教皇庁教理省 『超自然現象とされるものの識別手続きのための規則』

教皇庁教理省 『超自然現象とされるものの識別手続きのための規則』 Dicastero per la Dottrina della Fede Norme per Procedere nel Discernimento di […]

教皇庁教理省
『超自然現象とされるものの識別手続きのための規則』

Dicastero per la Dottrina della Fede
Norme per Procedere nel Discernimento di Presunti Fenomeni Soprannaturali

目次

本文書について
 神の民の中で働く聖霊に耳を傾ける
 最近の改訂
 新たな『規則』を定めた理由
 新しい側面
 聖霊のわざを認めること
 教理省の関与と同伴

序文

Ⅰ 一般指針
A.識別の性格
B.最終評価

Ⅱ とるべき手続き
A.本質的規則
B.手続き的規則
 調査段階
 評価段階
 結論段階

 解説

本文書について

神の民の中で働く聖霊に耳を傾ける
 神はわたしたちの歴史の中で存在し、働きます。復活したキリストのみ心から流れ出る聖霊は、神的な自由をもって教会の中で働きながら、人生の旅路を歩むわたしたちを助け、わたしたちが福音に忠実に従いながら霊的に成長することを促す、多くの貴重なたまものをわたしたちに与えます。この聖霊の働きは、いくつかの超自然的な出来事を通してわたしたちの心に達する可能性も含みます。たとえば、キリストや聖なるおとめの出現、および、他の現象です。

 多くの場合、これらの現象は、豊かな霊的実り、信仰の成長、信心、兄弟愛、奉仕を生み出しました。また、それらはある場合には、世界中のさまざまな巡礼所を生み出し、今日、それらの巡礼所は多くの人々の民間信心の中心の一部となっています。主がわたしたちの精神的な枠組みと手続きを超えて蒔いてくださるいのちと美はどれほど多いことでしょうか。そのため、ここに提示する『超自然現象とされるものの識別手続きのための規則』は、かならずしも聖霊の働きの制限を意図するものではなく、まして、聖霊の火を消すことを試みるものでもありません。実際、超自然的な起源をもつとされる出来事のもっとも積極的な事例においては、「教区司教は、司牧的価値を〈評価〉し、この霊的提案の普及を〈推進〉することが勧められる」(I・17)のです。

 十字架の聖ヨハネは、「この世で神に関することがらを述べるために使われるあらゆる言葉の語句が、いかに卑しく、不足だらけであ」(1)るかということを認めました。だれも位格における神の究めがたいあり方を完全に表現することはできません。「聖なる博士たちがいくら注解を重ねてみても、これらのことがらを完全に説明することはできません。それに、こういうことは、とうてい、ことばで言い表せるものではありません」(2)。なぜなら、「霊魂が神に行くために通るこの道は、ちょうど海の上を歩いてゆくとき、肉体の感覚にはその通り道も、足跡も隠され、知られないのと同様に、まったく秘密であり、隠されているものである」(3)からです。実際、「神は超自然的建築家であるから、お望みの建物をおのおのの霊魂のうちに超自然的に建てられるであろう」(4)

 同時に、超自然的な起源をもつとされるいくつかの出来事の中には、信者にとって有害な一連の深刻な問題が見られることを認めなければなりません。このような場合、教会は司牧的な配慮を尽くして対応しなければなりません。たとえば、このような現象を「利益、権力、名声、社会的評判、個人的利害」(II・第15条4°)を引き出すために用いる場合や――これはきわめて不道徳的な行為を行う可能性を招くおそれさえあります(II・第15条第5項参照)――、「人間の支配や虐待を行うための手段や口実として」(II・第16条)用いる場合です。

 こうした出来事において、教理的な誤謬、福音のメッセージの提示における過度の単純化、分派的精神の広がりなどの可能性も無視すべきではありません。最後に、信者が、神的な起源をもつものといわれてはいても、何者かによる想像、目新しさへの欲求、異常虚偽癖(mitomania)、ないし虚言的傾向の産物にすぎない出来事に引き込まれる可能性も存在します。

 それゆえ、この分野における識別に関して、教会は明確な手続きを必要とします。今日に至るまで用いられている『出現および啓示とされるものの識別手続きのための規則』は40年以上前の1978年に聖パウロ六世によって認可されましたが、部外秘扱いとされ、33年後の2011年に公表されました。

最近の改訂
 しかしながら、1978年の『規則』の適用により、決定が長期間、場合により数十年を要すること、そのため必要な教会的識別がなされるのが遅すぎることが明らかとなりました。

 『規則』の改訂は2019年に当時の教皇庁教理省によるさまざまな意見聴取(会議、検討委員会、定例会議、総会)を通じて開始しました。最近の5年間でさまざまな改訂案が作成されましたが、いずれも不十分であると考えられました。

 2023年11月16日の本省会議の中で、その時までに作成された草案を全面的かつ徹底的に改訂する必要がようやく認識され、教区司教と教理省の役割を明確にする方向で完全に再検討された新たな草案が作成されました。

新たな草案は2024年3月4日に開催された小委員会で検討されました。全体として肯定的に評価されましたが、いくつかの改善点が指摘され、改善点はその後の草案に反映されました。

その後、2024年4月17日に開催された定例会議において草案が検討され、枢機卿と司教の委員が草案を承認しました。最後に新しい『規則』は2024年5月4日に教皇に提出され、教皇はこれを認可し、2024年5月19日の聖霊降臨の祭日に発効することを定めて、その公布を命じました。

