
『信仰の一致のうちに――ニケア公会議1700周年にあたって』
LEONE XIV
LETTERA APOSTOLICA
IN UNITATE FIDEI
NEL 1700° ANNIVERSARIO DEL CONCILIO DI NICEA
1 教会によって初めから宣言された信仰の一致のうちに、キリスト者は、調和のうちに歩み、愛と喜びをもって与えられたたまものを守り、伝えるように招かれます。このことは、1700年前にキリスト教史上最初の普遍的な出来事であるニケア公会議によって定式化された、「わたしは信じます。〔……〕イエス・キリストを。主は神のひとり子。〔……〕わたしたちの救いのために天からくだり」という信条のことばで表されています。
トルコへの使徒的訪問が近づくにあたり、わたしはこの書簡で、教会全体に信仰告白の熱意を新たにするよう励ましたいと望みます。何世紀にわたりキリスト者の共通の遺産となっている信仰の真理は、つねに新しく現代的なしかたで告白され、深められるにふさわしいものです。この点に関して、国際神学委員会による豊かな文書『イエス・キリスト、神の子、救い主――ニケア公会議1700周年(325-2025年)(2025年4月3日)』が認可されました。わたしがこの文書に言及するのは、それが、ニケア公会議の神学的・教会的のみならず、文化的・社会的な重要性と現代的な意味を深く考察するための有益な展望を示しているからです。
2 「神の子イエス・キリストの福音の初め」。聖マルコは自らの福音書にこのような標題をつけ、自らの福音書のメッセージ全体をイエス・キリストの神的な子性のしるしによって要約します。同じように、使徒パウロは、わたしたちのために死んで復活した御子についての神の福音を告げ知らせるように自分が召されたことを知っています(ロマ1・9参照)。御子は、預言者たちの約束に対する神の決定的な「然り」です(二コリ1・19-20参照)。時の始まる前から神であり、そのかたによって万物が造られた――聖ヨハネによる福音書の序言が述べるとおり――、みことばであるイエス・キリストにおいて、「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ1・14)のです。イエス・キリストにおいて、神はわたしたちの隣人となりました。だから、わたしたちの兄弟の一人ひとりにすることはすべて、イエス・キリストにすることなのです(マタ25・40参照)。
それゆえ、わたしたちの希望であるキリストにささげられた今年の聖年に、325年に神の子イエス・キリストへの信仰告白を宣言したニケアにおける最初の公会議の1700周年も祝われることは、摂理的な偶然の一致です。神の子イエス・キリストへの信仰告白こそがキリスト教信仰の中心です。今日においても、わたしたちは、主日に感謝の祭儀を行う際に、すべてのキリスト者を一致させる信仰宣言である、ニケア・コンスタンチノープル信条を唱えます。この信条は、多くの懸念や恐怖、戦争と暴力の脅威、自然災害、深刻な不正と不平等、わたしたちの何百万人もの兄弟姉妹が苦しむ飢餓と悲惨のただ中でわたしたちが生きる困難な時代に、わたしたちに希望を与えます。
3 ニケア公会議の時代も同じように動乱の時代でした。325年に公会議が開始したとき、キリスト者に対する迫害の傷はまだいえていませんでした。コンスタンティヌス(位306-37年)とリキニウス(位308-24年)という2人の皇帝によって発布されたミラノ寛容勅令(313年)は、新たな平和な時代の幕開けを告げるかのように思われました。しかし、外的な脅威に襲われると、教会の中にはすぐに論争と紛争が起こりました。
エジプトのアレクサンドリアの司祭アレイオス(250頃-336年)は、イエスが真の意味で神の子ではないと教えました。イエスは、単なる被造物ではないにしても、近づきがたく遠いところにおられる神とわたしたちとの間の中間的な存在とされます。さらに、御子が「存在しなかった」時もあったとされます。これは当時流布していた考え方に即しており、それゆえもっともらしいものに思われました。
