上智大学における講話

1981年2月25日7時20分
東京・上智大学

教皇ヨハネ・パウロ二世本人が上智大学訪問を希望した。
以下はそのときおこなった講和の全文。
当時の上智大学学長だったピタウ神父は、現在大司教で、バチカン教育省の事務局長。

  1. 上智大学学長のあいさつ
  2. 教皇ヨハネ・パウロ二世の特別講義

上智大学学長のあいさつ

学長 ヨゼフ・ピタウ
教皇様、

主の御名において来たりたもう御方は祝福されんことを!

 上智大学が学長はじめ教職員、学生、同窓生をあげて、教皇様の大学訪問をお迎えする心からの喜びをこの言葉によって表明申し上げたいと存じます。

 上智大学は真の意味で教皇様の大学であります。それは教皇様の先任者聖ピオ十世のはっきりとしたご命令によって、創立されたからであります。聖ピオ十世は、そうすることによって、聖フランシスコ・ザビエルが当時の日本の首都京都にカトリック大学を建てようとされたその夢の実現を望まれました。聖ピオ十世は1906年、イエズス会第25回総会に、東京に高等教育機関を創立するようご命令を出されたのであります。

 上智大学が教皇様の大学であるのは、とくに68年前の創立当初から、教会と教皇座への忠誠と愛をみずからの特徴として誇ってきているからであります。

 主の御名において来たりたもう御方は祝福されんことを!この言葉によって、私共を生かしている信仰の精神をも表明したいと存じます。ペトロの後継者の人格と職権の中に、主が教会に現存しておられることの目に見えるしるしと、世界に点在するすべての信徒を唯一の群れにまとめる一致と愛のきずなとがあることを、私共は認めております。

 上智大学は、東京という大都市の中心に位置し、100人を超えるイエズス会士を含む520人の教員、400人の職員、1万人の学生、3万3千人の同窓生を擁する大学共同体であります。私共は全世界のさまざまな国民、文化、言語、宗教を代表しているともいえないことはないでしょう。私共の大学のモットーであるルクス・ヴェリターティス(真理の光)の精神を生きるよう、私どもの研究、教育、青年への愛を通じて、すべての人に真理の光をもたらすよう努力しております。キリストは光と真理であり、光と真理は平和、正義、愛、自由をもたらすからであります。

 キリスト教徒が人口の1パーセントにもみたない国において、私どもは、日本人の兄弟たちがキリストのメッセージという偉大で神秘的な賜物にあずかるものとなるよう、この真理の光を四方に輝かせようと努めております。
今日のご訪問をお迎えするのは、私共上智大学のものだけではありません。(すべてで11の)カトリック大学、31の女子短期大学、256の小・中・高等学校の代表者もおります。他のキリスト教学校の代表者、また国立大学、私立大学の代表者もここに参列しております。
このご訪問にあらためて厚く御礼を申し上げるとともに、上智大学のため、カトリック学校のため、日本の全教育界のため、ここにいるすべての人とその家族のため、そしてこれらの人が代表しているすべての人々のために、教皇様の祝福と励ましのお言葉を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

教皇ヨハネ・パウロ二世の講義

教皇ヨハネ・パウロ二世

皆さんの学長は今朝の講義を準備するにあたって、はるかに良い状態にあります。

 私の状況は不利です。まず、最初に言わなければならないことは、朝7時に、大学に、しかも、大学の集会にやってくるというのは、まことに正義にかなったことだということです。こんなに多くの立派な先生方、カトリック大学や他大学の学長先生がおいで下さり、また、沢山の若い学生諸君が6時に起きて来ておられるのを見て、大変びっくりいたしました。しかも、イエズス会士もいます。私はこの部屋ががらんがらんだと思っていましたが、ここには、集まりがあります。そして私は今日のこの訪問ができたことを感謝いたします。今でも私は大学が大好きです。その点で学長の言われたことは正しいです。いや、むしろ、大学の弱さが好きだと言った方がよいかも知れません。

 私の生涯の希望と夢は、上智大学に招待される1978年以前持っていた私の二つの望みはともに日本に関係しています。ひとつはマキシミリアンコルベの地に行くこと、そしてもう一つは上智大学に来ることでした。

 今、私は上智―ソフィアというギリシア語が何を意味しているかをもっとよく理解しています。このギリシア語のことばは広い意味のもので、人類の伝統と旧約の啓示の中で大切なものです。度々ソフィアについて書かれています。この上智は、アジア文化と宗教の生活と伝統の中に現存しているように思います。旧約のソフィアは期待に、到来に、神のことばの到来に向けられていました。それは生きた神のみことばのはたらきへの期待です。そして、私は東京にある上智大学のアジアにおける機能が、いまも、働いている、活動的な期待であると思います。この意味で皆さんが研究に、教会のためにそしてアジアの人々のためにすばらしい貢献をされるように望みます。アジアの人々は今も主の到来の期待の中にあります。

 ここでよく準備されていない私の講義を終わります。

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