新たな『規則』を定めた理由
 1978年の『規則』を2011年に公布する際の序文において、当時の教理省長官のウィリアム・レヴェイダ枢機卿は、教理省が「超自然的な起源をもつとされる出現、幻視、メッセージ」の事例を審査する権限をもつことを明らかにしました。実際、この『規則』は「裁治権者の手続きの方法を判断し、承認すること」ないし「新たな審査を開始すること」は「教理省に属する」(IV・2)と定めていました。

 過去において聖座は司教が次のような声明を行うことを受け入れていたように思われます。「信者は疑いの余地のない確実な信仰に根ざしている(Les fidèles sont fondés à la croire indubitable et certaine)」(「グルノーブル司教教令(1851年9月19日)」)、「涙の実在性を疑うことはできない」(シチリア司教団、1953年12月12日)。しかし、こうした表現は、信者はこれらの出来事の真正性を受け入れる義務がないという教会の確信と矛盾していました。そのため、後者の出来事の数か月後、当時の教理聖省は「涙の聖母に関してはいかなる決定も行われていない」(1954年10月2日)ことを明らかにしました。さらに、最近では、ファティマの出来事に関して、当時の教理省は、教会による個人的な啓示の承認は「メッセージには信仰と道徳に何ら反する部分がない」(『ファティマ第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書(2000年6月26日)』「神学的解説」〔邦訳40頁〕)ことを明らかにするものであることを説明しました。
 
 このように明らかな見解が表明されているにもかかわらず、近年において、教理省がとった手続きは、司教が「超自然的である」ないし「超自然的でない」ことを宣言する方向に傾いていました。一部の司教はこの種の宣言を発表することができるとまで主張しました。実際、最近でも、一部の司教は次のようなことばで見解を表明することを望みました。「わたしは事実の絶対的な真実性を確証する」、「信者はこれを疑いなく真実であるとみなさなければならない」などです。こうした表現は、事実上、信者に、自分たちは時として福音そのものよりも重んじられるこうした現象を信じるよう義務づけられていると考えるように仕向けています。

 この種の事例を取り扱う際に、とくに公式声明を作成する際に、一部の司教は教理省に必要な許可を事前に求めてきました。しかし、発表を行う許可が行われる場合、司教は、声明の中で教理省に言及しないことを求められました。これは、たとえば最近の数十年間に結論に達した、少数の事例に見られます。「本省とのかかわりなしに(Sans impliquer notre Congrégation)」(「ガプ司教あての書簡(2007年8月3日)」)、「この声明において本省はかかわりをもたない」(ギコンゴロ〔ルワンダ〕司教に関する2001年5月11日総会)。すなわち、司教は教理省の承認が与えられていることにいっさい言及できませんでした。同時に、こうした現象にかかわる教区の他の一部の司教たちは、教理省に対してより明快な声明を行うことを求めました。

 少なからぬ混乱を招いたこうした手続きの方法は、1978年の『規則』が司教と教理省の作業を導くためにもはや不十分で不適切であり、現象が一つの都市または教区の範囲にとどまることが困難になっている現代において、いっそう問題となっていることを理解させてくれます。この懸念はすでに当時の教理省が1974年の総会の中で指摘していました。この総会の中で、委員たちは超自然的な起源をもつとされる出来事がしばしば「一つの教区や一つの国家の境界を超えざるをえず、〔……〕問題は教会の最高権威の介入を正当化しうる規模に達する」ことを認めました。同時に1978年の『規則』は、「過去に事案の調査を終えるのに要した速度で(「超自然的なものである」[constat de supernaturalitate]「超自然的なものでない」[non constat de supernaturalitate]と)判断を下すことが、〈ほとんど不可能〉とまではいわないまでも、より困難になった」ことを認めました(1978年の『規則』「予備的解説」)。

 出来事が超自然的であるという宣言への期待は、わずかな事例が明確な宣言に達するにすぎない結果となりました。事実、現象がしばしば明確な指導なしに、多くの教区の人々が関与しながら増大しているにもかかわらず、1950年以降、公式に結論の出された事例は6件にすぎません。それゆえ、他の多くの事例は別の方法で取り扱われたか、あるいはまったく取り扱われなかったと推定することができます。

 超自然的な起源をもつとされる出来後に関する特別な事例の解決をさらに遅らせないために、教理省は最近、〈超自然的なものである〉(de supernaturalitate)ではなく、〈支障がない〉(Nihil obstat)――これは、司教が当該の霊的な現象から司牧的な恩恵を引き出すことを可能にします――による、相対的な識別を求めることを教皇に提案しました。〈支障がない〉(Nihil obstat)という宣言は、さまざまな霊的・司牧的な実りと、出来事による重大な問題がないことを評価した後、行われます。教皇はこの提案を「公正な解決」と考えました。

新しい側面
 上述の諸要素から、わたしたちはこの新たな『規則』によって、これまでとは異なるとはいえ、より豊かな手続きを提示します。この手続きは、超自然的な起源をもつとされる出来事に関する司牧的活動を方向づけうる、可能な6つの賢明な結論を含みます(I・17-22参照)。この6つの最終決定の提案は、教理省と司教が、彼らが出会う多くのさまざまな事例の問題を適切に取り扱うことを可能にします。

