
2025年7月29日(火)午前にサンピエトロ大聖堂で行った、青年の祝祭におけるインフルエンサーとデジタル宣教者への挨拶(原文イタリア語、英語、スペイン語)。 教皇の挨拶は、教皇庁福音宣教省初期宣教部門副長官のルイス・アン […]
教皇の挨拶は、教皇庁福音宣教省初期宣教部門副長官のルイス・アントニオ・タグレ枢機卿司式によるミサの終わりにサプライズで行われた。
父と子と聖霊のみ名によって。平和があなたがたとともにあるように。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。この挨拶をもって始めたいと思います。平和があなたがたとともにあるように。
敵意と戦争によって引き裂かれた現代において、わたしたちはどれほど平和を必要としていることでしょうか。そして今日、復活したかたの挨拶は、どれほどわたしたちをあかしへと招いていることでしょうか。「あなたがたに平和があるように」(ヨハ20・19)。平和がわたしたち皆とともにありますように。わたしたちの心の中に。わたしたちの行動のうちに。
世界に平和を宣べ伝えること、これが教会の使命です。それは、主から来る平和、死に打ち勝つ平和、神のゆるしをもたらす平和、わたしたちに御父のいのちを与える平和、わたしたちに愛であるかたの道を示す平和です。
1.これは、今日、教会が皆様にゆだねる使命でもあります。皆様は青年の祝祭のためにローマに来られました。皆様は、ソーシャルネットワークとデジタル世界をキリスト教的希望で満たす取り組みを新たにするために来られました。平和はあらゆるところで探し求め、宣べ伝え、分かち合われなければなりません。悲惨な戦争が行われるところでも、また、人生の意味と内面的な喜び、霊的生活の喜びを失った、空虚な心においても。今日、おそらくこれまでにまして、わたしたちは復活したかたのたまものを世界にもたらす、宣教する弟子を必要としています。地の果てに至るまで(使1・3-8参照)、生けるキリストがわたしたちに与えてくださる希望を告げる、宣教する弟子を必要としています。待ち望む心、探し求める心、困窮する心がある、いかなる場所にも赴く、宣教する弟子を必要としています。まことに、地の果てに至るまで。希望が存在しない、実存の果てにまで。(以上イタリア語。以下英語。)
2.この使命には第二の挑戦があります。皆様がオンラインで出会うすべての兄弟姉妹のうちに、つねに「キリストの苦しむからだ」を探してください。今日、わたしたちは、テクノロジーによって深く特徴づけられ、形成された、新たな文化の中に置かれています。この文化が人間的なものであり続けるようにすることは、わたしたちに――皆様の一人一人に――かかっています。
科学技術は、わたしたちの世における生き方に影響を与えます。わたしたちがいかに自らを理解し、いかに神とかかわり、いかに互いにかかわり合うかにまで影響を及ぼします。しかし、人間とその創造性に由来するいかなるものも、他者の尊厳を傷つけるために用いられてはなりません。わたしたちの――皆様の――使命は、キリスト教的ヒューマニズムに基づく文化をはぐくむこと、しかもそれを共同で行うことです。これこそがわたしたち皆にとってのすばらしい「ネットワーク」です。
教会は、歴史を通じて文化的な挑戦を受けても、決して受け身な姿勢にとどまることはありませんでした。教会は、善と悪を識別することによって、すなわち、変化し、変容し、清めることを必要とするものから善を識別することによって、すべての時代をキリストの光と希望によって照らそうとつねに努めてきました。
今日、わたしたちは、ほとんどすべてのものに技術的な側面が存在する文化の中に置かれています。とくに人工知能の広範な採用が、個人と社会全体の生活において新たな時代を画しています。これはわたしたちが直面しなければならない挑戦です。わたしたちは、自らのあかしの真正さ、耳を傾け、語る力、理解し、また理解される能力について考察しなければなりません。わたしたちは、思考方法を発展させるために、すなわち、現代において愛に声を与える言語を発展させるために、ともに努力する務めをもっています。
それは単にコンテンツを生成することではなく、心の出会いを生み出すことです。そのために、苦しむ人、主を知ることを必要とする人を探し求めなければなりません。彼らが傷をいやし、自分の足で立ち上がり、人生に意味を見いだせるようになるためです。何よりもまず、このプロセスは、自分の貧しさを受け入れ、あらゆる偽りを捨て、自分自身が福音を本質的に必要としていることを認識することから始めなければなりません。(以下スペイン語。)
3.このことが、わたしが皆様に呼びかける第三の招きへとわたしたちを導きます。「行って、網(ネット)を繕ってください」。イエスは、最初の使徒たちが漁をするための網を繕っていたときにこう呼びかけました(マタ4・21―22参照)。イエスはわたしたちにも同じことを呼びかけます。否、むしろ、別な網を繕うように呼びかけます。すなわち、人間関係のネットワーク、愛のネットワーク、友情が真実なものとなり深められる、無償の交流のネットワークです。それは、壊れたものを修復し、孤独をいやすことのできるネットワークです。フォロワーの数を気に留めず、あらゆる出会いの中で愛であるかたの限りない偉大さを体験できるネットワークです。自分ではなく他者に場を与え、いかなる「フィルターバブル」も、もっとも弱い人の声をかき消すことのないネットワークです。人を自由にし、救うネットワークです。互いに見つめ合うことのすばらしさをわたしたちに再発見させてくれるネットワークです。真理のネットワークです。こうして、共有されたいつくしみの物語が、一つの大きなネットワークの結び目となります。すなわち、ネットワークの中のネットワーク、神のネットワークです。
分裂と分極化、個人主義と利己主義の論理を打ち壊すことのできる、交わりのエージェントとなってください。キリストを中心としてください。それは、真理の美しさと光によって(ヨハ8・31-32参照)、世の論理、すなわち、フェイクニュースとくだらないものの論理に打ち勝つためです。(以下イタリア語。)
今、祝福を与え、皆様のあかしを主にゆだねる前に、わたしは、皆様がこれまでの人生でしてこられ、また、今しておられる多くの善いこと、皆様が追求しておられる夢、皆様の主イエスへの愛、教会への愛、苦しむ人に与えておられる助け、皆様のデジタルな道の歩みに、感謝申し上げたいと思います。
