マザー・テレサ追悼ミサ

マザー・テレサ追悼ミサ

亡くなったマザー・テレサを追悼するミサが1997年9月8日午後4時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われ、東京で働いている「神の愛の宣教者会」(マザー テレサ創立)の修道女や修道士、インド、バチカン両 国大使をはじめ約2,000 人が詰めかけ、祈りをささげた。

追悼ミサでは、森一弘補佐司教(東京大司教区)が、「宗教、人種を問わず貧しい人を救済したマザーは、 現代社会に歩むべき道を示した」と、マザー・テレサ の功績をたたえた。
「神の愛の宣教者会」の修道女は、「マザー・テレサは自分を捨てて神の愛を宣べ伝えました。悲しいけれど、以前にもましてマザーは私たちの近くにおられます」とあいさつした。

マザー・テレサ追悼ミサ

当日は、学校帰りの小学生たちも参列していた。

追悼ミサは東京の他にも、名古屋、大分で行われ、13日には大阪で、15日には京都でも行われた。

森 一弘司教の説教(全文)

1997年9月8日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて
日本時間で9月6日の午前1時にマザー・テレサは、87才の生涯を閉じまし た。その死去を伝えるその日のタ刊の一面には、貧者救済の生涯、とか貧困層救済の生涯という見出しが並びました。極貧の人たちとともに生きようとした彼女 の生涯を的確に表すためにふさわしい表現かもしれません。事実、修道者となった彼女は、修道会が母体となる学校教育に飽きたらず、30代なかばで、あらたに「貧しい人々の中の最も貧しい人々に奉仕すること」を決意して、スラム街の真っ直中に単身飛び込んでいったのですから。そして毎日のように、町中に飛び出し、見捨てられている人々、絶望している人々を積極的に探しだし、人種や宗教の違いにかかわりなく、全身全霊をあげて、世話をし、愛したのですから。

彼女のこの生き様に、インドの人々だけでなく世界中の人々が引き寄せられた のは、貧しい人々に対する姿勢が、自己満足でもなく、権威におもねるものでもない、本物であったからだと思います。

彼女のさまざまなエピソードは、彼女が本物であったことを証ししています。 実に、死んだ後彼女が残したものは、2枚の質素な木綿のサリーと着古したカーディガン、そして常に持ち歩いた布袋だけでした。本当に清貧そのものでした。 また、権威にもおもねるようなことは全くありませんでした。教皇から贈られた豪華な自動車は、貧しい人のために資金をあつめるための賞品として提出してし まいました。ノーベル平和賞を受けた祝いの晩餐会も断り、その費用は貧しい人々のために使うことを求めました。ダイアナ妃から寄贈された衣服は、競売にかけております。

ひたすら貧しい人々を救うことに徹した彼女の生涯を「貧者救済の生涯」「貧困者のための生涯」と讃えることは、的確な表現かもしれませんが、ただそれだけだったのでしょうか。彼女によって、希望を与えられ、救いへの道を与えられたのは、貧しい人々だけでなかったのではないでしょうか。現代世界そのものが、そして私たちが、彼女によって、光を与えられ、進むべき道を教えられたのではないでしょうか。

彼女によって光を与えられた世界の筆頭に、私はアジアの力トリック教会をあげねばならないと思います。450年前、東洋の使徒フランシスコ・サベリオがインドのゴアを訪れたとき、彼はそこに洗礼を受けずに多くの人々が死んでいく のを見て、その人たちを救うために洗礼を懸命に授けたと報告されております。その数は、ときには、一日数百人の数にのぼったとも言われております。その後 、フランシスコ・ザベリオは、力トリック教会の中では東洋の宣教活動の保護者としてまつられてきました。

しかし、帰天されたマザー・テレサとそのシスターたちは、同じインドで、死 に瀕した貧しい人を前にするとき、まずその人がどのような宗教を信じているか尋ね、ヒンドゥー教であれば、ヒンドゥー教の祈りをその耳元で唱え、死んだあとも、その死者が生前信じていた宗教儀式にそった葬儀を行ってと言われます。

