教皇レオ十四世、2026年4月27日、サラ・ムラリー・カンタベリー大主教との会見でのあいさつ

2026年4月27日(月)午前、サラ・ムラリー(Sarah Mullally)カンタベリー大主教を迎えた席でのあいさつ(原文英語)。レオ十四世は、初の女性のカンタベリー大主教となったサラ・ムラリー氏が3月25日にカンタベ […]

2026年4月27日(月)午前、サラ・ムラリー(Sarah Mullally)カンタベリー大主教を迎えた席でのあいさつ(原文英語)。レオ十四世は、初の女性のカンタベリー大主教となったサラ・ムラリー氏が3月25日にカンタベリー大聖堂で着座した際、3月26日にメッセージを発表している。


 
 サラ・ムラリー・カンタベリー大主教様。
 
 あなたがたに平和があるように。

 復活節の喜びのうちに主イエスの死者の中からの復活を祝い続ける中で、大主教様と代表団をバチカンにお迎えすることができ、うれしく思います。

 皆様の訪問は、60年前の教皇聖パウロ六世とマイケル・ラムゼイ大主教の記念すべき会見を思い起こさせます。この会見を、大主教様は着座の翌朝、カンタベリー大聖堂で(教皇庁キリスト教一致推進省長官クルト・)コッホ枢機卿とともに記念されました。それ以来、カンタベリー大主教とローマ司教はともに祈るために会合をもち続けています。今日この伝統を継続できることを喜ばしく思います。わたしはまた、やはり60年前に設立されたローマにおけるアングリカン・センターの奉仕に対しても感謝申し上げます。今晩、大主教様が聖座への代表として任命する予定である、センター長のアンソニー・ホール主教にも特別にごあいさつ申し上げます。

 復活節の期間中、復活したキリストが語られた最初のことばが教会の中で響き渡ります。「あなたがたに平和があるように」(ヨハ20・19)。このあいさつは、わたしたちが、主の平和のたまものを受け入れるだけでなく、主の平和の使者ともなるようにと招きます。わたしは、復活した主の平和が「武器のない」平和だとしばしば述べてきました。なぜなら、主はつねに暴力と攻撃に武器のないしかたで応答されたからです。さらにわたしは、キリスト者はこの深い真理をともに預言的に、かつ謙遜にあかししなければならないと信じます(教皇レオ十四世「第59回「世界平和の日」メッセージ(2026年1月1日)」参照)。

 わたしたちの苦しむ世界はキリストの平和を切実に必要としています。しかし、キリスト者の間の分裂は、わたしたちがこの平和の効果的な担い手となる力を弱めています。それゆえ、世界がわたしたちの宣教を心に留めることができるために、わたしたちは、福音の告知の妨げとなるあらゆるつまずきの石を取り除くためにたえず祈り、努力しなければなりません。福音宣教をより実り豊かなものとするための一致の必要性への関心は、わたしの奉仕職を通じての一貫したテーマとなっています。実際、このテーマは、司教となった際に選んだモットーに反映されています。「かの一なる方――すなわちキリスト――において一なのである」(In Illo uno unum)(聖アウグスティヌス『詩編講解』[Enarrationes in Psalmos 127, 3〔河野一典・松崎一平訳、『アウグスティヌス著作集20/Ⅱ 詩編注解(6)』教文館、2023年、88頁〕])。

 このことに関連して、マイケル・ラムゼイ大主教と教皇聖パウロ六世が聖公会とカトリック教会の人々の最初の神学対話の開始を発表した際、彼らは「信仰とサクラメントへの参加の点での完全な交わりを回復すること」(「共同声明(1966年3月24日)」[聖公会-ローマ・カトリック教会国際委員会『最終報告』聖公会―ローマ・カトリック教会日本委員会翻訳・編集、オリエンス宗教研究所、1984年、145頁])を目指すことについて語りました。いうまでもなく、このエキュメニカルな歩みは複雑なものでした。いくつかの歴史的に決定的に重要な問題について多くの進展がなされた一方で、最近の数十年間に新たな諸問題が生じ、完全な一致への道を見いだすことをいっそう困難なものとしました。アングリカン・コミュニオンも現在、同じ多くの問題に直面していると承知しています。にもかかわらず、これらの継続的課題によって、わたしたちが、ともに世にキリストをのべ伝えるあらゆる可能な機会を用いることを妨げられてはなりません。わたしの敬愛する前任者である教皇フランシスコが2024年にアングリカン・コミュニオンの首座主教の皆様に述べたとおり、「わたしたちの分裂によって、人々にキリストを知らせるというわたしたちの共通の召命を実現しないなら、それはつまずきとなります」(「アングリカン・コミュニオン首座主教会議へのあいさつ(2024年5月2日)」)。わたしも付け加えていいたいと思います。どれほどそれが困難に見えるとしても、わたしたちが違いの克服を目指して努力し続けないとすれば、それもつまずきとなります。

 友愛と対話のうちにともに歩み続けながら、主が弟子たちに望まれた一致をわたしたちが祈りのうちに謙遜に目指す歩みを導いてくださるように、主が復活の晩に弟子たちに吹きかけた聖霊に祈りたいと思います。

 大主教様に今日のご訪問を感謝しながら、同じ聖霊がつねに大主教様とともにとどまり、大主教様が招かれた奉仕を実り豊かに果たすことができることを祈ります。

 神が大主教様とご家族を祝福してくださいますように。

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