 これらの可能な結論は、通常の場合、識別の対象となる現象の〈超自然性〉に関する宣言――すなわち、それが神の直接的な意図に基づく決定に由来すると道徳的な確信をもって断言しうること――を含みません。むしろ、教皇ベネディクト十六世がすでに説明しているとおり、〈支障がない〉(Nihil obstat)を与えることは、信者が当該の現象に関して「賢明にそれを受け入れることが承認されている」ことを単純に示します。これは事実の超自然性に関する宣言ではないため、同じく教皇ベネディクト十六世が述べたとおり、「使うことを強制されるものでもない」(5)ことがいっそう明らかになります。他方で、当然のことながら、この対応は、信心の発展を考慮に入れながら、将来、別の対応が必要になる余地を残しています。

 さらに、次のことを指摘しなければなりません。「超自然性」の宣言に至ることは、その本性上、分析のための適切な期間を要求するだけでなく、現時点で「超自然的」と判断していても、数年後に「超自然的でない」と判断する可能性も与えるということです。これは実際に起こったことです。1950年代の出現とされた事例を思い起こさなければなりません。司教は1956年に「超自然的ではない」という決定的な声明を出し、翌年、教理聖省はこの司教の決定を承認しました。その後、この崇敬に関して新たな認可が求められました。しかし、1974年に同じ教理省は、同じ出現とされるものに関して〈超自然的なものではない〉(constat de non supernaturalitate)と宣言しました。続いて1996年に地域司教がこの信心を認め、2002年に同じ地域の別の司教が出現は「超自然的な起源をもつ」ことを認め、信心は他の国に広まりました。最終的に、2020年に、当時の教理省の要請により、新しい司教が、教理省が以前に下した「否定的判断」を再確認し、出現と啓示とされるものに関するあらゆる流布の停止を命じました。こうして、事態全体が結論に達するまでに70年にわたる苦悩の年月を要したのです。

 今日、わたしたちは、信者に混乱をもたらす、こうした複雑な状況をつねに避けなければならないという確信をもつに至りました。そのために、教理省がより迅速かつ明快に対応し、識別が「超自然性」の宣言を目指すことを避けなければなりません。それは、このことに関する高い期待と不安と心理的圧力さえ伴うからです。このような「超自然性」に関する宣言は、通常、積極的な司牧的活動を承認する〈支障がない〉(Nihil obstat)か、具体的な状況にふさわしい他の決定に代替されます。

 新しい『規則』に定められた手続きは、可能な6つの賢明な決定を提示することによって、合理的な期間内に決定を行うことを可能にします。この決定は、必要な教会の識別が行われないままにきわめて問題のある状態が生じる前に、司教が超自然的な起源をもつとされる出来事に関する状況に対応することを可能にします。

 にもかかわらず、教皇が、場合によって出来事の超自然性を宣言する手続きの開始を完全に例外的なしかたで承認する可能性は残ります。実際には、これは最近の数世紀の間にまれにしか起こらない例外です。

 他方で、新しい『規則』に定められているとおり、「超自然的でないこと」を宣言する可能性は残ります。しかしそれは、現象に基づく操作を客観的かつ明確に示すしるしが現れる場合に限られます。たとえば、幻視者とされる人が自分が虚偽を述べていることを宣言したり、十字架の血が幻視者とされる人のものであることを証拠が示す場合です。

聖霊のわざを認めること
 今日、神の民の民間信仰の特別な場所となっている巡礼所の大部分は、信心が表明される過程で、信心を生み出した事実の超自然性が宣言されていません。〈信者の感覚〉(sensus fidelium)は、聖霊のわざがそこに働き、司牧者の介入を要求するような重大な問題が生じていないことを直観しています。

 多くの場合、特定の時間に司教や司祭が同席することが――たとえば、巡礼の間、あるいは、何らかのミサがささげられる間――、深刻な異議が存在せず、霊的体験が信者の生活に積極的な影響を及ぼしていることを暗黙のうちに認めました。

 いずれにせよ、〈支障がない〉ことは、司牧者が、これらの出来事の中で生じる聖霊のたまものを受け入れながら、神の民に寄り添うために、疑いをもたず、寛大に行動することを可能にします。新しい『規則』の中で用いられる「のただ中で」という表現は、出来事自体に関する超自然性の宣言がなされていなくても、生じていることのただ中で聖霊が行う超自然的なわざのしるしがはっきりと認められていることを理解する助けとなります。

 他の場合には、このような認識とともに、ある種の解明や清めの必要性が認められます。実際、聖霊の真の働きが、具体的な状況の中で――それは正当に評価することができるものですが――、個人的な欲望、記憶、時として強迫的な観念といった純粋に人間的な要素と、あるいは、「悪意によるものでなくても、現象の主観的な感覚による、自然的な秩序に関するある種の誤謬」(II・第15条2°)と混じり合うことが起こりえます。さらに、「幻視体験を、さらなる考慮を行うことなしに、それが〈完全に〉正しいか、それとも、それを完全に人間的ないし悪魔的幻覚とみなすべきかという、厳密な意味でのジレンマに置くこともできない」(6)のです。

教理省の関与と同伴
 新しい『規則』が、教理省の権限に関する確実な点を明確に規定していることを理解することは重要です。一方で、識別が教区司教の任務であることは確かです。他方で、次のことを認めなければなりません。今日、これまでにまして、この現象が他教区に属する多くの人にかかわり、さまざまな地域と国に急速に広がっています。そのため、新しい『規則』は、司教が超自然的な起源をもつとされる出来事に関する決定を公表する前に、教理省が、司教の相談を受けてから、司教の決定に対する最終的な承認を与えなければならないと規定します。以前は、教理省が介入はしましたが、司教が教理省に言及しないことが求められました。これからは、教理省は、最終決定を行う司教にかかわり、同伴することを公に表明します。それゆえ、決定が公にされる際は、「教理省の同意の下に」と記されます。

