教皇庁国際神学委員会 『イエス・キリスト、神の子、救い主――ニケア公会議1700周年(325-2025年)』

教皇庁国際神学委員会 『イエス・キリスト、神の子、救い主――ニケア公会議1700周年(325-2025年)』 Gesù Cristo, Figlio di Dio, Salvatore: 1700o anniversar […]

教皇庁国際神学委員会
『イエス・キリスト、神の子、救い主――ニケア公会議1700周年(325-2025年)』
Gesù Cristo, Figlio di Dio, Salvatore: 1700o anniversario del Concilio Ecumenico di Nicea (325-2025)

目次

本文書について

前置き
序文――栄唱、神学、告知
第一章 救いに関する信条――ニケアの教義の栄唱と神学
1 わたしたちを救う神の三つの位格の計り知れなさを把握する――無限に「神は愛である」
1・1 子と聖霊の偉大さの基盤としての、父である神の父性の計り知れなさ
1・2 〈ホモウーシオス〉という表現を用いたことに関する考察
1・3 救済史の統一性
2 救い主キリストとその救いのわざの計り知れなさを把握する
2・1 キリストをそのすべての偉大さにおいて見る
2・2 救いのわざの計り知れなさ――その歴史的確実性
2・3 救いの業の偉大さ――過越の神秘
3 人間に与えられた救いの計り知れなさと、わたしたち人間の召命の計り知れなさを把握する
3・1 救いの偉大さ――神のいのちに歩み入る
3・2 計り知れない、神的愛への人間の召命
3・3 教会のたまものと洗礼のすばらしさ
4 ともに救いの計り知れなさを記念する――ニケア信仰のエキュメニカルな意味と、復活祭を同じ日に祝う希望
第二章 信仰者の生活におけるニケア信条――「われわれは洗礼を信じ、信じることを祈る」
序言――わたしたちが告白する信仰を生きる
1 洗礼と三位一体信仰
2 信仰告白としてのニケア信条
3 説教とカテケージスによる深まり
4 御子への祈りと栄唱
5 賛歌における神学
第三章 神学的・教会的な出来事としてのニケア
1 キリストの出来事――「いまだかつて、神を見た者はいない。〔……〕独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハ1・18)
1・1 受肉したことばであるキリストが御父を示す
1・2 「しかし、わたしたちはキリストの思い(νοῦς)を抱いています」(二コリ2・16)――創造の類比と愛徳の類比
1・3 キリストの祈りを通して御父を知る
2 知恵の出来事――人間の思考にとっての新しさ
2・1 啓示は人間の思考を豊かにし、広げる
2・2 文化的・異文化間対話的な出来事
2・3 教会の創造的な忠実さと、異端の問題
3 教会的な出来事――最初の普遍公会議としてのニケア公会議
3・1 教会はその本性と構造によってキリストの出来事に根ざす
3・2 教会のもろもろのカリスマの構造的な協力とニケアへの道
3・3 ニケア普遍公会議
第四章 すべての神の民が近づくことのできる信仰を守る
序言――ニケア公会議とキリスト教の神秘の信頼性の条件
1 救いをもたらす真理の全体に奉仕する神学
1・1 終末論的に有効な真理であるキリスト
1・2 救いと神的〈子性〉の過程
2 教会の仲介と、教義的連続性の転換――三位一体、キリスト論、聖霊論、教会論
2・1 信仰の仲介と教会の神秘
2・2 異論とシノダリティ
2・3 合意を形成し、新たにするための聖霊の舌
3 ゆだねられた信仰の遺産を見守る――最も小さい者に奉仕する愛
3・1 すべての人に示される神の民の一致した信仰
3・2 政治権力に対して信仰を守る
結び 今日、すべての人にわたしたちの救いであるイエスを告げ知らせる

本文書について

 2025年5月20日、キリスト教界は、325年に小アジアで開催されたニケア(ニカイア)公会議開会1700周年を記念します。ニケア公会議は歴史上最初の普遍公会議であり、同公会議が作成し、第一コンスタンチノープル(コンスタンティノポリス)公会議で完成された信条は、教会が告白するイエス・キリストへの信仰の証明書となりました。この記念は、「わたしたちの希望であるイエス・キリスト」を中心テーマとする聖年の中で行われます。また、この聖年では東方と西方のキリスト者が復活祭を同じ日に祝います。教皇フランシスコが強調したとおり、戦争の悲劇と数え切れない不安と不確実性を特徴とするこの歴史の時点において、キリスト者にとって最も本質的で、すばらしく、魅力的で、時として必要なのは、ニケアで告白されたイエス・キリストへの信仰にほかなりません。実際、この信仰告白は、「教会の根本的な務め」(教皇フランシスコ「教皇庁教理省総会参加者への挨拶(2024年1月26日)」)です。
 国際神学委員会はここに『イエス・キリスト、神の子、救い主――ニケア公会議1700周年』という重要かつ包括的な文書を公表しました。この文書の目的は、公会議の性格と重要性を思い起こすことだけでなくー―確かにそれは教会にとってきわめて歴史的重要性をもっていますがー―、とくに教会が現在取り組むよう求められている福音宣教の新しい段階を考慮に入れながら、現代まで告白され続けてきたニケア公会議がもち、再提示する特別な源泉を強調することです。この文書はまた、世界の文化と社会に影響を与えている時代の変化にこたえる責任ある共通の方法にとっての、これらの源泉の価値をも強調します。なぜなら、ニケアで告白された信仰は、神の子がわたしたちの間に来られたことの爆発的で永続的な新しさをわたしたちに示してくれるからです。この信仰は、神の光の下で得られた歴史の意味と方向性への決定的な洞察のたまものを受け入れるために、わたしたちが心と精神を広げるように励まします。この神は、ご自身のいのちを完全に伝えた、独り子を通じて、受肉によってわたしたちにこのいのちにあずからせ、あらゆる障壁を乗り越える、聖霊の恵みを寛大に与えてくださいました。この恵みは、利己主義からの解放、相互関係への開放、他者との交わりです。
 ニケア公会議があかしし、伝えた信仰は、愛であり、三位一体であり、愛のゆえに御子においてわたしたちの一人となられた神についての真理です。この真理は、個人と民の友愛の原理であり、わたしたちのためにご自身のいのちを最高の形で与えた晩にイエスが御父にささげた祈りに従って歴史を変える原理です。「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(ヨハ17・22)。それゆえニケア信条は、今日でも用いることのできる生きた水の泉として、教会の信仰の中心に位置しています。この信条を通じて、わたしたちはイエスのまなざしに歩み入ることができ、また、イエスのうちに、「アッバ」である神が、最も小さい者、貧しい者、疎外された者から始めて、ご自身のすべての子と全被造物をご覧になるまなざしに歩み入ることができるのです。なぜなら、「多くの兄弟の中で長子となられた」(ロマ8・29)御父の独り子は、これらの人々とご自身を一つのものとしたからです。独り子は、これらの者の一人にしたのは、ご自身にしてくれたことであるとまで考えたからです(マタ25・40参照)。
 国際神学委員会の本文書は、学問的神学文書となることだけを意図していません。この文書は、キリスト教共同体の信仰と、信仰の生きたあかしの成長の有益な助けとなりうる、貴重で時宜にかなった総合として提供されます。本文書は、新しい洞察によって典礼生活への参加を豊かにし、神の民の信仰理解と信仰体験を導くことだけでなく、この困難な時代の転換期におけるキリスト者の文化的・社会的取り組みを活気づけ、方向づけることも目指しています。意味深いことに、教会に固有の「ともに歩む」シノドス的な体験を通じて、普遍的なレベルで(そのためニケア公会議は「普遍」公会議と呼ばれます)教会の一致と使命が最初に象徴的に表明されたのは、ニケアにおいてでした。こうしてニケアは、今日、カトリック教会が取り組んでいるシノドス的なプロセスの基準また霊感の源泉となります。カトリック教会は、宣教のための関係と相互関係の原則によって特徴づけられる、回心と改革を行うよう取り組んでいるからです。教皇フランシスコが発表した『世界代表司教会議最終文書』が力強く述べるとおりです。
 それゆえ国際神学委員会は、2025年5月20日にウルバノ大学「聖ヨハネ・パウロ二世」ホールで開催される、本文書「イエス・キリスト、神の子、救い主――ニケア公会議1700周年(325-2025年)」についての研究会への参加を呼びかけます (https://www.doctrinafidei.va/it/commissioni-collegate/commissione-teologica/storia/eventi.html)。
(2025年4月3日の本文書発表に関するプレスリリース〔原文イタリア語〕)

前置き

 10回目の5年計画にあたり、国際神学委員会はニケアにおける第1回公会議とその教義的意味に関する研究を深めることを選びました。この作業はPhilippe Vallin神父を議長とし、以下の委員から成る小委員会で行われました。 Antonio Luiz Catelan Ferreira、Etienne Vetö(シュマン・ヌフ共同体)、Mario Angel Flores Ramos、Gaby Alfred Hachem、Karl-Heinz Menke、Marianne Schlosser教授、Robin Darling Young教授です。
 テーマに関する一般的な議論は、2022年から2024年に開催された小委員会のさまざまな会議と本委員会総会で行われました。本文書は、2024年の総会において投票にかけられ、国際神学委員会委員により「特別な形式で」(in forma specifica)全会一致で承認されました。文書は続いて教皇庁教理省長官のビクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿の承認を受け、同枢機卿は教皇フランシスコの認可を受けた後に、2024年12月16日に公表を許可しました。

序文――栄唱、神学、告知

1 2025年5月20日、カトリック教会と全キリスト教世界は、感謝と喜びをもって325年のニケア公会議の開会を記念します。「ニケア公会議は、教会の歴史における一里塚です。その開催の記念日は、キリスト信者たちを、聖三位への、とりわけイエス・キリスト――神の御子、「御父と同一本質」、愛のこの神秘をわたしたちに明かしてくださったかた――への賛美と感謝のうちに一つになるよう招くものです」(1)。この公会議は、イエス・キリストにおける救いと、父と子と聖霊の唯一の神への信仰をまとめ、定義し、告知する信条を通じて、おもにキリスト信者の意識にとどまっています。ニケア信条は、神ご自身がイエス・キリストにおいて行われた人類全体の救いに関する福音を告白します。それから1700年後、わたしたちはこの出来事を、神の栄光をたたえる〈栄唱〉によって記念します。この栄光は、信条によって表明されたかけがえのない信仰の宝によって現されたからです。すなわち、わたしたちを救う神の限りないすばらしさ、わたしたちの救い主イエス・キリストの計り知れない憐れみ、聖霊のうちにすべての人に与えられた寛大なあがないです。わたしたちはシリアのエフラエムのような教父と声を合わせて、この栄光を歌います。

「初子を通してわたしたちのところに来られた方に
栄光あれ。
み声によって語られた静かな方に
栄光あれ。
顕現によって目に見えるようになられた至高者に
栄光あれ。
御子がからだとなられたことを
喜ばれた
霊なる方に栄光あれ。
その民の子らのからだが
このからだを通して御力に触れることができるようになり
このからだを通していのちを得るためです」(2)

2 ニケア公会議がキリスト教の啓示を照らした光により、わたしたちは汲みつくすことのできない豊かな富を再発見できるようになりました。この富は、何世紀にもわたり諸文化を通じて深められ、ますます美しく新たなしかたで示され続けています。このさまざまな側面は、とくにキリスト教の諸伝統の大部分が信条について行った祈りと神学による再読により明らかになりました。こうした再読は、それぞれの伝統により、信条が存在するという事実とのさまざまな関係に基づいて行われました。また、これは、すべての人、また一人一人の人にとり、信条の豊かさと、信条が築くことができたすべてのキリスト信者の交わりの絆を再発見ないし発見する機会でもあります。教皇フランシスコがこう強調するとおりです。「キリスト者の完全な一致を求める上でのこうした記念の特別な重要性を思い起こさずにいられるでしょうか」(3)

3 ニケア公会議は「普遍的(エキュメニカル)」と呼ばれた最初の公会議でした。なぜなら、初めて〈全世界〉(オイクーメネー)の司教たちが招集されたからです(4)。それゆえ、その議決はエキュメニカルすなわち普遍的な意味をもちました。議決そのものは、長い労苦の過程を経て信者とキリスト教的伝統によって受け入れられました。教会論的な意味は決定的です。信条は、キリスト教の教えがギリシア語とギリシア的思考様式を徐々に採用する過程の一部でした。ギリシア語とギリシア的思考様式も、いわば、啓示との接触により変容しました。さらに公会議は、最初の数世紀の教会において教会会議(シノドス)と統治の会議的な形式がますます重要になり、同時に大きな転換となったことを示します。イエスと聖霊により使徒たちに与えられた〈権威〉(エクスーシア)の線に沿って(ルカ10・16、使1・14、2・1-4参照)、ニケアの出来事は教会の権威の新たな制度的表現への道を開きました。すなわち、それ以降、教理や規律の面で、普遍公会議によって認められるようになった、普遍的な意味をもつ権威です。主イエスの弟子たちの共同体における、この思考・統治様式の決定的な転換は、教会の教える使命の本質的要素、それゆえ教会の本性を明るみに出すことになります。

4 考察に進む前に明確化が必要です。わたしたちが基盤とするのはニケア・コンスタンチノープル信条(381年)であって、厳密な意味ではニケアで作成された信条(325年)ではありません。実際、ニケア信条が受容され、公会議の普遍的重要性が合意されるために50年が必要でした。ニケア公会議の受領プロセスは、ニケアとコンスタンチノープルの間のプネウマトマコイとの論争中も続き、とくに第三条においていくつかの重要なテキストの修正が行われました。しかし、教父の意見に従えば、ニケア・コンスタンチノープル信条で完成に達したこのプロセスは、ニケア信仰のいかなる変更も含まず、むしろそれを真の意味で保っています。この意味で、ニケア信条とニケア・コンスタンチノープル信条の引用の後に置かれたカルケドンの教義の定義の序文は、「150人の教父」(コンスタンチノープル)の信条が述べたことを「確認」します。なぜなら、その意味は、彼ら自身の用語で、聖霊が主であることを否定する人々に反対して聖霊に関して行った定義のうちにあるからです(5)。ニケア公会議で起きたことの大きさは、エフェソス公会議が、いかなる異なる信仰定式を宣言することも禁じたことのうちに示されます(6)。なぜなら、ニケアに続く時期、正統信仰の支持者は、ニケア信条のうちに結晶化した判断は、教会の信仰を永遠に保証するのに十分だと考えたからです。たとえばアタナシオスはニケアについて、それは「とこしえに立つ神の言葉」(イザ40・8)だと述べています(7)。この生きた規範的な伝統のプロセスは、とくに東方におけるこの信条の洗礼式への採用と、後に感謝の祭儀の式文への採用を通して、四世紀から九世紀の間にも続きます。信条の西方版に見いだされる〈フィリオクェ〉が、本文書が基盤とする、ニケア・コンスタンチノープルの元のテキストに含まれていなかったことを指摘しなければなりません(8)。この点はキリスト教のもろもろの信仰告白の間で誤解の対象となり続けてきました。そのため、今日に至るまで東方と西方の対話を続けなければならなかったのです。

5 第一章では、信条の〈栄唱的〉な解釈を提示します。それは、信条の救済論的な、それゆえキリスト論的・三位一体論的・人間論的源泉を明らかにするためです。これは、その意味を強調し、キリスト者の一致に向けた道のりにおける新たな刺激を受ける機会となるでしょう。しかし、1700年後にニケア公会議の豊かな意味を受け入れることは、この公会議がいかに日々のキリスト教生活を養い、導くかをも理解させてくれます。第二章では、教父の文書から、典礼生活と祈りの生活が公会議後の教会の中でいかに実り豊かなものとなったかを探ります。ニケアはキリスト教史の中で転換点でした。そこで第三章では、信条と公会議の出来事がいかにイエス・キリストの出来事そのものをあかししたかを考察します。イエス・キリストが歴史の中に入り込んだことは、これまで聞いたことのない神に近づく道を与え、人間の思考の変容を、いいかえれば知恵の出来事をもたらしました。信条と公会議は、キリストの教会が構造化され、その使命を果たす上での新たな方法をあかししました。それは教会の出来事とは何かを表現したのです。最後に、第四章で、基礎神学のレベルで、ニケアで宣言された信仰の信頼性の条件を分析します。この分析は、信者、とくに最も小さい者、脆弱な者の擁護者である教導職を通して、信仰の規範的な真理の真の解釈者であるかぎりでの、教会の本性とアイデンティティを明らかにします。

6 「ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」(マタ5・15)。この光こそが、「光よりの光」であるキリストです。この光に驚嘆することは、この良い知らせを、聖霊のうちに、より力強く創造性をもって示すための新たな刺激を見いだすことをも意味します。この光は現代を生き生きと照らします。現代は、暴力と不正によって特徴づけられ、不安に満ち、それが真理との関係を複雑にしています。そしてそのために、信仰と教会への帰属は困難なものと見なされています。同じ〈あかし〉(マルテュリア)によって同じ信仰を告白するすべてのキリスト者によって共有されればされるほど、光はいっそう生き生きと輝きます。それは、現代の人々を、神の子、救い主であるイエス・キリストへと引き寄せる助けとなります。
 わたしたちにとって不可欠なもの、最もすばらしく、魅力的で、かつ必要なものは、イエス・キリストへの信仰です。神が望まれるなら、わたしたちは来る1700周年に、わたしたちの信仰をともに荘厳に更新します。そして、わたしたち一人一人は、地上のすべての人に信仰を告げ知らせるように招かれています。これこそが教会の根本的な務めです(9)

第一章
救いに関する信条――ニケアの教義の栄唱と神学

7 ニケアの1700周年を記念するとは、何よりもまず、公会議がわたしたちに残した信条と、ことばにおけるイコンのように、イエス・キリストにおいて与えられたたまもののすばらしさに驚嘆することです。それゆえわたしたちは、ニケアに関する研究を、この信条の検討から始めます。この信条のエキュメニカルな意味を結論づける前に、それが表明する、三位一体信仰とキリスト論と救済論の特別な計り知れなさと、その人間論的・教会論的意味を再発見するためです。問題となるのはいわば〈栄唱的神学〉という行為です。本文書は、信条というキリスト教信仰が「濃縮されたもの」のすべてのテーマを深く研究することを目標とするものではありませんが――こうした作業はさほど有益ではなく、本文書の作業の枠組みでは不可能です――、教義的な観点から、ニケア信条に示される豊かな表現と真理を、また、ニケアの1700周年を記念している教会と世界の歴史のこの時期にとって信条がもつ重要性と豊かさを明らかにすることを目指します。

1 わたしたちを救う神の三つの位格の計り知れなさを把握する――無限に「神は愛である」

8 ニケア・コンスタンチノープル信条は三位一体信仰の表明をめぐって組み立てられています。

わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、
すべてに先立って父より生まれ、光よりの光、
まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と同一本質。
すべては主によって造られました。〔……〕
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は父から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。〔……〕(10)

1・1 子と聖霊の偉大さの基盤としての、父である神の父性の計り知れなさ

9 ニケアの出発点は、神の唯一性に関する言明です。キリスト教は根本的に一神教です。 それはイスラエルへの啓示と連続しています。にもかかわらず、信条は最初から単に「神」と述べることも、唯一の神性について述べることもなく、むしろ、父という、神の第一のヒュポスタシス(位格)を述べます。「天と地の造り主」(創1・1、ネヘ9・6、黙10・6参照)として、この方は万物の父です(11)。さらに、キリストは、これまでに聞いたことのない、神の内的神性の父性を現します。それは神の〈外へ向けての〉(ad extra)父性の基盤です。もしキリストが独自のしかたで神の子であるなら、それは神のうちなる生成を意味します。父である神は、彼が所有するもののすべてと、彼であるもののすべてを与えます。神は貧しい利己的な原理ではありません。神は〈妬みのない〉(sine invidia)(12)方です。神の父性は、その全能性と同じように、ご自身をすべて与える力です。この父のたまものは、単なる一側面ではなく、完全な父性である御父を定義します(13)。神は常に父であり、決して「単独の」神ではありませんでした(14)。この唯一の神の父性は、キリスト教信仰の第一の性格です。それは驚きを引き起こすとともに、わたしたちは1700年後にニケアを思い起こしながら、その計り知れなさを記念しなければなりません。それゆえ、わたしたちの目的は、三位一体の神秘を理解するためにこの計り知れなさの意味を探究することです。

10 御父への信仰は、神の満ち満ちた完全性をあかしします。第一条は単なる神の定義ではなく、何よりもまず、ユダヤ教の典礼と初期キリスト教典礼の栄唱の伝統の部分をなす、賛美です(15)。「全能者」(パントクラトール)である神は、天上の礼拝の一部として新約の中で再び取り上げられた「万軍(サバオート)の主」のような、さまざまな旧約の表現を反映しています(黙4・8、11・17、15・3、16・14、19・6)。

11 神の父性に関するキリストの啓示は、御子と聖霊の計り知れなさをも表します。父である神が、ご自身の父性を除いてすべてのものを与えたなら、そのことは、御子と聖霊がそれらの神性において御父と完全に等しいことを意味します。信条において、御子は「唯一」であり、「主」(キュリロス――これは七十人訳における神聖四字の訳)であり、「神の子」、御父との親しさにおいて「ひとり子」(ホ・モノゲネース)であり、「神よりの神」、「光よりの光」、「まことの神よりのまことの神」であり、御父と同一本質(ホモウーシオス)です。わたしたちは、たとえば第四福音書において、御子が何度も「テオス」と呼ばれていることに気づきます(ヨハ1・1、5・18、20・28)。御子は「すべてに〔すべての世に〕先立って」生まれました。これは信条において御子が御父とともに永遠であることを意味します(ヨハ1・1参照)。これはアレイオスの立場に対抗しています。アレイオスによれば、「(御子が)存在しない時があった」、「御子は生まれる前には存在しなかった」、「御子は存在しないものから来た」(16)、ないし、御父の「意志と決定」によって「御子は無から来た」(17)のです。だから御子は「万物は〔この方〕によって成った」(一コリ8・6、ヨハ1・3参照)と告白されることができるのです。神は、御父が神性においてご自身と等しい他の者を生むことができるほど、偉大です。神は、わたしたちが考え、想像しうるすべてのことを超えています。なぜなら、神の一性は、一性を破壊することのない、現実の他性を取るからです。