しかし、神はご自分の教会を見捨てず、つねに勇気ある男女の人々、信仰の証人、神の民を導き福音の道を示す牧者を立ち上がらせます。アレクサンドリアの司教アレクサンドロス(250頃-328年)は、アレイオスの教えが聖書と完全に一致しないことに気づきました。アレイオスが歩み寄らなかったため、アレクサンドロスはエジプトとリビアの司教たちを司教会議に召集しました。この司教会議はアレイオスの教えを非難しました。その後、アレクサンドロスは東方教会の他の司教たちにも詳細を伝える手紙を書き送りました。西方教会ではスペイン、コルドバのホシウス(257-357/58年頃)が行動を起こしました。ホシウスはすでに皇帝マクシミアヌス(位286-305年)の迫害下で熱心な信仰告白者であることを示し、ローマ司教の教皇シルヴェストロ(位314-35年)の信頼を得ていました。
しかし、アレイオスに従う人々も団結しました。これは最初の千年期の教会の歴史における最大の危機の一つをもたらしました。実際、論争の理由はささいなことではありませんでした。それは、キリスト教信仰の中心、すなわち、イエスがフィリポ・カイサリア地方で弟子たちに投げかけた決定的な問いに対する答えに関するものだったからです。「あなたがたはわたしを何者だというのか」(マタ16・15)。
4 論争が激化する中、皇帝コンスタンティヌスは、教会の一致とともに帝国の一致も脅かされていることに気づきました。そこでコンスタンティヌスは、一致の回復のために、ニケアにおけるエキュメニカルな、すなわち普遍的な公会議に全司教を招集しました。いわゆる「318人の教父」による司教会議は、皇帝の主宰の下に開催されました。集まった司教の数は前例のない数でした。司教たちの中には、迫害下に受けた傷跡をなお残している者もいました。司教の大部分は東方教会から来た司教で、西方教会の司教は5人にすぎなかったようです。教皇シルヴェストロは、神学的に権威のあったコルドバ司教ホシウスを信頼し、2人のローマの司祭を派遣しました。
5 公会議教父たちは、聖書と使徒の聖伝への忠実をあかししました。イエスの命令に従って洗礼式のときに告白されるとおりです。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」(マタ28・19)。西方教会にはさまざまな定式が存在しますが、いわゆる使徒信条はその中の一つです(1)。東方教会にも、構造的に似通った、洗礼式の信仰告白が存在しました。こうした信仰告白で用いられているのは、学識ある複雑なことばではなく、むしろ――以下で述べるとおり――ガリラヤ湖の漁師にも理解できる単純なことばでした。
このような基盤に基づいて、ニケア信条は次の宣言から始まります。「わたしは信じます。〈唯一の〉神、全能の父、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を」(2)。公会議教父はこのようにして一にして唯一の神への信仰を表明しました。公会議ではこの点に関して論争は行われませんでした。これに対して、第二条が議論されました。第二条も、「神の子、〈唯一の〉主イエス・キリスト」への信仰を告白するために聖書のことばを用いました。議論は、「神の子」という表現をどのように理解すべきか、また、それを聖書的な一神論とどのように調和させることができるかという、アレイオスが提起した問題に答えなければならないことから生じました。それゆえ、公会議は「神の子」としてのイエスへの信仰の正しい意味を定義するよう求められたのです。
教父たちがイエスを神の子と告白するのは、イエスが「御父の〈本質(ウーシア)〉から生まれ〔……〕、造られることなく生まれ、父と同一本質(ホモウーシオス)」であるかぎりにおいてです。この定義によってアレイオスの命題は根底的に拒絶されました(3)。公会議は、信仰の真理を表現するために、聖書にはない、「本質(ウーシア)」と「同一本質(ホモウーシオス)」という二つのことばを用いました。公会議はこれによって聖書の表現をギリシア哲学と置き換えようとしたのではありませんでした。むしろその反対に、公会議がこれらの用語を用いたのは、聖書的信仰を、アレイオスのヘレニズム的な誤謬と区別することによって、明らかに述べるためでした。それゆえ、ヘレニズム化への批判は、ニケア教父ではなく、アレイオスと彼に従う人々の誤った教理に当てはまります。
