復活節

復活徹夜祭については「過越の聖なる三日間」を参照してください。

教会公文書の復活節に関連する箇所

「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より

7 なお、主の公現、主の昇天、およびキリストの聖体の祭日が守るべき祭日でないところでは、これらの祭日を次のとおり、固有の日とみなされる主日に移すこととする。
 イ ……
 ロ 主の昇天の祭日は、復活節第7主日に移す。

22 復活の主日から聖霊降臨の主日に至るまでの50日間は、一つの祝日として、また、より適切には「大いなる主日」として、歓喜に満ちて祝われる。
 「アレルヤ」がとくに歌われるのは、この季節である。

23 この季節の主日は復活節主日とし、復活の主日に引き続き、復活節第2、第3、第4、第5、第6、第7主日と名づける。この50日間の聖節は、聖霊降臨の主日をもって終了する。

24 復活節の最初の8日間は、「主の復活の8日間」と呼ばれ、主の祭日のように祝われる。

25 復活後40日目には、主の昇天を祝う。それが守るべき祭日でないため、復活節第7主日に移された場合は別である。

26 主の昇天後から聖霊降臨の前日の土曜日までの週日は、聖霊を迎える準備にあてられる。

「成人のキリスト教入信式の緒言」より

9 入信の秘跡の祭儀は、キリストの死と復活に初めて秘跡的に参加することであるから、復活徹夜祭に行われることがもっとも適している。したがって洗礼志願者の準備である清めと照らしは四旬節に、入信の秘跡直後の導きは復活節に行われる。こうして、入信の前過程が過越の性格を明白に示すものとなる。
 ただし、司牧上の必要のために、入信の秘跡の祭儀を他の時期に行うことは禁じられてはいない。
38 入信の秘跡を受けると、受洗者は信者の共同体とともに福音の黙想、感謝の祭儀への参加、愛の実践などによって、いっそう深く主の過越の神秘を味わい、日常生活の中でそれを表すようになる。この期間に入信の秘跡直後の導きが行われる。これが入信の最後の段階である。

39 受洗者は復活節の教話を聞き、特に秘跡を受けた体験を通して信仰の神秘をさらに深く悟る。霊的に新たにされたこの人々は、神のことばのすばらしさを味わい、聖霊の交わりにはいり、主の恵み深いことを体験する。この体験はキリスト者独特のもので、日々の信仰生活を通して増大し、信仰と教会と世界について新しい感覚を与える。

40 秘跡にあずかる生活を通して聖書の理解が深まるとともに、人間理解と共同体の体験も豊かになる。この期間、受洗者は代父母に助けられて他の信者と親しくなり、すでに洗礼を受けた信者も、新しい視野と新しい刺激を与えられる。このため、入信の秘跡直後の導きは教会全体にとってきわめて重要な時である。

41 秘跡と共同体の体験を深める入信の秘跡直後の導きは、特に「新信者のためのミサ」と呼ばれる復活節中の主日のミサで行われる。A年の聖書朗読は受洗者のために適切であるから、司牧者はこれに基づいて説教と教話を行い、代父母と共同体の参加の中で受洗者を導く。

42-(5) 入信の秘跡直後の導きの期間には、新信者のためのミサにあずかり、キリスト者の集いの喜びをともにする。

54 入信の秘跡は復活徹夜祭の中で行われる。場合によっては復活主日の主なミサ、またはその8日間中に授けることもできる。8日間中の週日に授けられる場合、当日のミサか、洗礼式のミサの式文を用い、聖書朗読は復活徹夜祭のものを用いる。

55 特殊な理由があれば堅信の秘跡を、入信の秘跡直後の導きの期間の終わるころ、たとえば聖霊降臨の主日まで延ばすことができる。

56 復活節の各主日のミサは、新信者のためのミサとも呼ばれ、小教区共同体は受洗者、代父母とともにこのミサに参加する。

『成人のキリスト教入信式』より

入信の秘跡直後の導き
156 復活節の全期間がこれに当てられる。
 入信した人の最初の歩みを助けるために、信者の共同体、代父母と主任司祭はあらゆる機会に懇切に援助することが必要である。かれらが共同体に喜んでとけ込むことができるよう、細心の注意を払う。

157 復活節の全期間中、主日のミサでは信者席の中に、入信した人のための特別な場所を設けるとよい。
 代父母は、ともにミサにあずかるよう心がける。
 説教と共同祈願においても、入信した人のことを念頭におくようにする。