12 御父は、同様に、すべてのものを聖霊に与えます。聖霊は、「霊」、「聖」、また「主」(ここでも神聖四字が思い起こされます)という、神性のみに留保された特別な用語で定義されます。御父が造り主であり、御子がそれによって御父が万物を造った御言葉であるように、聖霊は「いのちの与え主」と告白されます。御子が御父から生まれたように、聖霊は「御父から出」ます。聖霊に関する言明は、意図的に御子に関する条文を反映しています(18)。したがって、聖霊は御父と御子とともに礼拝されることができ、また礼拝されなければなりません。このことが信条の栄唱的性格を確認します。

13 聖霊の神における「第三」の神性と、同時に、聖霊の御父と御子との絆を維持することは、不可欠です。実際、聖霊を、単なる神的な力ないし宇宙的な力にすぎないものでなく、固有の神的位格と考えることは、今日においてもなお困難です。わたしたちは、教会の祈りに反して、聖霊を除外して御父と御子に祈ることを考えることすらあります。教会の祈りは常に、聖霊のうちに、御子を通して、御父に向けて行われます。わたしたちは聖体とおとめマリアと教会の正当な重要性を認めています。しかし、それらが大切なのは、まさにそれらが聖霊によって生かされているからであることを理解していません(19)。反対に、他の人々は聖霊に、中心的な、さらには排他的な位置づけを与え、御父と御子を背景に退かせます。これは逆説的にも聖霊論的な還元主義の形に陥ります。なぜなら、聖霊は〈御父の〉霊であり、〈御子の〉霊だからです(ガラ4・6、ロマ8・9)。ニケアの信仰において表明された聖霊の満ち満ちた偉大さは、こうした還元主義に対する確かな防護となります。

14 こうして、神の父性の泉としての完全性から、〈常に偉大な〉(semper major)、父と子と聖霊の神の満ち満ちた完全性が流れ出ます。今や、御父の泉としての完全性は、三位一体の神のいのちにおける〈秩序〉(タクシス)を意味します。御父はあらゆる神性の源泉です(20)。確かに第二の位格は神であり光ですが、この位格は「神〈よりの〉神」、「光〈よりの〉光」です。聖霊は、神性において御父と御子と等しいと告白されますが、他の二者とは異なるしかたで示されます。すでに考察したとおり(12節)、聖霊は神的性格によって示されますが、御父と御子とともに礼拝されなければなりません。このことを踏まえて、表現の違いに注目しなければなりません。御父と御子について「唯一」であり、御子について「同一本質」であるといわれたことは、聖霊に関しては繰り返していわれません。聖霊の共通の神性を少しも取り去ることなしに、信条において聖霊に言及するしかたは、その位格的区別を強調します。こうして聖霊に関する固有の表現は、〈それぞれの〉神的位格の独自性を明らかにします。ある意味で、神において「ヒュポスタシス」ないし「ペルソナ」は類比的な用語です。なぜなら、三者の神的「名」は完全な意味で位格ですが、それは独自のしかたにおいてのものだからです。この独自性は、同等性と、相違性・秩序は、対立しないことも示します。このことも、御父の満ち満ちた父性の生み出す結果です。ニケアを受容することは、同等性とともに相違性と唯一性を成り立たせる、豊かな神的父性を受容することを意味します。

1・2 〈ホモウーシオス〉という表現を用いたことに関する考察

15 ニケアの中心的な貢献の一つは、御子の神性を同一本質という用語で定義したことです。御子は御父と「同一本質」(ホモウーシオス)であり、「父より生まれ」、「すなわち父の本質より生まれ」(21)ました。子が生まれることは、創造とは異なります。なぜなら、それは御父の独自の本質を共有することだからです。御子は御父と同じように完全に神であるだけでなく、本質においても御父と数的に一つです。なぜなら、唯一の神のうちに区分は存在しないからです(22)。繰り返していうなら、神的いのちの論理に従って、御父は御子にすべてのものを与えます。神的いのちは〈アガペー〉(愛)であり、人間精神が考えうることを常に超えるからです。

16 初めて、公的・規範的教会文書の中で非聖書的用語が用いられました。わたしたちは第三章と第四章でこの点に立ち戻ります。公会議教父は、使徒的信仰に新しいものを導入することを意図したのではなく、神のうちに実際にいかなる生成があるかを説明することによって使徒的信仰を守ろうとしたのです。だから、325年の信条では「すなわち」という表現によって〈ホモウーシオス〉が導入されました。ギリシアの存在論的用語法は、伝統的な聖書的表現に奉仕するためのものでした(23)。グノーシス起源で、アンティオケイア地方教会会議(264-269年)で断罪されたこの用語は、ニケア後の数十年間に激しく議論されました。しかし三六〇年代以降、この用語の支持者が増加し、コンスタンチノープルで完全かつ平和裏に承認されました(381年)。こうして、この用語が信仰を説明し守る役割が、啓示の受容における人間理性と哲学と文化の創造的な力とともに認められました。すでに聖書においても行われていたのと同じように、啓示は神と人類の対話を含みます。この対話は、人間的で条件づけられ制約された言葉を通じて、両者の間で行われます。それゆえ言葉は常に解釈されなければなりません。神的いのちは満ち満ちたものとして啓示されるだけでなく、人間のことばで表され、間もなくすべての言語に翻訳されることができた、啓示の形式そのものが、ここで〈常に偉大な〉(semper major)ものとして示されます。

17 しかしながら、この表現は、救いをもたらす御子の神性を表すために信条で用いられた唯一のものではありません。それは、聖書と典礼を起源とする一連の用語に挿入されました。「まことの神よりのまことの神」、「神よりの神」(24)、そして、「光よりの光」です。これらの用語の一つだけで啓示の満ち満ちた完全性を汲み尽くすことはできません。信仰は、より正しく完全なしかたで表現されるために、聖書的、哲学的、典礼的なさまざまな表現や、概念、神名(御父、御子、聖霊)による表現を必要とします。異なる教会・教会共同体の自己表現のしかたは、このような再発見を相互に支持しうるものです。あるものは、特定のことがらを他のことがらよりも強調するからです。たとえば、東方の伝統は「光よりの光」としてのキリスト理解を強調します(25)。確かに、用語が複数あることは、信仰が、それぞれの人間の「精神形態」(forma mentis)に従って異なる文化に理解しやすいしかたで表現されるのに役立ちます。

1・3 救済史の統一性

18 ニケア・コンスタンチノープル信条の意味を完全に理解するためには、信仰宣言を形成する救済史の枠組みの統一性を理解することが必要です。実際、創造や「いのちのたまもの」を三つの位格に帰することは、創造の秩序と救いの秩序の統一性を強調します。神化はすでに創造のわざから始まり、救済史はすでに創造から始まります。マルキオン主義やさまざまな形のグノーシス主義に反対して、創造し、救うのは同じ神であり、神によって良いものとして望まれた同じ創造された現実が、あがないによって修復されることを確認する必要があります。それゆえ、恵みは断絶をもたらすのではなく、完成を示します。それは、恵みへと秩序づけられた創造のわざからすでに始まるのです。

19 同じように、キリストにおいて実現された救いの営みは、イスラエルの民に示された啓示への忠実が強調されることによって初めて、その真の完全な意味が示されます。このことを強調しなければ、ニケアで表明された信仰は、歴史的次元におけるその正統性と完全性を失うことになります。当然のことながら、ニケア信仰の三位一体論的・キリスト論的次元は、ラビの伝統では受容されませんでした。しかし、キリスト教的観点から見ると、それは、本質的なしかたでは、選ばれた民にゆだねられた啓示との〈連続性〉のうちに示された〈新規性〉として理解されます。三位一体論の教理は、一種の相対化を意味するのではなく、むしろ、イスラエルの唯一神信仰の深化です(26)。わたしたちはすでに、神が「唯一」であり「天と地の造り主」であるという言明は、旧約の反映であることを強調しました。旧約において、神は、愛のゆえに創造し、愛のゆえに人間と関係をもち、人間から愛されることを求める唯一の方として啓示されたからです。神はアブラハムを「友」、「愛する友」(イザ41・8、代下20・7、ヤコ2・23)と呼び、モーセに「その友と語るように、顔と顔を合わせて」(出33・11)語りかけました。同じように、〈ホモウーシオス〉の選択は、まさにキリスト教信仰の一神教的性格を守るために行われました。神のうちには、神的現実以外の現実が存在しません。御子と聖霊は神ご自身以外のものではなく、神と世界ないし単なる被造物の間の中間的な存在でもありません。さらに、イスラエルへの啓示は、神を、人類の歴史の中で、ご自身を関わらせ、ご自身を与え、ご自身を伝える唯一の方としてあかししました。キリスト教は、受肉を、降って来て、ご自身の民のただ中に住むイスラエルの神の行為(営み)の聞いたことのないような完成として理解します。この行為は、イエスという一人の人間と神との一致のうちに実現しました(27)

20 さらに、ニケアで表明された三位一体信仰の発展は、ユダヤ教的背景なしにありえませんでした。信条は三重の繰り返しによって構成されます。「わたしは信じます。唯一の神、……父……を。……唯一の主イエス・キリストを。……聖霊を」。実際、最初の数世紀に生まれた三位一体信仰は、父と子と聖霊という神の名の一性を次のようにして発展させました。それは、〈シェマ・イスラエル〉(聞け、イスラエルよ)「我らの神、主は唯一の主である」(申6・4)の初めに表明されたイスラエルの一神教信仰から出発し、このユダヤ教の中心的な祈りを繰り返すことを通して、唯一の神の一性・唯一性を御子に帰するまでに延長させたのです。「わたしは信じます。〈唯一の〉神……を。……〈唯一の〉主……を」。このことは新約の三位一体信仰の表現にも認められます。「わたしたちにとっては、〈唯一の〉神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、〈唯一の〉主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです」(一コリ8・6。強調を付加)。この「二位一体」定式は、「三位一体」定式と共存します。「体は〈一つ〉、霊は一つです。……主は〈一人〉、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は〈唯一〉であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」(エフェ4・4-6。強調を付加。一コリ12・4-6も参照)。当然のことながら、典礼の内容は、ラビの伝統によって受容できない概念へと急速に進化しましたが、キリスト教信仰は、ユダヤ教典礼の性格と枠組みの中で発展しました。さらに、ヘブライ語聖書と第二神殿時代の文書に示されるような、イスラエルの一神教の豊かな多面性も強調しなければなりません(28)。そこには、その一性・唯一性と矛盾することのない、神における満ち満ちた豊かさに関する思想が存在します。神像の多様性も示されます。たとえば、一部の専門家が「日の老いたる者」と「「人の子」のような者」(ダニ7・9-14)の間の二元性のうちに認める、ある意味での「二位一体的」側面です(29)。世界において活動を行う神のさまざまな姿にもこのような豊かさが示されます。主の天使、ことば(dābār)、霊(rûaḥ)、知恵(ḥākmâ)です(30)。さらに、現代のある釈義家は、キリスト教の信仰告白には最初に二位一体的段階が存在し、それが、聖書に表明された一神教との連続性の中で、固有の神的格付けをもった形で、死後に栄光化された〈キュリロス〉(主)としてのナザレのイエスへの信仰告白を自然に加えたと主張します(31)。こうして、三位一体信仰を旧約に再投影することは重要ではありませんが、とはいえ、直線的ではないにしても、旧約と新約の間に発展の過程を見いだすことは可能です。すなわち、これらのさまざまな現実の、ロゴスである御子と聖霊という二つの姿へのいわば〈集中化〉です。これに対して、他の二つの神的位格を唯一の神に対する外的な〈付加物〉と見なすなら、ともに永遠の三つの位格の唯一で不可分の本質の内部での御父の本質的な豊かさに関するキリスト教的概念を見失うことになります。

2 救い主キリストとその救いのわざの計り知れなさを把握する

21 ニケア・コンスタンチノープル信条の第二条の中心にあるのは、御子の受肉とあがないのわざです。神の子、キリストの神性を告白した後、わたしたちはこう告白します。

〔わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。〕
主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天から降り、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け(32)、人となられました。
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、
父の右の座に着いておられます。
主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。

2・1 キリストをそのすべての偉大さにおいて見る

22 ニケアはわたしたちが「キリストをそのすべての偉大さにおいて見る」(33)ことを可能にします。キリストを神と人類の間の唯一の仲介者とする二つの次元は、受肉における二人の主役への言及によってはっきりと示されます。「聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け」。キリストは、神の霊の力によって一人のおとめからもたらされたことによって、完全に神です。キリストは、一人の女から生まれたことによって、完全に人です。後のカルケドンの二重の宣言(34)に従って、キリストは御父と〈同一本質〉(ホモウーシオス)ですが、わたしたちとも〈同一本質〉です。ただし、〈ホモウーシオス〉という語は、受肉した御子の御父との関係を指す際と、人間との関係を指す際では同じ意味ではありえません。肉となったみことばは、唯一で不可逆的なしかたで個別的かつ有限的な人間性をとる、神のことば自身です。イエスはペルソナ的に(ヒュポスタシス的に)永遠の御子と同一だったので、彼は悲劇的なしかたで人間の死を苦しむことにより、御父との生きた関係を保ち、神からの分離、すなわち罪と死(ロマ6・23参照)を、神に近づくことへと変容させることができました(一コリ15・54-56、ヨハ14・6b参照)。イエスはまことの人だったので――「罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に」(ヘブ4・15)――、彼はわたしたちの罪を担い、死を通ることができました。この二重の同一本質性は、キリストだけが救いをもたらすことができることを意味します。キリストのみが救いの〈わざを行う〉ことができます。キリストだけが、人間と御父との交わりに〈ほかなりません〉(35)。キリストのみが、〈あらゆる〉時代の〈すべての〉人間の救い主です。キリストの前にも後にも、いかなる人間もこのような者ではありえません。誰も聞いたことのない、神と人類の完全な交わりが、人間が自分では想像できない実現のしかたで、キリストにおいて実現されたのです。

23 キリストの完全な神性と完全な人間性を信じることに関する現代の困難を無視することはできません。現代をも含む、キリスト教の歴史全体を通じて、キリストの完全な神性を認めることへの抵抗が存在します。イエスを、霊的生活へと導く教師、ないし、正義を説教する〈政治的メシア〉と容易に考えることが可能です。これに対して、イエスはご自分の人間性のうちに御父との永遠の関係を生きました。しかし、キリストの完全な人間性を認めることにも大きな困難が存在します。キリストは疲れを体験し(ヨハ4・6)、悲しみと見捨てられたことや(ヨハ11・35、ゲツセマネ)、怒りさえも感じたからです(ヨハ2・14-17)。キリストは、神秘的にも、しかし実際に、ある種のことがらを知りませんでした(マタ24・36「その日、その時は、だれも知らない。……ただ、父だけがご存じである」)。永遠の御子は、ありのままの存在を、無限の神性において生きることを選びました。この無限の神性は、有限な人性のうちに、それを通して、とどまったのです。

24 しかし、信条の第二の位格にささげられた部分が最も発展したとはいえ、ニケア信仰に含まれたキリスト論的観点は必然的に三位一体的であることに注目しなければなりません。キリストは〈常に偉大な〉(semper major)方です。なぜなら、キリストが存在するところでは、常に彼以上のものが存在するからです。御父は、「イスラエルの聖なる方」である御父にとどまります。確かに、「わたし〔キリスト〕を見た者は、父を見た」(ヨハ14・9)のですが、イエスがいうとおり、「父はわたしよりも偉大な方」(ヨハ14・28)です。アレイオス自身もこのことを認めて、「善い方はおひとりである」(マタ19・17)という福音を引用します(36)。さらに、御父と聖霊なしにキリストを理解することはできません。キリストは、神-人また花婿として受胎する前に、新約の中で御父の子として示され、聖霊によって油を注がれるからです。同じように、キリストは御父なしに民を救うことはできません。御父はすべてのものの源泉であり目的であり、キリストは御父との子としての結びつきだからです。キリストは聖霊なしに民を救うことはできません。聖霊は人々に「アッバ、父よ」(ロマ8・15)と叫ばせます。そして、聖霊の内的な働きによって、人間は造り変えられ、御父へと向かう動きに積極的に導き入れられるからです。

2・2 救いのわざの計り知れなさ――その歴史的確実性

25 救い主の偉大さは、救いの営みの満ち満ちた完全性のうちに現されます。ニケアはあがないのわざの現実性を示します。神は、キリストにおいて、歴史の中に入ることによって、わたしたちを救います。神は天使や人間の英雄を遣わすのではなく、ご自身が人間の歴史の中にやって来られます。マリアという女からイスラエルの民のうちへと生まれることによって(ガラ4・4「女から、しかも律法の下に生まれた」)、そして、特定の歴史的時期に死ぬことによって(一テモ6・13「ポンテオ・ピラトの面前で」参照。使3・13も参照)(37)。もし神がご自身で歴史の中に入られたのなら、救いの営みが啓示の場です。キリストは歴史の中で真に御父と聖霊を現し、御父と聖霊へと完全に近づく道を与えます。さらに、神が歴史の中に入ったがゆえに、重要なのは、マルキオン主義や「偽称」グノーシスにおけるように、教えを実践に移すことではなく、神の力強いわざです。営みは、神の救いのわざの場です。わたしたちは、歴史的出来事がすべての人の状況を根底的に変えたと告白します。わたしたちは、超越的な真理そのものが歴史の中に位置づけられ、歴史の中で働くと告白します。だから、イエスのメッセージをその人格と切り離すことはできません。彼は単なる知恵の教師の一人ではなく、彼〈こそ〉が「道であり、真理であり、いのち」(ヨハ14・6)なのです。

26 信条は歴史を強調しますが、旧約の内容、とくにイスラエルの選びや歴史にはほとんどはっきりと言及しません。当然のことながら、信条がすべてを語り尽くす必要はありません。にもかかわらず、次のことを強調することは有益です。この沈黙は、旧約の民の選びが無効となったことを決して意味しません(38)。ヘブライ語聖書で啓示されたことは、単なる準備ではなく、すでに救いの歴史です。それはキリストにおいて継続され、完成します。「キリストの教会は、自らの信仰と選びの始まりが神の救いの神秘に基づいてすでに族長たちとモーセと預言者たちのもとに見いだされることを認めるからである」(39)。イエス・キリストの神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」であり、「イスラエルの神」です。さらに、信条は、「おとめマリア」への言及を通して、イスラエルの民と新約の民の連続性を慎重に強調します。この言及は、メシアをユダヤ人の家族とユダヤ人の系図の中に位置づけ、旧約のテキストも反響させます(イザ7・14、七十人訳)。それは旧約の約束と新約の約束の間に橋をかけます。「聖書にあるとおり三日目に復活し」という次の条文の表現が行っているとおりです。ここで「聖書」は旧約を意味します(一コリ15・4参照)。旧約と新約の連続性は、聖霊についての条文が「預言者をとおして語られました」と述べるところにも見いだされます。これはおそらく反マルキオン主義的な注釈を表しています(40)。いずれにせよ、典礼から生まれた信条は、典礼〈の中で〉宣言され、旧約と新約の聖書全体の朗読とともに表現されることによって、完全な意味をもちます。それはキリスト教信仰を救いの営みの枠組みの中に位置づけます。救いの営みは、自然にまた構造的に、選ばれた民とその歴史を含みます。

2・3 救いの業の偉大さ――過越の神秘

27 キリストにおける救いの三位一体的次元の現実は、過越の神秘において完成を見いだします。神の光であり、まことの神である御子は、受肉し、死に、陰府に下り、復活します。ここにも誰も聞いたことのない新しさがあります。アレイオスの困難は、御子の生成と相いれない、神の唯一性に関わるだけでなく、キリストの受難と相いれない、神の神性とも関わります。しかし、まさにキリストにおいて、また、キリストにおいてのみ、わたしたちは、わたしたちがあらかじめ理解できるすべての限界を超えて、神ご自身がなしうることを理解することができるのです。わたしたちは、血の汗と恐れの中で表明された、イエスの叫びを、神の子の叫びとして真剣に受け止めなければなりません。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタ26・39b)。〈ホモウーシオス〉ということばそのものが、受肉のケノーシス(へりくだり)の誰も聞いたことのない性格を理解する助けとなります。御子が御父と「同一本質」であると言うことによってのみ、この同じ御子が人間の条件を受け入れることによって同意したことの徹底性と深さを理解することが可能になります。ある意味で、わたしたちはこう言うことが可能です。〈常に偉大な〉(semper major)御子は、真の意味で〈小さな者〉(minor)となった。至高の神がイエス・キリストにおいて最低のところに降ったと(フィリ2・5-11参照)。今や、たとえキリストのみが生まれ、受難を苦しみ、死んだとしても、わたしたちは「三位一体の一つが苦しみを受けた」(unus de Trinitate passus est)(41)と言うことができます。三位一体全体が、それぞれの位格は個別的なしかたで、救いをもたらすキリストの受難に関わります。こうして受難は「全能」の真の神的な意味をわたしたちに現します。三位一体の神の全能は、自己贈与と愛と同じです。それゆえ、十字架につけられたあがない主は、御父の全能を隠すのではなく、むしろ現すのです。

