教皇レオ十四世、2026年2月18日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 『教会憲章』(Lumen gentium) 1.教会の神秘――神との交わりと全人類一致の秘跡(聖書朗読箇所:コロ1・15、18、19-20)

 

教皇レオ十四世、2026年2月18日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」

『教会憲章』(Lumen gentium
1.教会の神秘――神との交わりと全人類一致の秘跡(聖書朗読箇所:コロ1・15、18、19-20)

2026年2月18日(水)午前10時(日本時間同日午後6時)からサンピエトロ広場で行った一般謁見演説(原文イタリア語)。


 
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 わたしたちは第二バチカン公会議の諸文書をテーマとしたカテケージスを行っています。第二バチカン公会議は教会について述べる際に、何よりもまずその起源がどこにあるかを説明することに関心を向けました。そのため公会議は、1964年11月21日に認可された『教会に関する教義憲章』(Lumen gentiumにおいて聖パウロの手紙から「神秘」という用語を引用しました。公会議はこのことばを選ぶことによって、「神秘」ということばを聞いたときに普通考えられるように、教会が何かあいまいで理解しがたいものであるといおうとしたのではありません。まさにその反対です。実際、聖パウロがこのことばをとくにエフェソの信徒への手紙の中で用いたときに示そうとしたのは、かつて隠されていたが今や明らかにされた、ある現実なのです。

 すなわちそれは神の計画です。その目的は、イエス・キリストの和解のわざ、すなわち十字架上の死によって実現されたわざによって、すべての被造物を一致させることです。この一致は何よりもまず典礼を祝うために会衆が集まるときに体験されます。典礼において多様性は相対的なものとなります。すなわち、重要なのはともにいることです。なぜなら、わたしたちは個人と社会集団の間の隔ての壁を打ち砕いた(エフェ2・14参照)キリストの愛に引き寄せられるからです。聖パウロにとって神秘は、神が人類全体のために実現しようと望まれることの現れです。そしてそれは限られた経験の中で知らされますが、この限られた経験は、全人類、さらに全宇宙を含むまでに次第に広がります。

 人類の状態は分裂です。たとえ一致への願いが心の中に宿っているとしても、人間はこの分裂を修復することができません。イエス・キリストのわざはこの状態の中で行われます。イエス・キリストは聖霊により、分裂の力と、分裂を引き起こす者そのものに打ち勝ちます。福音の告知を信じてともに集って祝うことは、神の愛の最高の現れであるキリストの十字架が与える魅力として体験されます。それはともに神に呼び集められたことを感じることです。だから〈エクレーシア(教会)〉、すなわち、自分たちが呼び集められたことを認める人々の集いということばが用いられるのです。したがって、この神秘と教会の間にはある種の一致が存在します。教会は、人が知覚できるようになった神秘なのです。

 しかし、このように呼び集められることは、まさに神から呼び集められるがゆえに、特定の人々の集団に限定されることがありえません。むしろそれは全人類の体験となるように定められています。それゆえ第二バチカン公会議は『教会憲章』の冒頭で次のように述べるのです。「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具である」(同1)。公会議は「秘跡」という用語の使用と、それに続く説明によって、教会は人類の歴史において神が実現しようと望まれることの表現であることを示そうしています。そのため、わたしたちは教会を見つめることによって、神の計画、すなわち神秘を、ある程度理解します。この意味で教会はしるしです。さらに、「秘跡」という用語に「道具」という用語も付け加えられるのは、教会が活動的なしるしであることを示すためです。実際、神は歴史の中で働く際に、ご自身のわざの対象である人々をご自身の活動にかかわらせます。神は教会を通して、人々をご自分と一致させ、また互いに一致させるという目的を果たすのです。

 神との一致は人間の人格の一致のうちに反映されます。これが救いの体験です。『教会憲章』が旅する教会の終末論的性格をテーマとした第七章の48で、「救いの」と特定しながら、あらためて秘跡として教会について述べているのは偶然ではありません。公会議はこう述べます。「地上から上げられたキリストは、すべての人を自分のもとに引き寄せた(ヨハ12・32ギリシア語本文参照)。すなわち、死者の中から復活して(ロマ6・9参照)、いのちを与える自分の霊を弟子たちに注ぎ、その霊によって自分のからだ、すなわち教会を救いの普遍的秘跡として定めた。そして、父の右に座していながら、人々を教会へ導き、その教会を通して人々をより固く自分に結びつけ、自分のからだと血をもって人々を養うことによって、自分の栄光のいのちにあずからせようとして、たえず世において働き続けている」。

 この箇所は、受難、死、復活の神秘であるイエスの過越の一致をもたらすわざと、教会の本性との関係を理解することを可能にします。同時にそれは教会に属することを感謝させてくれます。教会は復活したキリストのからだであり、歴史の中で旅する神の唯一の民です。この民は、諸民族の一致と和解の力強いしるしとして、今なお分裂した人類のただ中で聖化をもたらす存在として生きるのです。

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