ミカエル松浦 悟郎 司教講話

2023年11月14日

日韓司教交流会の意義と今後に向けて

名古屋教区 松浦悟郎

はじめに
 今回、日韓司教交流会25周年を迎え、こうして共に集うことができたのは本当に感慨深いものがあります。私は1999年の第5回から欠かさず参加しているので、今回で21回目となります。毎年の交流会は本当に楽しく、学ぶことが多かったと感じています。特に、韓国の司教様方と親しく交流できたことで、何か別の機会に会うと懐かしい友に再開したような気持になったものでした。コロナで中止となっていた3年間の間に、日韓司教交流会にずっと参加してこられた何人もの司教方が引退され、また亡くなられた方もおられ、さみしい気がしています。一方では、両国の司教団もそれぞれに新しいメンバーが加わり、これから交流していく楽しみと同時に大きな可能性も感じています。
 日韓司教交流会の始まりや経過については、記録集に書かれていますし、姜司教様のお話のはじめの方にも触れられていたので、私の方からは、主にこの交流会の意義と今後について感じていることをお話したいと思います。 もちろん、これは日本の司教団としてではなく、交流会に参加してきた一人の司教としての思いとして受けとめていただければと思います。

交流会の性格について
 日韓司教交流会(以下、「交流会」)の出発点は、1996年韓国の3人の司教と日本の2名の司教が「日韓教科書問題懇談会」という集まりを持つことで始まりました。この集まりが、司教協議会レベルではなく、自主的な集まりとしてスタートしましたが、それは今も同じです。第一回は両国合わせて5人の司教が集まりましたが、前回の第24回では合わせて41名の司教が参加しています。実質的にはほとんどの司教が参加していますが、この集いが司教協議会という組織に支えられながらもあくまでも自由な参加となっているのは、とてもユニークは方法だと思っています。その理由は、第一に、この集まりが、一つの「運動」であり続けているという点です。運動は個人の自由意志によって動いていくので力があります。ただ、運動は、それを動かす人に左右されがちですし、はじめの情熱も時と共に変化していくものです。しかし、その運動が目指しているものが大切だと認識された場合、「組織」が背後からその運動を支えることによって、人が変わり、状況が変わっても続けていくことができます。組織が支えるということは、具体的には、両協議会から正式に担当者を決めて案を作ってもらうことや、協議会としてスタッフの派遣、予算化などでしょう。交流会の中で声明を出すなどのことが提案されれば、参加者の署名(あるいは、「参加者一同」として)で発表されることになります。また、交流会の中で提案された案件の中で、両協議会として検討するものがあれば持ち帰り、あらためてそれぞれの司教協議会で再検討した上で正式な決定とするという方法です。また、この交流会は運動ですから、時代の流れの中で取り上げるテーマも形も変える自由もあるのです。
 少し飛躍しますが、この方法は、教会そのもののあり方と共通していると思いました。イエスの呼びかけに自由に応えた弟子たちが、イエスの目指したことに共感して従っていくのは、まさに「福音運動」と言えると思います。呼びかけに対して自由に応えて従っていく心が無ければ教会は力を失うと思います。教会という組織の役割は、イエスに従おうとする人々にイエスが歩まれた道を示し続けること、その福音運動を継続していくために支えていくということでしょう。ただ、組織が前面に出て強くなると、硬直化していき運動の魂は弱っていきます。
 交流会のスタイルを見ながら、ふと教会の姿を重ね合わせてみました。

交流会の原点
 交流会が始まった背景には、日韓の歴史認識の問題がありました。1980年代半ばからはじまった日本における歴史修正主義による教科書問題、右傾化などが両国関係に亀裂をもたらしていきました。残念ながら、この動きは日本による朝鮮、中国、アジア太平洋地域への侵略戦争によって大変な犠牲を強いたことに対する和解を遠ざけていきました。当初、交流会の目的は、まず教会が歴史の共通認識を持つことで和解のしるしと道具になることだったと思います。私にとってこの歩みがもつ意味は、韓国との和解への歩みを通してアジアの国々との和解を目指すことはもちろんのこと、日本国内にある次の2つの課題を克服するためにとても重要なことだと考えています。

  1. どこの国であっても、同じ過ちを繰り返す方向で動き始める兆候は、歴史の改ざんに見られます。日本の場合、過去の侵略が無かったなどと主張し始める背景には、憲法を変えて戦争できる国にしようという動きが出てきたという兆しに他ならず、このままいけば、日本は再び他国と戦争する国になっていきます。二度と戦争をせず、アジアの平和に寄与し続けることが戦争犠牲者への償いであり和解の前提であるので、この道を守り続けなければいけないと思っています。
  2. 次に、戦前、戦後にわたって続けてきた植民地支配の原理である「同化か排除」の政策が、今も日本の中に根強く残っている問題です。これは、在日コリアンへの制度的、社会的差別につながっているし、更に、外国人労働者、難民への非人間的な対応に、また、日本人同士でも学校の中で「異質な者を排除する」いじめの問題にもつながっていると思っています。