積極的にいうなら、ニケア教父は聖書的な一神論と受肉の現実に断固として忠実にとどまることを望みました。彼らは、唯一のまことの神は、わたしたちから近づきがたい遠く離れたかたではなく、むしろその反対に、イエス・キリストにおいてわたしたちに近づき、わたしたちと会いに来てくださったことを再確認します。
6 公会議は、そのメッセージを、聖書と、すべての神の民がよく知っている典礼の単純なことばで表現するために、洗礼式の告白のいくつかの定式を用いました。「神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神」です。さらに公会議は、光という聖書のメタファー(隠喩)を用います。「神は光である」(一ヨハ1・5。ヨハ1・4-5参照)。光が消えることなく輝き、自らを伝えるのと同じように、御子は神の栄光の反映(アパウガスマ)であり、神の本質(ヒュポスタシス)の現れ(カラクテール)です(ヘブ1・3、二コリ4・4参照)。それゆえ、受肉した御子であるイエスは、世の光、いのちの光です(ヨハ8・12参照)。洗礼によってわたしたちの心の目は照らされ(エフェ1・18参照)、わたしたちも世の光となることができます(マタ5・14参照)。
信条は最後に、御子が「まことの神よりのまことの神」であると述べます。聖書は多くの箇所で、いのちをもたない偶像を、生けるまことの神と区別します。まことの神は、ことばを語り、救いの歴史の中で働く神です。燃える柴の中でご自身をモーセに現した、アブラハム、イサク、ヤコブの神(出3・14参照)、民の苦しみをご覧になり、その叫びを聞き、火の柱をもって荒れ野を歩む民とともに歩み(出13・21参照)、とどろく声で民に語りかけ(申5・26参照)、民をあわれむ神です(ホセ11・8-9参照)。それゆえキリスト者は、いのちをもたない偶像から生けるまことの神へと回心するよう招かれます(使14・15、一テサ1・9参照)。この意味で、シモン・ペトロはフィリポ・カイサリア地方でこう告白するのです。「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタ16・16)。
7 ニケア信条は哲学的な理論を定式化しているのではありません。それは、イエス・キリストによってわたしたちをあがなわれた神への信仰を告白します。この神は、生ける神です。神は、わたしたちがいのちを受け、しかも豊かに受けることを望まれます(ヨハ10・10参照)。そのため信条は洗礼式の告白のことばをもって続けて述べます。神の子は「わたしたち人類のため、わたしたちの救いのためにくだり、受肉して人となられました。死んで、三日目に復活し、天に昇り、生者と死者を裁くために来られます」。そこから、公会議のキリスト論的信仰の表明が、神とその被造物の間の救いの歴史の中に位置づけられていることが明らかになります。
司教アレクサンドロスの助祭として公会議に参加し、エジプトのアレクサンドリアの司教座を継いだ聖アタナシオは、ニケア信条が表明した救済論的な次元を何度も力強く強調しました。実際、聖アタナシオは次のように述べます。御子は天から降り、「われわれを御父の子とし、われわれと同じ人間になることにより、人間を神化した。御子はかつて人間ではなかったにもかかわらず神となったのではなく、わたしたちを神化することができるために、神であったのに人間となったのである」(4)。このことは御子がまことに神であることによって初めて可能です。実際、いかなる死すべき存在も、死に打ち勝ってわたしたちを救うことはできません。それができるのは神だけです。わたしたちを解放するために(ガラ5・1参照)人となられた御子によってわたしたちを自由にしてくださったのは、神なのです。
