
2026年4月13日(月)から23日(木)までのアフリカ4か国司牧訪問の第二の目的地であるカメルーン訪問の2日日の4月16日(木)午前11時30分(日本時間同日午後7時30分)からバメンダ教区の聖ヨセフ司教座聖堂で行われ […]
集いの終わりに、教皇は司教座聖堂の外で次のように述べた。
わたしの親愛なる兄弟姉妹の皆様。今日、主は、わたしたち皆を、この地に平和をもたらす働き手として選ばれました。主に祈りたいと思います。わたしたちの間を平和が真に支配しますように。これらの白鳩――平和の象徴――を放つときに、神の平和がわたしたち皆の上に、この地の上に訪れ、わたしたち皆を平和のうちに保ってくださいますように。主はたたえられますように。
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
大きな苦しみを経験したこの地で皆様にお目にかかることができるのは喜びです。皆様のあかしがたった今示したとおり、皆様の共同体が味わった苦しみの経験は、神がわたしたちを決して見捨てることはないという確信をいっそう強めるものでした。わたしたちは神のうちに、神の平和のうちに、つねに新たに始めることができます。
(アンドリュー・ヌケア・フアンヤ)大司教様は、次のように叫ぶ預言に言及されました。「いかに美しいことか、〔……〕良い知らせを伝える者の足は」(イザ52・7)。大司教様はこのことばでわたしを迎えてくださいました。わたしも今、次のように答えたいと思います。いかに美しいことか、血にまみれながらも肥沃なこの地で、虐待されながらも樹木が豊かに果実を実らせているこの地で、ほこりまみれになったあなたの足は。あなたの足はここまであなたを導きました。困難と障害にもかかわらず、あなたの足はいつくしみの道を歩み続けてきました。わたしたち皆が、平和へと導くいつくしみの道を歩み続けることができますように。大司教様の歓迎のことばに感謝します。なぜなら、それは真実だからです。わたしは平和を宣言するためにここに〈います〉。しかし、わたしは、皆様こそが、わたしに、また全世界に平和を宣言しているのを見いだします。皆様の中の一人がいわれたとおり、カメルーンのこの地域を襲った危機は、キリスト教共同体とイスラム共同体をこれまでに増して近づけました。実際、皆様の宗教指導者は一緒に平和のための運動を設立し、この運動を通じて、対立する勢力の仲介を目指しています。
このことが世界の多くの他の場所でも行われることをわたしは望みます。皆様のあかし、皆様の平和のための働きは、全世界にとって模範となることができます。イエスはいわれました。平和を実現する人々は、幸いであると。しかし、宗教と神の名を、自分の軍事的、経済的、あるいは政治的な利益のために濫用し、聖なるものを闇と汚れに引きずり込む人々は、不幸である。わたしの親愛なる姉妹兄弟の皆様。そうです。義に飢え渇き、貧しく、あわれみ深く、柔和で、心の清いあなたがたは、泣いているあなたがたは、世の光です(マタ5・3-14参照)。バメンダよ。今日あなたは、すべての人の目の前で輝く、丘の上にある町です。姉妹兄弟の皆様。たえずこの地に塩気を与え続ける塩となってください。これからの年月も、塩気を失わないでください。この悲しみの日々にあなたがたを一つに集めた、共通の瞬間のすべてを大切にしてください。平和のために働くために集まったこの日を、皆で大切にしようではありませんか。兄弟姉妹の傷に注がれる油のようになってください。
このことに関連して、とくに暴力によってトラウマを負った人々をケアする信徒と修道者の女性の皆様に感謝したいと思います。それは日々、人知れず行われる途方もない仕事です。それは、シスター・カリーヌが思い起こさせてくれたとおり、危険な仕事でもあります。戦争を支配する人々は、知らないふりをしています。破壊するのは一瞬で終わりますが、再建するにはしばしば一生かけても足りないことを。彼らは見て見ぬふりをします。殺戮と破壊には数十億ドルが費やされながら、いやしと教育と復興に必要な資源はどこにも見当たらないことを。皆様の国土から資源を奪う人々は、たいてい、利益の大半を武器に投資します。こうして不安定と死の終わりのない循環を永遠に続けるのです。それは転倒した世界です。神の被造界の搾取です。わたしたちは誠実な良心を尽くしてこれを非難し、拒絶しなければなりません。わたしたちは、反対の方向へと、すなわち、人間的な兄弟愛に満ちた持続可能な道へとわたしたちを導く、決定的な方向転換を――真の意味での回心を――行わなければなりません。世界は一握りの暴君たちによって荒廃させられています。しかし、世界は連帯する多くの兄弟姉妹によって支えられています。彼らはアブラハムの子孫です。彼らの数は、空の星よりも、海辺の砂の数よりも多いのです。互いの目を見つめてください。わたしたちはこの数えきれないほど数の多い民です。平和はわたしたちが発明しなければならない何かではありません。平和は、隣人を自分の兄弟姉妹として受け入れることによって抱きしめなければならないものです。わたしたちは自分の兄弟姉妹を選びません。ただ、互いに受け入れ合わなければならないのです。わたしたちは同じ家に住む、一つの家族です。それが、古代の文化が何千年にわたり大切にしてきた、このすばらしい地球です。
皆様のことばを聞きながら、教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』における洞察が心に浮かびました。「わたしにとって民のただ中での福音宣教とは、生活の一部分でも、取り外せる装飾品でもなく、人生の中の付録でも、ちょっとした時間のことでもありません。それは、わたしという存在から、それこそ自己破壊を望むのでもなければ取り除くことのできないものです。わたしはこの地上に派遣されているのです。そのために、わたしはこの世にあるのです」(教皇フランシスコ使徒的勧告『福音の喜び』273[Evangelii Gaudium])。
親愛なるバメンダの兄弟姉妹の皆様。このような思いをもって、わたしは今日皆様の間にいます。ともに平和に奉仕しようではありませんか。「人々を照らし、祝福し、励まし、起き上がらせ、いやし、解放する使命の焼印を押された者として、自分を認識しなければなりません。そのとき、魂のための看護師、魂のための教師、魂のための政治家、徹底して他者とともにあること、他者のためにあろうと決意した者が姿を現すのです」(同)。わたしの敬愛する前任者はこのようにわたしたちを励まします。それぞれの召命に従って、ともに歩んでください。地域レベルでの具体的な努力から始めて、自分の共同体の境界を広げてください。それがだれであろうとも、隣人を愛するために。皆様はこの静かな革命の証人です。イマームが述べられたとおり、神に感謝しようではありませんか。この危機が宗教戦争へと発展しなかったことを。わたしたちが皆、今なお互いに愛し合おうと努めていることを。失望することなく、何よりもまず、ともに、つねにともに、勇気をもって前進していこうではありませんか。
愛のうちに、つねに平和を求めて、ともに歩もうではありませんか。