 しかしながら、1978年の『規則』(IV・1b)ですでに想定されていたとおり、新しい『規則』も、場合によって、教理省が〈自発的に(motu proprio)〉(II・第26条)介入することができると規定しています。実際、新しい『規則』は、明確な決定を行った後も、「教理省は、あらゆる場合において、現象の進展に従って新たに介入する可能性を留保する」(II・第22条第3項)と規定し、司教が信者の善益のために「警戒し続ける」(II・第24条)よう求めます。

 神は人類の歴史の中につねに存在し、世の救い主であるイエス・キリストへのわたしたちの信仰を日々新たにするために、聖霊のわざを通じて恵みのたまものをわたしたちに与え続けます。教会の司牧者は、信者がわたしたちのただ中における至聖なる三位一体の愛の現存につねに注意を向けるように仕向ける務めを担います。信者をあらゆるいつわりから守ることも司牧者の務めです。この新しい『規則』は、教理省が、神の忠実な民のうちに働く聖霊に聞き従いながら、司牧者に奉仕する具体的な方法にほかならないのです。

教皇庁教理省長官
ビクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿


序文

1 イエス・キリストは神の決定的なことば、「最初の者にして最後の者」(黙1・17)です。このかたは啓示の完成であり、実現です。神が啓示しようと望んだことはすべて、肉となったみことばである御子を通して啓示されました。「それゆえ、このキリスト教の営みは決定的な新しい契約として決して過ぎ去ることはなく、われわれの主イエス・キリストの栄えある再臨までは、もはやいかなる新しい公的啓示も期待すべきではない」(7)

2 啓示されたみことばのうちに、キリスト教的生活が必要とするもののすべてがあります。十字架の聖ヨハネはこう述べています。御父は「唯一のみことば(他のことばというものはありえない)である御子をわれわれにお与えになったことによって、この唯一のみことばのうちに、すべてを一度に語られ、それ以上に話されることはないからである。〔……〕というのは、以前に預言者たちに部分的に話されたことを、ご自分のすべて、すなわち、御子をお与えになることにより、そのことごとくを語られたからである。したがって、今日になってもなお、神に何かを尋ねたり、あるいは何かの示現や啓示を望むような人は、愚かなことをするだけではなく、神を傷つけることになるだろう。というのも、そうしたことは、すべてキリストに目を注がず、他の何か新奇なことを望むことだからである」(8)

3 教会の時の中で、聖霊はあらゆる時代の信者を「あらゆる真理に」(ヨハ16・13〔聖書協会共同訳〕)導きます。それは、「啓示がいっそう深く理解できるように」(9)するためです。実際、聖霊はキリストの神秘のいっそう深い理解へとわたしたちを導きます。なぜなら、「この世において〔……〕いかに多くの奥義や不思議を発見しても〔……〕、彼らのいうところも、知るところも、そのごくわずかな部分にすぎない。キリストのうちには掘り下げて見るべきものがたくさんある」からです。「彼は、宝を隠す無数のくぼみを有する豊かな鉱山のようである。いくら掘っても決して掘りつくすことがないかえって、おのおののくぼみの中に新しい富を隠す新しいたくさんの鉱脈があちこちに次々に見いだされてゆく」(10)

4 一方で、神が啓示しようと望んだすべてのことは御子を通じて啓示され、キリストの教会においては通常の聖性の手段がすべての洗礼を受けた者が用いられるように与えられています。他方で、聖霊は、ある人々に信仰の特別な経験を与えます。その目的は、「キリストの最終的啓示を『改善し』、『補足する』ことではなく、歴史のある時期に、キリストの啓示をより十全に生きるのを助けることにあります」(11)

5 実際、聖性は、洗礼を受けたすべての者にかかわる召命です。聖性は祈りの生活と教会の秘跡の生活への参加によって培われ、神と隣人への愛に満ちた生活によって表されます(12)。わたしたちは教会の中で、キリストのうちに完全に表された神の愛を受け(ヨハ3・16参照)、「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている」(ロマ5・5)のです。聖霊に従順に導かれる人は、三位一体の現存と働きを体験します。教皇フランシスコが教えるとおり、このような生活は、「特別な現象がなくても、日々の愛の体験として、すべての信者に勧められる」(13)神秘的な生活へと導かれます。

6 とはいえ、時として、日々の経験の限界を超えているかのように思われ、超自然的な起源をもつとされるものとして示される現象(たとえば、出現と主張されるもの、幻視、内的あるいは外的な語りかけ、文書あるいはメッセージ、宗教的なイメージと結びついた現象、心理的および他の性格の現象)が生じることがあります。このような出来事について正確に語ることは人間の言語能力を超えることがありえます(二コリ12・2-4参照)。現代のコミュニケーション手段の出現により、このような現象が多くの信者の関心を引いたり、混乱を引き起こすことが可能となっています。そして、そのニュースは急速に広まることが可能です。そのため、教会の司牧者は、こうした出来事に注意深く対処するように、すなわち、その実りを評価し、それを否定的な要素から清め、そこから生じる危険について信者の警戒を促すよう招かれます(一ヨハ4・1参照)。

7 さらに、現代のコミュニケーション手段の発達と巡礼の増加により、こうした現象が国レベルないし国際的レベルに到達し、そのため、ある教区に関する決定が他の場所にも影響するようになりました。

