教皇フランシスコのメディア関係者へのあいさつ

3月16日(土)午前11時からパウロ六世ホールで、教皇フランシスコはメディア関係者との会見を行いました。以下はこの会見で教皇が行ったあいさつの全文です(原文イタリア語)。 ―――  親愛なる友人の皆様。  ペトロの座の奉 […]

3月16日(土)午前11時からパウロ六世ホールで、教皇フランシスコはメディア関係者との会見を行いました。以下はこの会見で教皇が行ったあいさつの全文です(原文イタリア語)。
―――

 親愛なる友人の皆様。
 ペトロの座の奉仕職を始めるにあたり、2月11日の敬愛すべきベネディクト十六世の思いもかけない辞任表明から始まったこの大変な時期にローマで働いてこられた皆様とお目にかかれてうれしく思います。
 この数年、マスメディアの役割はますます増大し、現代史の出来事を世界に告げるために不可欠なものとなりました。それゆえ、皆様がこの数日間にわたり際立った奉仕をされたことに特別な感謝を表します。皆様は本当によく働かれました。この期間、カトリック信者に限らず、世界の目がこの永遠の都、とくに聖ペトロを中心とする区域に注がれたからです。この数週間、皆様は聖座、教会、その典礼と伝統、信仰、とくに教皇とその職務の役割について語らなければなりませんでした。
 この教会史の出来事を、それを解読すべき正しい観点から、すなわち信仰の観点から観察し、紹介してくださったかたがたに特別に感謝申し上げます。歴史の出来事はほとんどつねに複雑な解釈を要求します。この解釈は、時として信仰の次元を理解しなければならないこともあります。確かに教会の出来事は政治や経済の出来事ほど複雑なものではありません。しかしそれは特別な性格をもっています。それは、主として世俗的な概念による考え方に従いません。そのため、これを解釈して広く多様な公衆に伝えるのは容易ではありません。実際、教会はその内実のすべてにおいて、確かに人間的、歴史的組織ではありますが、その性格は政治的ではなく、本質的に霊的です。教会は神の民です。神の聖なる民です。この民はイエス・キリストとの出会いに向けて歩みます。この観点から初めて、カトリック教会の活動について十全な意味で語ることが可能です。
 キリストは教会の牧者です。しかし、歴史におけるキリストの現存は、人間の自由を通ります。人間の中から、一人がキリストの代理者、使徒ペトロの後継者として選ばれますが、中心はキリストであって、ペトロの後継者ではありません。キリストこそが中心です。キリストこそが、基本的な基準であり、教会の中心です。キリストがいなければ、ペトロと教会は存在しなかったし、存在意義ももたなかったでしょう。ベネディクト十六世が繰り返し述べておられたとおり、キリストがともにいて、ご自身の教会を導かれます。あらゆる出来事における究極的な主体は聖霊です。聖霊が、教会の善益のためにベネディクト十六世の決断を促しました。聖霊が枢機卿たちの祈りと選出を導きました。
 親愛なる友人の皆様。この数日間の出来事に焦点を合わせるためには、このような解釈の地平、解釈法をとることが重要です。
 そこから、この特別に忙しい日々の労苦に対して、皆様にあらためて心から感謝するとともに、お願いしたいこともあります。教会のまことの本性をますます知ろうと努力してください。教会の世における歩み、その美徳と罪を知ろうとしてください。教会を導く霊的な動機を知ろうとしてください。それこそが、教会を理解する真の方法だからです。教会も皆様の貴重な活動に深い関心をもつことを約束します。皆様は現代の期待と要求に耳を傾けてこれを表し、現実を読み取るための諸要素を示すことができます。皆様の仕事は、他の専門職と同様、研究と感覚と経験を必要とするとともに、真理と善と美に対する特別な関心をも必要とします。そのためわたしたちは特別な親近感を抱きます。教会が存在するのは、まさに「人となられた」真理と善と美を伝えることだからです。わたしたちは皆、自分自身を伝えるのではなく、この真理と善と美という3つの本質的なことがらを伝えるよう招かれています。このことを明らかにしなければなりません。
 ローマ司教がなぜフランシスコと名乗ることを望んだのか分からないかたもおられるかもしれません。フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)、フランシスコ・サレジオ(フランソア・ド・サル 1567-1622年)、あるいはアッシジのフランチェスコ(1181/1182-1226年)のことを考えられるかたもいるかもしれません。皆様にお話ししたいことがあります。教皇選挙の際、わたしの隣にはサンパウロ名誉大司教で、教皇庁聖職者省名誉長官のクラウディオ・フンメス枢機卿(1934年-)がおられました。彼は本当に親友です。すこし危険な状態になってきたとき、彼はわたしを励ましてくれました。得票数が3分の2になると、恒例の拍手が起こりました。教皇が選出されたからです。フンメス枢機卿はわたしを抱擁しながら、こういいました。「貧しい人々のことを忘れないでください」。貧しい人々。貧しい人々。このことばがわたしの中に入ってきました。その後すぐに、貧しい人々との関連で、わたしはアッシジのフランチェスコのことを考えました。それからわたしは、投票数の計算が続き、すべて終わるまで、戦争のことを考えました。フランチェスコは平和の人です。こうしてアッシジのフランチェスコという名前がわたしの心に入ってきました。フランチェスコはわたしにとって貧しさの人、平和の人です。被造物を愛し、守った人です。現代においても、わたしたちは被造物とあまりよくない関係をもっているのではないでしょうか。フランチェスコという人、この貧しい人は、この平和の精神もわたしたちに与えてくれます。・・・・どれほどわたしは貧しい教会を、貧しい人のための教会を望んだことでしょうか。その後、さまざまな冗談を述べた人がいました。「君はハドリアヌスと名乗るべきだった。ハドリアヌス六世(在位1522-1523年)は改革者だった。わたしたちは改革者を必要としている」。他の人はわたしにこういいました。「それはだめだ。君の名はクレメンスでなければならない」。「どうして」。「クレメンス十五世を名乗るべきだった。そうすれば、イエズス会を弾圧したクレメンス十四世(在位1670-1676年)に仕返しできたじゃないか」。これは冗談です。・・・・皆様に感謝しています。皆様がしてくださったことすべてに感謝しています。皆様の労苦に思いを致します。どうか皆様が落ち着いた心で、実り豊かな仕事をしてくださいますように。イエス・キリストの福音と教会の現実をますます知ることができますように。皆様を福音宣教の星である聖なるおとめマリアの執り成しにゆだねます。皆様と皆様のご家族、ご家族の一人ひとりにごあいさつ申し上げます。心から皆様に祝福を送ります。(以上イタリア語。以下スペイン語)
 心から祝福を送ると申し上げましたが、皆様の多くはカトリック教会の信者ではなく、信者でないかたもおられます。そこでわたしは、お一人おひとりに沈黙のうちに祝福を送ります。皆様の良心を尊重しながら、皆様が神の子だと確信しつつ。神が皆様を祝福してくださいますように。

 

PAGE TOP