28 キリストのあがないのわざの完全性は、キリストの復活によって全面的に示されます。キリストの復活は救いの完成であり、その中で新しい創造のすべての側面が確認されるからです。復活はキリストの完全な神性をあかしします。キリストの神性のみが、死を通って、死に打ち勝つことができるからです。しかし、復活はキリストの人間性もあかしします。なぜなら、キリストの地上の生涯における人間性と数的に同じ、キリストの人間性こそが、変容され、栄光化されることができるからです。このことは象徴ないし隠喩ではありません。キリストはその人間性と肉体において復活させられました。復活は歴史を超越しますが、人類と、人間であるイエスの歴史の中心で起こります。さらに、復活は深い意味で三位一体的です。御父はその源泉であり、聖霊は生かす息であり、栄光を受けたキリストは、神的栄光と、御父と聖霊との変わることのない交わりのうちに――しかし、常にその人間のうちに――生きます。次のことを心に留めなければなりません。「死者の中から最初に生まれた方」(コロ1・18。ロマ8・29参照)であるキリストの復活こそが、「すべてのものが造られる前に生まれた方」(コロ1・15)である永遠の御子の生成を啓示します。それゆえ、父性と子 性は、たとえそれが文化のしるしを帯びた人間の言語で表現されていても、主要な意味で人間的モデルが発展したものではありません。むしろそれらは、神的生命の〈独自の〉(sui generis)現実です。

29 信条は、イエス・キリストの復活が世の終わりまで続くことを強調します。なぜなら、キリストは「生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません」。復活により、勝利は決定的なしかたで勝ち取られましたが、それは再臨において完全に実現されなければなりません。それは受難と復活が〈ただ一度〉(エファパックス)であることや、現実の恵みのたまものに基づくだけではなく、キリストとその御国が栄光のうちに再び来る、〈到来〉にも基づきます。次のことに注意しなければなりません。ニケア信仰のこの側面は、教会が旧約と今日のユダヤ人の信仰に耳を傾ける状況の中でそれが読まれることによっても、いっそうよく理解され、受容されるということです。イスラエルの民の現実のメシア待望は、全地における平和と、完全に新たにされた世界におけるすべての人のための正義に関するメシアの約束の完全性を強調します(イザ2・4、61・1-2、ミカ4・1-3)。キリスト者はそれを再臨において待ち望んでいます。これは、復活した主の再臨へのキリスト教的希望を呼び起こすことができ、また、呼び起こさなければなりません。なぜなら、そのときキリストのあがないのわざは完全に目に見えるものとなるからです(42)

3 人間に与えられた救いの計り知れなさと、わたしたち人間の召命の計り知れなさを把握する

30 ニケアを記念することは、神と救い主キリストの満ち満ちた完全性に驚かされることだけではなく、人間に与えられたたまものと、そこに現された人間の召命の満ち満ちた偉大さに驚かされることでもあります。計り知れない神の神秘は、人間に関する真理の啓示です。人間も〈常に偉大な〉(semper major)存在だからです。ここでの目的は、ニケア信条の三位一体論的・キリスト論的表現の救済論的・人間論的意味を深く考察することですが、聖霊に関する第三条の終わりの部分の教えを考察することでもあります。

わたしは、唯一の、聖なる、普遍の、使徒的教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と来世のいのちを、待ち望みます。アーメン。

3・1 救いの偉大さ――神のいのちに歩み入る

31 キリストがわたしたちを救われるので、ニケア信仰は「罪のゆるし」と「死者の復活」を告白します。信条が罪に言及するのは、わたしたちがいかなる悪から解放されるかを知る必要があるからです。厳密に神学的な意味で、罪は、被造物に対する造り主の意図に背く悪徳や過ちだけではなく(ロマ2・14-15参照)、神との対神的関係の領域における神からの意図的離反でもあります。その完全な意味で、罪人は、神の憐れみ深い愛の光の下で自分の罪を自覚します。罪は恵みのわざそのものによって「発見」されなければなりません。それは、恵みが心を回心させることができるためです(43)。それゆえ、罪の啓示はあがないの第一歩であり、そのようなものとして告白されなければなりません。

32 死者の復活に関する途方もない主張によって、ニケア信仰は、救いが完全かつ十全であることを告白します。人間は「最後の敵」を含む、すべての悪から解放されます。すべてのものが神に引き渡されるために、「最後の敵」はキリストによって滅ぼされなければなりません(一コリ15・25-26参照)。復活への信仰は、単なる霊魂の生存ではなく、死への勝利を意味します(44)。さらに、人間は、霊魂だけでなく、肉体においても救われます。人間のアイデンティティと人間性をなすいかなるものも、キリストがもたらす新しい創造から除外されることがありません。最後に、このたまものは永遠に与えられます。なぜなら、それは、〈終末〉(エスカトン)が完全に実現した、「来世のいのち」において示されるからです。復活以来、いかなる罪も、罪人を神から引き離す力をもちません。少なくとも、罪人が十字架につけられて復活した方の手をつかんでいるかぎり。この方は、見失った羊にご自身をささげるために、陰府の深みにまで手を差し伸べるからです。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ロマ8・38-39)。

33 キリストはまことの神としてわたしたちを救うので、復活はわたしたちにとって神のいのちへと歩み入ることを意味します。それは人間化であると同時に神化です。ヨハ10・34においてイエスが行った、詩81・6(七十人訳)「あなたたちは神々である」の注釈があかしするとおりです(45)。そして、キリストは、御父から生まれた子としてわたしたちを救うので、この神化は、養子として子とされ、キリストに似た者とされることです。それは、聖霊によって、御父の愛へと歩み入ることです。わたしたちは、御父が永遠に御子を愛し、生む、その同じ愛によって、愛され、新たに生まれるのです。これがニケアによって告白された神の父性の救済論的意味です。最後に、キリストは子として、御父と聖霊とともにわたしたちを救うので、このように子とされることは、三位一体の関係に現実に浸されることです。だから、信条は、洗礼における三位一体信仰の告白から生まれ、洗礼は「父と子と聖霊のみ名によって」行われるのです。このように示された、計り知れないたまものは、キリストの昇天の神秘において実現します。「天に昇り」は、キリストご自身が「わたしたちの天」(46)であることを示します。高く上げられた御子は、約束された神のたまものである、聖霊降臨の聖霊を送ります。これ以上に救いの見方を制限するなら、真のキリスト教ではなくなります。

3・2 計り知れない、神的愛への人間の召命

34 これまで述べたすべてのことは、キリスト教的人間観に影響を及ぼさずにはいません。人間は〈常に偉大な人間〉(homo semper major)としての召命の満ち満ちた偉大さのうちに示されます。ニケア信条は厳密な意味での人間論的条文を含みませんが、人間を、イエスにおいて神の子とされる召命により、〈信仰の対象〉として述べることが可能です。聖書に従い、人間の真のアイデンティティは、キリストの神秘と救いの神秘によって、厳密な意味での〈神秘〉として示されます。この神秘は、神とキリストの神秘と類比的です。たとえ後者が前者を比較しえないしかたで凌駕するとしても。

35 この偉大な神秘は、何よりもまず、三位一体の神とキリストの神秘と結ばれています。神の父性の啓示は、父性そのものの神秘の啓示です。「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています」(エフェ3・14-15)。とくにヨハネにおける独り子の啓示は、固有な意味で子性を示します。子性は、存在論的に最初の出生から流れ出、三位一体の神秘そのものに由来します。一種の類比関係の逆転において、三位一体の父性と子性は、文化的に条件づけられ、罪のしるしを帯びた、人間の父性、母性、子性、兄弟性を照らし、清めます。神的父性は、何よりもまず、子性が人間の最も深い特徴であることを示します。人間は、父である神から自らに与えられたたまものであり、いっそう自分自身となるために、神から、そして神において、他者と自分の周りの被造世界から、自らを受け取るよう招かれています。そのため、人間のアイデンティティと使命はとくにキリストのうちに示されます。キリストは、受肉した御子であり、「父とその愛の神秘の啓示そのものをもって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」、「完全な人間」(47)だからです。他方で、人間も、肉体と精神において父母となることによって、父性の神秘にあずかるよう招かれています。神的父性の像として、人間の父性と母性は、自らを与えること、両親と子どもの間の、すなわち与える者と受ける者の間の完全な平等性、また、それら双方の違いと〈秩序〉(タクシス)を意味します。最後に、聖霊論的でない、真のキリスト教的人間論は存在しません。「いのちの与え主」である聖霊のみが、人間を子、父、母とすることにより、人間を人間化します。類比的に、聖霊の「共・霊発」(co-spirazione)ないし「結合した霊発」(ispirazione congiunta)(48)の形式について語ることが間違いなく可能です。なぜなら、わたしたちの行為とことばが最も実り豊かになるのは、それらが聖霊とともに行う協働の度合いによるからです。聖霊は、これらの行為とことばを通じて慰め、高め、導きます。このようにして人間の父性・子性・豊饒性の真理と意味が明らかにされなければなりません。なぜなら、それらは単なる自然的ないし文化的現実ではなく、三位一体の神のあり方への参与だからです。それらは、啓示なしに深く理解されることもできず、また、恵みなしに行使されることもできません。このことは、現代においてニケアから再発見できる、もう一つの良い知らせです。

36 ある意味で、〈ホモウーシオス〉そのものも人間論的意味をもちえます。人間は神に近づく道を与えられました。もちろんキリストは独自のご自身に固有のしかたでいいます。「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハ14・9)。それは、ヒュポスタシス(位格)的結合の神秘のゆえです。しかし、このキリストにおける独自の結合は、「神の像と似姿に従って造られた」(創1・27)人間の神秘に対応します。この意味で、すべての人間は現実に神の映しであり、神を、人間が知り、近づきうるものとします。教皇パウロ六世は次のことを強調しながら、この逆説を語りました。「わたしたちは、人間、それも真実の人間、健全な人間を内奥から理解するには、まず神ご自身を前もって知る必要があります」。しかし、同時に、「神を知るには人間を知る必要があるのです」(49)。このことばを完全な意味で受け取らなければなりません。すべての人間が神の像をわたしたちに示すだけでなく、人間を通らなければ神を知ることは不可能なのです。さらに、すでに考察したとおり(22節)、教会が〈ホモウーシオス〉という表現を用いたのは、おとめマリアという「女から生まれた」(ガラ4・4)、まことの人としてのキリストと、すべての人間との本性の共通性を表明するためでした(50)。この受肉した御子の二重の「同一本質性」の二つの側面は、すべての人間の兄弟愛の深く効果的な基礎を与えるために、相互に補い合います。ある意味でわたしたちは、同じ人間本性の一致のゆえに、キリストの兄弟姉妹です。「〔イエスは〕すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」(ヘブ2・17。2・11-12参照)。この人間性の絆が、御父と同一本質であるキリストに、ご自身の御父の子性へとわたしたちを引き寄せ、わたしたちを、神の子、ご自身の兄弟姉妹、したがって、互いに新たな徹底的な滅ぼしえない意味での兄弟姉妹とすることを可能にしたのです。

37 偉大な尊厳を備えた人間の神秘は、ニケア信条の終末論的な側面によっても同じように照らされます。「からだの復活」(51)とも呼ばれる、「死者の復活」への信仰は、人間の弱さと限界にもかかわらず、肉体のすばらしさと、肉体を通して世を生きることのすばらしさを認めます。この信仰は個人の具体的な肉体の価値を認めます。この肉体は、上げられ、変容されますが、数的に同一のままとどまります(52)。それゆえ、この信仰は倫理的な要求を行います。地上の生涯のうちに、肉体において、また肉体によって行われる真の愛の行為が、ある意味で復活のいのちの第一歩であるなら、肉体の尊重は、肉体に関わるすべてのことを正しく清く生きなければならないことを意味します。次のことに注意しなければなりません。キリストの完全な人間性を認めないキリスト論は、人間の完全な人間化としての救いの概念ではなく、肉体と世からの逃避としての救いの概念を導入するおそれがあります。しかし、良いものとして造られ、新しい創造によって完成される、世と肉体に根ざすことは、キリスト教の特徴の一つです。わたしたちはここに創造と救いの深いつながりを改めて見いだします。母マリアから受けた、イエスのあらゆる人間的特性は、良い知らせであり、すべての人を、自分の具体的な人間性をなすものを良い知らせと考え、受け止めるように招きます。

38 さらに、復活への希望、また「来世の永遠のいのち」への希望は、個々の人格の計り知れない価値を示します。個々の人格は、無ないし全体へと消え去るよう定められているのではなく、神との永遠の関係へと招かれています。神は、一人一人の人を世が据えられる前から選ばれたからです(エフェ1・4参照)。すでにアブラハム、イサク、ヤコブの選びと、イスラエルの民との消し去ることのできない契約は、神が、壊すことのできない忠実さをもって、すべての民またすべての人と契約を結ぼうと望んだことを示します。同じように、特定の人間への永遠の御子の受肉は、イエス・キリストの兄弟姉妹としての人格の不可侵の尊厳を確認し、基礎づけ、完成します。

39 現代世界は、人間の悲惨さを無視することなく、人間の偉大さを示す、人間の神秘に関するこのような側面を再発見することを、計り知れないほど必要としています。「人間は人間を無限に越えるものである」(53)とパスカルは述べました。このキリスト教的確信はあらゆる形態の人間論的還元主義に挑戦します。人間の人格の父性、子性、豊かな(聖霊的な)霊発は、人間の自律、自由、創造性に関するあらゆる概念を基礎づけ、方向づけます。これらの概念は、父と子と聖霊である神のうちに起源を見いだします。この神にとって、全能と知恵と愛は、ご自身を与えることのうちに一つです。反対に、復活と永遠のいのちへの信仰の喪失は、肉体と、独自性と超越性を備えたおのおのの個人の神聖な価値に真の位置づけを与えることの拒絶へと変わります。しかし、造り主はわたしたちにご自身の意図を示されました。「神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ〔ました〕」(詩8・6)。

3・3 教会のたまものと洗礼のすばらしさ

40 ここまでに編まれてきたさまざまな糸は、信条の教会と秘跡に関する言明において結び合わされます。ニケア信仰は、「唯一の、聖なる、普遍の、使徒的」教会を信じることと、「罪のゆるしをもたらす」洗礼を信じることを意味します。教会と洗礼は、〈常に偉大なもの〉(semper majora)でもあるたまものとして祝われなければなりません。これら二つのものは、信条の他の部分で述べられたすべてのことの満ち満ちた完全性を確認し、また示すので、信仰の逆説的な対象です。それらのうちに見いだしうる以上のことを認めることが問題となります。教会は、目に見える分裂を超えて〈唯一〉です。構成員の罪と、制度的構造を通して犯した誤りを超えて〈聖なる〉ものです。アイデンティティないし文化の後退や、休みなく教会を揺さぶる教理的・倫理的混乱を超えて〈普遍の、使徒的〉なものです。この意味で、教会論的な「単性論」も「アレイオス主義」も避けなければなりません。前者は、教会の人間的側面を過小評価し、または見えなくし、後者は、教会を単に社会的・機能的観点から見ることを優先することにより、教会の神的側面を見逃します。同じように、信仰において、洗礼は、洗礼を受けた人に見られる、時として神から離れた不完全な生活を超えて、新しい生活と罪からの清めの源泉として理解されます。洗礼は、人間を、祭司、預言者、王であるキリストに似せて造り変えることにより、すべての人の不可侵の尊厳を示し、高めます。

41 教会を「信じ」、唯一の洗礼を「認める」ことは、信仰のたまものを受け入れることを意味します。この信仰のたまものは、信じる者の人間的で弱い側面の中心そのものにおいて、聖霊の生き生きとした聖化する現存を見分けることを可能にします。聖霊は教会を唯一で、聖なる、普遍の、使徒的なものとし、洗礼を有効なものとします。教会と洗礼を「信じる」ことは、同じように、これらのもののうちに、またこれらのものを通して、キリストの救いのわざを見いだすことを意味します。キリストは神の根本的な秘跡であり、ご自身の人間性の現実の象徴のうちに現実に活動的に現存します。それと同じように、教会は「救いの普遍的秘跡」(54)です。最後に、教会と洗礼を「信じる」ことは、これらのもののうちに三位一体の神の現存を見分けることを意味します。教会は〈常に偉大な〉(semper major)ものです。なぜなら、教会は、自らの源泉と基礎を三位一体の神のうちに見いだし、教会の中に、御父と、受肉した御子と、聖霊が生きておられるからです。まさにこの教会の中で、洗礼と他の秘跡を通して、ニケア信仰は宣言され、記念されます。「栄光はあなたに、父と子と聖霊に、聖なる教会の中で」(55)

42 救済論と人間論の十字路で、教会を信じ、唯一の洗礼を認めることは、救いと人間の神秘の計り知れなさを確認し、明らかにします。救いは単なる個人的な過程ではなく、共同体的で超自然的な過程です。救いは、わたしたちの隣人である他の人の協力によって受容されます。そして、やはりわたしたちの隣人である他の人々にとって霊的な実りを生み出します(56)。この過程は人間の本性を照らします。人間は孤立したモナドではなく、家庭、国、信仰共同体、そして人類全体につなげられた、社会的存在です(57)。したがって、教会と洗礼への信仰は、次のことを意味します。あがないは、歴史の中で展開される、個人と社会集団の身体的側面と結びついた、目に見える行為と構造の中で行われます。これらのものが、聖霊が生かし、霊感を与える場です。聖霊は、これらのものの限界の中で、またそれらの限界を超えて、すべての人間に手を差し伸べるために働くからです。要するに、教会は、個人と全体のつながりと、身体性と歴史との関わりをあかししながら、キリストのわざの一部です。キリストは「人間を人間自身に完全に示す」(58)からです。とくに「一致の秘跡」(59)として、ニケア信仰によって告白された教会は、人間の人格と人類全体のこれらすべての側面の一致のしるし、道具です。キリスト教的人間観は、あらゆる還元主義の狭さを破壊します。還元主義は、個人を優先するために共同体を拒絶し、集団を優先するために個人を拒絶します。しかし、これは一致を目指すことがありません。

4 ともに救いの計り知れなさを記念する――ニケア信仰のエキュメニカルな意味と、復活祭を同じ日に祝う希望

43 ニケア信仰は、そのすばらしさと偉大さにおいて、すべてのキリスト者にとっての共通の信仰です。たとえすべての人が公会議とその決議に同じ位置づけを与えてはいないとしても、すべての人は一致してニケア・コンスタンチノープル信条を告白します。それゆえ、2025年は、わたしたちが共通にもつものが、わたしたちを分かつものよりも、量的にも質的にもより強力であることを強調するためのきわめて貴重な機会です。わたしたちは皆、ともに、信じます。三位一体の神を。まことの人であり、まことの神である、キリストを。イエス・キリストにおける救いを。教会の中で、聖霊の導きの下で読まれる聖書に従って。わたしたちはともに、教会と、洗礼と、死者の復活と、永遠のいのちを信じます。ニケア公会議は東方教会によって特別に重んじられています。それは単にそれがいくつかある中の一つの、ないし最初の公会議であるからだけではなく、「三一八名の正統信仰の教父」の告白を宣言した、優れた意味での公会議〈そのもの〉だからです。

44 したがって、2025年は、すべてのキリスト者にとって、この信仰とそれを表現した公会議をともに記念する機会です。神学的エキュメニズムは、正当にも、わたしたちの相違の未解決の結び目にその関心と努力を集中しますが、この1700周年を〈ともに記念する〉ことは、世が信じるために、すべてのキリスト者の完全な交わりの再建へと前進する上で、間違いなく、いっそう生産的とはいえないまでも、少なからず生産的です。わたしたちはすでに、さまざまなキリスト教的伝統に忠実であることにより、信条のテキストの豊かさを強調できるようになることを強調しました(上述17節参照)。ニケアを共同で記念することは、互いを豊かにし合うエキュメニズムの旅路を可能にします。この旅路は、その過程で、神秘の理解と、教会的諸伝統の交わりを深め、キリスト教信仰の共同の告白への結びつきを強めます。

45 ニケアの目的の一つは、〈オイクーメネー〉(世界)全体の教会の一致を表すために、復活祭の共通の日付を定めることでした。残念ながら、今日に至るまで、共通の日付に関する完全な合意は存在しません。典礼暦の中で最も重要な祭日に関するキリスト者の不一致は、共同体における司牧的損害をもたらします。それは、家族を分裂させ、キリスト者でない人々につまずきを与え、こうして福音のあかしを傷つけます。そのため教皇フランシスコと総主教バルトロマイオスと他の教会指導者は、復活祭を祝う共通の日付を定める望みを繰り返し表明してきました。まさに2025年に、復活祭は東方と西方で同じ日となります。これは、キリスト教共同体全体の交わりの中で、「すべての祭日の中の祭日」(ビザンティン典礼における復活祭の朝課)である、キリストの受難と復活を祝い続けるための、摂理的な機会ではないでしょうか。同じ日付に関する十分に現実的な提案が数多く存在します。この問題に関して、カトリック教会は対話とエキュメニカルな解決に向けて今も門を開いています。すでに『典礼憲章』(Sacrosanctum Concilium)の付録の中で、第二バチカン公会議は新たな典礼暦の導入に反対しませんでしたが、「このことに関係する人々、とくに使徒座との交わりから離れた兄弟たちの同意があれば」(60)という条件の下にそれを実現すべきだと強調しました。ニケア後に復活祭の日付を決めるために定められた諸要件を東方教会が重要なものと認めたことに留意すべきです。復活祭は「春分後、ないしそれに一致する満月後の最初の日曜日に」(61)祝われなければなりません。日曜日は、週の最初の日のキリストの復活を思い起こさせます。これに対して、春分後の満月は、ニサンの月の十四日という、この祭日のユダヤ教的起源とともに、春分は昼の時間が夜の時間より長くなり、自然が冬の後にいのちを取り戻すので、復活の宇宙的側面も思い起こさせます。

