした。2024年のアジア・オセアニア諸国への使徒的訪問により、教皇は「世界のもっとも周縁の地」にまで達しました。

 教皇フランシスコは常にいつくしみ(Misericordia)の福音を中心に置きました。教皇は、神がうむことなくわたしたちをゆるしてくださることを繰り返し強調しました。神は、ゆるしを求め、正しい道に立ち帰る人がどのような状況にあっても、常にゆるしてくださいます。

 教皇は、いつくしみが「福音の中心」であることに光を当てるために、「いつくしみの特別聖年」の開催を望みました。

 福音のいつくしみと喜びは、教皇フランシスコの二つのキーワードです。

 教皇は、彼が「使い捨ての文化」を呼んだ文化と対比して、出会いと連帯の文化について語りました。友愛というテーマは、彼の教皇職全体を通じて強く響き渡りました。回勅『兄弟の皆さん』(Fratelli tutti)の中で、教皇は、友愛へのあこがれを世界に復活させることを望みました。わたしたちは皆、天におられる同じ御父の子だからです。教皇は、わたしたち皆が同じ人類家族に属することをしばしば力強く思い起こさせました。

 2019年、アラブ首長国連邦訪問において、教皇は、「「世界平和のための人類の兄弟愛」に関する共同宣言書」に調印し、わたしたちがともに神を父とすることを呼びかけました。

 回勅『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』(Laudato si’)の中で、教皇は全世界の人々に呼びかけながら、ともに暮らす家に関する義務と共同責任に注意を向けるよう求めました。「だれも一人で救われることはできません」。

 最近数年間の多くの戦争の勃発と、非人道的な恐怖と数え切れない死と破壊を前にして、教皇フランシスコは、平和を願い、可能な解決を見いだすために理性と誠実な交渉へと人々を招くために絶えず声を上げました。教皇はこういいました。戦争はただ、人の死であり、家と病院と学校の破壊にすぎません。戦争は常に世界を前よりも悪い状態にします。戦争はすべての人にとって常に苦しみと悲惨を伴う敗北です。

 教皇は何度も「壁を作るのではなく、橋を架けること」を呼びかけました。そして、ペトロの後継者としての信仰への奉仕は、あらゆる次元における人類への奉仕と常に結びついていました。

 すべてのキリスト教世界との霊的な結びつきのうちに、教皇フランシスコのために祈るために、ここに多くの人が集まりました。神がご自身の計り知れない愛へと教皇を迎え入れてくださいますように。

 教皇フランシスコは演説や集会の終わりに、いつも次のようにいっていました。「わたしのために祈るのを忘れないでください」。

 親愛なる教皇フランシスコ。今わたしたちはあなたにお願いします。わたしたちのために祈ってください。教会と、ローマと、全世界を、天から祝福してください。あなたがこの前の日曜日に、神の民全体を最後に抱擁しながら、同時にまた、誠実な心で真理を探求し、希望のたいまつを高く掲げる人類をもその思いのうちに抱擁しながら、この大聖堂のバルコニーから祝福してくださったように。

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