「教会の祈りの総則」より

92 (「寝る前の祈り」では)復活節にはいつも「天の元后喜びたまえ、アレルヤ」(レジナ・チェリ)を唱える。……

214 「教会の祈り」は多くの先唱句と交唱に結びとしてつけ加えられる「アレルヤ」によって復活の性格をもつものとなる。そのうえ賛歌、先唱句と交唱、特別な共同祈願、さらに各時課に固有の「神のことば」によっても復活の色彩を帯びるようになる。

『朗読聖書の緒言』より

主日
100 復活節第3主日まで、福音朗読は復活したキリストの出現を述べている。よい牧者についての朗読は復活節第4主日に定められている。復活節第5主日、第6主日、第7主日〔日本では、この主日は「主の昇天」の祭日になる〕には、最後の晩さんの後に主が行われた説教と祈りの一部が朗読される。
 第1朗読は使徒言行録からとられ、3年周期で並行して発展していくようになっている。こうして、毎年、初代教会の生活から始まって、あかしと発展の後をたどるのである。
 使徒書の朗読については、A年にはペトロの第1の手紙が、B年にはヨハネの第1の手紙が、C年には黙示録が朗読される。これらの箇所は、この季節独特の喜ばしい信仰と揺るぎない希望の精神に非常によく調和している。

週日
101 第1朗読は主日と同じくほぼ継続して使徒言行録からとられている。福音については、復活の8日間中は主の出現の記事が朗読される。その後、ヨハネ福音書の準継続朗読が行われるが、ここではどちらかというと復活の色彩の濃い箇所がとり上げられ、こうしてすでに四旬節に行われた同書の朗読が完成する。この復活の朗読においては、最後の晩さんの後の主の説教と祈りが大半を占めている。

昇天と聖霊降臨の祭日
102 昇天の祭日には、第1朗読として使徒言行録による昇天の出来事の叙述が保持されている。この箇所は、父の右に上げられたキリストについての使徒書の朗読によって補完される。福音朗読には、各周期の年のために福音記者の異なるそれぞれ固有の箇所が用意されている。
 聖霊降臨の前晩のミサには、この祭日の多様な意味を明らかにするために旧約聖書の四つの箇所が掲げられているが、そのうちの一つが任意に選ばれる。使徒書の朗読は現に教会の中で働く聖霊の役割を示している。福音朗読は、栄光を受ける前にキリストがなさった聖霊の約束を思い起こさせる。
 当日のミサにおいては、第1朗読のために聖霊降臨の偉大な出来事に関する使徒言行録による叙述が伝統的に採用されている。使徒書の箇所は、教会生活における聖霊の働きの効果を示している。福音朗読は、イエスが復活の日の夕方、弟子たちに聖霊を授けたことを思い起こさせる。任意に用いることのできる他の箇所は、弟子たちと教会に対する聖霊の働きについて扱っている。

復活節主日と主要祝祭日の聖書朗読箇所

【復活の主日 日中のミサ】

第1朗読
使徒言行録10・34a、37-43 
イエスが死者の中から復活した後、わたしたちはイエスと一緒に食事をした
第2朗読
コロサイ3・1-4 
上にあるものを求めなさい。そこにはキリストがおられる
  または
一コリント5・6b-8 
新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい
福音朗読
ヨハネ20・1-9 
イエスは死者の中から復活されることになっている
  または任意にささげる夕刻のミサで
ルカ24・13-35 
一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますから

【復活節第2主日(神のいつくしみの主日)】

[A年]
第1朗読 使徒言行録2・42-47 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にした
第2朗読 一ペトロ1・3-9 神はわたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えてくださる
福音朗読 ヨハネ20・19-31 八日の後、イエスが来られた

[B年]
第1朗読 使徒言行録4・32-35 信じた人々の群れは心も思いも一つにした
第2朗読 一ヨハネ5・1-6 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ
福音朗読 A年と同じ

[C年]
第1朗読 使徒言行録5・12-16 多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった
第2朗読 黙示録1・9-11a,12-13,17-19 わたしは一度死んだが、見よ、世々限りなく生きる
福音朗読 A年と同じ

【復活節第3主日】

[A年]
第1朗読 使徒言行録2・14,22-33 イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかった
第2朗読 一ペトロ1・17-21 あなたがたが贖われたのは、汚れのない小羊のようなキリストの尊い血による
福音朗読 ルカ24・13-35 パンを裂くと、彼らはイエスだと分かった