8 特別な霊的経験とともに、理性の使用だけでは直接説明できない、他の身体的・心理的現象が生じた場合に、教会は、当該の現象の注意深い検討と識別を行う微妙な任務を負います。

9 教皇フランシスコは使徒的勧告『喜びに喜べ』の中で、あることがらが聖霊に由来するかどうかを知る唯一の方法は識別であり、識別は祈りによって求められ、培われなければならないことを思い起こさせます(14)。識別は、聖パウロが「すべてを吟味して、よいものを大事にしなさい」(一テサ5・21)と述べたことを実現する際に教会の司牧者を助ける、神のたまものです。超自然的な起源をもつとされる現象に関する識別を行う教区司教と司教協議会を支援するために、教理省は以下の『超自然現象とされるものの識別手続きのための規則』を公布します。

Ⅰ 一般指針

A.識別の性格

10 教会は、以下の『規則』に従い、次のことを識別する義務を果たしうる。a)超自然的な起源をもつとされる現象の中に神の働きのしるしの存在を認めることが可能か。b)当該の現象とされるものにかかわる文書ないしメッセージの中に信仰や道徳に反するものが何もないか。c)霊的な実りを評価することが許されるか、あるいは、それを問題のある要素から清めることが必要か、あるいは、そこから生じる危険について信者の警戒を促す必要があるか。d)管轄権を有する教会権威者による司牧的な評価を行うことが勧められるか。

11 以下の規定は、10の意味での識別の可能性を前提するが、通常の方法において、超自然現象とされるものの神的起源に関する教会権威者による積極的な認識を前提するものでないことに注意しなければならない。

12 〈支障がない〉(Nihil obstat)(下記17参照)が教理省から与えられた場合、その現象は信仰の対象とならないが――すなわち、信者が同意を与えることは義務づけられない――、教会が認めたカリスマの場合と同じように、「そうした現象は、キリストに関する知識を深め、より寛大に自らをキリストにささげ、同時に、キリスト者の民全体との交わりにいっそう根ざすようになるための道となる」(15)

13 さらに、列聖手続きのために〈支障がない〉(Nihil obstat)が与えられた場合も、それは個人の生涯における超自然的な現象とされるものの真正性の宣言を意味しない。たとえば、聖ジェンマ・ガルガーニ(1878-1903年)の列聖教令において示されているとおりである。「〔ピオ十一世は〕この罪なくして悔い改めたおとめの英雄的な徳について思い巡らすことを幸いにも選ぶが、本教令により(それは通常、このようなことをするものではないが)、この神のしもべの超自然的なカリスマに関する判断を行うものではない」(16)

14 同時に、超自然的な起源をもつ可能性のある特定の現象が、時として混乱した人間的経験、神学的な見地から見て不正確な表現、あるいは、まったく正当でない利害にかかわることを認識しなければならない。

15 超自然現象とされるものの識別は、教区司教の開始をもって行われるが、場合により、教理省との協議により下記第4条-第6条が述べる他の教会権威者が開始することもある。いずれにせよ、神の民全体の共通善に特別な関心を向けることを欠いてはならないため、「教理省は、この経験とその使用の道徳的・教理的要素を評価する可能性を留保する」(17)。時として、識別は、つまずきを引き起こし、教会の信頼を損なう可能性のある、犯罪、人々の操作、教会の一致に対する損害、不当な経済的利益、重大な教理的誤謬なども扱わなければならないことを無視してはならない。

B.最終評価

16 超自然現象とされるものの識別は、以下に示す用語の一つによって通常表される結論に達しうる。

17 〈支障がない〉(Nihil obstat)――現象の超自然的な真正性についていかなる確証を示すものでないが、当該の霊的経験の「ただ中で」(18)聖霊の働きの多くのしるしが認められ、少なくとも現時点までは、特別に重大なないし危険な側面は示されていない。そのため、教区司教に対して、司牧的価値を評価し、巡礼所への巡礼を行うことを含めて、この霊的提案の普及を推進することが勧められる。

18 〈注視される〉(Prae oculis habeatur)――重要な積極的しるしが認められるが、混乱ないし潜在的に危険ないくつかの要素も認められる。こうした要素は、教区司教による注意深い識別と、当該の霊的経験を行った者との対話を要求する。文書ないしメッセージが存在する場合は、教理的な解明が必要な場合がある。

19 〈配慮される〉(Curatur)――さまざまな、ないし、顕著な批判的要素が明らかになったが、同時に、現象はすでに広く普及しており、それに関連する霊的な実りの存在も見られる。この場合、神の民を動揺させるおそれのある禁止は差し控えるべきである。いずれにせよ、教区司教には、この現象を推奨せず、信心の代替的な表現を追求し、場合によりその霊的・司牧的実りの方向づけを改めることが求められる。

20 〈委任される〉(Sub mandato)――重大な問題は、積極的要素を多く含んだ、現象そのものに関連するのではなく、それを不適切なしかたで使用する個人、家族ないしグループに関連する。霊的経験が特定の不当な経済的利益のために利用される、不道徳的な行為を行っている、あるいは、教区司教の指示を受けずに、教会地域にすでに存在する司牧活動と並行する司牧活動を行う、などである。この場合、現象が生じた特定の地域の司牧的指導は、教区司教ないし聖座が任命した他の者にゆだねられる。後者は、直接介入できない場合、合理的な合意に達するように努める。

