信教の自由と政教分離に関する司教団メッセージ

わたしたちは基本的人権である信教の自由を保障する 政教分離の原則を堅持していくことを強く訴えます 教会の兄弟姉妹の皆さんとすべての方々へ はじめに  戦後60年にあたる一昨年、わたしたちは「非暴力による平和への道」と題し […]

わたしたちは基本的人権である信教の自由を保障する
政教分離の原則を堅持していくことを強く訴えます

教会の兄弟姉妹の皆さんとすべての方々へ

はじめに

 戦後60年にあたる一昨年、わたしたちは「非暴力による平和への道」と題したメッセージを発表し、現代社会において平和構築のために求められるいくつかの視点を取り上げました。その中で、わたしたちは過去の歴史の反省に立ち返りながら、日本国憲法20条(信教の自由と政教分離)を厳守し、基本的人権としての信教の自由を尊重することが平和構築のために不可欠であると指摘しました。しかし日本の現状を見ると、憲法改正に向けた動きが加速してきており、9条だけではなく20条も改正の対象として議論がなされています。それに伴い、国政に携わる人たちの中からは、現憲法の政教分離の原則に反するような発言が繰り返されています。そこで、わたしたちにとって重大なことがらである信教の自由と政教分離の原則について、日本カトリック司教団の考えを、今一度、皆さんに表明いたします。

カトリック教会における信教の自由と政教分離に対する考え方

 政教分離というと、「信仰生活と政治的活動の分離」、つまり、信仰者や宗教団体が政治的な事柄にかかわってはならないことだと誤解されることがあります。しかし、政教分離の原則は国家と宗教団体の関わりを規定するものであって、信仰者や宗教団体が自らの信念に基づいて政治に対して発言したり行動したりすることをさまたげるものではありません。むしろ、カトリック教会はキリストの愛に基づいて、国内と国際間に正義と愛がいっそう広く実行されるよう寄与する1 こと、人間の基本的権利や救いのために必要であれば、政治に関する事がらにおいても倫理的判断を下すこと2 を、その果たすべき大切な務めとして自覚しています。
 国家と宗教団体の関係は、それぞれの国の固有の歴史の中で、政教分離や政教条約などの形で築かれてきました。こうした形は基本的人権としての信教の自由を保障するものとして近代になって成立してきた経緯があります。
 信教の自由に関してはカトリック教会も2000年の歴史の中で他者に対する寛容さに欠けることがあったことを認め反省しています3。
 教会は第二バチカン公会議(1962~65年)で信教の自由を基本的人権として改めて確認しました4。人間は個人としても団体としても、基本的人権のひとつとして信教の自由をもっています。この自由は、誰でも宗教に関して自分の良心に反して行動するよう強制されることなく、また良心に従って行動するのをさまたげられないところ5 にあります。国家のような公権はこの信教の自由を侵害したり弾圧したりしてはならず、むしろ保護する義務をもっています6。
 教会と国家は互いに独立し自律しており、決して混同されるべきではなく、教会は国家に拘束されてはならないのです7。 両者が互いに健全に協力し合うならば、すべての人の善益のために奉仕することができます8。 教会は国家の正当な権威を認めますが、国の政策が神の意志に沿わない場合は、神に従う方を選びます9。

日本における信教の自由

 日本におけるキリスト教の歴史を振り返ってみると、信仰者と宗教団体に対する国家による迫害や弾圧は、信教の自由がなかったこと、信教の自由があっても条件つきであったこと、政教分離という考え方がなかったことから引き起こされたということができます。
織田・豊臣時代や徳川幕府成立時は日本の中央集権化が図られた時代で、そのさまたげになると考えられたキリスト教は次第に為政者から排斥されるようになり、おびただしい数の人々が殉教しました。
 明治に入って、長崎で浦上の信者が自らの信仰を表明して立ち上がったことをきっかけに、多くのキリスト教徒が明治政府によって弾圧を受けました。この弾圧に対する欧米の批判を受けたということもあり、近代化を目指した明治政府は大日本帝国憲法に「信教の自由」を盛り込みました。しかしそれは、「安寧秩序ヲ妨ケス及ヒ臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於イテ」10 という条件つきの「信教の自由」だったのです。
 昭和になり、国家と国家神道が一体となって戦争にまい進するなかで、日本国内のみならず朝鮮半島などでも神社参拝が強要されました。カトリック教会はカトリック学生の靖国神社参拝の是非をめぐっての問題を突きつけられました。それは、国家による宗教統制が強まる中で、日本のカトリック教会の存亡をも左右しかねない問題でした。教会は当時の布教聖省の指針に基づいて、「学生が神社で行うように政府から命じられた儀式は宗教的なものではない」11 とし、天皇に対する忠誠心と愛国心を表す「社会的儀礼」であるとして、信徒の神社参拝を許容しました。こうして、あの戦争に協力する方向へと向かってしまったのです。しかし戦後に日本国憲法が制定されたこと、国家神道が解体され靖国神社が一宗教法人になったこと12、教会も第二バチカン公会議を経たことなどから、当時の布教聖省の指針をそのままでは現在に当てはめることはできません。
 戦後、信教の自由とそれを保障する政教分離の原則を明記した日本国憲法20条が制定されました。これによって、日本の歴史の中で初めて完全に信教の自由が保障されました。この20条は、国家と国家神道が一体となって日本国民のみならずアジアの多くの人々の命と基本的人権を侵害したことの反省から厳格に規定されたものなのです。

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

わたしたちは政教分離の原則の堅持を求めます

 日本においては信教の自由と政教分離の原則は不可分な関係にあります。思想、良心の自由、言論の自由とも深く関係しています。その意味で、宗教を信じる人ばかりでなく、宗教を信じない人にも無関係ではありません。
 ところが、最近、「社会的儀礼又は習俗的行為」の範囲内なら宗教的行為を国や公共団体が行っても良いのではないかという識者の意見が目立ち、それに沿った新憲法草案13 も発表されています。こうした考え方は戦前、戦中に多くの人が「社会的儀礼」として靖国神社参拝を強要された歴史を思い起こさせます。これに加えて、靖国神社を国家護持にする案、非宗教法人化する案など出てきています。これは、戦前、戦中と同じ道を歩む危険をはらんでいます。こうした考え方は、政教分離の原則をなし崩しにするばかりか、基本的人権としての信教の自由さえ脅かすものです。
 わたしたち日本カトリック司教団は、基本的人権である信教の自由を保障する政教分離の原則を堅持していくことを強く訴えます。それは、アジア諸国と共に平和を構築していくためにもどうしても必要なのです。

2007年2月21日
日本カトリック司教団

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