教皇フランシスコ、2025年1月29日、一般謁見演説 わたしたちの希望であるイエス・キリストについての連続講話 Ⅰ イエスの幼年時代 3.「その子をイエスと名付けなさい」(マタ1・21)――ヨセフへのお告げ

 

教皇フランシスコ、2025年1月29日、一般謁見演説
わたしたちの希望であるイエス・キリストについての連続講話

Ⅰ イエスの幼年時代
3.「その子をイエスと名付けなさい」(マタ1・21)――ヨセフへのお告げ

2025年1月22日(水)午前9時(日本時間同日午後5時)からパウロ六世ホールで行った一般謁見(原文イタリア語)。聖書朗読箇所はマタ1・18-21。教皇庁から発表されたテキストは、謁見で読み上げられなかった部分を含む。

 

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん。おはようございます。

 今日も、幼年時代に関して福音書が語る、イエスの起源の神秘の観想を続けます。

 ルカが母であるおとめマリアの視点からこの観想を行うことをわたしたちに可能にするのに対して、マタイはヨセフの視点から語ります。ヨセフはイエスの法的な父となることによって、イエスをエッサイの木に接ぎ木し、ダビデになされた約束と結びつけます。

 実際、イエスは〈イスラエルの希望の実現〉です。イエスは、ダビデの家を「とこしえに祝福」(サム下7・29)するという、ダビデに約束された子孫(サム下7・12、代上17・11参照)であり、エッサイの株から萌えいでた芽(イザ11・1参照)であり、法と正義を行使することを知るまことの王として治めるように定められた「正しい若枝」(エレ23・5、33・15参照)です。

 ヨセフはマタイによる福音書の中でマリアの婚約者として登場します。ユダヤ人にとって婚約は真に固有の意味での法的なきずなであり、約1年後に行われる結婚式の準備でした。婚約によって女性は父親の庇護から夫の庇護へと移り、夫の家に引っ越して、母となる恵みを受ける準備をしました。

 まさにこの時期にヨセフはマリアが身ごもっていることを知り、その愛が大きな試練にさらされます。婚約の破棄をもたらすような状況に直面した場合、律法は二つの解決の可能性を示唆していました。女性を法廷に召喚するという公的性格をもつ法的手続きと、女性に離縁状を渡すという私的な手続きです。

 マタイはヨセフが「正しい」(zaddiq)人であったと記します。すなわち、主の律法に従って生活し、人生のどのような場面でも律法から導きを得る人です。それゆえ、ヨセフは神のことばに従いながら、思慮深く行動します。彼は本能的な感情やマリアを受け入れることへの恐れに打ち負かされることなく、むしろ、神の知恵に導かれることを選びます。彼はマリアと静かに私的な形で別れることを選択します(マタ1・19参照)。このようなヨセフの知恵が、彼が誤りを犯すことなく、主の声に心を開き、従順に従うことを可能にします。

 その意味で、ナザレのヨセフは、もう一人のヨセフを思い起こさせます。すなわち、「夢見るおかた」(創37・19参照)と呼ばれた、ヤコブの息子のヨセフです。このヨセフは父から深く愛され、兄弟たちに憎まれましたが、神は彼を高く上げてファラオの宮廷に座らせます。

 今、ナザレのヨセフはどのような夢を見るでしょうか。彼は、神がマリアの生涯において行う奇跡と、また、神が自分の生涯の中で行う奇跡を夢見ます。すなわち、物質的・霊的な遺産を守り、保護し、伝えることができる父となる夢です。花嫁の胎は神の約束を宿します。それは、すべての人に確かな救いを与える名をもたらす約束です(使4・12参照)。

 ヨセフは夢の中で次のことばを耳にします。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタ1・20-21)。ヨセフはこの啓示を前にして、さらなる証明を求めず、ただ信頼します。ヨセフは神を信頼し、自分の人生と、花嫁となる約束をした者の人生に関する神の夢を受け入れます。こうして彼は、信仰と希望と愛をもって神の約束を生きることのできる者の恵みのうちに歩み入ります。

 これらすべてのことにおいて、ヨセフは一言も発さずに、信じ、希望し、愛します。彼は「空虚なことば」によってではなく、具体的な行動で自分を表します。ヨセフは使徒ヤコブが「みことばを行う人」(ヤコ1・22参照)と呼んだ人々、すなわち、みことばを行動と肉体と生活に移す人々の系譜に属します。ヨセフは神に信頼し、これに従います。「ヨセフの神に対する内的な目覚めは〔……〕自ずと神のことばに対する従順となります」(ヨゼフ・ラッツィンガー/教皇ベネディクト十六世『ナザレのイエス プロローグ:降誕』[L’infanzia di Gesù, Milano-Città del Vaticano 2012, 57〔里野泰昭訳、春秋社、2013年、59頁〕])。

 姉妹兄弟の皆さん。わたしたちも主に、語るよりも聞く恵みを、神の夢を夢見、洗礼の瞬間からわたしたちの人生の中で生き、成長するキリストを進んで受け入れる恵みを願おうではありませんか。ありがとう。

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