21 〈禁止され、妨げられる〉(Prohibetur et obstruatur)――正当な要請といくつかの積極的要素は存在するが、重大性と危険は深刻なものとなっている。そのため、素朴な人々の信仰を損なうおそれのあるさらなる混乱やつまずきを避けるため、教理省は教区司教に対し、この現象を支持することは認められないことを公に宣言し、同時に、この決定の理由の理解を助け、神の民の一部に関する正当な霊的懸念を改めて方向づけることができるカテケージスを行うことを求める。

22 〈超自然的ではないことの宣言〉(Declaratio de non supernaturalitate)――この場合、教区司教は教理省から、現象が超自然的なものと認められないことを宣言する権限を与えられる。この決定は、具体的で証明された事実と証拠に基づいて行われなければならない。たとえば、幻視者とされる者が虚偽を述べていることを表明する、あるいは、信頼できる証人が、現象の偽造、誤った意図、ないし異常虚偽癖(mitomania)を見いだすことを可能にする判断要素を提供する場合である。

23 上記の説明に照らして、教区司教、司教協議会、教理省は、原則として、〈支障がない〉(Nihil obstat)(11参照)が与えられている場合であっても、この現象が超自然的な起源をもつと宣言することはないことを確認する。しかしながら、教皇がこのことに関する手続きを行う認可を与えうることも真実である。

Ⅱ とるべき手続き

A.本質的規則

第1条 教区司教は、各国司教協議会と協議しつつ、自らの管轄地域で起きた超自然現象とされる事例を検討し、教理省の承認を得たうえで、それに関連する礼拝ないし信心を推進することも含めて、この現象に関する最終判断を作成する務めを負う。

第2条 問題となっている出来事の調査を行った後、教区司教は、――以下に定める規則に従って行われた――調査結果を自らの評価とともに教理省に提出し、教理省が示した指示に従って介入する務めを負う。いずれにせよ、教理省は、教区司教の手続きの方法を評価し、提案された特定の事案に対する決定を承認する、または承認しない務めを負う。

第3条第1項 教区司教は、当該現象の真正性または超自然性に関するいかなる公的宣言を行うことも、この現象にかかわることも差し控える。しかし、必要な場合に、以下の規則が示す手続きに従い、迅速かつ賢明に介入できるように警戒することを怠ってはならない。

第2項 超自然的な出来事とされるものと関連して、真に固有の意味での崇敬とはいえないまでも、信心の形態が生じた場合、教区司教は、信仰を守り、濫用を予防するために、できるだけ早く入念な教会法的調査を開始する重大な義務を負う。

第3項 教区司教は、場合により自らが用いることができる手段を用いて、センセーショナルな雰囲気を助長しないために(第11条第1項参照)、混乱した宗教的表現や、超自然現象とされるもの(たとえば、聖像から流れる涙、汗、血、聖別されたホスチアの変化など)にかかわる資料の流布を制止するように特別な配慮を行わなければならない。

第4項 超自然現象とされるものにかかわる人の居住地により、または、崇敬ないし民間信心の形態が流布する場所により、複数の教区司教の管轄権にかかわる場合、教理省との協議のうえ、これらの教区司教は諸教区合同委員会を設置することができる。この委員会は、教区司教の一人が委員長を務め、以下の条文に規定された調査を行う。そのために司教協議会の関連部局の支援を求めることもできる。

第5項 超自然的な出来事とされるものが同じ教会管区に属する複数の教区司教の管轄権にかかわる場合、管区大司教は、司教協議会および教理省と協議のうえ、教理省の委任に基づいて、第4項に述べられた委員会を設置し、その委員長を務める任務を負うことができる。

第6条第1項 教会法433条-434条で述べられた教会地方区が設立された地域において、超自然的な出来事とされるものがこの地域にかかわる場合、委員長の司教は手続きのための特別な命令を教理省に求める。

第2項 この場合、手続きは、教理省から与えられた指示を守りながら、第5条の規定に類比的に従う。

B.手続き的規則

調査段階

第7条第1項 教区司教は、自らの管轄地域で起こったカトリック信仰に属する超自然的な起源をもつとされる出来事に関する、少なくとも真実性のある知らせを受けた場合、必ず、出来事と情報に関する情報を、個人的にあるいは代理者を通して賢明に収集し、最初の評価のために有用なすべての要素を速やかに集めるように心掛けなければならない。

第2項 現象が、それに直接かかわる人の状況の中で容易に管理可能で、共同体に対するいかなる危険も認められない場合、教理省に相談した後、さらなる措置を講じる必要はない。ただし警戒の義務は残る。

第3項 さまざまな教区司教の管轄下にある人間がかかわっている場合、それらの司教の意見を聞かなければならない。ある場所で起きた超自然的とされる出来事が、別の場所でさらに発展した場合、別の場所において異なる評価を受ける可能性がある。その場合、それぞれの教区司教は、教理省に相談のうえ、自らの管轄地域において司牧的に賢明と思われることを決定する権能をつねに有する。

第4項 超自然現象とされるものがさまざまな種類の対象にかかわる場合、教区司教は、個人的にあるいは代理者を通して、事例の解明がなされるまで、それらの対象を確かで安全な場所に置くように命じることができる。聖体の奇跡とされるものの場合、聖別された聖体を専用の場所に適切なしかたで保存しなければならない。

第5項 集められた要素が不十分だと思われる場合、教区司教は、教会の信仰の最高の善益に関する最終判断を自らの〈評価〉(Votum)によって教理省に提出するため、また、信者の霊的善益を守り、推進するために、現象の評価の段階を開始するかどうかを決定する。