46 次のことに注目すべきです。ニケア公会議において、教会は意図的にユダヤ教の過越祭の日付から離れる決断を行いました。エウセビオスが伝える皇帝コンスタンティヌスの手紙に基づいて、公会議はユダヤ教から離れることを望んだという主張が唱えられてきました。この手紙は、ニサンの月の十四日と結びつけずに復活祭の日を選ぶための反ユダヤ主義的な弁明を含んでいます(62)。しかしながら、皇帝に帰される動機と公会議教父に帰される動機を区別する必要があります。いずれにせよ、公会議の条文の中にユダヤ教のやり方を拒絶する文言は何もありません。教会にとり、典礼暦を統一し、復活信仰を表明するために日曜日を選ぶことが重要なことも無視することができません。今日、教会がニケア1700周年を祝うにあたり、この目的は復活祭の日付の考察に関して今なお有効です。典礼暦の問題とは別に、復活祭の意味の理解を広げ、深めるために、神学、説教、カテケージスにおいて、復活祭と〈過越祭〉(Pesaḥ)の関係をいっそう強調することが望まれます。

47 ニケア・コンスタンチノープル信条は、復活徹夜祭とすべての洗礼式で荘厳な形式で、すなわち対話形式で宣言されます。個人のキリスト教生活と教会生活の基盤であるこの信仰宣言が完全な力を示すためには、わたしたちの「年長の兄弟」であり「信仰の父」(63)に示された啓示に根ざし、すべてのキリストの弟子との目に見える交わりを生きなければなりません。

第二章
信仰者の生活におけるニケア信条――「われわれは洗礼を信じ、信じることを祈る」

序言――わたしたちが告白する信仰を生きる

48 ニケアで告白された信仰は、キリスト教教理を確立する上で決定的な、豊かな教義的内容を含んでいました。しかし、教理の目的は、昔も今も、信仰者の生活を養い、導くことです。この意味で、ニケア公会議とニケア信条の真に固有の霊的宝を明らかにすることが可能です。それは、教会がそこから今日も常に汲むように招かれている、「生きた水の泉」です。聖アントニオスがアレクサンドレイアのアレイオス派に対抗してあかしを行うために隠遁所を離れることに同意したのは、この生きた水に近づく道を守るためでした(64)。この宝は、ニケア信仰が〈祈りの法〉(lex orandi)から生まれ、またそれによって深められたしかたにおいて直接に示されます(65)。さらに、司教会議は彼らの議論を信仰に関する言明の思弁的な領域に限定しようとしたのではありませんでした。反対に、一連の司教会議に参加した人々は、教会生活全体と、信仰の真理を日々の生活の中に浸透させ、実践し、生き、自分たちの教えを典礼と秘跡と倫理の正統な実践に基づかせるためのよりよいしかたに留意しました(66)。つまり、司教たちは、教会のからだの構成員を霊的に公会議に伴いました。司教たちは、この構成員と信仰と祈りの生活を共有し、彼らとともに唯一の神である父と子と聖霊に賛美と栄光の歌をささげていたからです。ニケア教義の霊的・神学的意味を把握するために、わたしたちはそれが、四世紀の典礼と秘跡の実践、カテケージスと説教、祈りと賛歌の中にどのように受容されたかを探究する必要があります。

1 洗礼と三位一体信仰

49 〈三位一体の教理〉が神学的に発展する以前に、〈三位一体信仰〉は洗礼で祝われるキリスト教生活の基盤でした。洗礼式の秘跡の定式で唱えられる洗礼の信仰宣言は、理論的な神秘を表明するだけでなく、神によって与えられた救いの現実と、したがって神ご自身と関わる、生きた信仰を表明します。洗礼の信仰は、神に関する「認識」を与えますが、神に関する「認識」は、同時に、生きた神に近づく道です。それゆえ、護教教父のアテナゴラスはいいます。「ただひたすら、真の神とその発出である言葉(ロゴス)のことを〈知り〉たいという願いだけをたよりに旅路を導かれていく人たちがいます。彼らが知りたいと願うのは次のこと、すなわち、子と父とが一つであること(の一致、同一性)とは何か、父と子との交流(共有性)とは何か、霊とは何か、霊、子、父というこれらの三者の合一(同一性)とは何か、またこのように〈一つにされるものら〉の間にある相違性は何か、ということであります」(67)

50 だから、父と子と聖霊が同じ序列に置かれる、洗礼の定式が、神学的証明に頼るよりも、アレイオスとその弟子たちに反対する議論の中心となるのです。このことはアンブロシウス(68)やヒラリウス(69)、またカイサレイアのバシレイオス、ニュッサのグレゴリス、シリアのエフラエム(70)にも見いだされます。同じように、アタナシオスもいいます。御子が洗礼の定式で言及されるのは、父が不十分だからでも、偶然に言及されるからでもない。

彼は神のみことば(ロゴス)であり、神ご自身の知恵であり、神の輝き(アパウガスマ)であるかぎりで、常に父とともにいるからである。そのため、父が恵みを与えるとき、彼は子のみにそれを与える。なぜなら、子は、光の輝きとして父のうちにいるからである。〔……〕父が洗礼を授ける者に、子も洗礼を授ける。また、子が洗礼を授ける者は、聖霊において聖なる者とされる(71)

51 このように述べたアタナシオスやカッパドキア教父にとって、問題は、単に三位一体の定式を唱えることではなく、洗礼がイエス・キリストの神性への信仰を前提とすることでした。それゆえ、正しい信仰を教えることは、必要であり、洗礼のふさわしい実践の一部でした。アタナシオスは根拠としてマタ28・19の命令を引用します。「あなたがたは行って、……弟子にしなさい。……洗礼を授け〔なさい〕」(72)。だからアタナシオスは――バシレイオスやニュッサのグレゴリオスと同様に(73)――、アレイオス派の洗礼のいかなる有効性も否定したのです。なぜなら、御子を被造物と見なす者は、〈父である神に関する正しい概念〉をもたないからです。御子を認めない者は、御父を理解することが決してなく、御父を「所有する」こともありません。御父が御父であり始めることは決してないからです(74)

2 信仰告白としてのニケア信条

52 ニケア信仰告白は、単に洗礼の信仰の表明というだけでなく、直接、パレスチナのカイサレイア教会の洗礼の信条に由来します(エウセビオスのことばを信じるなら)(75)。三つの付加がなされました。「すなわち父の本質より」、「造られずして生まれ」、「父と同一本質(ホモウーシオス)である」です。こうして、「わたしたち人間のために肉をとり……苦し」んだ方が〈神〉であり、〈父と同一本質〉であることが、明晰さをもって確立されました。しかし、御子は「父と同一本質である」(ek tēs ousias tou Patros)とはいえ、子であるかぎりにおいて御父と区別されます。「わたしたちの救いのために人となった」方のおかげで、わたしたちは三位一体の神が「愛である」(一ヨハ4・16)ことの意味を知ります。これらの付加は本質的で、独自のことを語り、ニケアの決定的な貢献ですが、同時に、次のことを常に強調しなければなりません。信条は、信仰の信条として、元来、典礼の枠組みに根ざしています。典礼こそが、信条の根本的な場であり、信条がそこからその完全な意味を受け取る文脈です。信条は、いうまでもなく理論的な解説ではなく、洗礼式の中で行われる行為です。信条は、典礼の他の部分によって豊かにされ、信条もまた典礼を照らします。現代人は時として、信条がきわめて理論的な説明だという印象を覚えることがあります。それは、彼らが、信条が典礼と洗礼式に根ざしていることを知らないためです。

53 この意味で、ニケア信仰は〈symbolon〉(信条)(〈ekthesis〉(提示)〈pistis〉(信仰の))、すなわち、信仰告白であり続けます。それは、たとえばカルケドン公会議が示したもののような、信仰を守ることを目的とした解釈や、より正確な神学的定義(oros, definitio)から区別されます。ニケア告白は、信条として、実定的な定式であり、聖書的信仰の解明です(76)。それは新たな定義を与えようとするのではなく、むしろ、使徒たちの信仰を呼び覚まします。「〈キリスト〉がこの信仰を与え、〈使徒たち〉はそれを告げ知らせ、ニケアに集まったわたしたちの全世界(Oikoumenē)の教父はそれを伝えた(paradosis)」(77)

54 同じように、ニケア信条は、信仰、それもまさしく使徒的信仰の告白という身分のゆえに、そして、定義や教えではないがゆえに、その後の時代に(少なくとも5世紀末まで)正統信仰の決定的な証明〈そのもの〉と見なされました(78)。だから、それはその後の公会議において基本的文書として用いられたのです。それゆえ、エフェソスとカルケドン公会議はニケア信条の解釈となることを目指しました。これらの公会議は、ニケアとの一致を強調し、ニケアに異論を唱える立場に反対しました。カルケドン公会議でニケア・コンスタンチノープル信仰告白が読み上げられたとき、集まった司教たちはこう叫びました。「これこそがわれわれの信仰だ。これこそがわれわれが洗礼を受けたものだ。これこそがわれわれが洗礼を受けたものだ。教皇レオはこのように信じた。キュリロスはこのように信じた」(79)。信仰宣言は単数形――「わたしは信じる」――で表明されることもありますが、しばしば複数形の「わたしたちは信じる」でも表明されることに気づきます。同じように、主の祈りも複数形の「わたしたちの父よ……」です。根源的に個人的かつ個別的な、わたしの信仰が、信仰の共同体としての教会の信仰に同じように根源的に含まれるのです。ニケア信条と、ニケア・コンスタンチノープル信条のギリシア語原文は、複数形の「わたしたちは信じます」で始まります。「それは、この『わたしたち』において、すべての教会が交わりの中にあり、すべてのキリスト信者が同じ一つの信仰を告白するということをあかしするためです」(80)

55 前の章で述べたとおり、今日に至るまで「ニケア」――「318名の正統信仰の教父の信仰告白」(81)――は、東方教会で、優れた意味での公会議〈そのもの〉として、すなわち、「数ある公会議の一つ」でも、「一連の公会議の最初のもの」でもなく、正しいキリスト教信仰の〈規範〉と考えられてきました。「318名の教父」は、エルサレム典礼ではっきりと言及されます。さらに、東方教会では、西方教会とは反対に、ニケアは典礼暦の中で固有の記念が行われます。次のことに注目することは適切です。ニケアで扱われた規律的な問題は、すぐに、信仰告白の問題と異なる比重をもって受け止められました。規律的な問題に対しては多数決で決められましたが、信仰の問題に対しては使徒的伝統が決定的です。「復活祭の日付に関して、教父は『このように決定された』と記している。信仰に関することがらについては、『このように決定された』ではなく、『普遍の教会はこう信じる』と記している」(82)

3 説教とカテケージスによる深まり

56 東方と西方の教父は、神学的論考の助けによって議論するだけでは満足せず、ニケア信仰を、民衆向けの説教の中で同じように解明しました。それは、一般的に「アレイオス派の」という語で示される、誤った解釈から信仰者を守るためです。たとえ、アウグスティヌスの時代の西方の「ホモイオス主義者」が、議論された東方の「新アレイオス主義者」と全く異なっていたとしてもです。御子が「まことの神よりのまことの神」ではなく、御父による最も優れた被造物にすぎず、御父とともに永遠ではないという神学的概念は、教父たちにとって、具体的な敵の存在とは独立した形であっても、持続的で激しい脅威と見なされました。ヨハネによる福音書の序文は、御父と御子の、ないし「神」とその「みことば」との関係を、ニケア告白に沿って説明するちょうどよい機会を与えました(83)。たとえば、アクイレイアのクロマティウス(司教叙階387/388年、407年没)は、専門用語を使わずにニケア信仰を自分の信者たちに伝えました(84)。原則として「神学的議論」に懐疑的な教父も、「アレイオス主義の不敬虔」(asebeia, impietas)に反対する明確な立場をとりました。すなわち、アレイオス主義者は「御子の永遠の出生」も、御父と御子の「本来的な共・永遠性」も理解しない(85)。彼らは、第二の、従属的な神性を受け入れたことにより、一神論についても誤謬を犯した。それゆえ、彼らの礼拝は邪悪で、誤謬である。

57 こうして、そのカテケージスの中で、ヨアンネス・クリュソストモスは、ニケアで有効に定式化された洗礼の信仰を解説し(86)、正しい信仰を、ホモイオス教理からだけでなく、サベリオスの教理からも区別しました。すなわち、キリスト信者は「一つの本質、三つのヒュポスタシス(位格)」の神を信じる。アウグスティヌスは洗礼志願者への教えの中で同様の議論を行っています(87)。その大部分が永遠の受肉した神のことばに当てられている、ニュッサのグレゴリオスの『教理大講話』(Oratio catechetica magna)は、教理を広めることを務めとする人々、すなわち司教とカテキススタを明確な対象としたカテケージスの傑作と考えられます。テーマは、みことばである御子と御父の関係だけでなく(第一、三、四章)、〈あがないのわざとしての受肉〉の意味も扱われます(第五章)。グレゴリオスは、出生と死は神にふさわしいことではなく、神の完全性と相いれないものではない(第九、第一〇章)ことを理解させようとします。そして、受肉を、人間に対する神の愛という理由から説明します。しかし、彼は何よりも、キリスト教の洗礼は「創造されざる三位一体」により、すなわち、三つのともに永遠の位格により行われると主張します。このようにしてのみ、洗礼は永遠で不死のいのちを与えます。「被造物に自分を縛りつける者は、救いの希望を神にではなく被造物に懸けていることを忘れているのである」(88)

58 議論の中心は、理論的問題ではなく、むしろ実存的問題です。洗礼は、「子とされることにおける再建」(バシレイオス)、「永遠のいのちの始まり」(ニュッサのグレゴリオス)、「罪と死からの救い」(アンブロシウス(89))と結びついているのでしょうか。このことが可能なのは、御子(と聖霊)が〈神〉である場合のみです。神ご自身が「わたしたちの一人」となるときに初めて、人間にとって、三位一体のいのちにあずかること、すなわち「神化」が現実に可能になるのです。

4 御子への祈りと栄唱

59 ニケア信仰は、個人と典礼の祈りの規則として役立ちました(90)。典礼の祈りはニケアによって特徴づけられています。主(イエス)の名を呼び求めることは、すでに新約文書に見られ(91)、何よりもキリスト賛歌(92)はキリストへの賛美と礼拝をあかししていますが、御子への祈りはアレイオス派の危機における論争の対象となりました。

60 オリゲネスの一部のテキストを参照しながら(93)、4世紀の一部のアレイオス主義者と、5世紀と7世紀のオリゲネスに従った一部の人々は、とくに御子に対する〈典礼の〉祈りに反対しました。アレイオス主義者は、イエスが御父に対して劣っていることを強調するために、イエス自身が祈ったことを示す聖書の箇所を明らかにすることに関心をもちました。アレイオス主義者の間に同じように広まっていた、ロゴスがイエスの霊魂に宿ったという(アポリナリオス主義者の)概念と結びついて、御父に対する〈ロゴスの従属化〉が証明されたように考えられました。それゆえ、こうした人々にとって、御子に向けられた祈りは不適切です。アレイオス主義者は、こうした見解に賛同しながら、とくに東方典礼の中できわめて重要な〈栄唱〉という伝統的な用語を用いて、こう論じました。「栄光と崇敬は、聖霊の〈うちに〉(en)、子〈によって〉(dia)、父〈へ〉(en)」(94)。前置詞の違いは、位格における〈本質的な〉相違の証拠として援用されました。アレイオス主義者は、神学的に正当化しうると彼らが考えたことを証明するために、典礼――教会の信仰の証言として認められたもの――を用いようとしたのです。

61 これに対して、ニケアの擁護者は、〈祈りの実践〉は〈信仰〉に対応すべきであるが、信仰は〈洗礼〉に対応しなければならないと主張しました。洗礼の定式は、父と子と聖霊の品位の等しさを示します。そこから次のことが帰結します。個人のものであれ、典礼のものであれ、祈りは御子にも向けることができ、また、向けられなければなりません。ニケア派は、古代の栄唱の定式を拒否したのではなく、その正統的な意味を擁護したのですが(95)、“tō Patri, kai . . . kai”, “tō Patri, dia . . . sun”という、聖書と典礼の伝統にも見られる、他の定式と前置詞を好んで用いました(96)。バシレイオスは古代の賛歌Phōs hilăron(おそらく2世紀)を参照します。その中で、父と子と聖霊が礼拝の歌の対象となっています(97)

62 「われわれは洗礼を受けたように信じる。信じるように栄光を帰する」(98)という原則は、〈個人の〉祈りに適用されました。イエスを呼び求めることは――とくに修道院の中でイエスへの祈りの形で実践されていた――、 ‘homoousios tôi Patri’(父と同一本質である方)を呼び求めることによってはっきりと正当化されました。「5世紀のコプト教父のシェヌーテはこう説明する。『われわれが「イエス」と言うとき、至聖なる三位一体も名指されている』。受肉した子が呼び求められるとき、彼は父と聖霊と切り離して呼び求められているのではない。イエスに祈ろうとしない者は誰でも、『〈新しい〉敬虔』に従っている。彼は三位一体について何も理解しておらず、『イエス』についても何も理解していない」(99)。祈り方は、信じ方を示します。

63 祈りにおける正しさは、救済論的な意味をもっています。ニュッサのグレゴリオスは、ここで強力な警告を発しています。信じる者の希望は、語の現代的な意味で道徳以上のものであり、それは祈りにおいて表されます。希望は、神がもたらす神化へと向かいます。「第一の偉大な希望は、教理的な誤謬に導かれる者のうちにはない」。その結果、「掟の助けによって正しく行動することにおいて進歩することがない」。グレゴリオスは続けて言います。

それゆえ、われわれは父と子と聖霊の名によってそれを受けたように、洗礼を受けた。〈われわれは洗礼を受けたように信じる〉。実際、信仰は告白と一致すべきであるからである。われわれは信じるように栄光を帰する。なぜなら、栄光が信仰と対立するのは自然ではないからである。しかし、われわれは、信じるものに栄光も帰する。信仰は父と子と聖霊に対するものであり、信仰と栄光と洗礼は互いに結び合わされているので、われわれは父の栄光と子の栄光と聖霊の栄光を区別しない(100)

64 各詩編の終わりに栄唱を付加することは――この指示は教皇ダマスス(384年没)に帰せられます――、こうした方向性の下に理解されます。カッシオドルスは、このようにしてあらゆる異端は無に帰すると述べます。

母である教会は、すべての詩編と賛歌に三位一体の栄唱を加える。教会は、これらのことばがその方に由来する方に栄光を帰する。そして、サベリオス、アレイオス、マニなどの異端の雑草を引き抜いたのである(101)

 これはとくに“sicut erat in principio…”(初めのように……)という付加の場合にいえます。これは反アレイオス信仰の明確な告白として理解されてきました(102)

5 賛歌における神学

65 最後に、賛歌は、ニケア信仰に表現を与えた場でした。ニケア信仰は、ニケアの影響を受けた信仰者の生活の中に位置を占めたからです。こうして多くの賛歌は、三位一体の栄唱で結ばれます。さらに、アレイオス派の異端との対決は、キリスト教詩の発展において重要な役割を果たしました。何よりもまず東方で賛歌や歌が作られたのは(103)、異端の集団の宣伝詩に対抗したものです。西方に関しても、四世紀における最も重要な神学的貢献は、賛歌の制作だったといえます。

66 ヨアンネス・クリュソストモス以外に、何よりもシリアのエフラエム(306-373年)は、神学的詩(それはあらゆる古典シリア文学に影響を及ぼしました)と、とくに『信仰について』(De fide)と『降誕について』(De nativitate)でキリストの神秘を歌いました。キリストは、人間本性の弱さにもかかわらず、神です。キリストのケノーシス(へりくだり)は、彼が神であり、この自己無化において神であり続けたがゆえにのみ、偉大な奇跡です(104)。エフラエムは深い敬虔をもって、三位一体内の関係を記します。御子は「すべての時間の前から」御父のうちにおられます。御子は「御父と等しく、しかも御父と区別されます」(105)。エフラエムは、進んで、太陽、その光、その温かさというイメージを用います。この三者は一つに結ばれています(106)。エフラエムは絶えず三つの「名」に言及します。三位一体の現実はこの名に対応しており、この名のうちに、「われわれの洗礼と義化が存する」(107)からです。エフラエムはこのような著作において、ニケア信仰とのつながりを明らかにします。彼は、はっきりとニケアを指しながら、「栄光ある教会会議」を引用するからです(108)。アンティオケイアのイサクやマル・バライといった、五世紀の他のシリアの神学者詩人は、キリスト自身に対する説教や韻を踏んだ歌を作りました。それらははっきりと神的属性をもってキリストに栄光を帰するものでした。「彼〔イエス・キリスト〕と御父を賛美し、聖霊に栄光を帰せよ」。「わたしたちをあがなうために来られた、いと高き方を賛美せよ。その頭を巡らすことで世の運命を定める、全能者を賛美せよ」(109)

67 ヒラリウスは、追放されている時期に賛歌を学び、ガリアにそれを導入しました。アンブロシウスも、386-87年のミラノでのアレイオス派との激しい争いの時期に「東方の習慣」を採用したと告白しています。御子は「御父が永遠に御父であるように、永遠に御子である。〈子〉をもたなければ、どうして〈父〉はその名をもちえたであろうか」。ヒラリウスは賛歌『世の前からとどまる方』(Ante saecula qui manens)でこのように強調して言います。この賛歌の中でヒラリウスは、「御子の二重の誕生」を説明します。「御子は御父から生まれた。御父は生まれることを知らないからである。また、世のために、おとめマリアから生まれた」。

