教皇レオ十四世、2025年11月28日、トルコ・イズニクでのエキュメニカル祈祷集会でのあいさつ

教皇としての最初のイタリア国外司牧訪問であるトルコ訪問(11月27日-30日)の2日目の2025年11月28日(金)、午後2時15分(日本時間午後8時15分)から、トルコ・イスタンブールから南東130キロに位置するイズニ […]

教皇としての最初のイタリア国外司牧訪問であるトルコ訪問(11月27日-30日)の2日目の2025年11月28日(金)、午後2時15分(日本時間午後8時15分)から、トルコ・イスタンブールから南東130キロに位置するイズニクのネオフィトス大聖堂跡で行われたエキュメニカル祈祷集会で行ったあいさつ(原文英語)。イズニクは、1700年前の325年に最初の公会議が開催された、かつてのニカイア(ニケア)。祈祷集会にはコンスタンチノープル総主教のヴァルソロメオス一世らが参加し、最後に英語でニケア・コンスタンチノープル信条が共に唱えられた。
――― 

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 人々がその尊厳そのものに対する数え切れない脅威にさらされている、多くの悲劇的なしるしによって特徴づけられた歴史の時期において、ニケアでの最初の公会議の1700周年は、わたしたちが自らにこう問いかける貴重な機会です。イエス・キリストは、現代人の生活にとっていかなるかたでしょうか。イエス・キリストは、わたしたち一人ひとりにとって個人的にいかなるかたでしょうか。

 この問いは、キリスト者にとって特別に重要です。キリスト者は、イエス・キリストを単なるカリスマ的な指導者ないし超人におとしめるおそれがあるからです。このような歪曲は、究極的には、悲しみと混乱を招きます(教皇レオ十四世「枢機卿団とのミサ説教(2025年5月9日)」参照)。アレイオス(250頃-336年)は、キリストの神性を否定することによって、キリストを神と人間の間の単なる中間的な存在へとおとしめ、受肉の現実を無視します。こうして神性と人間性は修復しえないしかたで切り離されました。しかし、もし神が人とならなかったなら、死すべき被造物がどうして不滅のいのちにあずかることができるでしょうか。ニケアで問われたこと、そして現代も問われていることは、わたしたちを「神の本性にあずからせ」(二ペト1・4。聖イレネオ『異端反駁』[Adversus Haereses 3, 19]、聖アタナシオ『言(ロゴス)の受肉』[De incarnatione 54, 3]参照)るために、イエス・キリストにおいてわたしたちと同じような者となられた神へのわたしたちの信仰です。

 ニケア公会議のキリスト論的な信仰告白は、完全な交わりを目指すキリスト者の歩みにとって根本的に重大な意味をもっています。なぜなら、この信仰告白は、さまざまな理由で典礼の中でニケア・コンスタンチノープル信条を用いない教会を含めて、世界中のキリスト教会・共同体が共有するものだからです。実際、「神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、父と同一本質」である「唯一の主イエス・キリスト」(「ニケア信条」)への信仰は、すでにすべてのキリスト者を一致させる深いきずなです。この意味で、聖アウグスティヌスを引用するなら、わたしたちはエキュメニカルな文脈で、「多なるわたしたち〔キリスト者〕もかの一なるかた〔であるキリスト〕において一なのである」(『詩編講解』[Enarrationes in Psalmos 127〔河野一典・松﨑一平訳、『アウグスティヌス著作集20/II』教文館、2023年、88頁〕])ということができます。したがってわたしたちは、自分たちがすでにこのような深いきずなで結ばれていることを自覚しながら、聖霊の導きの下に、互いの愛と対話のうちに、イエス・キリストのうちに現された神のことばにますます忠実に道を歩み続けることができます。こうしてわたしたちは皆、残念ながら今なお存在する分裂のつまずきを乗り越え、一致への望みを深めるように招かれます。主はこの一致のために祈り、ご自身のいのちをささげられたからです。わたしたちキリスト者は、和解すれば和解するほど、すべての人に対する希望の告知である、イエス・キリストの福音の信頼の置けるあかしを行うことができます。さらに、これは、わたしたちの共同体と国家の境界を超える、平和と普遍的な兄弟愛のメッセージでもあります(教皇フランシスコ「教皇庁キリスト教一致推進評議会総会参加者へのあいさつ(2022年5月6日)」参照)。

 今日、暴力と紛争に苦しむ全人類は、和解を求める叫び声を上げています。イエス・キリストを信じるすべての人の完全な交わりへの望みは、つねに全人類の兄弟愛の探求を伴います。わたしたちはニケア信条の中で「父である唯一の神」への信仰を告白します。しかし、神の像として造られたすべての他の人々を兄弟姉妹として認めることを拒むなら、父である神に祈り求めることは不可能です(第二バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』5[Nostra Aetate])。民族性、国民性、宗教、個人の見解にかかわりなく、人類には普遍的な兄弟愛が存在します。宗教は、その本性上、この真理の器であり、この真理を認め、実践するように、個人、グループ、人々を促さなければなりません(教皇レオ十四世「平和祈祷集会の結びのあいさつ(2025年10月28日)」)。さらにわたしたちは、戦争、暴力、あらゆる形の原理主義や狂信主義を正当化するために宗教を用いることを強く拒絶しなければなりません。むしろ、兄弟愛に満ちた出会いと対話と協力の道を歩まなければなりません。

 ヴァルソロメオス総主教様に深く感謝申し上げます。総主教様はその深い知恵と先見性をもって、この地でニケア公会議の1700周年をともに記念することを決められたからです。この行事に参加してほしいという招きを受け入れてくださった諸教会の指導者と世界の教会共同体の代表者の皆様にも心から感謝申し上げます。あわれみ深い全能の父である神が、今日わたしたちが心からささげる祈りを聞き入れ、この重要な記念行事が豊かな和解と一致と平和の実を結ぶ恵みを与えてくださいますように。

PAGE TOP