教皇フランシスコ、2015年2月8日「お告げの祈り」でのことば 病人のいやし

「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」にあたる2月8日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。 […]

「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」にあたる2月8日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場に集まった大勢の信者とともに、教皇公邸書斎の窓から「お告げの祈り」をささげました。以下は祈りの前に教皇が述べたことばの全訳です。

「お告げの祈り」の後、教皇は人身売買の被害者とその家族のために祈るよう皆に呼びかけました。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日、2月8日は聖ヨゼフィーナ・バキタおとめの記念日にあたります。彼女は子どもの頃に人身売買の犠牲者となり、そのトラウマを抱えていました。修道会総長管区長連盟は、この日を「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」としました。わたしは、隷属関係を強いられたり、搾取されたり、商売や快楽のための道具として虐待されたり、さらには拷問されたり手足を切断されたりしている人々を助けるために活動している人々を力づけたいと思います。政府の指導者がこの忌まわしい事態の要因を取り除くために断固とした対策をとるよう望みます。それは社会にあってはならない事態です。わたしたち一人ひとりが、尊厳を奪われた兄弟姉妹のために声をあげることができますように。人身売買の犠牲者とその家族のために聖母マリアに祈りを捧げましょう。」

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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。

 今日、この主日の福音(マルコ1・29―39参照)には、イエスが安息日に会堂で教えた後に、多くの病人をいやしたことが示されています。教えることといやすこと。これらは、公生活におけるイエスの主要なわざです。イエスは教えることによって、神の国を告げ知らせ、いやすことによって、神の国は近づいており、もうすでにわたしたちのうちにあることを示しました。

 イエスは、シモン・ペトロの家に入り、彼のしゅうとめが熱を出して寝ているのを目にします。イエスはすぐに彼女の手をとり、彼女をいやして、起き上がらせます。日が沈み、安息日が終わって外出できるようになると、人々はイエスのもとに病人を連れて来ます。イエスは、あらゆる身体的、心理的、霊的な病をわずらう多くの人々をいやします。イエスは、すべての人間、あらゆる民族の救済を告げ知らせ、それを実現させるためにこの世に来られました。そして、からだや心に傷を受けた人々、すなわち貧しい人、罪人、悪霊に取りつかれた人、病者、社会の片隅に追いやられた人々をとりわけ愛します。イエスは心とからだの医者として、人間に対するよきサマリア人としてご自分を示します。イエスは救うかた、治すかた、いやすかたであり、真の救い主なのです。

 キリストによる病人のいやしは、病気の意味と徳について考えるようわたしたちを促すと同時に、この水曜日、ルルドの聖母マリアの記念日である2月11日に祝われる世界病者の日を思い起こさせます。わたしは、この日に行われる諸行事、とりわけ、ローマで行われる2月10日の徹夜の祈りが神に祝福されるよう望みます。また、教皇庁保険従事者評議会議長のジグムンド・ジモフスキ大司教がポーランドで重い病の床にあることも思い起こしましょう。世界病者の日の貢献者であり、また苦しみのうちにわたしたちと共にこの日を迎えているジモフスキ大司教の回復のために祈りましょう。

 イエスの救いのわざは、イエスお一人で終わるものでも、イエスが地上にいらした間だけのものでもありません。それは、教会を通して、神の愛の秘跡を通して、人間の優しさを通して続きます。イエスは弟子たちを派遣するにあたり、彼らに二つの使命を託しました。救いの福音を告げ知らせることと、病人をいやすことです(マタイ10・7―8参照)。教会はこの教えに忠実に従い、病者をケアすることを自らの主要な使命と考えてきました。

 「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(マタイ26・11)とイエスは諭します。そして教会は、キリストと出会い、キリストを受け入れ、キリストに尽くすための特別な道として病者に心を配り、彼らに目を向けながら歩み続けます。病者を治療し、受け入れ、奉仕することは、キリストに仕えることです。病者はキリストのからだなのです。

 このことは現代にもあてはまります。科学の飛躍的な進歩にもかかわらず、人々は心とからだに苦しみを受け、病気と痛みの意味、さらには死の理由について深い疑問を投げかけています。それらは存在にかかわる問題であり、教会の司牧活動が、十字架を仰ぎ見ながら信仰の光のもとで答えるべき問題です。人間への愛のために御子を死に渡された(ローマ8・32参照)御父の救いの神秘のすべてが、十字架に表れています。したがって、わたしたち一人ひとりが、苦しんでいる人々と彼らを支える人々、家族や医師や看護師などにみことばの光と恵みの力をあかししなければなりません。そうすれば、福音的な愛、優しさ、人間愛にあふれた、より充実したケアが病者のためにより広く行われるようになるでしょう。母である教会は、わたしたちの手を通して、母としての優しさのうちにわたしたちの苦しみを和らげ、わたしたちの傷をいやします。

 病人のいやしであるマリアに祈りましょう。病気で苦しむすべての人が、周囲の人々の看病を通して、神の愛の力とマリアの母なる優しさを感じることができますように。

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