ニケア信条における「くだり」(descendit)という動詞を強調しなければなりません。聖パウロはこの動きを力強い表現で述べています。「〔キリストは〕自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリ2・7)。聖ヨハネによる福音書の序言も同じように述べます。「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ1・14)。だから、ヘブライ人への手紙が述べるとおり、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できないかたではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(ヘブ4・15)。イエスは死の前夜、奴隷のように身をかがめて、弟子たちの足を洗いました(ヨハ13・1-17参照)。そして使徒トマスは、復活した主のわき腹の傷跡に指を入れることができて初めて、こう告白しました。「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハ20・28)。
わたしたちはまさに主の受肉によって、わたしたちの貧しい兄弟姉妹のうちに主と出会います。「わたしの兄弟であるこのもっとも小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタ25・40)。それゆえ、ニケア信条が語るのは、遠く離れた、近づきがたい、自らのうちに安らう不動の神ではなく、わたしたちに近づき、世の道を、それも地上のもっとも暗い場所を歩むわたしたちに同伴してくださる神です。神のはかりしれなさは、神が小さい者となり、ご自身の無限の威厳を脱ぎ捨て、小さい者、貧しい者の中でわたしたちの隣人となられることのうちに示されます。このことは、神に関する異教的・哲学的な概念を根底から覆します。
ニケア信条のもう一つのことばは、とくにわたしたちの目を開いてくれます。ニケア信条は、「肉となった」という聖書の表現を、「受肉した」ということばの後に「人」ということばを挿入することによって、明確にします。こうしてニケアは、〈ロゴス〉は外的な覆いとしての肉体をとるだけで、知性と自由意思を備えた人間的霊魂をとったのではないという誤った教理から距離をとります。むしろその反対に、ニケアは、カルケドン公会議(451年)が明確に宣言したことを述べようとします。すなわち、神はキリストにおいて肉体と霊魂をもつ人間全体をとり、あがなわれたということです。聖アタナシオはこう解説します。神の子が人となったのは、わたしたちが神化されることが可能になるためでした(5)。この神の啓示の明快な理解は、リヨンの聖イレネオ(130/40-200年頃)とオリゲネス(185頃-254年頃)によって準備され、後に東方教会の霊性の中できわめて豊かなしかたで発展しました。
神化は、人間の自己神化を意味するものではありません。むしろその反対に、神化は、神のようになることを望む原初の誘惑からわたしたちを守ります(創3・5参照)。キリストが本性として存在するありかたに、わたしたちは恵みによってなるのです。神は、あがないのわざを通して、神の像としてのわたしたちの人間の尊厳を回復しただけではありません。驚くべきしかたでわたしたちを創造したかたは、さらに驚くべきしかたで、わたしたちをご自身の神的本性にあずからせたのです(二ペト1・4参照)。
それゆえ、神化は真の人間化です。だからこそ、人間存在は自らを超えたところを目指し、自らを超えたところを求め、自らを超えたところを望み、神のうちに憩うまで安らぎを得ないのです(6)。神のみがそれを充足させる(Deus enim solus satiat)のです(7)。神のみがご自身の無限性によって、人間の心の無限の望みを満たすことができます。だから、神の子はわたしたちの兄弟となり、あがない主となることを望んだのです。
8 すでに述べたとおり、ニケアはアレイオスの教えをはっきりと拒絶します。しかし、アレイオスと彼に従う人々は屈服しませんでした。皇帝コンスタンティヌスとその後継者も、ますますアレイオス派の側につきました。〈ホモウーシオス〉という用語はニケア派と反ニケア派の意見の不一致の核心となり、さらに深刻な争いを引き起こしました。カイサリアの聖バジリオ(330頃-79年)は、この争いを激しい嵐の中で行われる夜間の海戦にたとえながら、生じた混乱を雄弁な比喩を用いて描写しています(8)。他方、聖ヒラリオ(315頃-67年)は、「民の耳は司祭の心よりも聖なるものである」(9)ことを認めて、多くの司教のアレイオス主義に対する信徒の正統性をあかししています。