日韓司教交流会で始められた歴史認識の共有化と交流は、こうした課題に向き合い、乗り越えていく歩みでもあります。その意味で、交流会で取り扱うテーマはいろいろな分野に及んだとしても、やはりこの原点をしっかり保つことが大切だと思っています。

 こうして交流会では当初、歴史問題を取り扱ってきましたが、当然のことながら、どうしても、「加害国の日本と被害国の韓国」という図式の中で学ぶことが多くなっていきます。しかし、それを続ける中で、それぞれの国が、自分の国の中で起こった弾圧や戦争に向かう動きに対して教会はどのように声をあげ、抵抗していったかについて内省していくことになったと思います。
 一つの例ですが、韓国側からも自分たちの歴史の中で加害の責任について言及されたのは、とても印象的でした。今日、韓国側として発表された姜司教様は、広島で講演されたとき、ベトナム戦争の時に韓国兵がベトナムで行った虐殺について触れ、謝罪の気持ちを表されました。このように、日韓の歴史の学びは単に加害国と被害国ということにとどまらず、混迷し争い続ける世界の一員としての責任をそれぞれの立場で振り返り、平和のために歩む決意を新たにしてくれていると感じています。同じような広がりは、日本軍による性奴隷である「従軍慰安婦」をあらわすハルモニの「少女像」にもありました。この像は米国にもありますが、その説明書きに、「世界で性被害を受ける少女」たちへという言葉があり、かつての日本軍のことだけでなく、それを普遍化し、今も続く世界での性奴隷、性被害者に目を向けてもらうシンボルになっているというのです。歴史を学ぶことでこのような深まりと広がりが生まれ、共に平和な未来のために歩む意思を共有することが出来るのです。
 「従軍慰安婦」のことで印象深いことがありました。第20回の交流会がソウル大司教区で行われた時、オプションでしたが、皆で日本軍性奴隷の犠牲者であるハルモニの住む「ナヌムの家」を訪問しました。その時、ハルモニたちは韓国の司教たちが大勢訪問してくれたことを本当に喜んでいました。おそらく、彼らにとっては日本の司教たちの訪問よりも、韓国の司教様方が自分たちの苦しみに耳を傾けてくれたことを喜ばれたのではないかと感じました。韓国の司教様方の中でもはじめて訪問される人もおられ、ハルモニたちの声を直接聞く一つのきっかけになったと思います。

具体的な発展
 こうした原点を特に意識してはじめられた交流会も、回数を重ねるごとに内容的にも意味的にも発展していきました。第10回の報告には、「1996年の最初の交流会以来、培ってきた歴史認識に基づいて、新しい協力関係を開いていくことで思いを一つにした」とあり、以後、テーマはいろいろな分野に及んでいきました。歴史問題だけではなく、宣教司牧の問題、召命や自殺の問題などを取り上げていくことになりました。また、はじめは、開催地がソウルと東京だけでしたが、第6回から各地を回ることで、その地域の文化や人々の生活にも触れることができ、日韓を「もっとも近い国」にしていく豊かな機会となっていきました。毎回、違った教区を訪問できるのは本当に楽しみであり、互いの国を知る良い機会になりました。
 交流会の形態も会を重ねるごとに少しずつ発展していきました。第8回で、水原教区の小共同体について学びましたが、はじめてミサで信徒が参加するようになり、以後、部分的ではありますが信徒の参加もなされていったと思います。両国の信徒たちは私たちの交流会をとても喜んで注視していましたし、実際の信徒同士の交流につながっていったことは大きな実りだと思います。具体的には、韓国から長崎への巡礼が行われたり、逆に長崎教区は、水原教区の小共同体の実践に刺激され、自分の教区でも取り組みを始めたことを聞きました。交流会で学んだことが、こうした動きに発展したことは他の教区でも行われていたようです。
 更に、一つの広がりとして、香港や台湾、中国の司教たちにも声をかけてはどうかという意見も出てきました。諸事情でそう簡単に実現とはなりませんでしたが、香港の司教の話を聞くなど、単に日韓関係だけではなく、アジアの教会にも目を向けられていったのは、交流会の一つの発展だと思います。