68 典礼の中でほとんど場を占めることのなかったヒラリウスの神学的賛歌とは対照的に、アンブロシウスの賛歌は速やかにあらゆるところで知られるようになり、アンブロシウス自身が意図していたとおり、信仰を力強く励ましました。アンブロシウスの朝課の賛歌『父の栄光の輝き』(Splendor paternae gloriae)は、ニケア信仰告白の注解と考えることができます。とくに印象的なのは、御子と御父の同等性を強調する、‘Aequalis aeterno Patri’(永遠の父と同等の)や、直接、御子に呼びかける、 ‘Iesu, tibi sit gloria . . . cum Patre et almo Spiritu’(イエスよ、父と聖霊とともに御身に栄光あれ)などの、いくつかの賛歌の最後の節 です。おそらくアンブロシウスが著者と思われる、きわめて短い賛歌では、三つの位格における唯一の神への告白が、信者にとってのキーフレーズとして節の中で表明されています。“O lux beata trinitas, et principalis unitas. . .”(ああ、聖なる三位一体の光よ、第一の一性よ)。

69 アンブロシウスのほかに、キリスト論にとって重要な賛歌を作ったのは、何よりもプルデンティウス(Aurelius Prudentius Clemens 348-415/25年)です。このイスパニアの詩人は、〈わたしたちの新しい創造〉の基盤である、あがない主のまことの神性と人間性にとくに強い印象を受けました。

キリストは父の形(フォルマ)、われわれはキリストの形(フォルマ)、また姿(イマゴ)です。
われわれは父の憐れみにより、主の顔(ファキエス)にかたどって造られました。
何世紀も経ってキリストが来て、われわれと同じ顔(ファキエス)になるのです。
Christus forma Patris, nos Christi forma et imago;
Condimur in faciem Domini bonitate paterna
Venturo in nostram faciem post saecula Christo.(110)

第三章
神学的・教会的な出来事としてのニケア

70 ニケアを記念することは、この公会議がいかに新しいものであり続けているかを把握することです。復活の朝に始まったこの終末論的な新しさは、ニケアの出来事から1700年後も教会を刷新し続けています。実際、それは厳密な意味での〈出来事〉です。それは、連続した歴史の織物の一部をなす転換点であるとともに、続く時代に決定的な影響を与える真の新しさをもたらした、中心点でもあるからです。言語にもよりますが、出来事(evento)という語は、「到来するもの」(adventus: avènement, avent, avvenimento)、ないし、「そこから来るもの」(évènement, event)、すなわち、事実を作り出すこと(acontecimiento)、ないし、新しいものの現れ(Ereignis)を意味します。したがって、ニケアは、人間の思想において到来するもの、もたらされるもの、作り出されるもの、示されるものの転換点の表現です。それはイエスにおける唯一で三位の神の啓示によってもたらされました。そして、それは、新たな内容と新たな能力を与えることによって、人間精神を豊かにしました。それは「知恵の出来事」です。後にすぐに最初の〈普遍公会議〉と呼ばれるようになったニケアは、教会が自らの構造を築き、同じ信仰告白を通じて教えの一致と真理を守るための転換点の表現でもありました。それは「教会的な出来事」でした。当然のことながら、いずれの場合においても、新しさは、先行する過程、所与の現実、それが変容させる現実そのものに基づきます。知恵の出来事は、人間の文化を前提とし、それを取り入れました。それはいわば、人間の文化を清め、造り変えるためでした。教会的な出来事は、先行する最初の数世紀の教会構造の進化に基づきます。そして、教会構造は、ユダヤ教とギリシア・ローマの遺産に基づきます。

71 ところで、これらの二つの出来事の源泉は、もう一つの出来事です。すなわち、それは、神の働きかけの結果である、神の啓示の出来事、「イエス・キリストの出来事」です。それは優れた意味での新しさです。〈新しい方〉(Novus)こそが〈新しいもの〉(Novum)なのです(111)。それは啓示〈そのもの〉です。知恵の出来事と教会的な出来事は、この最初のたまものの〈伝達〉の一部です(112)。このたまものにおいて、神は、すべての民と契約を結ぶために、一つの民と契約を結びます。神は、すべての人間性を取るために、一つの人間性を取ります。ニケアは、啓示の新しさの結果の表明であり、そのために、この325年の公会議はキリスト教思想と教会構造の刷新のあらゆる段階にとってのパラダイム(範例)を示します。さらに、ニケア公会議はキリストという〈新しいもの〉(Novum)から生まれたがゆえに、それは、教会生活を常に刷新し、継続的に豊かにするものとして理解できます。それゆえ、まず、源泉の出来事である、イエス・キリストの出来事を探究し、次に、人間の思考と教会構造にもたらしたその帰結を検討しなければなりません。

1 キリストの出来事――「いまだかつて、神を見た者はいない。〔……〕独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハ1・18)

1・1 受肉したことばであるキリストが御父を示す

72 ニケア信条は、イエス・キリストの出来事によってもたらされた、誰も聞いたことのない、しかし確かで完全な、救いをもたらす、神に近づく道の表現であり、それをことばで定式化したものです。聖書と使徒的教会の信仰によって証言された、御父と同一本質のみことばの受肉と公生活と受難と復活と昇天により、〈常に偉大な〉(semper major)神は、ご自身の働きかけにより、ご自身だけが与えることができ、人間の想像と希望を超えた、知識とご自身に近づく道を与えます(113)。実際、新約は、世紀を超えて、すべての時代の教会に、イエスがご自身について示し、御父が聖霊の光と力によって、一度限りで、すべての人のために確証したあかしを伝えます(114)。この確証は、「わたしたちとわたしたちの救いのために」(propter nos et propter nostram salutem)、時が満ちたとき、肉となった御子の死と復活と昇天の過越と、聖霊降臨の日の聖霊の注ぎによって行われました。「いまだかつて、神を見た者はいない」ということが本当なら、教会の信仰は、イエスという「独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハ1・18。ヨハ3・16、18、一ヨハ4・9参照)ということをあかしします。このあかしは、使徒フィリポの「主よ、わたしたちに御父をお示しください」という問いかけに対するイエスの答えの中に要約されています。イエスは答えていいます。

フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、「わたしたちに御父をお示しください」と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。(ヨハ14・8-10)

73 もしイエスがわたしたちに御父を見せてくださるなら、イエスのうちにあるあらゆることが御父に近づく道です。キリストは、そのもろさと弱さにおいて、父である神のまことの現れです。「彼を見る者は、父を見る」(ヨハ14・9参照)(115)。したがって、神は、復活の朝に、ご自身を現して、その本当の全能の姿を示すためにのみ、最初に、ゴルゴタにおいて、十字架につけられた方の無力さのうちにご自身を隠そうとしたのではありません。反対に、十字架につけられ、肉体的な死を苦しみ、罪人が罪によって収監された場所(シェオル、すなわち陰府)に降ったイエス・キリストの愛は、三位一体の神の愛の啓示です。この神は、力によってわざを行うのではありませんが、だからこそ死と罪よりも強いからです。マルコは、まさに十字架を前にした異邦人の百人隊長にこういわせています。「本当に、この人は神の子だった」(マコ15・39)。教皇ベネディクト十六世がイエスに関する著作で述べるとおりです。

十字架は真の「高み」です。それは、「終わりまで」(ヨハ13・1)愛し抜いた愛の高みなのです。十字架においてイエスは、愛そのものである神の「高み」に挙げられるのです。そこにおいて人は神を「知り」、「わたしはある」を知ることができるのです。燃える柴は十字架です。「わたしはある」は啓示の最高の主張であり、それは十字架と切り離しがたく結ばれています(116)

74 キリストを通しての神の認識は、単なる教理的内容を示すだけでなく、救いをもたらす神との交わりへとわたしたちを導き入れます。なぜなら、それはわたしたちを、現実の中心そのものへと、いいかえれば、知り、愛すべき方へと浸すからです。ヨハネによる福音書の序文は、イエスのうちに示された神の神秘の最高の観想の表現です。こうしてわたしたちは、「限りなく」(ヨハ3・34)注がれた聖霊の恵みのうちに、ロゴスによって啓示された三位一体の神のいのちそのものへと入ります。このロゴスの姿は、ギリシア思想によって垣間見られた神的ロゴスだけでなく、より深い意味で、神のことばに関する旧約の遺産、すなわち旧約によってあかしされたダーバール(Dābār)をこだまします。なぜなら、すでにイスラエルに示され、旧約によって伝えられた啓示は、この啓示の出来事を開始する、根本的に新しい神の認識へとわたしたちを導くからです。このロゴス、すなわち、真理のうちにご自身のすべてを表すみことばとして、初めから神とともにあった、御子、「神よりの神」は、御父と同じように神です。時が満ちて、ロゴスは「肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ1・14)。それは、彼を受け入れた人が「神の子となる権能(exousia)」(ヨハ1・12〔聖書協会共同訳〕)を与えられるためです。人間にご自身との完全な交わりを認めることにより、肉となったロゴスは、人々を「神の本性にあずかる」(117)ものとします。

75 この、誰も聞いたことのない、真実の、神の認識と神との交わりは、神に愛された人類の兄弟姉妹との救いをもたらす交わりをももたらします。なぜなら、イエス・キリストの出来事は、切り離しえないしかたで、神との、また、すべての人間との交わりだからです。使徒的教会の信仰は、三位一体の交わりにおける、キリストのうちの、キリストを通しての子の交わりを、次のようにあかしします。

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。〔……〕わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(一ヨハ1・1、3-4)

 神学的伝統は、愛徳がわたしたちに神と隣人を愛するように仕向けることを強調します(118)。わたしたちは、三つの対神徳は、わたしたちを、完全で根本的に新しい神認識と、神との交わりへと導き入れると考えることができます。しかし、対神徳が与える、神に近づく新たな道に従って、さらに、兄弟愛へと向かう信仰の道、誰も聞いたことのない隣人への希望、すべての人をゆるし、自分を与えるように促す愛徳をも、加えて与えられます。

1・2 「しかし、わたしたちはキリストの思い(νοῦς)を抱いています」(二コリ2・16)――創造の類比と愛徳の類比

76 イエス・キリストの出来事は、わたしたちに比類のないしかたで神に近づく道を与えることにより、新しく独自の近づく「道」を生じると同時に、それを含みます。信仰と自らの理解によって信条を受け入れることは、いいかえれば、信条のうちに示された神を受け入れることは、御父と同一本質のキリストのまなざしのうちに、すなわち、キリストの「ヌース」(nous)ないし精神のうちに、また、キリストの御父と他者との関係のうちに入ることです。聖パウロは叫んで言います。「しかし、わたしたちはキリストの思い(noun Christou)を抱いています」(一コリ2・16)(119)。それは驚きの叫びです。ここで再びニケアは神のたまものの計り知れなさを示します。しかし、ニケアは、これが、文字においても、〈霊〉においても、信条が表現するものに近づくための唯一の道であることも示します。わたしたちは、「キリストの思いを抱く」ことなしに、イエス・キリストの神、わたしたちに示されたあがない、教会と人間の召命のすばらしさを観想し、それにあずかることはできません。それは、単にキリストを知ることではありません。むしろ、主格的属格の意味で、キリストの理解そのものに入ることです。人は、ただひとり、「神の深みさえも究める」方である「霊を通して啓示された」、「この世の知恵ではない知恵」(一コリ2・6、10参照)がなければ、信条に完全に従うことも、全身全霊でそれを告白することもできません。

信仰において、キリストは、わたしたちが信じるかたであり、神の愛の最高の現れであるだけではありません。キリストは、わたしたちが信じることができるようになるために、わたしたちをご自身へと結びつけてくださるのです。信仰は単にイエスへのまなざしだけではありません。それはイエスの視点から、イエスの目をもって見ることでもあります。それはイエスの物の見方にあずかることです。〔……〕キリストの生涯――その御父を知り、完全に御父との関係のうちに生きた生き方――は、人間の経験に新しい場を開き、わたしたちがその場に入ることを可能にしてくれます(120)

77 このことが可能になるのは、キリストがご自身の人間の目を通して御父を見、わたしたちをご自身のまなざしに入るように招いてくださるからです。他方で、この道は、わたしたちの思考、〈精神〉の深い変容を要求します。それは、回心と上昇を経なければなりません。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき〔なさい〕」(ロマ12・2)。そして、これこそがキリストの出来事がもたらすものです。知性と意志と愛する能力は、ニケアで告白された啓示によって、文字どおり、救われます。それらのものは、清められ、方向づけられ、造り変えられます。それらは新しい力と、誰も聞いたことのない形と内容を、新たにまといます。信じる者を、その〈精神〉において、十字架につけられて復活した方の「姿にあやからせる(symmorphizomenos)」(フィリ3・10)過程によって、キリストと一致しなければ、わたしたちの能力がキリストとの交わりに入ることはできません。この新しい思いは、認識と愛が引き離しえないことによって特徴づけられます。教皇フランシスコが強調するとおり、「聖大グレゴリウスは『愛とはまさに知ることである』(amor ipse notitia est)、すなわち、愛はそれ自体として、新たな論理を伴う認識であると述べたのです」(121)。それは、憐れみと共感を伴う愛です。なぜなら、憐れみは福音の本質であり(122)、ニケア信条で告白された、イエス・キリストの神ご自身の性格の反映だからです。新たにされた〈精神〉は、キリストの神秘の光に照らされた類比の理解を伴います。それは、「被造物の類比」とも呼べるものを把握します。この「被造物の類比」により、わたしたちは宇宙の秩序の平和のうちに神の現存と(123)、「愛徳の類比」(124)と呼びうるものを感じ取ることができるのです。悪と破壊の神秘により、しかし、キリストの受難と復活という、より強力な神秘に照らされて、逆に定義される、この類比は、もろさと弱さの中心に愛の神の現存を認識します。このキリストの知恵は、コリントの信徒への手紙一の中で、「世の知恵を愚かなものにされた」ものとして述べられます。

なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。
 「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
 賢い者の賢さを意味のないものにする。」
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(一コリ1・17-25)

 このような回心と変容は、恵みなしには起こりえません。人間知性は、人間の人格に生じるのと同じように、恵みに対して秩序づけられたものとして啓示され、完全な存在となるために恵みに依存します(125)。ここからわたしたちは次のことを理解できます。自らにゆだねられ、イエス・キリストの出来事によって造り変えられた人間の能力は、この世における栄光のいのちの先取りである、信仰と希望と愛における実現によって完成されます。「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」(フィリ2・5)。

1・3 キリストの祈りを通して御父を知る

78 イエス・キリストの出来事によって与えられる、「キリストの思い」をどのように抱くことができるのでしょうか。イエス・キリストは単なる教師でも、指導者でもなく、神の啓示であり、神の真理そのものです。そのため、彼を受け入れた人は、単に教えを受けただけではありません。復活した方は、単なる過去の対象ではありません。そのため、イエスの内なる神秘、その人間性における神の啓示を把握したい人は、神である父との交わりの関係に入らなければなりません。これは、対神徳と、教会の中で聖書を読むことと、個人と典礼の祈り、何よりも聖体によって行われます。

79 恵みによってキリストの祈りにあずかることは、キリストを知るための王道です。キリストは御父に関する認識を示すからです(ヨハ20・17における「わたしの父であり、あなたがたの父である方」)。ヨゼフ・ラッツィンガー/教皇ベネディクト十六世はこう述べます。「祈りはイエスの人格の中心であり、実際、この人格は、祈りの行為、すなわち、イエスが『父』と呼ぶ方との絶え間ない交わりによって成り立つ。そうであれば、この人格の真の理解は、この祈りの行為に入り、それにあずかることによってのみ可能である」(126)。いいかえれば、キリストに関する認識は、キリストを認める者がイエスの祈りの行為に入ることから始まります。「神との関係がなければ、その内奥において神、すなわち父との関係以外の何者でもないかたは理解できずにとどまる」(127)。すべての信仰者にいえることは、教会全体にもいえます。祈りの共同体がイエスの御父との関係と結ばれていることによってのみ、教会は、ヨハ5・18-20と一ヨハ3・11(128)で思い起こされるような、キリストを知る「わたしたち」となるのです。これが信条のキリスト論的命題のテーマです。「古代の公会議の証言全体がそこにおいて要約される、教義の基本的語である『同一本質である子』は、単にイエスの祈りの事実を哲学的・神学的専門用語に翻訳したにすぎず、それ以外ではない」(129)。ニケアで表明された信仰は、イエスの御父との関係から生まれ、わたしたちをこの関係へと導き入れます。それは、人間と教会を、イエスによる御父と聖霊の認識と交わりにあずからせるためです。

2 知恵の出来事――人間の思考にとっての新しさ

2・1 啓示は人間の思考を豊かにし、広げる

80 キリスト論的・三位一体論的信仰を定式化したニケア信条は、啓示の伝達の過程を通じて、人間の思考を豊かにし、「理性を広げる」(130)運動の一部となりました。実際、イエス・キリストの出来事がもたらした、比類のないしかたでの神へと近づく道と、キリストの思い(phronēsis)と祈りにあずかることは、人間の思考と言語に決定的な影響を与えずにはいません。わたしたちは「知恵の出来事」を目の当たりにします。この「知恵の出来事」により、思考と言語は啓示によって広げられなければならず、また実際に広げられました。その結果、啓示はこれらの思考と言語によって表現できるようになりました。この同じ動きによって、思考と言語は自らを超えて働くことができるようになることを示しました。この知恵の出来事の歴史において、ニケアは大きな転換点、「新しい生きた道」(ヘブ10・20)となりました。パーヴェル・フロレンスキーはその決定的な重要性を把握して、力強いことばで説明します。

「ホモウーシオス」の雷鳴が初めて勝利の町〔ニケア〕にとどろいたときの、哲学的・教義的重要性において永遠に有意義なこの独自の瞬間を、おののきなしに思い起こすことはできない。それは神学の特別な問題ではなく、キリストの教会が自らに与えた根源的な定義である。この語だけが、キリスト論の教義を表現するだけでなく、理性の規則を霊的に高めたのである。そこにおいて合理主義は死んだのである。理性の活動の新しい原理が「その町と全世界に」(urbi et orbi)宣言されたのである(131)

 受肉したキリスト、聖霊の交わりにおける御父の子である、ロゴスは、彼こそが人間のロゴスの基準であることを示します。ロゴスは、人間のロゴスを生かし、広げます。しかしまた、ロゴスは、裁き主として、語の厳密な意味で人間のロゴスを裁く(krisis)ことができます。実際、アタナシオスが、荘厳な判定により、アレイオスがキリストの姿の完全性を拒絶したことは、理性すなわちロゴスそのもの(tout court)の否定であると考えたことは驚くべきです。「神のロゴスを否定することにより、彼らは一切のロゴスを失った」(132)。つまるところ、イエス・キリストの出来事が生み出した知恵の出来事は、人間の理性と思考をその高みと真の使命へと導きます。それはいわば自身へと戻ります。わたしたちがこの後目にするとおり、〈ホモウーシオス〉は、異文化間対話の一例にすぎないものではなく、知恵の原型的な出来事に属します。それは、使徒性における教会の始まり、また、基盤となります。

81 イエス・キリストの出来事は、唯一にして三位一体の神と、受肉したロゴスという側面をもつ、新しい存在論を可能にしました。人間理性は、すでに、〈無からの〉(ex nihilo)創造(二マカ7・28、ロマ4・17)や、神はあらゆる被造物に対してそれら自身よりも内にいますという、神の存在論的超越(133)に関する啓示によって近づけるようになった神秘によって、開かれ、貫かれていました。愛である(一ヨハ4・8、16)三位一体の神の神秘によってすべてのものに与えられた深い意味が知らされたとき、理性は徹底的に新たにされます。他性、関係、相互性、相互内在性は、いまや、究極の真理、また、存在論を構成するカテゴリーとして示されます。存在はこの神秘によって照らされ、それがいかに深遠で複雑なものであれ、古代の哲学思想の中で思われていたよりも豊かであることを示しました。さらに、父と子と聖霊である神を説明するためにキリスト論的・救済論的問題から出発したニケアは、キリスト論的現象が三位一体論の〈発明〉(inventio)を促した方法を反映しています。この〈発明〉は、中心に置かれた、キリスト論的・聖霊論的な発見の秩序と、それを成り立たせる三位一体の現実の秩序の間のダイナミズムを通して行われたのです。ニケアは、〈神‐学〉(teo-logia)に関するキリスト教的反省、ないし、「内在的三位一体」の探究を加速させました。歴史と個別的な人間において実現されたキリストの神秘は、神に近づく道を示しました。そのため、物質と肉体、時間と歴史、有限性と脆弱性は、高貴な資格と、存在の真理を語るための力を獲得しました。要するに、啓示のおかげで、存在も〈常に偉大な〉(semper major)ものとして自らを示したのです。

82 知恵の出来事は、当然のことながら、人間論の刷新を伴います。なぜなら、イエス・キリストの出来事は人間存在に新たな光を当てるからです。本文書の第一章で展開されたこうした側面を簡単に思い返してみたいと思います(134)。聖書の人間論は、物質と個別性の高貴さから出発して、人間存在の概念を改めて考えさせます。創世記の造り主は、個々の人を「わたしの手の平に刻みつける」(イザ49・16)ことを望みました。さらに、イエスは、すべての人を自分の兄弟姉妹と呼びました。なぜなら、受肉の出来事は、すべての人を、個別に、この上なく不可侵のしかたで、高貴なものとしたからです。ニケア・コンスタンチノープル信条が、まことの人であるイエス・キリストが神の子であり、それ自身として父である神に「等しい」と宣言したとき、すべての人は――その出自、民族、才能、教育にかかわらず――尊厳を与えられ、その尊厳は、人間知性に、人間に関する単なる自然な見方の限界を超えた、新しい思考法を義務づけました。個々のものにはキリスト論的な固有の尊厳が存在します。

