「病者の塗油の秘跡の執行者に関する覚え書き」注解

最近の数十年間、病者の塗油の秘跡の執行者は「すべての司祭、かつ司祭のみである」*という教義を疑問視する神学的主張が現れてきた。この問題は通常、司牧上の実践の観点から論じられる。すなわち、とくに、世界の中で、司祭の不足によ […]

最近の数十年間、病者の塗油の秘跡の執行者は「すべての司祭、かつ司祭のみである」*という教義を疑問視する神学的主張が現れてきた。この問題は通常、司牧上の実践の観点から論じられる。すなわち、とくに、世界の中で、司祭の不足によりこの秘跡を適時に執行することがむずかしい地域について考察する場合である。そこで、終身助祭や、権限を与えられた信徒にまでも、この秘跡の執行者となることを認めれば、この問題が解決できるという提案がなされる。

 教皇庁教理省のこの覚え書きは、こうした主張に対して注意を喚起することを意図している。それは、こうした主張が実行に移されて、信仰を損ない、また、まさに助けが与えられることを必要とする人々である病者に対して、重大な霊的害を与えることがないようにするためである。

 カトリック神学は、ヤコブの手紙(5・14-15)が、病者の塗油の秘跡にとっての聖書的基礎づけであると考える。ヤコブの手紙の著者は、キリスト者の生活に関してさまざまな勧告を与えた後で、次のように病者に対する規定を示す。「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます」。教会は、何世紀にもわたって、聖霊に導かれながら、このテキストのうちに、病者の塗油の秘跡の根本的な要素を認めてきた。トリエント公会議(第14総会第1~第3章、第1~第4条:DS 1695-1700, 1716-1719)は、それを組織的なかたちで次のように述べている。すなわち、a)秘跡を受ける者:洗礼を受けた重病者。b)秘跡の執行者:「すべての司祭、かつ司祭のみ」。c)秘跡の質料:祝福された油を塗ること。d)秘跡の形相:執行者の祈り。e)秘跡の効果:救いをもたらす恵み、罪のゆるし、病者の回復。

 教理省のこの覚え書きは、他の問題を切り離し、ただこの秘跡の執行者についての教義的問題のみに焦点を当てる。
 ヤコブの手紙のギリシア語テキスト“tous presbyterous tes ekklesias(教会の長老)”(5・14)――ヴルガタ聖書は、伝承と一致して、それを“presbyteros Ecclesiae”と訳している――が、共同体の年輩の成員という意味での長老を指すことはありえない。それは、按手を通じて聖霊が神の教会を牧する務めを与えた、信者の中の特別な身分を指している。

 病者の塗油についてはっきりと言及した最初の教導職の文書は、教皇インノチェンチオ一世がグッビオ司教デケンティウスに宛てた手紙(416年3月19日)である。教皇はヤコブの手紙のことばを注解しながら、病者の塗油の秘跡の執行者は司祭のみであって、司教はそうでないとする解釈に反論している。教皇はこの限定を退け、司教も司祭同様、この秘跡の執行者であると述べている(DS 216参照**)。この教皇インノチェンチオ一世の手紙は、第1千年期の他の証言(アルルのカエサリウス、ベータ・ウェネラビリス)とともに、司祭ではない者を、病者の塗油の秘跡の執行者とする可能性を支持していない。

 トリエント公会議に先立つ、その後の時期において、教導職と法規定は次のように定めている。すなわち、グラティアヌスはその『教令集』(1140年頃以降)において、上述の教皇インノチェンチオ一世の手紙の規範の部分をほとんど文字通り引用している(第1部第95区分第3章)。その後、『グレゴリウス九世教皇令集』には、アレキサンドロ三世(1159-1164年)の教皇令が収められている。同教皇令の中で、アレキサンドロ三世は、司祭は病者の塗油の秘跡を一人で、すなわち他の聖職者ないし信徒を伴わずに執行することができるかという問いに対して、執行できると答えている(X. 5, 40, 14)。最後に、フィレンツェ公会議は大勅書『エクズルターテ・デオ』(Exsultate Deo、1439年11月22日)において、「この秘跡の執行者は司祭である」という真理を議論の余地のないものとして述べている(DS 1325)。