[B年]
第1朗読 使徒言行録3・13-15,17-19 あなたがたは命への導き手である方を殺してしまったが、神はこの方を死者の中から復活させてくださった
第2朗読 一ヨハネ2・1-5a イエス・キリストこそ、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえである
福音朗読 ルカ24・35-48 次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」

[C年]
第1朗読 使徒言行録5・27b-32,40b-41 わたしたちはこの事実の証人であり、聖霊もこのことを証ししておられる
第2朗読 黙示録5・11-14 屠られた小羊は、力と富を受けるにふさわしい
福音朗読 ヨハネ21・1-19 または 21・1-14 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた

【復活節第4主日】

[A年]
第1朗読 使徒言行録2・14a,36-41 イエスを、神は主とし、またメシアとなさった
第2朗読 一ペトロ2・20b-25 あなたがたは魂の牧者である方のところへ戻って来た
福音朗読 ヨハネ10・1-10 わたしは羊の門である

[B年]
第1朗読 使徒言行録4・8-12 ほかのだれによっても、救いは得られない
第2朗読 一ヨハネ3・1-2 わたしたちは御子をありのままに見る
福音朗読 ヨハネ10・11-18 良い羊飼いは羊のために命を捨てる

[C年]
第1朗読 使徒言行録13・14,43-52 見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く
第2朗読 黙示録7・9,14b-17 小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導く
福音朗読 ヨハネ10・27-30 わたしはわたしの羊に永遠の命を与える

【復活節第5主日】

[A年]
第1朗読 使徒言行録6・1-7 弟子たちは聖霊に満ちた人を七人選んだ
第2朗読 一ペトロ2・4-9 あなたがたは選ばれた民、王の系統を引く祭司である
福音朗読 ヨハネ14・1-12 わたしは道であり、真理であり、命である

[B年]
第1朗読 使徒言行録9・26-31 バルナバは、サウロが旅の途中で主に出会ったことを説明した
第2朗読 一ヨハネ3・18-24 神の掟とは、わたしたちが信じ、愛し合うことである
福音朗読 ヨハネ15・1-8 人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ

[C年]
第1朗読 使徒言行録14・21b-27 二人は教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことを報告した
第2朗読 黙示録21・1-5a 神は人の目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる
福音朗読 ヨハネ13・31-33a,34-35 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい

【復活節第6主日】

[A年]
第1朗読 使徒言行録8・5-8,14-17 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた
第2朗読 一ペトロ3・15-18 キリストは、肉では死に渡されたが、霊では生きる者とされた
福音朗読 ヨハネ14・15-21 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わしてくださる
(日本の教会では主の昇天の祭日を復活節第7主日に移して祝うため、以下の復活第7主日の第2朗読と福音朗読の箇所を復活節第6主日に朗読することができる)
第2朗読 一ペトロ4・13-16 キリストの名のために非難されるなら、幸いである
福音朗読 ヨハネ17・1-11a 父よ、子に栄光を与えてください

[B年]
第1朗読 使徒言行録10・25-26、34-35,44-48 聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれた
第2朗読 一ヨハネ4・7-10 神は愛である
福音朗読 ヨハネ15・9-17 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない
(日本の教会では主の昇天の祭日を復活節第7主日に移して祝うため、以下の復活第7主日の第2朗読と福音朗読の箇所を復活節第6主日に朗読することができる)
第2朗読 一ヨハネ4・11-16 神は、愛の内にとどまる人、神の内にとどまる人の内にとどまってくださる
福音朗読 ヨハネ17・11b-19 わたしたちのように、彼らも一つになるように

[C年]
第1朗読 使徒言行録15・1-2,22-29 聖霊とわたしたちは、必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めた
第2朗読 黙示録21・10-14,22-23 天使は、聖なる都が天から下って来るのを見せた
福音朗読 ヨハネ14・23-29 聖霊が、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる
(日本の教会では主の昇天の祭日を復活節第7主日に移して祝うため、以下の復活第7主日の第2朗読と福音朗読の箇所を復活節第6主日に朗読することができる)
第2朗読 黙示録22・12-14、16-17,20 主イエスよ、来てください
福音朗読 ヨハネ17・20-26 彼らが完全に一つになるように