第8条第1項 教区司教(19)は調査委員会を設立する。調査委員会の委員は、少なくとも1名の神学者、1名の教会法学者、現象の性質に基づいて選任された1名の専門家(20)を含まなければならない。調査委員会の目的は、出来事の真実性に関する宣言に達するだけでなく、評価のために有用なあらゆる要素を教区司教に提供するために、出来事のあらゆる側面を詳細に調べることである。

第2項 調査委員会の委員は、評判がよく、堅固な信仰と、確実な教理と、確かな賢明さを備えており、識別の対象となる人間または出来事と直接的にも間接的にも関与していない者でなければならない。

第3項 教区司教は、調査委員会の委員の中から、または外部から選任された、作業の調整と統括と会議の準備を行う任務を担う、代理者を任命する。

第4項 教区司教または代理者は、調査委員会に出席し、質問やその他の調査委員会の議事を記録する任務を帯びた、書記も任命する。書記は、発言が正確に記録され、調査対象のすべての文書が集められ、適切に整理され、教皇庁の文書館に保管されるように配慮する務めを負う。さらに、書記は調査委員会の招集と文書の作成を行う。

第5項 調査委員会の全委員は、宣誓を行って、職務上の秘密を守るよう義務づけられる。

第9条第1項 質問は普遍法の規定(教会法1558条-1571条、東方教会法1239条-1252条参照)との類比に従い、調査委員会の他の委員との適切な協議の後に、代理者が作成した質問に基づいて行われる。

第2項 超自然的な出来事とされるものにかかわる人の宣誓は、調査委員会全体、あるいは少なくとも委員の一部の出席の下に行われなければならない。出来事が目撃証言に基づく場合、出来事との時間的な近さを生かすために、証人尋問はできるだけ早く行うべきである。

第3項 超自然的な起源をもつ出来事にかかわると主張する人の聴罪司祭は、ゆるしの秘跡を通して知ったすべてのことがらについて証言してはならない(21)

第4項 超自然的な起源をもつ出来事にかかわる人の霊的指導者は、当該の人が書面によって証言を認めないかぎり、霊的指導を通して知ったことがらについて証言してはならない。

第10条 文書ないしメディアを通して公開され、超自然現象とされるものにかかわる人間によって作成された他の要素(ビデオ画像、音声、写真)が調査資料に混じっている場合、こうした資料は専門家による正確な調査に付されなければならない(第3条第3項参照)。書記はその結果を調査報告書に記さなければならない。

第11条第1項 第7条第1項で述べた異常な出来事がさまざまな性格の対象にかかわる場合(第3条第3項参照)、調査委員会は、調査委員会を構成する専門家ないし当該事例のための他の個別的な専門家を通して、その対象に関する正確な調査を開始する。それは、その後の評価の助けとなる、科学的・教理的・教会法的性格の評価に達するためである。

第2項 異常な出来事に関連する有機的な性格の発見が、実験室での特別な調査や科学技術的な調査を必要とする場合、調査委員会は、調査の種類にかかわる分野の真の意味での専門家に研究をゆだねる。

第3項 現象がパンとぶどう酒の秘跡的なしるしにおける主のからだと血にかかわる場合、特別な注意を払わなければならない。なぜなら、その分析が、至聖なる秘跡への尊崇の念の欠如を招くようなことのないように、ふさわしい畏敬の念を保たなければならないからである。

第4項 異常な出来事とされるものが公共の秩序の問題を引き起こす場合、教区司教は所轄の行政当局者と協力する。

第12条 調査中に超自然的な出来事とされるものが継続し、状況が慎重な介入を促す場合、教区司教は、制御不能な、あるいは疑義のある信心の表現や、まだ定義されていない要素に基づく崇敬の実施を避けるために、適切な統治を躊躇なく行う。

評価段階

第13条 教区司教は、自らが設立した調査委員会の委員の助けの下に、上記の識別のおもな基準(10-23参照)、および、以下の積極的・消極的基準――これらは累積的に適用される――に従い、集めた資料を徹底的に評価する。

第14条 〈積極的〉基準として考察すべきなのは以下のものである。

1°超自然的な出来事を体験した、または、直接その出来事にかかわったと主張する人、および、尋問した証人の信頼性とよい評判。とくに考慮すべきなのは、心理的な安定性、道徳的生活における真実性と正直性、教会の権威に対する謙遜と従順さ、教会の権威への協力的な態度、真の教会の交わりの精神の推進である。

2°現象と現象に関連するメッセージの教理的正統性。

3°関与した人の働きかけの結果ではないことを明らかに示す、現象の予測不可能性。

4°キリスト教的生活の実り。これには、祈りの精神、回心、司祭・奉献生活への召命、愛のあかし、健全な信心、豊かで持続的な霊的実りの存在が含まれる。これらの実りが教会の交わりの成長に寄与していることを評価しなければならない。

第15条 〈消極的〉基準として注意深く考察すべきなのは以下のものである。

1°出来事に関する明らかな誤りの存在。

2°教理的誤り。この点に関して、超自然的な起源をもつ出来事を体験したと主張する者が――無意識的にであれ――個人的な啓示に、純粋に人間的な要素や、悪意によるものでなくても、現象の主観的な感覚による、自然的な秩序に関するある種の誤謬を付け加えた可能性を考慮しなければならない。