具体化していった日韓両教会の交流と交わり
 交流会からいろいろなレベルで具体的な動きが生まれてきました。日韓青年交流会はその大きな動きだったと思います。この青年交流会は残念ながら日本側の事情で途絶えてしまいましたが、その実りは今も続いています。その時知り合った青年同士がつながり続けているし、また韓国語を勉強しはじめた青年もいれば、そこで出会い結婚した若者もいます。私も韓国とのつながりが出来たので韓国でのプログラムが作りやすくなり、大阪教区にいた時も、名古屋に移ってからも青年たちを連れて韓国へ行って青年同士の交流をしました。もちろん、他の教区でもいろいろな形で続けているようです。やはり、直接出会うということがイメージの壁を壊してつながっていくもっとも重要な力になるのでこれからも続けていきたいと思っています。
 青年の他に、姉妹教区の誕生、司祭の派遣などがいろいろな教区の間で実現していきました。司祭の派遣は現実的には韓国教会が日本の教会を助けるために司祭を派遣するという形になっていますが、このことは両国の教会にとって大きな意味があると思います。先ほどの姜司教様の話で、司祭の派遣については大田教区長だった故景司教様の提案だったと知りました。景司教様が本当に日本の状況を尊重してくださり、何よりも司祭派遣を「和解のしるし」として提案してくださったということに深い感銘を受けました。今、韓国教会から多くの司祭たちが日本の各地で働いてくださっています。私は今、司教団の中で教区司祭の生涯養成の担当をしていますが、今年の1月に叙階5年前後の司祭たちの養成コースをしました。22名の参加司祭のうち3分の1(7名)が韓国人司祭でした。「資料集」にあるイ・ギホン司教様の挨拶文の中に、現在日本で働いている韓国人司祭は50名に及ぶとありました。こうした司祭たちは日本の教会やそれぞれの教区の課題とヴィジョンを共有して歩んでいるわけであるし、日本の教会も彼らを通して韓国の教会に触れていることになります。もちろん、韓国と日本の文化の違いや教会のあり方の違いから、必ずしもうまくいくということではないと思いますが、それでも一緒に働くということを通して、それぞれが気づき、学び合うことで両国の架け橋になることは確かだと思います。
 韓国教会からいつも助けられていることが多いですが、日本側からはいくつかの大切な報告も提供できたと思っています。一つは、阪神淡路大震災と東日本の大震災(津波)に直面した教会の変化についてです。日本は小さな教会ではありますが、この二つの大災害によって、直接に被害のあった大阪教区と仙台教区はもちろんのこと、日本の教会もこの災害で気づかされることが多く、大きく変わる機会となりました。その気づきは私たちを動かし、単に、復興するということではなく、新しい教会になろうとしたことにつながっていきました。
 東日本の震災について印象深いことが一つあります。震災の数日後に、私は日韓司教交流会の準備会のために韓国に行きました。驚きましたが、空港やソウル市内のいたるところで、日本のための募金活動がなされており、長蛇の列で人々が献金しているのです。日韓の政治的問題はあるとしても、こういう時に、無条件で助けようとしてくれている人々の姿に胸が熱くなり励まされました。

今後について
 日本の司教たちに事前にアンケートを取りましたが(回答は全員ではないですが)、皆、交流会について積極的に評価しています。青年の交流を再開してほしいとか、テーマについてはいろいろな分野に及んではどうかなどの意見、また、はじめて参加する司教たちは、これまで続けてきたことの意義を感じるし、楽しみにしているという意見が多かったです。その意味で、この交流会のもっとも大きな意味は、司教同士が直接出会い、友達になっていくことにあると思います。このつながりが、すべての壁を乗り越えていき、いろいろな可能性を生んでいく力になるからです。
 それと、この交流会の原点はやはり日韓の和解の旅であるということを保ってほしいと願っています。もちろん、この和解の旅は、日韓の間やアジアだけでなく、争い悩む世界がいつか一つになることを目指したものです。その原点に立った上で、テーマはいろいろな分野に及び、未来に向けたさまざまな試みがなされていったら良いと思います。つまり、この原点があるからこそ、「日韓両国の司教たちは、過去の痛みの記憶を辿り、未来に向けて、和解と一致の『旅』を始める勇気を持つことができた」(25周年記念資料姜司教)と言えるのですから。つまり、歴史のテーマをするかどうかということではなく、交流それ自体が「和解のしるし」として示し続けたいということです。
 これからも、両国の間では、政治的、社会的な問題がおこり、険悪な状況になることもあると思いますが、そうなると必ず歴史問題に遡っていきます。和解がなされていないからです。その時こそ、日韓両国の司教たちはそのためにこそ「和解の旅を続けている」ということを教会内外に示していくことが大切だと思います。
 教皇フランシスコが訪日したとき、こう言いました。「紛争が橋を壊すのではない。橋が壊れたところに戦争が起こる」と。日韓司教交流会の取り組みは、単に両国の間のことではなく、分裂状態にある世界の中で、和解の道を「人類一致のしるしであり道具である」という教会の使命を果たす道だと信じています。

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