【主の昇天】

 主の昇天の祭日は、復活したイエスが40日間にわたって使徒たちに現れた後、天に上げられたという使徒言行録1・1・11の記述に基づいて、復活の主日から40日目の木曜日に祝われます。このような祝い方は5世紀ごろから定着したもので、それ以前は、たとえば4世紀末のエルサレムでは聖霊降臨の出来事と合わせて復活の主日から50日目に祝われていました。
なお、主の昇天の祭日が守るべき祭日でない場合は、復活節第7主日に移して祝うことができます(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」7ロ参照)。日本の教会もこの規定に従っています。この場合、本来は復活節第7主日に割り当てられている朗読箇所が読まれないことになります。そのため、上記の復活節第6主日の箇所に示したように、司牧者の判断により、復活節第7主日の第2朗読と福音朗読を復活節第6主日のミサで朗読することができます。この日の典礼色は白を用います。
[A年]
第1朗読 使徒言行録1・1-11 イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた
第2朗読 エフェソ1・17-23 神はキリストを天において御自分の右の座に着かせた
福音朗読 マタイ28・16-20 わたしは天と地の一切の権能を授かっている

[B年]
第1朗読 A年と同じ
第2朗読 A年と同じ
 または
エフェソ4・1-13 または 4・1-7,11-13 わたしたちは、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する
福音朗読 マルコ16・15-20 主イエスは天に上げられ、神の右の座に着かれた

[C年]
第1朗読 A年と同じ
第2朗読 A年と同じ
      または
     ヘブライ9・24-28,10・19-23 キリストは天そのものに入られた
福音朗読 ルカ24・46-53 イエスは、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた

【聖霊降臨の主日】

 聖霊降臨の出来事はユダヤ教の三大祭りの一つである五旬祭の日に起きたので(使徒言行録2・1-4)、「50日、五旬祭」を意味するギリシア語の「ペンテコステ(pentecoste)」に由来する語で呼ばれています。聖霊降臨の出来事は2~3世紀ごろから祝われており、4世紀末のエルサレムでは、復活の主日から50日目に主の昇天と聖霊降臨を祝っていました。その後、5世紀ごろから、主の昇天が聖書の記述に基づいて復活の主日から40日目に祝われるようになり、両者は独立した祝日となりました。聖霊降臨の主日は復活の主日とともに重要な日と位置づけられ、7世紀には復活の主日と同様に、聖霊降臨も8日間にわたって祝われることとなりました。そのため、主の過越の神秘とのつながりよりも聖霊降臨の出来事そのものを祝うことが強調されました。
 第2バチカン公会議後は固有の8日間を廃止し、復活節の50日間を締めくくる日とされ、キリストの過越の神秘を完成する日として祝うようになりました。この日のミサの典礼色は、聖霊を表す赤を用います。

[前晩のミサ]

第1朗読
創世記11・1-9
この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させられたからである
  または
出エジプト19・3-8a,16-20b
主は民の前でシナイ山の頂に降られた
  または
エゼキエル37・1-14 
枯れた骨よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
  または
ヨエル3・1-5 
わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ
第2朗読
ローマ8・22-27 “霊”が言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる
福音朗読
ヨハネ7・37-39 生きた水が川となって流れ出る

[当日のミサ・A年]
第1朗読 使徒言行録2・1-11 一同は聖霊に満たされ、話しだした
第2朗読 一コリント12・3b-7,12-13 皆一つの体となるために、一つの霊によって洗礼を受けた
福音朗読 ヨハネ20・19-23 父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。聖霊を受けなさい

[当日のミサ・B年]
第1朗読 A年と同じ
第2朗読 A年と同じ
      または
     ガラテヤ5・16-25 霊の結ぶ実
福音朗読 A年と同じ
      または
     ヨハネ15・26-27,16・12-15 真理の霊はあなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる

[当日のミサ・C年]
第1朗読 A年と同じ
第2朗読 A年と同じ
      または
     ローマ8・8-17 神の霊によって導かれる者は皆、神の子である
福音朗読 A年と同じ
      または
     ヨハネ14・15-16,23b-26 聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくださる

典礼の特徴

50日間の祝祭

 復活節は、復活の主日から聖霊降臨の主日までの50日間です。「ペンテコステ」というと現在の典礼暦では聖霊降臨の主日(Dominica Pentecostes)を指しますが、4世紀初めごろまでは、復活の主日後の50日間をペンテコステと呼んでいました。この期間は主の復活を喜び祝う期間として一つの祝日のように祝われ、典礼では繰り返し「アレルヤ」が歌われました。また、断食は行わず、祈るときにはキリストの復活のしるしとして立つ姿勢が用いられました。聖アウグスチヌス(354年~430年)は次のように述べています。「(わたしたちは)復活祭前の季節を断食と嘆願のうちに過ごしますが、復活祭後の季節は断食をやめて賛美のうちに過ごします。わたしたちの歌っているアレルヤはこの賛美にほかならないのです。ご存じのように、アレルヤは『主を賛美せよ』という意味です」(『詩編講解』148, 1-2〔『毎日の読書 第3巻』カトリック中央協議会、1991年、85頁〕)。そして、5世紀ごろから、復活の主日後40日目に主の昇天を祝うようになると、主の昇天の記念まではキリストの復活を祝い、その後に続く10日間は聖霊降臨の主日の準備期間という色彩が強くなりました。
 現在の教会は古代教会の実践に立ち返り、聖霊降臨の主日までの50日間を一つの祝日、「大いなる主日」(聖アタナシオ『復活祭書簡』1)と位置づけて、キリストの過越の神秘を喜びのうちに祝っています。

主の復活の8日間

 復活の主日から復活節第2主日までは「主の復活の8日間」と呼ばれ、とくに盛大にキリストの復活を祝います。古代教会では、復活の主日に洗礼を受けた人はこの8日間中、とくに秘跡に関する秘義教話(Mystagogia)を司教から聞くために集まりました。その際、彼らは白い衣を着ていたので、この週は「白衣の週」とも呼ばれました。
 主の復活の8日間は主の祭日のように祝われるため、典礼日の優先順位表でも上位に置かれています。8日間中のミサでは栄光の賛歌(Gloria)を歌い、ミサと「教会の祈り」の派遣の祝福には「アレルヤ」を加えます。また、復活の続唱(Victimae paschali laudes)は復活の主日以外の日には任意で歌われます。

復活節第2主日(神のいつくしみの主日)

 上記のように、古代教会では復活の主日から復活節第2主日までの8日間、新しく信者になった人は白い衣をまとっていました。この白い衣は復活節第2主日に脱ぐこととなっていたため、この主日を「白衣の主日(Dominica in albis)」と呼ぶ習慣が生まれました。この名称は第2バチカン公会議前の『ローマ・ミサ典礼書』に残っていましたが、第2バチカン公会議後は用いられなくなりました。
 また、2000年5月5日には教皇庁典礼秘跡省から、復活節第2主日に「神のいつくしみ」という名称を加えるとする教令(Prot. n. 1002/00/L)が発表されました。この教令は次のように述べています。「現代において、キリスト信者は世界の至る所で、典礼の中で、とりわけ神の愛に満ちた寛容さがとくに輝き出る過越の神秘の祭儀において、神のいつくしみを賛美することを願っている。この願いに応えて、教皇ヨハネ・パウロ2世は、『ローマ・ミサ典礼書』の“復活節第2主日”の後に、今後、“または神のいつくしみの主日”という名称を加えることを決定された」。これを受けて、日本の教会では2003年から、復活節第2主日に「神のいつくしみの主日」という名称を加えています。

復活節第4主日

 復活節第4主日のミサでは、ヨハネ福音書第10章の良い羊飼いと羊のたとえが朗読されます。そのため、典礼暦上の名称ではありませんが、この主日を「良い牧者の主日」と呼ぶこともあります。また、福音朗読だけでなく、各年共通に用いるミサの集会祈願・拝領祈願・拝領唱などからも、良い牧者キリストの姿を思い起こすことができます。
1964年以降、復活節第4主日は「世界召命祈願の日」と定められ、司祭や修道者を志す人の召命のために祈るとともに、すべてのキリスト者が自らに向けられた神からの招きについても思い起こす日となっています。

