教皇フランシスコ、2024年12月18日、一般謁見演説 わたしたちの希望であるイエス・キリストについての連続講話 Ⅰ イエスの幼年時代 1.イエスの系図(マタ1・1-17)、イエスの歴史における生涯の開始(マタ1・1-3、15-16)

 

教皇フランシスコ、2024年12月18日、一般謁見演説
わたしたちの希望であるイエス・キリストについての連続講話

Ⅰ イエスの幼年時代
1.イエスの系図(マタ1・1-17)、イエスの歴史における生涯の開始(マタ1・1-3、15-16)

2024年12月18日(水)午前9時(日本時間同日午後4時)からパウロ六世ホールで行った一般謁見(原文イタリア語)。「わたしたちの希望であるイエス・キリスト」をテーマとした聖年の連続講話を開始した。


 親愛なる兄弟姉妹の皆さん。おはようございます。

 今日から聖年を通して行われる連続講話を始めます。テーマは「わたしたちの希望であるイエス・キリスト」です。実際、イエス・キリストこそがわたしたちの巡礼の目的地です。イエス・キリストこそが道、すなわち、わたしたちが歩むべき道です。

 第一部は、福音書記者マタイとルカによって語られる(マタ1-2章、ルカ1-2章参照)、〈イエスの幼年時代〉を扱います。〈イエスの幼年時代に関する福音書〉は、イエスが処女の中に懐胎し、マリアの胎から生まれることを語ります。それはイエスによって実現したメシアに関する預言を思い起こし、ヨセフが法的な父であることを語ります。ヨセフは神の子をダビデ王朝の「幹」に接ぎ木します。イエスは乳飲み子、子ども、青年として、両親に従うと同時に、ご自分が御父とそのみ国に完全にささげられた者であると自覚しておられたことがわたしたちに示されます。二つの福音書記者の違いは、ルカがマリアの目を通して出来事を語るのに対して、マタイはそれをヨセフの目を通して語り、ヨセフの前例のない父性を強調する点です。

 マタイはその福音書と新約正典全体を「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタ1・1)をもって始めます。この系図は、歴史と人生の真理を示すための、すでにヘブライ語聖書の中にある名前の一覧です。実際、「主の系図は真の歴史から構成されます。そこにはいくつかの多少問題のある名前が見られ、ダビデ王の罪が強調されます(マタ1・6参照)。しかし、すべてはマリアとキリストにおいて終わり、頂点に達します(マタ1・16参照)」(教皇フランシスコ書簡『教会史研究の刷新について(2024年11月21日)』[Lettera sul rinnovamento dello studio della storia della Chiesa])。その後、人間の人生の真理が現れます。それは次の三つのことを伝えながら、世代から世代へと受け継がれます。すなわち、独自のアイデンティティと使命を含む名前、家族と民への帰属、最後に、イエスラエルの神への忠実な信仰です。

 系図は、きわめて重要なメッセージを伝えるのに適した文学ジャンルです。すなわち、だれも自分でいのちを与えるのではなく、他者からいのちを受け取るということです。この場合、それは選ばれた民、すなわち、子らにいのちを伝えながら、彼らに神への信仰をも伝える、父祖の信仰の遺産を受け継ぐ人々です。

 しかし、イスラエルにおいては子に名を与えるのが父であったために、男性の名のみ示される旧約の系図と異なり、マタイのリストの中にはイエスの先祖の中に女性も含まれます。わたしたちはそこに5人の女性を見いだします。やもめとなり、夫の子孫を残すために遊女に身なりを変えた、ユダの嫁であるタマル(創38参照)。ヘブライ人の斥候が約束の地に入り、それを征服することを可能にした、エリコの遊女ラハブ(ヨシュ2章参照)。ルツ記の中で、しゅうとめに忠実に尽くし、その面倒を見、ダビデ王の曾祖母となった、モアブ人ルツ。ダビデと不倫し、夫を殺された後、ソロモンを産んだバト・シェバ(サム下11章参照)。そして最後に、ダビデの家から出たヨセフの妻であるナザレのマリアです。このマリアからメシアであるイエスが生まれます。

 最初の4人の女たちに共通するのは、時としていわれるように罪人であることではなく、イスラエルの民に対して〈異邦人〉であることです。マタイが示したのは、教皇ベネディクト十六世が述べているとおり、次のことです。「彼女たちによって、イエスの系図の中に世界の諸民族の血が入ってきているのです。イエスの派遣が、『ユダヤ人と異教徒』に向けられていることがここに明らかに示されます」(ヨゼフ・ラッツィンガー/教皇ベネディクト十六世『ナザレのイエス プロローグ:降誕』[L’infanzia di Gesù, Milano-Città del Vaticano 2012, 15〔里野泰昭訳、春秋社、2013年、12頁〕])。

 最初の4人の女たちは、彼女たちから生まれた男性、ないし、彼女たちが産んだ男性と並んで言及されるのに対して、マリアは特別に高い位置を占めています。マリアは〈新しい始まり〉を告げる者であり、彼女自身が新しい始まりです。なぜなら、マリアの人生において世代の主人公となるのは被造物である人間ではなく、神ご自身だからです。このことは「生まれた」という動詞から明らかにされます。「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(マタ1・16)。イエスはダビデの子であり、ヨセフによってダビデ王朝に接ぎ木され、〈イスラエルの王〉となるよう定められています。しかし、イエスはアブラハムと異邦人の女との子でもあり、それゆえ、「異邦人を照らす〔……〕光」(ルカ2・32参照)、「世の救い主」(ヨハ4・42)となるように定められたかたなのです。

 御父のみ顔を示す使命によって(ヨハ1・18、ヨハ14・9参照)御父から聖別された神の子は、すべての人間の子と同じように世に入って来られます。だから彼はナザレで「ヨセフの息子」(ヨハ6・42)また「大工の子」(マタ13・55)と呼ばれることになります。このかたはまことの神であり、まことの人なのです。

 兄弟姉妹の皆さん。心の中で先祖の人々に対する感謝の思いを呼び覚まそうではありませんか。そして、とくに、母なる教会を通して、わたしたちを永遠のいのちへと、すなわち、わたしたちの希望であるイエスのいのちへと生まれさせてくださった神に感謝しようではありませんか。

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