白柳誠一枢機卿のコメント

以下は、マザー・テレサの帰天に際し、
白柳誠一枢機卿が発表したコメントです。
1997年9月発表。

マザー・テレサを偲んで

カトリック東京大司教
白柳誠一枢機卿

このたび、マザー・テレサの訃報に接し、大きな悲しみを覚えています。神の 計らいとはいえ、人間的に考えるならば、誠に惜しい方を失いました。

昨年8月、マザーが突然入院された時、全世界の新聞、ラジオ・テレビが日ご とに病状の進展を報じ、宗教の差異を超えて病院の前でマザーの回復のために祈 りが捧げられたとのことでした。

政治家でもなく、学者でもなく、実業家でもない一人の小柄な老婆に、どうし て世界的な関心が寄せられるのでしようか。それは多分、マザーの生き方、マザ ーのしていることが現代世界で必要とされているからでしょう。自分もそれにあ やかりたいと思っても、なかなかできない、そのことをマザーはなさっている。 その人への敬意、その行為への憧れからではないでしょうか。

アルバニア出身の老修遺女が国、民族、宗教を超えて、貧しい人、弱い人の中 でも最も貧しい人、最も弱い人に対する徹底的な奉仕、声を出せない胎児から死 の病に横たわる老人に至るまで、生涯、人間として大切にされたことのない人か ら、エイズ、重い皮膚病にかかった人、省みられない子供たち、難民に至るまで のすべての人の生きる権利を擁護しそのために命を賭けて惜しみなく、徹底的に 生きるマザーのその姿は、尊敬をこめた共感を呼び起こします。

だれでも人を殺すことは悪であることを知っています。かつて胎児を殺すこと は法律で禁止されていました。安楽死(尊厳死ではなく)も禁止されていました 。それが現代では法律によって認められるように変わりつつあります。民主主義 の一つの大きな柱は、人が、人の生きる権利が尊重されることですが、現代は声 を出せない弱い人たちが生きる権利を奪われる「死の文化」が堂々と叫ばれてい ます。マザーの人間観は、人間はだれであっても神からつくられたものであり、 そのなかでも最も弱い人たちを大切にすることにあります。したがって、だれか ら非難されようと、その信念を恐れなく述べ伝え、みずからそれを実践している のです。

私はかねてからマザーとそれに共鳴する修道女たちに強い関心と深い敬意を払 っていましたが、1981年にマザーの精神に生きる3人の修道女を招くことができ ました。以来日本の3か所で、約15人の修遺女たちが奉仕活動をしています。初 めて日本を訪れたマザー・テレサの言葉を今でも鮮明に覚えています。

「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国で す。しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に 無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊か な人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人 たちです。愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。」

マザー.テレサの生き方は今では世界の多くの人に知られており、彼女の主な 奉仕の場であるカルカッタには、世界中からたくさんの見学者、ボランティアが 訪れています。その人たちの多くは「マザー、私たちは何をしたらよいでしょう が」と質問するそうです。多少「少し手伝ってください」という答えを期待して の質問かもしれませんが、マザーは決まったように、次のように答えるそうです 。「皆さんはすぐにお国にお帰りなさい。そして皆さんの最も近いところから愛 の行為、人を大切にすることを始めてください。愛は最も近いところから始まる のです」と。

「私たちの最も近いところといえば、それは日常生活の場である家庭であり、 職場であり、学校です。そこで本当の意味で大切にされていない人がいるかもし れません。家庭でご主人は自分の本当のことを奥さんから理解されないで苦しん でいるかもしれません。反対に奥さんは、ご主人から自分の望みを分かってもら えないで悲しんでいるかもしれません。

子供たちも、ご両親から若者の心が理解されないでふさぎ込んでいるかれ知れ ません。ご両親は、こんなにも子供たちを愛しているのに分かってもらえないと 嘆いているかも知れません。お年寄りは若い人から、若い人はお年寄りから理解 されないで、互いに孤独でいるかも知れません。病人は健康な人から、健康な人 は病人から、互いの心が分からずに苦しんでいるかも知れません。職場で同僚の 一人が目上の人から誤解され、同僚からも理解されずに苦しんでいるかも知れま せん。学校で語り合う友だちがなくて、校庭の片隅にたたずんでいる者がいるか も知れません。私たちの最も近いところに大切にされることを待っている人がい るかも知れません。愛はそのようなところから始まるのです。」

また、こんな話も聞いたことがあります。「私たちはたまに会う人に微笑みか けるのは易しいのです。でも毎日会っている人に微笑むのは難しいです。私もそ うです。」

確かに私たちはたまに会う親戚、友人に笑顔で挨拶できます。そしてそれは難 しくありません。しかし、毎日会っている家族の人にいつも笑顔で接することは 、努カのいることです。でも、微笑みには人間関係を温かくする不思議な力があ ります。マザー・テレサはそれを言っているのです。

言葉だけが入り乱れている今日、実践によって裏づけられた言棄には責実味が あり、力があります。なんだか現代人に対する警鐘のような気がいたします。マ ザー.テレサに心から感謝をささげ、そのごめい福をお析りいたします。

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