83 「キリストの思い」に入ることに関して生じたのと同じように、存在論と人間論の拡張は、回心を伴い、自らの限界を習慣化した思考の抵抗に遭う可能性があります。知恵の出来事は、「創造の類比」だけでなく、「愛徳の類比」をも考慮することをわたしたちに迫ります。受肉とキリストの受難のケノーシス(へりくだり)を前にして、また、人間性を傷つける苦しみと悪を前にして、人間精神は自らの限界に直面します。ここで疑問が生じます。なぜ全能の父は、最初に、苦しむ御子の十字架の道行を高みからご覧になり、御子の死の後に初めて行動したように思われるのか。なぜ神は、恐れのあまり血の汗を流しながらささげたオリーブの園での祈りにすぐにお答えにならなかったのか。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタ26・39b)。実際には、ニケア信条で告白された、受肉して十字架につけられた御子の御父との同一本質性は、人間の思考に、回心と、「全能」の語の意味の転換を促します。三位一体の神は、最初に全能で、後から初めて愛となったのではありません。むしろ、神の全能は、イエス・キリストのうちに示された愛と同じです。実際、新約においてあかしされているとおり、イエスが生きたことは――聖霊のわざを通して――、三位一体の営みの次元における、神に内在する、三位一体内の関係と現実の、歴史における啓示なのです(135)。神は、その愛の全能を何ものにも強要せず、むしろ、ご自身の契約の相手である人間に、自由に進んで自分を神に結びつける力を与えるからこそ、まことの神なのです。神は、罪にゆがめられた人間を力づくで回心させるのではなく、むしろ、ベツレヘムとゴルゴタの出来事を通して人間をご自身と和解させるからこそ、ご自身の固有の存在と一致しているのです。これらすべてのことにおいて、わたしたちの人間的なものの見方は、キリストによって根本的に造り変えられるように招かれます。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なる」(イザ55・8。マタ16・23も参照)。

2・2 文化的・異文化間対話的な出来事

84 イエス・キリストの出来事が知恵の出来事に従って思考を新たにするなら、それは、人間文化をも、刷新し、清め、豊かにし、広げます。実際、ギリシア語を話すすべての国々に広がった教会のためにキリスト教信仰を言語化し、ギリシア哲学に由来する用語を採用したニケア公会議は、まぎれもなく文化的な出来事です。信仰が人間文化を採用するのは、人間本性をとることと同じように、必要です。本性も文化も人間の構成要素であり、それゆえ、切り離せないからです。教皇フランシスコは「人間は常に文化において位置づけられている」(136)ことをわたしたちに思い起こさせてくれます。人間は、歴史の中に組み込まれた関係的・社会的存在なので、人間が完全な人間性に達するのは文化を通してです(137)。さらに、神と人間の間の交わりを築く啓示は、完全な自由と責任をもってそれを受け入れることのできる能力をもつ、啓示の受け取り手を必要とします。そこから、イスラエルの十二部族が選ばれました。彼らは、他のすべての民と自分たちを区別し、まず自分たちのために、真理を誤謬から分離することを苦労して学ばなければなりませんでした。そこからイエス・キリストが生まれます。彼のうちに、神の子はまことに人、すなわち、ヘブライ人、ガリラヤ人となりました。その人間性は、彼の民の歴史的な歩みの文化的なしるしを帯びていました。そこから、すべての民族から成る、教会が生まれます。そこから、教皇フランシスコは、「恩寵は自然を前提する」というトマスの原則に基づきながら、それを拡張して、いいます。「恵みは文化を前提し、神からのたまものはそれを受け取る人の文化の中に受肉します」(138)

85 このような啓示による文化の受容は、両者は不釣り合いであるとはいえ、両者の間の確かな影響関係を伴います。人間の霊が造り変えられうるのと同じように、文化も、啓示によって照らされ、回心という代価を払って、十字架につけられた方の知恵を得るに至る使命を帯びています。「福音の力は、思考様式、判断基準、行動規範に〔浸透しなければなりません〕。つまり、人間文化全体に福音が浸透しなければならないのです」(139)。にもかかわらず、信仰は、信仰がその中で生きられる文化と異質な要素ではありません。なぜなら、聖霊降臨後、キリスト教信仰は、神のことばの到来による完成を待望し希望するのは唯一の人間文化だけではないと確信するようになったからです。神ご自身が、みことばの到来を待ち望むすべての文化の中に〈みことばの種〉(semina Verbi)をまいたからです(140)。この出会いによって、文化は完全に本来の姿になります。それゆえ、啓示は、文化の内側から、その真、善、美への開きから出発して、文化を清め、高めます。しかし、啓示の新しさによって取り入れられ、変容された文化と言語も、信仰表現を豊かにし、正確にすることができます。このような相互関係は、数世紀にわたって、聖書が言語、詩、芸術を豊かにしてきたことに認められます。また、聖書の理解そのものも、聖書が世界の他の言語やものの見方の中で広まることによって照らされました。このことはまさに〈ホモウーシオス〉の使用によってニケアで起こりました。〈ホモウーシオス〉は、採用したこの語を変容させつつ、イエス・キリストの子性に関する教会の理解を正確なものとしたからです。

86 この文化の受容において、独自の摂理的な場所がヘブライ文化とギリシア文化の関係のために取っておかれなければなりませんでした。〈ホモウーシオス〉はここで、セム文化――それはすでに啓示に触れて変容されていましたが、他の文化の民(エジプト人、カナン人、メソポタミア人、ローマ人)との出会いと不和によっても形成されました――と、ギリシア世界の間の特別に強力な統合の成果と思われます。イエスの誕生以前の三世紀以上前から、後三世紀に至るまで、ヘレニズム・ユダヤ教の教えと知的生活は、アラム語だけでなくギリシア語でも表現されました。その際、最も重要なのは、七十人訳です。イエスの教えがギリシア語で書き留められ、伝えられたのは、地中海沿岸の普遍的言語ですべての人に福音を伝えるためでしたが、新約がユダヤ人のギリシア文化・言語との関係の歴史の中で生まれたためでもあります。七十人訳の場合と同じように、影響は双方向で生じました。たとえば、マタ28・19のpanta ta ethnē(すべての民)は、全民族がエルサレムに押し寄せるという、古代ユダヤ教の思想を翻訳したものです。これに対して、măthētēs(弟子)はアラム語のtalmudimの翻訳です。逆に、福音書記者は、イエスの裁判と受難を解釈するためにギリシア語の法廷用語を用い、使徒言行録の著者はパウロの旅を物語るために叙事詩『オデュッセイア』から着想を得ています。パウロはしばしばストア哲学の要素を反響し、同様に、新約の一部の箇所にはギリシアの存在論的用語の痕跡が見られます(141)。初期キリスト教が、聖書を解釈して自らの思想を発展させるために、ヘレニズム的ユダヤ教徒やギリシア・ローマの著者と対話しつつ、セム的思想とギリシア思想の総合を継続したのは、当然のことです。それゆえ、ユダヤ教とキリスト教の豊かなギリシア的表現は、このようなギリシア文化のヘブライ文化への接ぎ木において根本的な次元が存在したことを示唆します。この根本的な次元が、哲学的理性に対して、イエス・キリストの救いの唯一性と普遍性をギリシア語で説明することを可能にしたのです(142)。当然のことながら、とくにローマ帝国の国境の外にいて、この文化圏に属していなかった、キリスト教徒の大部分は、シリア語、アルメニア語、エジプト語世界での信仰表現に役立てるために、固有の才能を発展させましたが、彼らもギリシア思想と対決し、そこから刺激を受けるとともに、それと距離を置きました。

87 ニケア公会議は、単に啓示による文化の受容と豊饒化の出来事ではなく、異文化間の出会いの機会でもありました。この文化の出会いは、イエス・キリストの出来事が生み出した、知恵の出来事の大きな側面でもあります。なぜなら、啓示は文化を互いに結びつけ、交わらせ、最高度の異文化間対話を可能にするからです。相互の交換と豊饒化は、すでにすべての文化の部分をなすものです。文化が互いに接触し、進化し、豊かになり、時として対立し合い、互いを危険にさらすという過程がなければ、文化は存在することができません。しかし、啓示がもつ、すべてを新たにする力は、こうした関係を質的に強めます。一方で、啓示は、真理と善の超越的な源泉、すなわち、コミュニケーションを可能にする人間精神の普遍性の根源に近づく道を与えることにより、文化の出会いと交換のための共通の空間を完全に開きます(143)。他方で、イエス・キリストの出来事は、民族や文化の生活の中に含まれる、他者への閉鎖性や対立の力に対して、回心と解放の力となります。いわば「救われた」文化だけが、自らを失うことなしに自らを乗り越え、他の文化によって豊かにされると同時に、他の文化をも豊かにするために、自らを他の文化に開くことができます。神のことばと伝統に、すなわち、他なる方のことばに耳を傾けることは、いわば、精神と文化を、他者に耳を傾けることに慣れさせるのです(144)。これらすべてのことは、文化の外面的で貧しい並列や、区別のない全体への融合ではなく、救われ、高められた異文化間対話をもたらします。このような異文化間対話においては、一種の諸文化のペリコレーシス(相互内在性)によって、すべての文化は、自らの一貫性を強めながら、自らを乗り越えます(145)。だから、文化の真の新しさと、「文化を高めること」の両方を考慮する必要があります。すなわち、キリストの福音を受け入れた人は、自らの文化的アイデンティティを保ちながら、福音によって強められます(146)。「キリスト者は、地域によっても言語によっても区別できない。〔……〕食物の点でも、それ以外の生活様式の点でも、その土地の習慣に従ってはいるが、しかし驚くべき、そして全くのところ奇妙な性格の生き方をしている」(147)

88 異文化間対話は、実際、その根底をなす、より深い問題の現れです。すなわち、人類の一致と、この多様性における一致への困難な道のりに関する神の計画です。これは、聖書の救済史の主要な導きの糸の一つです。創11・1-9におけるバベルの塔に関する典型的な物語は、言語の多数性の豊かさと、共通の家の一致を解消し、〈オイコス〉(家)の〈ロゴス〉(理性)を混乱させる、人間の能力の間の緊張を強調します。アブラハムへの呼びかけ、すなわち、「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」(創12・3)という約束は、神による最初の救いの応答です。預言者たちは、すべての民族が選ばれた民とその律法の周りに一致することを告げることによって、この約束を地上のもろもろの民へと延長します(148)。新約はこの一致がメシアによって実現することを示します。メシアはその血と肉によってイスラエルと諸国の民の間の「敵意という隔ての壁を取り壊し」ます。それは、「双方を御自分において一人の新しい人に造り上げ」(エフェ2・14、15b)るためです。こうして、諸国の民は契約の民と結びつけられます。それは、彼らが「約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となる」(エフェ3・6)ように招かれているからです。これらすべてのことは、個別でありながら普遍である、キリストにおいて可能です。キリストは、他性と同一性を結び合わせ、系図と文化によって条件づけられた人間性を取ることにより、すべての人間性を身に帯びるからです。バベルの対型である、使2・1-18における炎のような舌による聖霊降臨は、究極的に神のロゴスから発出する、この人間のロゴスの交わりの力の現れ、また、実現です(149)。聖霊がこれらの言語と文化を異にするユダヤ人の交わりをもたらすのは、唯一の言語への融合的な統一ではありません。むしろ、他者理解に霊感を与えながら、すべての民を集め、完成に向けて努力する、将来の教会の姿です。そのとき、イエスラエルの十二部族の「刻印を押されていた」「十四万四千人」と「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆」(黙7・4、9)が、新しいエルサレムで人類の完全な終末論的な交わりを実現するのです。

89 ニケアが根本的に表現した異文化間対話の次元は、教会がさまざまな文化圏に存在している現代にとってのモデルと考えることができます。すなわち、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカ、オセアニア文化や、ヨーロッパの新しい大衆文化、デジタル革命と科学技術がもたらした新しい文化の形です。これらの現代の文化世界のすべては、ニケアの出来事で実現した教義的インカルチュレーションの形態を初めて受け入れた古代ギリシア文化とはかけ離れているように思われます。一方で、実際に、教会を規範的なしかたで表現したのはこのギリシア的カテゴリーであり、それゆえ、このギリシア的カテゴリーが、ゆだねられた信仰の遺産と永遠に結びついていることを強調しなければなりません(150)。しかし、他方で、教会は、この時代に生まれた用語に忠実に従い、そこに自らの生きた根源を見いだしながら異なる言語とさまざまな状況において意味のある信仰表現を探求するために、ニケア教父から霊感を受けることが可能です。聖霊の恵みにより、キリスト教共同体とその神学者、司牧者は、教導職との友好な交わりのうちに、さまざまな文化的状況の中で、固有の言語を用いて、御父と御子の根源的な一致を述べるために、当時行われたのと同じような作業を行うよう招かれています。ニケアは、あらゆる異文化間の出会いと、使徒的信仰を表明する真の新たな形式を受け入れ、また、形づくる可能性の範型であり続けます。

2・3 教会の創造的な忠実さと、異端の問題

90 イエス・キリストの出来事によってもたらされた知恵の出来事の瞬間としてのニケアの概念は、公会議が応答した異端の歴史を精密に再解釈することを可能にします。使徒の証言から意図的に遠ざかり、その完全性を損なう異端は、教父たちによって、〈信仰の基準〉(regula fidei)と〈伝統〉(traditio)の道を放棄し、それゆえ、キリストの歴史的現実から離れる、新奇なものとして捉えられました。アレイオスに対してなされた非難は、まさに新奇なものを導入したという非難でした(151)。しかし、イエス・キリストの出来事によって始められた〈新しいもの〉(novum)という観点から見て、異端を、人間の思想と文化を自らを超えて開く超自然的な新しさ、すなわち、〈ホモウーシオス〉によって表現された新しい信仰の言語があかしした、恵みの新しさへの、受動的かつ能動的な、根本的な抵抗だったとも考えるなら、より問題は明らかになります。人間が、その能力と存在のすべてをもって、自分を回心させ、変容させる、この誰も聞いたことのない新しさに抵抗することは、ほとんど避けられないことです。これは抵抗であり、それゆえ、神とその愛の計り知れなさと、人間の計り知れない尊厳を完全に理解し、受け入れることの困難さに基づく、「古い人」(ロマ6・6〔聖書協会共同訳〕。エフェ2・15も参照)の罪です。十字架につけられた方とその栄光の復活の神秘の意味を理解するための最初の試みが歩んだ、ゆっくりとした、手探りの、慎重な歩み、すなわち、使徒のケリュグマ(宣教)から今日わたしたちが神学と呼ぶものの最初の段階への移行は、絶えざる緊張と、使徒的証言の完全性から距離を置き、非正統的教義あるいは異端という語で示された、多様な見解を伴いました。

91 わたしたちは、最初の数世紀の異端を網羅的に回想するのでなく、いくつかの例を通して、啓示の〈新しさ〉(novum)へのこの抵抗を明らかにしたいと思います。しばしば最初の異端と見なされる、グノーシス主義の合理的教理は、化現説によって受肉の神秘の現実性を失わせ、聖なる歴史を一連の神話物語におとしめることによって、人類の救いの完全性を否定し、それを天上の霊性の次元へと追放しました。エイレナイオスは、グノーシス主義との戦いの中で、グノーシス主義は、神が自ら歴史の中に入り、人間性と徹底的に一つになり、現実に人間となり、死を味わうことが可能であり、またそれを望んだと考えることへの抵抗であると強調します。それは、個別的なもの、物質、歴史のすばらしさ、イエス・キリストの出来事によって啓示され、旧約と新約があかししたすばらしさを信じることへの抵抗です。その後、教父たちは、キリスト教思想を洗練するために、ギリシア哲学に由来する概念や思想体系を用いることをためらいませんでした。このようにすることにおいて、教父たちは、ロゴスが受肉しうること、神性を表す〈ロゴス〉ないし〈ヌース〉(νοῦς)が、そこから由来する源泉と等しいこと、神的一性と矛盾せず、また、この一致の下にある多数性は可能であることを、それ自体として理解させることができない思想体系を批判せざるをえませんでした。異端的なキリスト論・三位一体論を支持する人々は、いかにそれが豊かで、キリスト教教理を考える上で現実に貢献するものであっても、〈ヌース(νοῦς)・クリストゥ(キリストの思い)〉の誰も聞いたことのない計り知れなさによって出発点となる思想体系を拡張させることができなかった人々です。同じ困難は、三世紀を通して東方で行われたキリスト論の諸思潮の論争にも見いだされます。これらの思潮は、ある意味でアレイオス派の異端を準備するものでした。これらの思潮の主唱者の立場を風刺することを避けなければなりません。なぜなら、彼らは何よりもまず個人的な思想家でありながら、唯一の神の三位一体的な豊かさと、御父に等しい御子が個別的な人間性を完全に取ったことの徹底性を保つことの同じ困難に直面したからです。ある人々は、従属説的傾向のある三位一体の神学と、化現説のおそれのあるキリスト論に直面しなければなりませんでした。他の人々は、様態論的三位一体論と養子説の形態に抵抗しなければなりませんでした。ニケアの数十年前にアレイオスの教えの中で表明されたのも、古い思考様式に由来する、常に同じ抵抗です。アレイオスにとって、御父と異なる、生まれて死んだ御子が、神的一性と神的超越を、それゆえ、人間のあがないを危険にさらさずに、神とともに永遠で、神と等しいと考えることは不可能でした。

92 これらの抵抗は、人間的なものとして、確かに理解できます。それらは、イエス・キリストの出来事によって、神と、人間の神的使命の認識に投げかけられた信じられないような光と、キリストの出来事とそれに由来する知恵の出来事において行われた人間の思考と文化の信じられないような変容を、否定的にあかしします。いかなる人間的なものも廃止されません。しかし、神の真理の計り知れなさに近づく道は、神によるご自身の啓示と、人間の能力と実現を回心させ、高める恵みを必要とします。ある意味で、異端の抵抗は、わたしたちがニケアのけた外れに新しい力のすべてを見ることを可能にしてくれます。

3 教会的な出来事――最初の普遍公会議としてのニケア公会議

3・1 教会はその本性と構造によってキリストの出来事に根ざす

93 ニケア公会議は、教理史の出来事であるだけでなく、間違いなく、教会の構造が形成される過程の根本的な段階に対応する、教会的な出来事として理解できます。ニケアに続く長い歩みの中で、「普遍公会議」は、全教会の教理的・教会法的決定を導く灯台、交わりと究極的な権威の場となりました。ニケア信条が神に近づく道(イエス・キリストの出来事)また人間の思考(知恵の出来事)という観点から示すことと同様に、ニケア公会議は、教会の構造形成という観点から、その後の教会生活を方向づける転換点と見ることができるのではないでしょうか。普遍公会議をそれ自体としてイエス・キリストの出来事の特別に教会的な実り、また、表現と考えることができるなら、このことは事実です。

94 教会はその初めから、啓示されたトーラーを生き、神である主に礼拝をささげるために呼び集められた会衆(qāhāl/ekklēsia: 申5・22参照)である、選ばれた民との連続性に根ざしていることを自覚していました。教会も自らが、「力ある業を〔……〕広く伝えるため」にイスラエルの神から「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(一ペト2・9)であると考えました。使徒言行録の中で、教会は神のみ旨を識別する共同体として示されます。その主役は聖霊です(152)。この共同体は、「復活の証人」(使1・22)である、十二使徒の役割を引き継ぐ人々によって導かれます。ある意味で、「キリストの思い」(フィリ2・5。上述77節参照)を見分けることが可能なのは、キリストのからだである教会共同体においてです。

95 この自覚は初期の教父において表明されました。初期の教父は、教会の構造と機能を、その深い本性と使命に結びつけたからです。こうして、二世紀の初めに、アンティオケイアのイグナティオスは、さまざまな部分教会が連帯のうちに唯一の教会の表現として考えられることを強調します。教会の構成員は〈シノドイ〉(synodoi)、すなわち旅の仲間であり、そこでは、それぞれの構成員は、エウカリスチアの集いで表される一致を定める神的秩序に従って役割を果たすよう招かれます。こうして、教会は、その一致と秩序により、神の国で実現される完全な一致を目指して、キリストのうちに父なる神への賛美を歌います。カルタゴのキュプリアヌスは、教会生活がその上に築かれるべき、教会会議(シノドス)と司教という基盤を明確にすることにより、三世紀半ばにこの教えを深めました。司教なしに何も行ってはならない(nihil sine episcopo)が、同時に、「あなたがたの助言」(すなわち、司祭と助祭の助言)なしに、また、民の同意なしに何も行ってはならない(nihil sine consilio vestro et sine consensu plebis)(153)。三位一体の一性に結ばれた一致、聖霊による霊感、み国に向けてともに歩むこと(synodos)、使徒たちの教えと感謝の祭儀を忠実に守ること、奉仕者と受洗者の秩序と調和、司教に与えられた特別な役割――これらの要素は、教会が、その構造と機能においても、自らの特別な契機と表現としてのイエス・キリストの出来事に深く根ざしていることを示します。ニケアを記念することのうちに、普遍公会議に先立ち、普遍公会議においてその頂点を見いだす、わたしたちが集まり、記念するシノドスのプロセスのすべてが存在します。

3・2 教会のもろもろのカリスマの構造的な協力とニケアへの道

96 啓示の出来事の実り以外の何ものでもありえない、これらの教会の神学的性格に固有の諸要素は、ニケア普遍公会議へと至る歴史的歩みの中で、教会における統治と教えと共同体的決定のために用いられた三つのカリスマの相互関係を通して示されました。すなわち、まず三つの位階、そして、教師と、シノドス(教会会議)です。使徒が第一の位置を占める、職制の序列は、すでにパウロ書簡の中で定められていたように思われます。「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師〔……〕」(一コリ12・28。エフェ4・11参照)。第一の特徴は、司教、司祭、助祭の三つの位階の段階的な発展です。キリスト教の最初の一五〇年間の預言者や巡回教師(一般的な意味でしばしば「使徒たち」と呼ばれていた)を監督した位階制は、ある程度それらに取って代わり、教会を統治する地方的構造となりました。とくに司教は、教会の使徒的次元を表します。4世紀から、管区司教を頭とする、部分教会間の交わりを示し、推進する、教会管区が形成されました。