 トリエント公会議の教えは、宗教改革者たちの異論に応えるという立場をとっている。宗教改革者たちは、病者の塗油は秘跡ではなく、人間の考え出したものであり、また、ヤコブの手紙に言及されている「長老たち」は叙階された司祭ではなく、共同体の年輩者のことだと主張した。トリエント公会議は、この問題に関するカトリックの教義を十全なかたちで説明し(第14総会第3章:DS 1697-1700)、病者の塗油が7つの秘跡の1つであることを否定する者と(同第1条:DS 1716)、司祭だけがこの秘跡の執行者であることを否定する者とを排斥した(同第4条:DS 1719)。

 トリエント公会議から1917年の教会法の制定に至るまで、この問題になんらかの意味で関連した、教導職の介入が行われたのは2回だけである。すなわち、教皇ベネディクト十四世による、使徒憲章『エトシ・パストラリス』(1742年5月26日、§5, n. 3:DS 2524参照)および回勅『エクス・クオ・プリムム』(1756年3月1日)である。前者の文書は、南イタリアのラテン典礼のカトリック信者と、迫害のために同地に避難していた東方典礼のカトリック信者の間の関係に関する典礼規定を定めている。後者の文書は、使徒座との完全な交わりを回復した東方典礼のキリスト者が行う「エウコロギウム(典礼)」を認可し、解説したものである(1)。病者の秘跡の執行者が「すべての司祭、かつ司祭のみ」であることは、疑問の余地のない真理であった。

 病者の塗油の秘跡の執行者に関してトリエント公会議が表明した伝統的な教義は、1917年に公布された教会法で条文化され(第938条第1項)、1983年に公布された教会法においても(第1003条第1項)、1990年の東方教会法においても(第739条第1項)、事実上同じことばで繰り返して述べられた。

 病者の塗油の秘跡を含むすべての儀式書は、この秘跡の執行者が司教あるいは司祭であることをつねに前提としてきた(『病者の司牧と塗油の式』ラテン語規範版、1972年、Praenotanda, n. 5, 16-19***)。助祭あるいは信徒が、この秘跡の執行者となりうるなどと考えられたことはけっしてなかった。 

 病者の塗油の秘跡の執行者は「すべての司祭、かつ司祭のみである」という教義は、この教義を「確定的なものとして保持すべき」教義として位置づけるべきであるほどに、神学的に確実なものである。もし助祭あるいは信徒がこの秘跡を執行しようと試みるならば、病者の塗油の秘跡は無効となる。また、そうした行為は、秘跡の執行における偽装という、教会法第1379条(東方教会法第1443条参照)に従って処罰しうる、教会法的犯罪を構成する。

 結論として、司祭は、与えられた秘跡の力によって、教会の頭であるわれらの主イエス・キリストを、まったく特別なしかたで現存させるということを思い起こすことが適切である。諸秘跡を執行するとき、司祭は「頭であるキリストの代わりに」また「教会に代わって」行為する。病者の塗油の秘跡において、働いておられるのはイエス・キリストである。司祭は、その生きた、目に見える道具である。司祭はキリストを再現するとともに、またキリストを特別なしかたで現存させる。だから、この秘跡は、準秘跡と異なる、特別な尊厳と効果を有するようになる。こうして、病者の塗油の秘跡に関する、霊感を受けた神のことばが述べている通り、「主がその人を起き上がらせてくださいます」(ヤコブ5・14)。司祭はまた「教会の代わりに」行為する。「教会の長老」(ヤコブ5・14)の祈りは、全教会の祈りを含むものである。聖トマス・アクィナスがこう書いているとおりである。「かの祈りは、司祭が自らの人格をもって行うものではなく、・・・・全教会に代わって行われるものである」(『神学大全』補遺第31問第1項第1異論解答****)。そのような祈りが聞き入れられるのである。

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