教皇レオ十四世、2026年9月9日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 Ⅳ.『現代世界憲章』(Gaudium et spes 12-22) 2.人間の尊厳――たまものと責任(聖書朗読箇所:詩8・2、5-7)

 

教皇レオ十四世、2026年9月9日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」

Ⅳ.『現代世界憲章』(Gaudium et spes 12-22)
2.人間の尊厳――たまものと責任(聖書朗読箇所:詩8・2、5-7)

2026年9月9日(水)午前10時(日本時間同日午後5時)からサンピエトロ広場で行った一般謁見演説(原文イタリア語)。

 
 兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 公会議の『現代世界憲章』Gaudium et spes)は、第1章を人格の尊厳に当て、それが「今日最高の評価を受けている諸価値」の基盤であり条件であるとともに、「人間の心のゆがみ」による歪曲を避けるために、「源泉である神」(『現代世界憲章』11』)との関係を失ってはならないことを強調します。

 人格の尊厳の根本的な特徴と権利を明らかにすることを可能にした歩みが、人類史のもっとも重要なページの一つであることは間違いありません。とはいえ、この歩みは完成されておらず、その完全な実現を阻む、昔からあるものと今あるものを含めた矛盾に立ち向かわなければなりません。

 教会は、人間の尊厳は人格の存在そのものから生じることを思い起こさせることによって、はっきりとした貢献を行います。わたしも最近の回勅『人間の偉大さ――AIの時代における人格の擁護』Magnifica humanitas)でそのことをあらためて述べることができました。「すべての人は、神と他者と被造物との交わりの歴史の中に入るために神によって計画され望まれています。人格の尊厳は、もっている能力、財産、引き受けた役割、下した正しい、ないし誤った選択には左右されません。それは、人間に先立ち、また超越し、決して尽きることのない愛の表現として神から与えられた、たまものです」(同50)。それゆえ、人間の無限の尊厳は、「『神の像』として造られ、造り主を知りかつ愛することができる」被造物としての本性に根ざしています。この尊厳は、「それらを支配しかつ用いて神の栄光をたたえるため」(『現代世界憲章』12)に保護するよう人間にゆだねられた他の被造物を超えた、愛の計画であり、たまものです。

 わたしたちは信仰によって人格の尊厳の究極的な基盤を理解できます。御子は「父とその愛の神秘の啓示そのものをもって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」(『現代世界憲章』22)からです。

 人格とは、つねに、神および他者との関係、交わり、参与であり、それゆえ、父である神との子としての関係、キリストおよびすべての人との兄弟としての関係です。それは閉鎖的な自己充足を排除します。人格であることは、自己を、受容と相互性と奉仕によって成長し、成熟する、分かち合うべきたまものとみなすことを意味します。

 この尊厳は一人ひとりの責任にゆだねられています。同時にそれは、連帯と相互の配慮も必要とします。そのために、今なお尊厳の認識をゆがめ、その実現を妨げている多くの偽りと操作を乗り越えなければなりません。実際、歴史を通じて尊厳に反する選択がなされてきたことによって、現代においてもいまだに「人間は自己分裂を来して」おり、「人間の全生活は、個人的にも集団的にも、善と悪、光と闇の間における劇的な闘いの様相を呈している」のです。しかし、この脆弱で限界のある状態を、希望をもって見つめることができます。なぜなら、「主ご自身が来られて、人間を内部から新たにし、人間を罪への隷属状態に保っていた『この世の支配者』(ヨハ12・31)を外へ追い出すことによって人間を自由にし、かつ力づけた」(『現代世界憲章』13)からです。

 さらに『現代世界憲章』は、人間の尊厳は人格全体にかかわること、それゆえ、二元論を克服しなければならないことを確認します。人間は「肉体と霊魂とが一体となったもの」です。肉体を恣意的に扱うことができる「対象」におとしめることは、つねに人格の尊厳を否定することです。「人間が肉体的生命を軽んじることは許されない。むしろ、自分の肉体は神によって造られ、終わりの日に復活させられるものであり、したがってそれはよいもの、尊敬に値するものとして受け止めなければならない」。そして、「心の邪悪な傾きに肉体が仕えるままにならないように」(『現代世界憲章』14)しなければなりません。わたしたちは皆、罪によって傷つけられているからです。

 最後に、『現代世界憲章』が述べる、人格の尊厳に関する三つのきわめて重要な表現があります。人間を飽くことのない真理の探求者とする知性(『現代世界憲章』15)、人間に人生の一体性と意味を与える良心(同16)、人間を自らの決断の主体とする自由です(同17)。これらの次元は互いに密接に結びついています。真理が真理として認識されるのは良心においてです。自由は自らの基盤また可能性の根拠として真理を体験できます。キリストのうちにいのちを与える聖霊は、わたしたちを自由にし、わたしたちの神の子としての尊厳をたえず保証し、わたしたちを恐れから解放し、キリストが約束してくださった死を超えた完全ないのちという究極目的へとわたしたちを導きます。キリストのうちにのみ、人間の神秘はまことの光を見いだします。わたしたちはキリストから、苦しみと死の謎に関する光を与えられます。そしてわたしたちは、キリストとともに復活を目指して歩むのです。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。神の像として造られたわたしたちは、キリストによって、またキリストを目指して、たぐいがなく、また消え去ることのない尊厳を与えられました。福音の光と力によって、この尊厳をつねに高め、守ろうと努めようではありませんか。

PAGE TOP