教皇レオ十四世、2026年5月20日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 Ⅲ.『典礼憲章』(Sacrosanctum Concilium) 1.教会の神秘における典礼(聖書朗読箇所:エフェ1・9-10)

 

教皇レオ十四世、2026年5月20日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」

Ⅲ.『典礼憲章』(Sacrosanctum Concilium
1.教会の神秘における典礼(聖書朗読箇所:エフェ1・9-10)

2026年5月20日(水)午前10時(日本時間同日午後5時)からサンピエトロ広場で行った一般謁見演説(原文イタリア語)。
講話の前に、教皇は、バチカンを公式訪問しているアルメニア使徒教会のキリキアのカトリコスのアラム一世にあいさつした(原文イタリア語と英語)。

 アルメニア使徒教会のキリキアのカトリコスのアラム一世と同行された代表団の皆様に歓迎のごあいさつができることをたいへんうれしく思います。この友好的な訪問は、わたしたちの教会が完全な交わりに近づく中で、すでにわたしたちの間に存在する一致のきずなを強めるための重要な機会となるものです。(以上イタリア語。以下英語)

 アラム一世様。聖霊降臨を準備するこの期間に、使徒ペトロとパウロの墓前への皆様の訪問の上に聖霊の恵みを祈り求めます。また、ここにいるすべての皆様にお願いします。この訪問と会見が完全な一致に向けた歩みをさらに進めるものとなるように熱心に祈ってください。再び暴力と戦争によって引き裂かれたレバノンと中東における平和のためにも祈りたいと思います。

 アラム一世様。エキュメニズム、とくにカトリック教会と東方正教会の間の国際神学対話に対するあなたのたえざる個人的な取り組みに特別に感謝申し上げます。

 アラム一世様、親愛なる司教と友人の皆様。ようこそおいでくださいました。照明者聖グレゴリオ、ナレクの聖グレゴリオ、恩恵者聖ネルセス、とくに神の母聖マリアの執り成しをともに祈り求めたいと思います。この聖人たちが、わたしたち皆が望む完全な一致への歩みを照らしてくださいますように。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 今日から、第二バチカン公会議が公布した最初の文書である『典礼憲章』Sacrosanctum Concilium)に関する連続講話を開始します。

 『典礼憲章』を作成することによって、公会議教父たちは、儀式の改革に着手するだけでなく、教会を成り立たせ、一致させる生きたきずなを観想し、深めるように教会を導くことを望みました。実際、典礼はこの神秘のまさに中心に触れます。典礼は、教会がキリストから自らのいのちそのものを受け取るための場所であり、時間であり、コンテキストです。実に典礼において「われわれのあがないのわざが行われる」(『典礼憲章』2)のです。このわざはわたしたちを、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民にします(一ペト2・9参照)。

 20世紀を通じて教会が経験した三つの刷新――すなわち、聖書的、教父的、典礼的刷新――が示したとおり、ここで問われている神秘はあいまいな現実ではなく、神の救いの計画です。この救いの計画は、聖パウロのことばによれば(エフェ3・3-6参照)、永遠に秘められていましたが、キリストによって啓示されました。それゆえ、キリストの受難と死と復活と栄光という過越の出来事――これこそがキリスト教の神秘です。この出来事はまさに典礼の中で秘跡的にわたしたちに現存します。そしてわたしたちは、「キリストの名によって」(マタ18・20)集められた集会に参加するたびごとにこの神秘に浸されます。

 キリストご自身が教会の神秘の内的な原理です。教会は、十字架上で刺し貫かれたキリストの脇腹から生まれた、神の聖なる民だからです。キリストは聖なる典礼の中で、ご自身の霊の力によって働き続けます。キリストはご自分の花嫁である教会を聖化し、御父へのささげものとして一致させます。キリストは、絶対的な意味で唯一のご自身の祭司職を行使します。告げ知らされたみことば、諸秘跡、祭儀を行う役務者、集められた共同体、そして何よりも聖体のうちに現存しておられます(『典礼憲章』7参照)。こうして、聖アウグスティヌスによるなら(『説教』[Sermones 277]参照)、教会は感謝の典礼を祝うことによって、「主のからだを受け、自らが受けたものとなる」。教会は「霊における神の住まい」(エフェ2・22[聖書協会共同訳])である、キリストのからだとなるのです。これが、わたしたちをキリストに似た者に造り変え、交わりにおいてわたしたちを築く、「われわれのあがないのわざ」です。

 聖なる典礼において、この交わりは「儀式と祈りを通して」(『典礼憲章』48)実現されます。教会の儀式は、教会の信仰を表すと同時に――「祈りの法は信仰の法」(lex orandi, lex credendi)という有名な格言が述べるとおり――、教会のアイデンティティを形づくります。告げ知らされたみことば、秘跡の執行、動作と沈黙と空間――これらすべてのものが、御父に呼び集められた民、キリストのからだ、聖霊の神殿に形を与えます。教皇聖ヨハネ・パウロ二世が思い起こしたとおり(使徒的書簡『ヴィチェシムス・クィントゥス・アンヌス(1988年12月4日)』9[Vicesimus quintus annus])、こうしてすべての祭儀は、祈りにおける教会の顕現(エピファニア)となります。

 典礼がキリストの神秘に奉仕するものであるなら、なぜ典礼が「教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉」(『典礼憲章』10)と定義されるかが理解できます。たしかに、教会活動は典礼だけに限定されるものではありません。とはいえ、教会の活動のすべて(説教、貧しい人々への奉仕、人間の現実に寄り添うこと)は、この「頂点」に向けて収斂します。また逆に、典礼は主の過越につねに新たに浸すことによって信者を支えます。それゆえ信者は、みことばの告知、さまざまな秘跡の執行、共同の祈りを通して、新たな力を与えられ、力づけられ、新たにされて、信仰と宣教に取り組みます。いいかえれば、信者の典礼行為への参加は、「内的」であると同時に「外的」です。

 これは次のことも意味します。典礼は日常生活全体の中で、倫理的・霊的なダイナミズムのうちに、具体的に展開されるように招かれています。すなわち、祝われた典礼は生活に反映されます。そして、祭儀の中で経験したことを具体化することのできる忠実な生き方を要求します。こうしてわたしたちの生活は、わたしたちの「霊的な礼拝」(ロマ12・1[聖書協会共同訳、注の別訳])を実現することにより、「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえ」となるのです。

 こうして「典礼は教会のうちにある人々を日々、主における聖なる神殿、聖霊における神の住まいに築き上げ」(『典礼憲章』2)、すべての人を受け入れる開かれた共同体を形成します。実際、聖霊が宿る典礼は、わたしたちをキリストのいのちへと導き、わたしたちをキリストのからだとします。それゆえ典礼は、そのすべての次元において、キリストにおける全人類の一致のしるしとなります。教皇フランシスコが述べたとおり、「この世界はまだそのことを知りません。しかし、だれもが「小羊の婚宴に招かれている」(黙19・9)のです」(使徒的書簡『わたしはせつに願っていた(2022年6月29日)』5[Desiderio desideravi])。

 親愛なる友人の皆様。これからの講話でわたしたちがさらに深く考察していく、典礼における儀式、象徴、動作、何よりもキリストの生きた現存によって内的に形づくっていただこうではありませんか。

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