
2025年9月6日(土)午前10時(日本時間同日午後5時)からサンピエトロ広場で行われた聖年の謁見での講話(原文イタリア語)。聖年の講話は、2025年1月11日(土)に教皇フランシスコによって開始され、2月1日(土)の2 […]
講話4.希望するとは、土を掘ることである――皇后ヘレナ
親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。
多くのさまざまな場所からローマに来られたすべての巡礼者の皆様にご挨拶申し上げます。歴史豊かなこの都市で、わたしたちは信仰と愛と希望において強められることができます。今日わたしたちは希望の特別な側面について考えてみたいと思います。
思い出から始めたいと思います。子どものとき、土に手を入れるのは特別に魅力的なことでした。わたしたちはそのことを覚えていますし、また、もしかしたら今でもそれを目にしているかもしれません。子どもたちが遊ぶのを目にするのは楽しいことです。土を掘り、世界の堅い地層を砕き、その下にあるものを見ることです……。
イエスが畑の宝のたとえ話の中で語るのは(マタ13・44参照)、子どもの遊びではありませんが、その驚きに満ちた喜びは同じです。主はわたしたちにいいます。これが神の国です。そればかりか、神の国はこのようにして見いだされます。わたしたちが土を堀り、現実の殻を砕き、表面にあるものの下に入るとき、希望は再び燃え上がるのです。
今日、皆様ととともに思い起こしたいのは、キリスト教徒として公に生きる自由が与えられた後、間もなく、イエスの弟子たちが、とくにイエスの受難と死と復活の地を掘り始めたということです。東方と西方の伝統は、コンスタンティヌスの母であるフラウィア・ユリア・ヘレナをこの探究の中心人物として記念します。彼女は、求める女性、土を掘る女性です。実際、希望の火をともす宝は、イエスの生涯です。わたしたちはイエスの足跡をたどる必要があります。
皇后ヘレナはほかにもどれほど多くのことをすることができたことでしょうか。エルサレムの辺境よりも、どれほど高貴な場所を好むことができたことでしょうか。宮廷でどれほどの喜びと栄誉を享受できたことでしょうか。兄弟姉妹の皆様。わたしたちも、多かれ少なかれ、到達した地位や富のうちに安住する可能性があります。それらが安定を与えてくれるからです。こうしてわたしたちが子どものときにもっていた喜びは失われます。毎日を新しくする、土を掘り、発見したいという望みが失われます。ご存じのとおり、ラテン語でinventare(発見する)は「見いだす」という意味です。ヘレナの偉大な「発見」は、聖なる十字架の再発見でした。そのためにすべてを売り払う宝は、ここに隠れています。イエスの十字架は、人生最大の発見であり、すべての価値を変える価値なのです。
ヘレナは、おそらく長年、自分の十字架を担ってきたがゆえに、このことを理解できました。彼女は宮廷に生まれたのではありません。彼女は貧しい生まれの宿屋の女主人だったといわれています。将来の皇帝コンスタンティヌスはこの女主人と恋に落ちました。しかし、コンスタンティヌスは、後に、権力のためにためらうことなく彼女を離縁し、何年も息子コンスタンティヌスから彼女を遠ざけました。コンスタンティヌス自身も、皇帝になると、少なからぬ苦しみと失望を彼女にもたらしますが、ヘレナはつねに探求する女性としての自分を保ちました。彼女はキリスト教徒となると決め、つねに慈善活動を行い、自分と出自を同じくする、貧しい人々を忘れませんでした。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。こうした尊厳と良心への忠実さは、現代にあっても世界を変えます。こうした態度は、農夫の働きと同じように、宝に近づきます。自分の心を耕すには、努力が必要です。そして、それはもっとも偉大な作業です。しかし、土を掘ることによって、それは見つかります。わたしたちは、自分を低くすることによってますます主に近づきます。主はわたしたちと同じようになるためにご自分を捨てるからです。主の十字架は、わたしたちの大地の地殻の下にあります。
わたしたちは傲慢に歩むことによって、足元にある宝を不注意にも踏んでしまう可能性があります。しかし、もしわたしたちが子どものようになるなら、別のみ国、別の力を知るようになります。神は、わたしたちを高めるために、つねにわたしたちの下におられるのです。