ニケア信条の礎となったのは、不屈の堅固な信仰をもった聖アタナシオでした。聖アタナシオはアレクサンドリアの司教座を5回廃位され、追放されたにもかかわらず、その都度司教として復帰しました。聖アタナシオは、追放されている間も、著作と書簡によって神の民を導き続けます。アタナシオは、モーセと同じように、教会の平和という約束の地に入ることができませんでした。この恵みは、「ニケア派の若者たち」として知られた新しい世代に与えられました。すなわち、東方教会では、「大バジリオ」の称号が与えられたカイサリアの聖バジリオ(330頃-79年)と、その兄弟であるニュッサの聖グレゴリオ(335-94年)、そしてバジリオの偉大な友人であるナジアンゾスの聖グレゴリオ(329/30-90年)の、3人のカッパドキア教父です。西方教会で重要なのは、ポワティエの聖ヒラリオ(315頃-67年)と、その弟子のトゥールの聖マルティノ(316頃-97年)です。そして、何よりもミラノの聖アンブロジオ(333-97年)とヒッポの聖アウグスティヌス(354-430年)です。
カッパドキア三教父の功績は、神の一性と三位一体性がまったく矛盾しないことを示すことによって、ニケア信条の定式を完成させたことです。このような文脈において、381年の第一コンスタンチノープル公会議で聖霊への信仰に関する条文が定式化されました。こうして、以来「ニケア・コンスタンチノープル信条」と呼ばれる信条は、次のように唱えます。「わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者を通して語られました」(10)。
451年のカルケドン公会議以来、コンスタンチノープル公会議は普遍公会議として認められ、ニケア・コンスタンチノープル信条は普遍的に守られるべき信条として宣言されました(11)。それゆえ、ニケア・コンスタンチノープル信条は東方教会と西方教会の一致のきずなとなりました。16世紀に宗教改革から生まれた教会的共同体もこれを支持しました。こうしてニケア・コンスタンチノープル信条はすべてのキリスト教的伝統共通の信仰告白となったのです。
9 聖書からニケア信仰告白へ、さらにニケア信仰告白のコンスタンチノープルとカルケドンによる受容へ、そして16世紀と現代の21世紀へと続く道は、長く、一つながりのものです。わたしたちは皆、イエス・キリストの弟子として、「父と子と聖霊のみ名によって」洗礼を受け、十字架のしるしをし、祝福を受けます。わたしたちは時課の典礼(聖務日課)の詩編唱和の終わりにかならず「栄光は父と子と聖霊に」と唱えます。それゆえ、典礼とキリスト教的生活はニケア・コンスタンチノープル信条に堅く根差しています。わたしたちが口でいうことは、心から出るものとなり、そこから、生活の中であかしされなければなりません。それゆえ、わたしたちは自らに問いかけなければなりません。わたしたちは今日、信条を心の中に受け入れているだろうか。わたしたちはそれが現代の状況にもかかわっていると感じているだろうか。わたしたちは主日のたびに唱えることを理解し、実践しているだろうか。わたしたちが唱えることは、自分たちの生活にとってどのような意味をもっているだろうか。
10 ニケア信条は、天地の創造主、全能の神に対する信仰告白から始まります。今日、多くの人にとって、神と神への問いは生活の中でほとんど意味をもちません。第二バチカン公会議は、キリスト者にもこうした状況の少なくとも責任の一端があると指摘しました。なぜなら、キリスト者は真の信仰をあかしせず、福音からかけ離れた生活様式と行動によって神の真の姿を隠しているからです(12)。神の名の下に戦争が行われ、人が殺され、迫害と差別が行われてきました。あわれみ深い神をのべ伝える代わりに、恐怖を招き、罰を与える復讐の神が語られてきました。