復活節と入信の秘跡直後の導き

 上記の『成人のキリスト教入信式』156~157で述べられているように、復活節は、入信した人を信者の共同体や代父母や主任司祭が助け、共同体にとけ込めるよう配慮する期間です。キリスト者としての歩みを始めたばかりの人に、ミサやゆるしの秘跡、また信者としての生活などさまざまな側面について教え、彼らを支え、共同体に迎えます。
 古代教会では、復活の主日に入信した人々に対して、その直後の1週間、司教が洗礼や聖体の秘跡の意味やミサなど、おもに秘跡に関して解説をする「秘義教話(Mystagogia)」と呼ばれる講話が行われました。現在の教会も、かたちは異なりますが、復活節をとくに入信した人を支え導く期間と位置づけています。このことは同時に、入信した人のためだけでなく、共同体を一致させ成長させるためにも役立っています。

典礼色

復活節には神の栄光やいのちの輝きを表す白を用います。

復活のろうそく

復活徹夜祭の光の祭儀で用いた復活のろうそくは、死と罪の闇に打ち勝って復活したキリストがともにおられることを表します。かつて、復活のろうそくは、主の昇天の祭日のミサの福音朗読後に消すことになっていました。これは、復活したキリストが天に昇られたことを表現しようとした習慣だと思われます。しかし現在では、復活節の最終日である聖霊降臨の主日まで、ミサや朝・晩の祈りなど盛大に執り行われる典礼で復活のろうそくをともします。復活節以外の時期には、とくに洗礼式と葬儀のときに用いることができます。

「アレルヤ」

 復活節は伝統的に「アレルヤ」を歌う季節とされてきました。上述のように、復活の8日間中のミサと「教会の祈り」の派遣の祝福には「アレルヤ」が加えられます。また、復活節中のミサの入祭唱と拝領唱にも「アレルヤ」を付けて唱えます。さらに、聖霊降臨の主日のミサでもミサの派遣の祝福に「アレルヤ」を加えます。

ミサの第1朗読は使徒言行録

 ミサの第1朗読は旧約聖書から読まれることがふつうですが、復活節には主日にも週日にも使徒言行録を朗読します。キリストの復活の輝きに照らされ、聖霊の息吹に満たされて宣教活動を始めた使徒たちのあかしと教会の成長を通して、キリストの過越が神と人類との新しい契約をもたらす出来事であったことを実感することができます。

続唱

復活の主日と聖霊降臨の主日のミサでは、アレルヤ唱の前に続唱が歌われます。続唱とはラテン語の「セクエンツィア(Sequentia)」の訳で、「連続」、「続き」という意味です。中世のころ、アレルヤ唱の「アレルヤ(Alleluia)」の最後の「ヤ(ia)」の母音aに、装飾的な旋律が付けられるようになりました。9世紀以降、装飾的に音符が続く部分に後から歌詞を当てはめ、後にこの部分のみがアレルヤ唱から独立して「続唱」として歌われるようになったといわれます。かつてはアレルヤ唱に続けて歌われましたが、現在はアレルヤ唱と福音朗読の結びつきを重視して、アレルヤ唱の前に歌うことになっています。
復活の主日のミサでは、復活の続唱(Victimae paschali laudes)を歌います。この続唱は、ブルグンドのヴィポ(Wipo Bulgundus、10世紀末~1050年ごろ)によって11世紀初めに作られたといわれます。復活の続唱は、復活の月曜日から復活節第2主日までのミサでも任意で歌うことができます。
聖霊降臨の主日のミサでは、聖霊の続唱(Veni, Sancte Spiritus)を歌います。この続唱は「黄金の続唱」とも呼ばれる代表的な続唱です。作者に関しては諸説がありますが、イギリスのカンタベリー大司教であったステファヌス・ラングトン(Stephanus Langton、1155年頃~1228年)とする説が有力です。

「アレルヤの祈り」

 カトリック教会では朝・昼・晩に「お告げの祈り(Angelus)」を唱える習慣がありますが、復活節中は「お告げの祈り」にかわって「アレルヤの祈り(Regina caeli)」を唱えます(日本カトリック司教協議会常任司教委員会編集『日々の祈り(改訂版)』〔カトリック中央協議会、2005年、33頁〕参照)。

復活節と聖母月

 カトリック教会では伝統的に5月を「聖母月」として祝っています。これは中世から始まったもので、ローマやゲルマンなどの異教の5月祭(春の祭り)をキリスト教化したものといわれて、信心としては18~19世紀に定着しました。聖母月を祝う5月は復活節と重なります。したがって、聖母月を祝う場合も、何よりもまずキリストの復活を祝う期間中であることを念頭におき、主の過越の出来事と関連づけて、救いの歴史の中で果たしたマリアの役割について思い起こすことが大切です。

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