この2人には、それぞれの生きた時代の違いがあることは確かです。フランシスコ・サベリオの時代は、植民地主義が何の疑いも抱かれず肯定されていた時代であり、マサーが生きた時代は、他の宗教にも永遠の真理があると宣言し、諸宗教のとの対話を強調した第ニバチカン公会議後の時代です。フランシスコ・ザベリオには、自ら信じる教義の絶対性に基づく人間愛でしたが、マザー・テレサは 、諸宗教が共存する世界の中で、一人ひとりの人間としての尊厳の絶対性をしっかりと見つめたところから溢れ出てくる実践的な人間愛でした。いずれも、真実な愛なのでしようが、ひびきが違います。フランシスコ・ザベリオの活動に対しては教会内の人々からしか感動を得られませんが、マザー・テレサのそれには、宗派を越えて多くの人々が共感します。

実に、植民地主義と歩調を合わせるように、東洋で宣教活動を続けてきたカトリック教会は、実に、数百年の宣教活動の努力にもかかわらず、その教勢は、東洋では、フィリピンを除けは、微々たるものです。その理由は何かと問われれは 、さまざな回答が帰ってくるでしようが、その活動の根底に、欧米文明の優越感とそれに結びついた教会のおごりが流れていることは、見落としてはならないことのように思えます。

ところが、マサー・テレサには、これまでの教会に常についてまわった権力主義、植民地主義、凱旋主義等のさまざまな臭い、汚れのすべてが払拭されております。長い西欧の歴史の中で着込んでしまった、伝統という分厚い衣をすべてぬぐい去ったすがすがしさがあります。それゆえにこそ、多くの人々が、その宗派・信条・イデオロギーの違いを越えて、警戒心を解いて、信頼をもって彼女に近 寄り、そのメッセージに共感することができたのだと思います。実に、彼女は、私たちカトリック教会に、アジアで歩むべき道を明らかにしてくれたのだと思います。

彼女によって、歩むべき道を示されたのは、カトリック教会だけではありません。現代世界もそうです。今、時代は、二十世紀を終え、新しい世紀を迎えようとしております。彼女のメッセージは、新しい世紀を迎える私たち人類の歩みを照らすものです。

二十世紀は、実に、大量殺りくの世紀です。長い人類の歴史の中で、これほど大量の人が戦争で殺された時代はありません。植民地主義、国家主義、帝国主義、さらにはイデオロギーや民族の対立の中で、人間の命がもてあそばれ、その犠牲となって、実に多くの人々の命が踏みにじられました。瀕死の状態にある貧しい人々に、「その宗教は何ですか」と尋ね、自ら信じる宗教を押しつけないマザ ー・テレサの中に生きているものは、一人ひとりの人生の尊厳に対する敬いであります。一人ひとりの人間の尊厳への絶対的な敬意そして真実な愛。ここに、私たちが、しっかりと受けとめなけれはならないメッセーシがあります。ここに、二十世紀の過ちを二度と繰り返さないために光があります。国家、イデオロギー 、民族の枠を越えて、私たち人類が手をとりあって生きていくための土台が、ここにあります。

マザー・テレサが安置された教会のホールで、ひとりの貧しい女性が「ああ、 マザー、あなたが去ってこれから私たちを誰が救ってくれるのですか。ああー、マザー」と泣き叫んだと今朝の新聞は伝えておりますが、天に昇られたマザー・ テレサは、「さあ、この叫びを受け取るのは、今度はあなたたち一人ひとりですよ」と私たちに語りかけているに違いないと思います。「マザー・テレサ、本当にお疲れさまでした。これから、私たちが、貧しい人々の叫びを受け取って、しっかりと応えていきます。今は天国でゆっくりお休みください。」

PAGE TOP