97 キリスト信者は、キリストを告げ知らせ、キリストの教えと使徒たちの教えをすべての民に伝えるよう招かれていたので、ニケア以前の時期のキリスト教の第二の特徴が、学校と教師の決定的な重要性だったことは驚くべきことではありません。学校と教師は、洗礼志願者に教えを伝え、聖書を解釈しました。彼らは、叙階された奉仕者の場合もあれば、そうない場合もありました。たとえばペラギウスは、司祭ではなかったにもかかわらず、五世紀の初めにローマで教えていました。それは、エルサレムの大メラニアやルフィヌス、ベツレヘムと後にローマのヒエロニュムスの場合と同じです。オリゲネスも、叙階される前に、父レオニデスの死後、アレクサンドレイア教理学校を指導しました。

98 最後に、2世紀後半から3世紀初めに、とくに小アジアで、教会会議(シノドス)は、規律、礼拝、教えに関する重要な問題を決定するためにますます重要な位置を占めるようになりました。初め、教会会議(シノドス)は地方で開催されましたが、教会会議の決定(acta)を他の教会に伝える書簡の送付、代表者の交換、相互の承認の要請は、「決定は全教会との交わりの表れであるという確固たる信念」と、「それぞれの地方教会が唯一のカトリック教会の表れであるという意識」(154)をあかしします。教会会議(シノドス)が立法機関として、明確な法的ないし教会法的次元を有していたことは注目に値します。教会会議の文書や教会法典集は、とくにローマの司教の文書館に集められました。教会法典の発展と教会会議の発展は、手を取り合って進み、同伴し合いました。国家型に制度化された教会への転換を、コンスタンティヌスによる教会の合法化のみに帰すことはできません。神の国を反映する一種の〈ポリス〉(市)、天上のエルサレム(イザ60章、62章、65・18、黙3・12、21・1-27参照)、あるいは、イエスを〈プロエストス〉すなわち先立つ者として頭に戴き、み国に向けてイエスと同じ歩みを行う民の、文字どおりの意味での〈シノドス〉として、教会はその成り立ち上、「政治的」であり、制度的です(155)

99 これら三つのカリスマは、教会の中で別々に、固有のしかたで発展しましたが、そのうちのどれも、独立したり、他と切り離されたことはありません。それらの間で、またそれらの内で自然に緊張が生じたとしても、それらは互いに豊かにし、教え、強め合いました。教師はしばしば構成員として教会会議(シノドス)に参加しました。同じように、司教は初めから、アンティオケイアのイグナティオスの模範に従って、教師また説教者でした。当然のことながら、司教は教会会議(シノドス)を主宰し、信仰と実践の正統性の守護者として指導的な役割を果たしました。さらに、司教は、秘跡的な役割において、すべての教会会議(シノドス)の開会時と閉会時に行われた感謝の祭儀を司式しました。感謝の祭儀は、〈シノドス〉という、「ともに歩む」ことの源泉であり頂点だからです(156)。教会会議の決定の受容のしるしとして、また、「普遍性(カトリック)」の中で、すなわち一にして唯一の神の教会の中で使徒的継承によって定められた、信者と司教の交わりのしるしとして、感謝の祭儀は、キリストのからだに属することと、キリスト信者が相互に帰属し合うことを目に見えるしかたで表し、実現します(一コリ12・12参照)(157)

100 教会の構造形成の過程のこれらの要素は、教会がイエス・キリストの出来事に根ざしていることを示すだけではありません。この過程のうちに、すでに分析した、知恵の出来事をなすものとのある種の類比を見分けることも可能です。イエス・キリストの出来事によって深く新たにされた人間の思考は、とくに、すでに啓示によって内側から働きかけられたセム的思考と、ギリシア文化および他の文化との出会いを通じて、人間文化を受け入れ、変容させました。それと同じように、わたしたちが明らかにした三つの次元ないしカリスマは、市民的制度であれ宗教的制度であれ、ユダヤ教の制度と、最初の数世紀のギリシア・ローマの制度の地方的形態の両方から生じたものです。一方で、第二神殿時代のユダヤ教は、その祭司的位階制と、学校と、会議を有していました。他方で、キリスト教の教師たちは皆、自分たちのための特別な学校が存在しなかったため、〈エンキュクリコス・パイデイア〉(enkyklios paideia[自由学芸])によって、またはギリシア・ローマ世界の一般的教育システムの中で、弁論家や解釈者として教育を受けました。それゆえ、彼らは弁論術や哲学を用い、それが、彼らがキリスト教教理の遺産に根ざすための助けとなりました。シノドス(ラテン語で〈コンキリウム〉[concilium])は、すでにギリシア・ローマ世界の中で古来の制度となっており、キリスト教徒はそれに重要な役割を与えていました。しかし、これらのさまざまな側面は、福音を宣べ伝え、人類のための一致のしるしとなるという教会の使命に奉仕する際に、固有の、いわば変容された次元を獲得します。

3・3 ニケア普遍公会議

101 325年にニケアで教会会議(シノドス)が開催されました。それは、以上の過程の到達点としての位置を占めると同時に、そのエキュメニカルな意味により、例外的な形をとりました。東ローマ帝国の教会全体と多くの西方教会に広がっていた、地域的紛争を解決するために皇帝によって招集された公会議には、東方のさまざまな地域から来た司教とローマ司教の使節が集まりました。それゆえ、初めて、〈オイクーメネー〉(世界)全体の司教がシノドス(教会会議)に集まったのです。その信仰告白と教会法的決定は、全教会に対して規範的なものとして宣言されました。イエス・キリストの出来事によって教会の中にもたらされた、これまでに聞いたことのないような交わりと一致が、普遍的な意味をもつ組織によって、新たなしかたで、可視的かつ実効的なものとなりました。計り知れない、キリストの福音の告知は、前例のない意味をもつ権威の道具を与えられました。

司教たちがシノダリティを発揮してその奉仕職を務め、ニケア公会議は、復活した主の「権能」(ἐξουσία)が聖霊において神の民の進むべき道を導き、方向づけることを全世界的なレベルで初めて組織的に表現したものでした。これに続く第一千年期の公会議においても同様の経験をし、それらは唯一のカトリック教会のアイデンティティに正統な形を与えました(158)

102 ニケア公会議によって、シノドス、ないし、普遍公会議という概念そのものが確立しました。その〈会議録〉(acta)は全く残っていないとはいえ、大きな蓋然性において、また、受容は時間がかかり、困難なものだったとはいえ、〈ホモウーシオス〉とニケアの教令の告知は残りました。この長い受容の過程の後に――それはすべての公会議に典型的に見られるものです――、ニケアは多くの人の思いの中で公会議の理想となりました。ニケアが、聖霊に導かれた一致した公会議として伝統的に表現されたことは、その後の伝統においてニケアが理想的な公会議となるのを助け、キリスト信者の間に普遍公会議への尊敬の念を少しずつ造り出しました。ニケアはこれに続く普遍公会議への、それゆえ、シノダリティないし公会議制の新しい様式への道を開きました。シノダリティないし公会議制は、信仰を定義し告白する役割においても、教会の中で表された〈オイクーメネー〉全体の一致の表現においても、今日に至るまで教会生活を特徴づけるものとなっています。

第四章
すべての神の民が近づくことのできる信仰を守る

序言――ニケア公会議とキリスト教の神秘の信頼性の条件

103 ニケア公会議から導き出される主要かつ正当な考えは、それがキリスト論的・三位一体論的な〈信仰の対象〉(fides quae)を守り、明確にした、〈教義的〉公会議だったということです。この最終章では、この公会議の出来事が、いかにして、その決定を受容できるものとするという条件の下で、教義的な争いを解決するための唯一で普遍の教会のある種の制度的仕組みを作り出したかを説明します。それゆえ、基礎神学の検討は、教義的・歴史的な調査を完成しなければなりません。救いへの参加、すなわち〈信仰の行為〉(fides qua)を生み出すのは、〈信仰の対象〉(fides quae)、すなわち救いをもたらす真理です。しかし、ニケアにおいて、〈信仰の行為〉(fides qua)そのものが、〈信仰の対象〉(fides quae)の受容と理解に役立てられました。〈信仰の行為〉(fides qua)、すなわち〈信仰の対象〉(fides quae)の定義と受容の条件の過程の考察は、教会の本性と役割を明らかにします。当然のことながら、次のことは明らかです。この制度的仕組みの発明は、段階的に行われたもので、ゼウスの頭から武装したアテナが出てきたようなものではありません。要するに、「普遍公会議」という教義的概念が、325年の出来事とちょうど同時期に存在することは不可能でした。第二章で説明したとおり、〈信仰の行為〉(fides qua)と〈信仰の対象〉(fides quae)が出会う優れた意味での場は、洗礼です。個人が教会の信仰へと組み入れられるのは、洗礼においてです。個人はこの信仰を母である教会から受け入れるからです。この洗礼と洗礼志願者へのカテケージスという文脈において、古代教会は、信仰の最も基本的な要約として信仰の規則を作りました。その重要性が考慮されたがゆえに、信仰の規則は、異端に対して信仰の真理を識別するために用いられました(たとえば、エイレナイオス、テルトゥリアヌス、オリゲネス)。それゆえ、信仰の規則は、信仰の規範的要素の要約という意味で、信条の教義的位置の先駆けです。こうした規範(regula; kănōn)の自覚は、信仰に関する識別を行った、ニケアに先立つ教会会議(シノドス)の手続きにも見られます。

104 二世紀と三世紀の地方教会会議(シノドス)の多くの経験に基づいて、次の教義的命題を支持することが可能です。三位一体論、キリスト論、救済論の真理が改変され、ゆがめられ、失われるおそれがあるという問題を解決するために求められたのは、〈ア・プリオリに〉機能すると判断された特定の教会論的真理でした。〈信仰の行為〉(fides qua)の過程は、教会の本性を明らかにします。肉となった(ヨハ1・14参照)神のことばは、現実に御父を認識させます。この認識は、聖霊の力によって、教会にゆだねられました。教会は、この認識を守り、伝える責務を帯びています。この使命は、教会が権威をもって聖書を解釈できることを意味します。このことはまた、次のことを示します。教会を信じ――信条が告白するとおり――、教会がキリスト論的・三位一体論的教理を定義する権威を信じることは、イエス・キリストと三位一体への信仰の行為に基づきます。それは、幸いなるトマス的表現に従えば、「相互優先性」という形式によります(159)。最後に、この教会的手続き全体の究極目的にも注目しなければなりません。わたしたちの仮説はこれです。公会議の手続きは、小さい者への奉仕、それゆえ、子どもの信仰への奉仕のためのものでした。子どもの信仰こそが、主イエスの目から見た真の弟子の信仰の範例であり、それゆえ、すべての人への信仰の告知の範例です。これは教会の教導職の意味を明らかにします。教会の教導職は、キリストの兄弟の「最も小さい者」(マタ25・40参照)を守る愛を目指しているのです。

1 救いをもたらす真理の全体に奉仕する神学

1・1 終末論的に有効な真理であるキリスト

105 ニケアは、救いに関する問題における真理を提示し、それを誤謬から区別しました。その限りにおいて、基礎神学の観点から見たその第一の課題は、救済論において真理が占めるべき位置の問題でした。この確信は何よりもまず啓示の形式そのものに由来します。啓示は、書かれたことばによって伝えられることから、真理の次元が啓示を成り立たせていることを示します。キリスト教信仰は、キリストの真理が弟子たちに近づきうるものであることを前提します。実際、救い主ご自身が真理です。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハ14・6)。キリスト教において、真理は一人の人格です。真理はもはや単なる論理や推論の問題ではありません。真理を所有することは不可能であり、真理は、善、正義、愛といった、キリストの人格と同一のものである他の属性と切り離せません。次のことは真実であり続けます。すなわち、キリストに従うことは、常に弟子たちの理解を要求します。「わたしは理解するために信じています」(Credo ut intelligam)(160)。実際、理解する自由な者として人間を創造した、造り主である神が――これは造り主の像と似姿としての創造(創1・26-27)の側面の一つです――、救い主である神として、ご自身の真理と、救いをもたらす真理の〈認識に近づく道〉に無関心であると考えることは、想像できませんし、矛盾しています。さらに、この救いをもたらす真理は、共同体的な次元をもっています。ニケアは、真理を表明する共同体的な行為でした。真理を全教会に伝える目的をもっていたからです。実際、人類家族と、とくにその言語を通じて知的コミュニケーションを行う能力を創造した(創11・1-9――バベルの塔――および使2・1-11――聖霊降臨――)造り主が、ご自身の真理と、救いをもたらす真理へと〈共同体的に近づく道〉に無関心であると考えることは、想像できませんし、矛盾しています。だから、信仰の一致の崩壊は、イエス・キリストによる救いの力と効果を危険にさらすのです。

106 この救いにおける真理の本質的な位置は、「真理を担う者」(alēthefora)としての教会の本性そのものに反映されます。教会は、自らと異なる方である、真理であるキリストを担います。そして、この方なしに教会は教会でありえません。教会は、その起源から必然的に、個人と教会と弟子たちとすべての人の善益のために、みことばによって実現した真理を、探究し、発見し、守り、広める場です。教会は、教会の中で循環する、この真理の生きた力と交わる場でもあります。教会はまた、世とその思想と文化による真理の探究にいわば水を注ぎます(161)。それゆえ、いのちを与える、救いの真理そのものの伝統(伝達)は、教会の聖伝に関する教義的概念に与えうる、最も強力な意味の一つです(162)

107 真理の中心的な位置は、聖書が偶像崇拝を徹底的に拒絶する理由を説明します。イスラエルの聖なる方は、偶像とは異なり、語る神です。詩編作者が述べるとおり、偶像は「口があっても話せず、目があっても見えない」(詩115・5、135・16)。それは一コリ12・2でも繰り返していわれます。「あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう」。さらに、神の真理、力、正義、聖性は、聖書においては常に、真の普遍的な救いをもたらすという主張との関連で考えられました。これに対して、偶像崇拝は、部分的かつ地域的な恵みを与えることしか主張しません。さらに、神から来られ、神そのものであり、主である方は(ヨハ13・14参照)人格なので、救いの真理は人間が受け入れなければならないものです。これに対して、偶像崇拝は、人間的なものから神的なものを作ります。神は偶像のように作ることができません(知13・11-19の皮肉を参照)。この事実は、神の自己啓示という概念を思い起こさせます。これは、古代においても宗教的犠牲の中にしばしば認められる自己実現の概念と反対です。エイレナイオスによって、真に固有の異端、また、「偽称グノーシス」と呼ばれたグノーシス主義が示すとおりです。グノーシスが「偽り」なのは、それが、神から与えられ、愛のうちに自由に受け入れられる真理ではないため、救いの真理の概念そのものと矛盾するからです。その反対に、神のことばは、受肉によって、教会と個人の信仰の行為を促します。この信仰の行為は、知性と全存在をもって、聖霊のうちに人を救う神秘を受け入れることです。「あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ」(ヨハ4・22)。最後に、イエスは、ことばの宣教として、完全な真理のことばとして、世に遣わされた神のことばです。この神のことばは、人間の信仰の応答を促します。だからこそ、それはまことに救いをもたらす真理、〈終末論的に〉有効な真理なのです。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)。信仰によって受け入れるべき、すべての人のための救いの完全な真理をことばで表すというニケアの選択は、キリスト論的な真理(〈信仰の対象〉[fides quae])に忠実であるだけでなく、キリストそのものである真理との個人的な関係(〈信仰の行為〉[fides qua])にも忠実だったのです。

1・2 救いと神的〈子性〉の過程

108 この救済論的真理を、厳密に存在論的な意味で理解しなければなりません。救済論的真理は、神秘であるかぎりでの救いの神秘を危険にさらすような包括的な理解を与えることを主張するのではありませんが、にもかかわらず、それは、神の子性と父性に関する真理そのものに近づく道を与えてくれます。真理の神は、いわば、ご自身の独り子イエスの、誰も聞いたことのない〈子性〉の主張を、人間に試させたいと望まれました。神によって啓示された真理は、唯一の〈御子〉の真理に集約されます。この語を単なる隠喩ないし類比と考えてはなりません。なぜなら、厳密な意味での〈象徴〉(symbolon)が、それが意味する現実に現実かつ有効に近づく道を与えるのと同じように、隠喩的なものはここで存在論の領域に開かれるからです。この真理の基盤となるのは、イエスに対する御父のあかしです。「わたしたちが人のあかしを受け入れるのであれば、神のあかしはさらにまさっています。神が御子についてなさったあかし、これが神のあかしだからです。神の子を信じる人は、自分の内にこのあかしがあり〔ます〕」(一ヨハ5・9-10)。手紙の著者は付け加えていいます。「神を信じない人は〔……〕神を偽り者にしてしまっています」(一ヨハ5・10)。わたしたちのかつてのカテキズムは、キリスト信者の信仰の行為に関する心からの確信を直接的な単純さをもって表現しました。「神は欺くことも欺かれることもない」(163)。トマス・アクィナスはこの表現に自らの定式を認めることができたと思われます(164)。こうして、〈ホモウーシオス〉というニケアの造語の存在論的主張が正当化されます。第一章と第三章で考察したとおり、イエスの神的子性に関する存在論的真理の確証は、父性と子性の関係が、神的なものと人間的なものに関して神秘的なしかたで逆転することのうちにあります。人間的・地上的な父性は、父である神という原型による二次的・派生的な呼び名となります(エフェ3・14、マタ23・9参照)。これが、信じる者が入るように招かれている、神的子性の真理です。これが、洗礼の子性の真理の基盤です(165)。イエスの福音によれば、救われるとは、子性の完全な真理に入ることであり、キリストの永遠の子性に接ぎ木されることです。

2 教会の仲介と、教義的連続性の転換――三位一体、キリスト論、聖霊論、教会論

2・1 信仰の仲介と教会の神秘

109 この救いをもたらす有効な真理は、ニケアにおいて、賛歌や哲学に由来する用語による聖書テキストの解釈によって、また、信仰の理解の実践を通して、解明され、伝えられました。実際、聖書の啓示の営み全体は、次のことをあかししています。すなわち、キリスト論的真理に関する確信の力は、聖書の意味は直接的なしかたでのみ取り扱いうるとする、ファンダメンタリズムの観点で理解すべきではありません。なぜなら、教会の教理の解釈の伝統と神学者の研究は、反対に、次のことを示すからです。信仰は多くの〈仲介〉を必要とします。最初の、唯一で、基本的な仲介は、マリアから与えられた、独り子の人間性です。神は、誰も聞いたことのない、ご自身の神的真理が、受肉したみことばの仲介を通して人類に向かうことを望まれました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(マタ3・17、17・5)。さらに、聖書のもろもろの書を構成する啓示の表現のさまざまな文学ジャンルは、それに相当する解釈の作業を要求します(166)。典礼から生まれ、典礼の文脈で宣言される信条は、さらに次のことをあかしします。すなわち、解釈の仲介はテキストの仲介に限定されてはならず、むしろ、そこで信仰が祈りと恵みによって共同体の中で生きられる、〈行為とことばによって〉(gestis verbisque)なされます(167)。わたしたちはそのことをルカ24章の記述に見いだします。そこでは、復活した方が自ら律法と預言者の解釈を通して解き明かしを行うだけでは飽き足らず、ついにご自身の現存と、「パンを裂いて」聖体でご自身を与えることを通してそれを行います。教皇ベネディクト十六世が『主のことば』で説明するとおりです。

みことばと聖体は、一方なしには他方を理解することができないほど深く結ばれています。神のことばは、聖体の出来事のうちに、秘跡的に肉をとります。聖体は、わたしたちの心を聖書を悟るよう開きます。それは、聖書が、聖体の神秘を照らし、説明するのと同じです。聖体における主の現実の現存を理解しなければ、聖書の理解は不完全なままにとどまります(168)

110 こうして、教義学において示される神秘の秩序の連続性を、基礎神学において有益なしかたで転換することができます。誰も聞いたことのない、キリスト教信仰の神秘、すなわち、教会そのものが論理的また存在論的にそれに基づいている神秘が最初に示されるのは、「最も信じることが難しい神秘」(169)である、教会の神秘を通してです。実際、信仰の旅路の信頼性を確立するのは、何よりもまず教会の務めです。当然のことながら、「カトリック教理の諸真理とキリスト教信仰の基礎とのつながりは種々異なったものであるため、諸教理の比較に際しては、それらの諸真理の間に秩序すなわち『順位』が存在する」(170)。信条のキリスト論、三位一体論、救済論の教理が、この基礎となります。しかし、教義における〈諸神秘の関係〉(nexus mysteriorum)(171)において、公会議の解釈の行為は、その位置づけと特別な役割に従って、教会が救いの秩序にあずかることを明らかにします。

2・2 異論とシノダリティ

111 教会の解釈による仲介は、とくに異論や聖書の翻訳の必要性に対する仲裁において明らかとなります。使15章の「エルサレムの使徒会議」は、初めて、教理(異邦人出身のキリストの弟子とモーセの律法の関係)と実践(割礼、偶像崇拝、みだらな行い)に関する異論が争いを生じ、教会の合意の形でのこのことに関する規則と解決は、「使徒たちと長老たち」(使15・6)が集まった会議によって検討されたことを証言します。次の手続きがとられました。まず、権威ある証言が次々に示され(ペトロ、パウロ、バルナバ、ヤコブ)、互いに耳を傾け合いながらそれが受け入れられます(172)。続いて、モーセの権威に訴えて、「何の指示もない」(使15・24参照)使者に対して、指示を受けた使者が立てられます。最後に、指示を受けた使者の呼びかけで集まった、アンティオキアの集会に正式に示すための規定の文書が作成されます(使15・30-31参照)。すべての人が会議に関わりました。質問はエルサレム教会全体に向けて提出されたからです(使15・12参照)。彼らは教会の識別が行われる間、そこにおり、最終決定にも参加しました(使15・22参照)(173)。この共同体的側面を示すしるしは、使者が二人一組で派遣されたことです(使15・27参照)。わたしたちの考察にとって本質的なことは、聖霊に助けられてシノドス的に機能し、〈信者の信仰の感覚〉(sensus fidei fidelium)(174)と使徒たちの特別な権威に支えられた教会が、生きて働く神秘となっていることです。この神秘において、ヘブライ人出身のキリストの弟子と異邦人出身のキリストの弟子との、モーセの律法をめぐる意見の違いに関する教理の発展がなされました。最初にイスラエルに啓示された神秘に異邦人が加わるという、神の普遍的な意図に関する信仰の調整は、ここにおいて、教会のダイナミックな神秘の中で、〈信仰の対象〉(fides quae)と〈信仰の行為〉(fides qua)の交換によって行われたのです。