それゆえ、ニケア信条はわたしたちが良心を糾明するように招きます。神はわたしにとって何を意味するでしょうか。わたしたちは神への信仰をどのようにあかししているでしょうか。一にして唯一の神は本当にいのちの主でしょうか。それとも、わたしたちは神とその戒めよりも偶像のほうを重んじているでしょうか。神はわたしにとって、いかなる状況においても近くにおられる、生ける神、子としての信頼をもってより頼む父でしょうか。神は、わたしが自らの存在ともてるもののすべてをそのかたに負い、すべての被造物のうちにその痕跡を見いだしうる、造り主でしょうか。わたしは、すべての人のものである地上の富を、進んで公正かつ公平に分かち合おうとしているでしょうか。わたしは神の手のわざである被造物をどのように扱っているでしょうか。わたしはそれを畏敬と感謝をもって用いているでしょうか。それとも、人類がともに暮らす家としてそれを守り、耕すのではなく、それを搾取し、破壊しているでしょうか(13)。
11 ニケア・コンスタンチノープル信条の中心にあるのは、わたしたちの主であり、神である、イエス・キリストへの信仰告白です。これこそがわたしたちのキリスト教生活の中心です。そのため、わたしたちは、師、同伴者、兄弟、また友であるイエスに従おうと努めます。しかし、ニケア信条はそれ以上のことを求めます。実際、ニケア信条は、イエス・キリストが主(キュリオス)であり、生ける神の子であり、「わたしたちの救いのために天からくだり」、「わたしたちのために」十字架上で死に、その復活と昇天によって新しいいのちへの道を開いてくださったことを忘れてならないと思い起こさせます。
もちろん、イエス・キリストに従うことは、広く、快適な道ではありません。この道はしばしば労苦や、苦しみまでも伴いますが、それはつねにいのちと救いへと導きます(マタ7・13-14参照)。使徒言行録は、新しい道について語ります(使19・9、23、22・4、24・14-15、22参照)。この新しい道とは、イエス・キリストです(ヨハ14・6参照)。主に従うことは、わたしたちに十字架の道を歩ませます。十字架の道は、悔い改めを通して、わたしたちを聖化と神化へと導きます (14)。
神がご自身のすべてをもってわたしたちを愛されるのであれば、わたしたちも互いに愛し合わなければなりません。目に見える兄弟姉妹を愛さないなら、目に見えない神を愛することはできません(一ヨハ4・20参照)。隣人への愛を伴わない神への愛は偽善です。隣人への徹底的な愛、とくに神を愛さずに敵を愛することは、わたしたちを凌駕し、抑圧する英雄主義(ヒロイズム)です。イエスに従うことにおいて、神への上昇は、わたしたちの兄弟姉妹、とくに最底辺にいる人、もっとも貧しい人、見捨てられた人、疎外された人のもとに降り、献身することを通して行われます。わたしたちがこれらのもっとも小さい者にしたことは、キリストにしたことだからです(マタ25・31-46参照)。災害、戦争、悲惨を前にして、わたしたちは、神を疑う人々に神のあわれみをあかしすることができます。彼らはわたしたちを通して初めて神のあわれみを知るからです(15)。
12 最後に、ニケア公会議はその最高のエキュメニカルな価値のゆえに現代的な意味をもっています。このことに関連して、すべてのキリスト者の一致の実現は、最後の公会議である第二バチカン公会議の主要な目的の一つでした(16)。教皇聖ヨハネ・パウロ二世は、ちょうど30年前に、回勅『キリスト者の一致(1995年5月25日)』(Ut unum sint)の中で、公会議のメッセージを引き継ぎ、発展させました。こうしてわたしたちは、ニケアにおける最初の公会議の偉大な1700周年を記念しながら、最初のエキュメニズムに関する回勅の30周年も記念します。この回勅は、ニケア公会議が据えたエキュメニカルな基盤を現代化したマニフェストと考えることができます。