3°教会組織に分裂を生み出す分派的な精神。

4°出来事に密接なしかたで関連する、利益、権力、名声、社会的評判、個人的利害の明白な追求。

5°出来事が起きたとき、または出来事を契機として、出来事の体験者ないし体験者に従う人が行った重大な不道徳的行為。

6°超自然的な出来事とされるものに影響を及ぼした可能性のある、体験者の心理的な変化ないし心理的な傾向、また、精神病、集団ヒステリー、または病理的症状に起因するその他の要素。

第16条 人間の支配や虐待を行うための手段や口実として、超自然的な経験とされるものないし認識された神秘的な要素を用いることは、とくに道徳的に重大なものと考えなければならない。

第17条 第7条第1項で述べた超自然現象とされるものの調査結果の評価は、関係者と、超自然現象とされるものに関して実施された科学技術的調査を尊重しつつ、細心の注意をもって行わなければならない。

結論段階

第18条 調査が終了し、出来事と集められた情報を注意深く検討し(22)、超自然的な出来事とされるものが、自らにゆだねられた神の民に及ぼした影響、とくに新たに生じた信心から生まれた霊的な実りの豊かさを考慮したうえで、教区司教は、代理者の助けの下に、超自然現象とされるものに関する報告書を作成しなければならない。教区司教は、積極的なものであれ消極的なものであれ、事例に関するすべての事実を考慮し、事例に関する個人的な〈評価〉(Votum)を作成し、通常、以下の定式に従って最終判断を教理省に提出する(23)

1°〈支障がない〉(Nihil obstat)
2°〈注視される〉(Prae oculis habeatur)
3°〈配慮される〉(Curatur)
4°〈委任される〉(Sub mandato)
5°〈禁止され、妨げられる〉(Prohibetur et obstruatur)
6°〈超自然的ではないことの宣言〉(Declaratio de non supernaturalitate)

第19条 調査が終了したなら、最終的承認のために、調査した事例に関するすべての議事録が教理省に提出される。

第20条 その後、教理省は事例に関する議事録を検討し、この経験と出来事の使用に関する道徳的・教理的要素と、教区司教の〈評価〉(Votum)を評価する。教理省は、教区司教にさらなる情報の提供を求めることも、他の意見を求めることも、極端な場合、教区司教が行った調査とは別に、事例に関する新たな調査を行うこともありうる。教理省は、調査に照らして、教区司教の提出した決定を承認または却下する。

第21条第1項 教区司教は、教理省の回答を受け取ると、教理省からの他の指示がないかがり、教理省の同意の下に、問題となった出来事に関する判断を神の民に明確な形で通知する。

第2項 教区司教は、教理省が承認した決定について司教協議会に知らせるように心掛ける。

第22条第1項 〈支障がない〉(Nihil obstat)(第18条1°)が与えられた場合、教区司教は、調査した現象から生じる実りを正しく評価することに最大限の注意を払い、賢明な注意をもって現象に関する警戒を継続する。この場合、教区司教は、教令を通じて、承認の性格と、認められた崇敬の限界を明確に示し、「信者たちが賢明にそれを受け入れることが承認されている」(24)ことを明確にする。

第2項 さらに、教区司教は、信者が決定を現象の超自然的性格の承認とみなすことがないように注意を払う。

第3項 教理省は、あらゆる場合において、現象の進展に従って新たに介入する可能性を留保する。

第23条第1項 警戒的(第18条2°-4°参照)ないし否定的(第18条5°-6°参照)決定が行われた場合、教区司教は、教理省の承認を得たうえで、この決定を正式に公表しなければならない。さらに、この決定は、明確ですべての人が理解しうることばで表明されなければならない。その際、健全な霊性の成長を促すために、これが決定の理由とカトリック信仰による教理的基盤を明らかにする適切な機会となることを考慮しなければならない。

第2項 教区司教は、否定的な決定を通知する際、関係者に不当な損害をもたらす可能性のある情報を省略できる。

第3項 文書ないしメッセージの流布が継続する場合、管轄権をもつ司牧者は、教会法823条(東方教会法652条2項、654条参照)に従い、濫用や、正しい信仰と道徳を損なったり、霊魂の善にとって危険なことがらを非難することによって、警戒しなければならない。そのために、刑罰的命令(教会法1319条、東方教会法1406条参照)を含む通常の手段を用いることができる。

第4項 第3項に述べる措置は、超自然現象とされるものと関連する対象ないし場所に関して非難すべき態度が見られる場合にとくに適切である。

第24条 教区司教は、承認された決定がいかなるものであっても、個人的に、あるいは代理者を通して、通常の権能を具体的に行使することにより、現象と関係者を警戒し続ける義務を負う。

第25条 超自然現象とされるものが、さまざまな目的(たとえば利益や他の個人的な利害)のための、人を惑わし、欺く意図に基づくものであることが明らかな場合、教区司教は、事例を個別に評価しながら、現行の教会法的な刑罰を適用する。

第26条 教理省は、超自然現象とされるものに関する識別のいかなる時また段階においても、〈自発的に〉(motu proprio)介入する権限を有する。

第27条 本『規則』は1978年2月25日付の以前の『規則』に全面的に代わるものである。

 教皇フランシスコは、2024年5月4日に行われた下記に署名した教理省長官および同教理部門局長との謁見において、2024年4月17日付で教理省定例会議で検討された本『規則』を認可し、2024年5月19日の聖霊降臨の祭日をもって同『規則』が発効することを定めて、その公布を命じた。

 ローマ、教理省事務局にて、2024年5月17日

教理省長官
ビクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿
同教理部門局長
アルマンド・マッテオ

2024年5月4日の謁見により
教皇フランシスコ

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