112 みことばの受肉に先立つ時代から、選ばれた民は、イスラエルのディアスポラ(離散)の中で、また、それを超えて、異教出身の、新約が「改宗者」(マタ23・15、使2・11、6・15参照)と呼んだ人々、ないし、「神を畏れる人々」(使10・2参照)の間で、啓示を守り、何よりも広めるために、同じような問題に取り組まなければなりませんでした。七十人訳のアレクサンドレイア版に至る、ヘブライ人の聖書のギリシア語への翻訳を正当化したのは、この根本的な選択です。ただし、この選択の実際の起源はさまざまな伝説の中で失われています(『アリステアスの手紙』、『タルムード・ソーフェーリーム』1・7)。これらの翻訳は、後に〈ホモウーシオス〉という造語を用いたことと同じように、語彙の仲裁がたびたび行われたことを意味します。それは、セム語の意味領域で理解された元のテキストの真理が、テキストがインド・ヨーロッパ語の意味領域に移されたときに、失われないためでした。

113 こうした仲裁は、教会の本性そのものを表し、教会が行使する教導職の意味を理解することを可能にしてくれます。教会は歴史に根ざした恵みの現実なので、聖霊によって築かれ、動かされます。この聖霊は、みとばの受肉において働きましたが、また、歴史の喜びと誘惑と変遷に直面する、神秘体における信仰者と協力して働き続けます。教会の救いの使命は、説教、聖書の教え、秘跡の執行によってだけでなく、ペトロの後継者であるローマ司教と交わりをもつ、使徒たちの後継者である司教によって行使される教導職によっても実現されます。これは、信仰の真理が歴史的で可変的だという意味ではありません。むしろ、それが意味するのは、真理を認識し、その理解を深めることが、唯一の主体である教会の務めだということです。それゆえ、教会は真理を自由に扱うことができませんし、真理を作り出すこともできません。真理は根本的にキリストご自身だからです。むしろ教会は、真理を受け入れ、思い起こし、解釈します。すべての世代の人にとって、教会とともに信じるとは、信仰をより深く、より完全に理解しようとする、教会の絶え間ない努力にあずかることです。忠実の義務を、受動的な従順さのみと考えてはなりません。それは、司教団の生きた教導職の支えと監督の下に行われる、すべての弟子にとっての能動的な習得の義務なのです。司教団は、合意に達した場合、ある神学的解釈が源泉――すなわち、キリストと使徒的聖伝――に忠実であるか否かを、拘束力のあるしかたで決定する権威を有します。教導職は、キリストによって実現し、聖書においてあかしされた啓示に、教義的発展による説明以外、何も付け加えません。なぜなら、教会は、啓示に対する創造的な忠実さを通して、神のことばの真正な解釈者としての役割を果たすからです(175)。「したがって、『信者総体の信仰の感覚(sensus fidelium)』の権威に関する判断は、究極的には信者自身にも神学にも属さず、教導職に属するのです」(176)。使徒たちの後継者の、いわゆる〈通常〉教導職は、継続的に聖伝――すでに新約で「健全な教え」(二テモ4・3)と呼ばれたもの――を表現する、通常の教えのことです。これに対して、〈特別〉教導職は、ごくまれに行使されます。しかしそれは、教会全体に関わる重要な教理を決定しなければならないとき、とくに教会の一部から議論が生じた際に行使されるものです。これが、ニケア公会議ですぐれて明確なしかたで起こったことです。

2・3 合意を形成し、新たにするための聖霊の舌

114 要するに、教会の務めは何よりもまず、〈パラフレーズ〉(メタフラシス)という、聖霊的な務めです。この務めは、七十人訳やタルグムのような、翻訳の領域において行われます。これらの翻訳は、ギリシア語とアラム語の思考様式と固有の特質のうちに決定的に自らを位置づけながら、ヘブライ語テキストへの忠実さを追求します。アラム語で話したイエスのことばを福音書のギリシア語に翻訳する際にも同じような作業が行われたと考えられます。ミドラシュや初期教父の著作に始まる、聖書釈義の作業についても同じことがいえます。この二重の動きが、聖霊降臨の聖霊の導きの下に開催された普遍公会議の生きた交換の中で花開きました。そこでは、発言者はシリア、ギリシア、コプト、ラテン世界から来ましたが、そのことが、他の言語や他の表現形式に翻訳可能な定義に具体化したのです。ここでわたしたちは聖霊が与える二つの大胆さを目の当たりにします。一つは、世界のさまざまな状況にいる神の民の善益のために、大胆さ(parrēsia)と有効性をもって告白した人々における、ニケアにおいて告白された信仰の理解の深まりです。もう一つは、この告白を聞き(auditus fidei)、受け入れた(obsequium fidei)人々における、聖霊による大胆さです(177)。この動きは、教会の本性と、真理の霊がいかなる方であるかを明らかにします。真理の霊は、キリストのことばを「思い起こさせ」、「真理をことごとく悟らせる」(ヨハ16・13。14・26参照)ように導くからです。神の第三の位格の働きを前提とする、このような教会の務めが、救いの歴史を通して三位一体の関係の根源的な神秘へと、救いの営みから神的存在論へと遡らなければならなかったことを認めても、驚くべきではありません。

115 有名な〈ホモウーシオス〉という、聖書では知られていない新しい概念を導入するという、この「聖霊的パラフレーズ(メタフラシス)」の務めにおいて、注目しなければならないことがあります。それは、聖書の記述も聖書テキストの隠喩も、思弁的な置き換えによって、廃止されることも隠されることもないということです。思弁的な置き換えは、本質をまとめ、明確化するにすぎないからです。教義的明確化は、聖書の〈土壌〉(humus)と典礼的信仰の交わりの中でそれを生かす根源を保つ場合にのみ、有効です。このことは明らかに信条のテキストにいえます。アレイオスの危機においては、神のことばは信仰の真理を保つために両義的な支えを与えるように思われました(ルカ18・19「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」)。このような状況において、思弁的表現が、釈義的論争を解決するために必要になりました。しかし、造語という特別な資源を用いた教理的発展は、マタ13・3-9、さらに18-23でキリストがご自身の種蒔く人のたとえ話を説明するのと同じしかたで、啓示のことばに内在する真理を明らかにすることで満足しなければなりません。この意味で、次のことを見逃してはなりません。教会の歴史の中で、教義的造語は総じて少なく、真に決定的なキリスト教の神秘の結び目に対応するものでした。すなわち、キリスト論における「同一本質」と「位格的結合」、三位一体論における「自存的関係」と「ペリコレーシス(三位一体内在性)」、また、三位一体の神学、キリスト論、人間論における特別にキリスト教的な意味での「ペルソナ」(prosôponとhypostasis)です。

3 ゆだねられた信仰の遺産を見守る――最も小さい者に奉仕する愛

3・1 すべての人に示される神の民の一致した信仰

116 ニケア公会議で採択された信条と教会法は、単なる解釈と翻訳とパラフレーズ(メタフラシス)に関する教会的行為であるだけでなく、使徒たちから伝えられたゆだねられた信仰の遺産を「守り」、「見守る」(phȳlaxein)ことも目的としています(一テモ6・20)。この保護は、とくに最も危険にさらされた人々の善益のために行われます。〈ホモウーシオス〉は、〈信仰の対象〉(fides quae)の次元で、最も小さい者に至るまでのすべての人間のキリストにおける相互の〈コイノニア〉(koinonia 交わり)の原理であり、基盤です。それと同じように、共通の信仰告白の定義に関する公会議の決定は、〈信仰の行為〉(fides qua)の次元で、すべての弟子たちを守ります。実際、教理の明晰さは、信仰が、絶対化した地域文化主義および地政学的分裂や、しばしばエリート主義的な繊細な形式と結びついた異端の力に抵抗することを可能にします。

117 最後の側面について考えてみたいと思います。四世紀の「教会の平和」の時代、キリスト教信仰が世界に広まることにより、キリスト教の確信が弱まる危険がありました。この時代、古代の異教を支持する人々は、パンテオンの神々、異教の実践、祖先の習慣の、普通の人間にとって〈近づきやすい〉性格を強調することによって、失われた自分たちの力を回復しようと試みました。ところで、〈イエスが素朴な人々に説いた信仰は、単純な信仰ではありません〉。たとえ話や他のことば、あるいは、「わたしと父とは一つである」(ヨハ10・30)といった権威あることばのような、いくつかのヨハネ福音書における宣言は、神の神秘に近づく道は少なくとも逆説的であることをあかしします。教義が三位一体と呼ぶものも、カルケドン公会議で述べられた位格的結合も、証聖者マクシモスの救済論によって擁護されたダイナミックな両意説も、単純な命題として認められるものではありませんでした。しかし、キリスト教は、自らをエリートの密儀加入者にのみ許されたエソテリシズム(秘教)の一形態と考えたことは一度もありません。キリストはこのことを次の根本的な宣言によって明言します。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている」(ヨハ18・20-21)。初代キリスト教の一時期における秘密(arcanum)に関する秘義教育の規律さえも、秘密に関して執着を示したことはありません。むしろそれは、キリスト教入信の重大さと段階を考慮する必要性を示したのです。数世紀が経過するにつれて、キリスト教信仰が決定的に顕教的・大衆的なスタイルを完全に採用したことが明らかとなりました。要するに、すべてのキリスト信者は、十字架のしるしをすることによって、三位一体と復活の信仰の核心を適切かつ完全に表します(178)。神の民全体は、自らの信仰と希望の理由を説明できなければなりません(一ペト3・15参照)。この意味で、神の民全体が神学者です(179)

118 同じ意味で、ニケア公会議で実現され、「普遍の」教会の教えに真の意味で公的・制度的様式を与えた、教導職の行使は、信仰の内容に関するすべての人の平等性を確立しました。公的かつ共通の典礼の場で神秘体の構成員全体が告白する、典礼的信条は、テルトゥリアヌスが重視した(180)、教会の交わりの〈もてなしの絆〉(contesseratio)のための試金石となります。啓示の共通善は、すべての信仰者が真に「自由に用いることのできる」ものです。洗礼を受けた人々が〈信仰において〉(in credendo)不可謬であることに関するカトリック教理が確認するとおりです。「聖なるかたから油を注がれた信者の総体は(一ヨハ2・20、27参照)、信仰において誤ることができない」(181)。司教は、信仰の定義において特別な役割をもちますが、神の民全体との教会的な交わりがなければその役割を果たすことができません(182)。この意味で、新約の法は、旧法の性格を帯びています。ただし、旧法の公的な性格は、通常、十分に評価されていません。法は荘厳に布告されることによって、すべての人によって神法として認識されます。こうして、指導者さえも、まさに〈法の公的性格〉のゆえに、法の遵守を義務づけられます。律法(トーラー)の中でしばしば暴露され、非難される「個人的な特権」は、神の子の平等の尊厳に対する罪として客観的なしかたで容易に認められます(レビ19・5、申10・7、使10・34、ロマ2・11参照)。

3・2 政治権力に対して信仰を守る

119 ニケア公会議は、コンスタンティヌス帝の働きかけによるところが大きいとはいえ、〈教会の自由〉(libertas Ecclesiae)への長い道のりの里程標となりました。〈教会の自由〉は、素朴で政治権力に対して弱い人々の信仰の擁護をあらゆる場所で保証します。同時に、「皇帝教皇主義」と呼ばれることになるものへと向かう、競合する動きが生まれたことも確かです。「皇帝教皇主義」は、キリスト教教会の中で恒久的な誘惑となりました。では、わたしたちは、この公会議のうちに、教会による最も小さい者の良心の自由の保障の始まりを見いだすべきでしょうか。それとも、キリスト教の政治手段化の始まりを見いだすべきでしょうか。今日、コンスタンティヌス帝の政治的関心がしばしば重視されるのは確かです。ニケア公会議は何よりもコンスタンティヌス帝の統治二十周年を祝うことを目的としていたことが強調されます。そして、ある場合には、ニケアで採択された信仰告白が何よりも帝国全体の一致の回復を目的としていたことさえも示唆されます。同じように、異端の概念が宗教国家の抑圧的権力と結びついていたことが批判されます。わたしたちは、本文書の限界の中で、このきわめて複雑な問題を包括的に取り扱うことはできません。しかし、わたしたちは、一致の形態と対象を、すなわち、キリスト信者の信仰の一致と国家の一致を区別することが可能です。実際、一方で、ニケアの三位一体的唯一神論は、その教義的真理において、〈王〉(Basileus)の、自分こそがローマの一致の国家的・宗教的象徴であり、それゆえ、〈厳密な意味での〉(stricto sensu)神的・政治的秩序の土台を据えるのだという主張を、アレイオス主義とともにたたえることを、当然のことながら、認めませんでした(183)。他方で、聖霊に助けられた使徒的教会の教導職の監督がなければ、誰も聞いたことのない啓示に対する異端の抵抗に直面して、受肉し、十字架につけられ、復活したみことばの自己啓示によって伝えられた信仰の神秘は、分裂と不協和音に抵抗できなかったでしょう。

120 すべての人の信仰を守ること、そして、底辺にいる人、その声に耳を傾けてもらえない人の声に耳を傾けることの重要性は、ニケアがアレイオス派の道に従わなかったことに示されます。実際、聖ヒエロニュムスは、アレイオス派のほうが多数であったこと、司教の大部分がアレイオス主義に同調したことを強調しています。歴史的には、ヒエロニュムスが行った解釈をうのみにしないことが必要です。なぜなら、司教やキリスト信者の大多数は、アレイオス主義を直接選択したのではなく、むしろ新約に見いだされない用語にためらいを覚えたからです。とはいえ、政治的権威による力の影響で、公会議は神の民に宿る〈信者の感覚〉(sensus fidelium)(184)を守ることができました。この意味で次のように言うことができます。ニケア信仰告白は、教会の中で人々が耳にした、キリストの喜びの声の忠実な反映です。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」(マタ11・25-26)。

結び
今日、すべての人にわたしたちの救いであるイエスを告げ知らせる

121 ニケア公会議1700周年の記念は、教会にゆだねられた宝を再発見し、そこから水を汲み、喜びのうちに、新たな情熱をもって、「福音宣教の新たな道のり」(185)として、それを分かち合うようにという、教会に対する切迫した招きです。ニケア・コンスタンチノープル信条で告白されているとおり、ニケアで表明された信仰から出発して、わたしたちの救い主であるイエスを告げ知らせることは、何よりもまず、キリストの計り知れなさに驚かされることを意味します。それは、すべての人が驚嘆し、主イエスへの愛の炎を再び燃え立たせ、すべての人がイエスへの愛に燃え上がることができるようになるためです。いかなるものも、また誰も、イエス以上に美しく、いのちを与え、必要ではありません。ドストエフスキーは力強くこう宣言しています。「わたしは自己の内に信仰のシムボル〔信条〕を作りあげたのですが、そこではわたしにとってすべてが明快で、神聖なのです。そのシムボルとはきわめて簡単なもので、こうなのです。つまり、キリスト以上に美しい、深い、共感できる、合理的な、男性的な、完璧なものは何一つ存在しない〔……〕ということを信じるのです」(186)。御父と〈ホモウーシオス〉(同一本質)であるイエスのうちに、神ご自身がわたしたちを救うために来られました。神ご自身が、わたしたちの人間としての召命を完成させるために、ご自身を永遠に人類と結びつけました。御独り子は、聖霊のいのちを与える力によって、わたしたちを御父に愛された子として、ご自身に似た者に造り変えられました。キリストの栄光(doxă)を見た者は、その栄光を歌い、栄唱を、惜しみなく兄弟愛に満ちた告知、すなわちケリュグマへと変えることができます。

122 ニケアで表明された信仰から出発して、わたしたちの救いであるイエスを告げ知らせることが、人類の現実を無視することにはなりません。それは、世界を苦しめ、今日、あらゆる希望を危険にさらすかのように思われる、苦しみと衝撃から目をそらさせもしません。その反対に、それはこれらの困難に立ち向かいます。罪と拒絶の暴力、見捨てられた孤独と死を、徹底的に知った方、ご自身の勝利によってわたしたちを復活の栄光へと導くために、悪の淵からよみがえった方によって勝ち取られた、唯一、可能なあがないを告白することによって。この新たな告知は、決して文化を無視しません。むしろ、その反対に、ここでも希望と愛をもって、文化に耳を傾け、文化によって豊かにされ、また、文化を清めへと招き、高めます。同じような希望を抱くためには、何よりもまず、自分の生活とことばでイエスを告げ知らせる人の、回心が求められます。なぜなら、この希望は、キリストの思いに従って知性が刷新されることを意味するからです。ニケアは、思考の変容の実りです。この思考の変容は、イエス・キリストの出来事によって暗示され、同時に可能になったものです。同様に、福音宣教の新たな歩みは、この出来事によって刷新された人々、常に新たなキリストの栄光に捕らえられた人々によってのみ可能となるのです。

123 ニケアで表明された信仰から出発して、わたしたちの救いであるイエスを告げ知らせることは、わたしたちの兄弟姉妹の中で最も小さい者、最も弱い者にとくに関心を向けることを意味します。御父と〈ホモウーシオス〉(同一本質)の子であり、共通の人間性にあずかるキリストから、人類家族のすべての構成員の兄弟愛に対して投げかけられた光は、最も恵みの希望を必要としている人々を照らします。わたしたちは、根源的で不滅の絆によって、すべての苦しむ人、見捨てられた人と結ばれています。わたしたちは皆、救いがとくにこのような人々に届くことができるために働くよう招かれています。イエスを告げ知らせるとは、人々が信頼しない人々、誰もその人に期待しない人々、世から拒絶されている人々のために、「食べ物を与え」、「飲ませ」、「宿を貸し」、「着せ」、「見舞い」(マタ25・34-40)、信仰と希望と愛のつつましい栄光を輝かせることです。イエスを告げ知らせるとは、はずかしめと苦しみの中でこれらの対神徳を輝かせることです。このことは、わたしたちの救い主キリストからのみ来るものであり、それゆえに、キリストをあかしし、人々がキリストと出会うことを可能にします。しかし、自らを欺いてはなりません。歴史上、十字架につけられたこれらの人々は、可能な最も強い意味で、〈わたしたちの間におられるキリスト〉です。「わたしにしてくれたことなのである」(マタ25・40)。十字架につけられて復活した方は、彼らの苦しみを深く知っておられ、彼らもこの方の苦しみを知っています。だから彼らは、金持ちと健康な人の使徒、教師、福音宣教者なのです。必要なのは、貧しい人々を助けることですが、何よりも、彼らと関係をもち、彼らとともに生きることです。それは、彼らに教えてもらうためです。彼らは、ニケアで告白されたとおり、十字架にまで至る〈ホモウーシオス〉である御子のたまものの計り知れなさを誰よりもよく理解しています。彼らは、死よりも強い希望へと、すなわち、わたしたちをご自身とともに最高の状態に高めるために、わたしたちの中で最も卑しい状態にまで降った神のみことばに従うことへと、わたしたちを導いてくれるのです(187)

124 ニケアで表明された信仰から出発して、わたしたちの救いであるイエスを告げ知らせるとは、教会の中でイエスを告げ知らせることです。それは、キリストに根ざした、誰も聞いたことのない兄弟愛のあかしを通して、イエスを告げ知らせることです。それは、驚くべきことを知らせることです。この驚くべきことによって、「唯一の、聖なる、普遍の、使徒的」教会は、「救いの普遍的秘跡」となり、新しいいのちに近づく道を示します。すなわち、信条が解釈する聖書の宝、祈りと典礼と秘跡の豊かさ――それはニケアで告白された洗礼に由来します――、共通の信仰に奉仕する教導職の光です。しかし、わたしたちはこの宝を「土の器に納めています」(二コリ4・7)。これらすべては正しいことです。なぜなら、告知が実り豊かになるためには、メッセージの形式と内容が、キリストの形式と福音宣教の形式が一致していなければならないからです。現代世界において、わたしたちが観想する栄光は、「柔和で心のへりくだった」(マタ11・29〔聖書協会共同訳〕)キリストの栄光であることをとくに心に留めなければなりません。キリストは、「柔和な人々は、幸いである、その人たちは血を受け継ぐ」(マタ5・5)と宣言されたからです。十字架につけられて復活した方は真の勝利者です。しかし、それは死と罪への勝利であり、敵に対する勝利ではありません。過越の神秘においては、終わりの時に打ち負かされる、分裂者であるサタン以外には、〈敗者〉はいません(188)。わたしたちの救いであるイエスを告げ知らせるとは、戦いではなく、むしろ、キリストと一致することです。キリストは、出会った人に愛と憐れみのまなざしを注ぎ(マコ10・21、マタ9・36参照)、御父の霊という、他の方によって導かれました(189)。イエスの告知は、わたしたちの中でキリストが働くときに実り豊かなものとなります。

実際、弟子たちを宣教に遣わす際に、「主は彼らと共に働」(マコ16・20)いたことを思い起こすのは、すばらしいことです。主はそこで、わたしたちともに働き、努力し、善を行います。神秘的なしかたで、主の愛がわたしたちの奉仕を通して示され、主ご自身が、時としてことばで言い表せない言語で世に語りかけるのです(190)