エキュメニズム運動は、神の恵みにより、過去60年の間に多くの成果を生み出しました。正教会、東方正教会、宗教改革から生まれた教会的共同体との完全な目に見える一致はまだ与えられていないとはいえ、エキュメニカル対話は、唯一の洗礼とニケア・コンスタンチノープル信条に基づいて、他の諸教会と教会的共同体の兄弟姉妹のうちにイエス・キリストにおけるわたしたちの兄弟姉妹を見いだし、全世界のキリストの弟子の唯一の普遍的な共同体を再発見することを可能にしました。実際、わたしたちは、すべての人の父である、一にして唯一の父への信仰を共有し、唯一の主と、まことの神の子であるイエス・キリストと、唯一の聖霊をともに告白します。聖霊は、完全な一致と、福音の共通のあかしへとわたしたちを促し、駆り立てます。まことに、わたしたちを一致させるものは、わたしたちを分裂させるものよりも多いのです(17)。こうして、多くの紛争によって分裂し、引き裂かれた世界の中で、唯一の普遍的なキリスト教共同体は、平和のための世界的な取り組みに決定的なしかたで貢献することによって、平和のしるし、和解の手段となることができます。教皇聖ヨハネ・パウロ二世は、とくにすべての教会・教会的共同体に属する多くのキリスト者の殉教者のあかしをわたしたちに思い起こさせました。この人々を記念することは、わたしたちを一致させ、世における平和のあかし、また、働き手となるようにとわたしたちを促します。
信頼の置けるしかたでこの務めを果たすことができるために、わたしたちは、すべてのキリスト者の一致と和解に達するためにともに歩まなければなりません。ニケア信条はこの歩みの基盤、また基準となることができます。実際、ニケア信条は、正当な多様性における真の一致のモデルをわたしたちに示します。三位一体における一性、一性における三位一体です。なぜなら、多様性を欠いた一致は専制であり、一致のない多様性は分裂だからです。三位一体のダイナミズムは、二元論でも、排他的な〈あれかこれか〉でもなく、むしろ両者を巻き込むきずなとしての〈あれもこれも〉です。聖霊は、わたしたちが父と子をともに礼拝するための、一致のきずなです。それゆえ、わたしたちは、存在意義を失った神学論争を離れなければなりません。それは、聖霊に関する共通の理解をもち、そればかりか、共通の祈りをささげるようになるためです。聖霊が、わたしたち皆を、唯一の信仰と唯一の愛のうちに一つに集めてくださるようにと。
これは、分裂以前の状態に戻るエキュメニズムを意味するものでもなければ、諸教会と教会的共同体の多様性の〈現状〉(status quo)の現実を相互に認め合うことを意味するものでもありません。むしろそれは、未来に目を向け、対話と、わたしたちの霊的なたまものや遺産の交換の道に基づく、和解のエキュメニズムです。キリスト者の一致の回復は、わたしたちを貧しくするのではなく、むしろ、わたしたちを豊かにします。ニケアと同じように、この目的は、忍耐と、互いに耳を傾け、受け入れ合う、長く、時として困難な歩みを通して初めて実現できます。それは神学的な課題であると同時に、それ以上に、すべての人の悔い改めと回心を要求する、霊的な課題です。だからこそ、わたしたちは、ニケア・コンスタンチノープル信条に見られるような、祈りと賛美と礼拝による霊的エキュメニズムを必要としています。
それゆえ、わたしたちに同伴し、このような働きを行うわたしたちを導いてくださるように、ともに聖霊に祈り求めたいと思います。
神の聖霊よ。あなたは信じる者を歴史の歩みの中で導いてくださいます。
あなたに感謝します。あなたは、信条に霊感を与え、父と同一本質である、神の子、イエス・キリストにおけるわたしたちの救いを告白する喜びを心の中で呼び覚ましてくださるからです。イエス・キリストなしに、すべては不可能です。
永遠の神の霊よ。あなたは世々に教会の信仰を新たにしてくださいます。この信仰をのべ伝えるために、信仰を深め、つねに本質に立ち帰ることができるよう、わたしたちを助けてください。
聖霊よ。世におけるわたしたちのあかしが怠惰なものとなることがないように、恵みの炎をもって来てください。わたしたちの信仰と希望と愛の炎を再び燃え立たせてください。
慰め主である神よ、来てください。あなたは調和をもたらし、信じる者の心と思いを一つにしてくださいます。来て、交わりのすばらしさを味わう恵みをわたしたちにお与えください。
父と子の愛よ、来てください。わたしたちをキリストの一つの群れに集めてください。
わたしたちに歩むべき道をお示しください。あなたの知恵によって、わたしたちを、キリストのうちにある本来の姿である、一致へと立ち帰らせてください。そうすれば、世は、信じるようになります。アーメン。
バチカンにて、2025年11月23日、王であるキリストの祭日
