教皇フランシスコの就任ミサ説教

聖ヨセフの祭日の3月19日(火)午前9時30分からサンピエトロ広場で、教皇フランシスコの就任ミサが行われました。以下は教皇の説教の全文の翻訳です(原文イタリア語)。なお、就任ミサで読まれた聖書朗読個所(括弧内は朗読の際の […]

聖ヨセフの祭日の3月19日(火)午前9時30分からサンピエトロ広場で、教皇フランシスコの就任ミサが行われました。以下は教皇の説教の全文の翻訳です(原文イタリア語)。なお、就任ミサで読まれた聖書朗読個所(括弧内は朗読の際の言語)は、サムエル記下7・4-5、12-13、16(英語)、詩編88(イタリア語)、ローマの信徒への手紙4・13、16-18、22(スペイン語)、マタイによる福音書1・16、18-21、24a(ギリシア語)でした。

ミサ後、教皇はサンピエトロ大聖堂の告白の祭壇前で132か国の元首・代表者の一人ひとりにあいさつしました。日本からは安倍晋三首相の特使として就任ミサに出席した森喜朗元首相が教皇とことばを交わしました。
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 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 おとめマリアの夫であり、普遍教会の守護者である聖ヨセフの祭日に、ペトロの奉仕職を開始するミサをささげることができたことを主に感謝します。これはとても意味深い偶然の一致です。今日はわたしの敬愛すべき前任者の霊名の祝日でもあります。わたしたちは愛と感謝に満ちた祈りのうちに前教皇に寄り添います。
 兄弟である枢機卿、司祭、助祭、男女修道者、そしてすべての信徒の皆様に愛をこめてごあいさつ申し上げます。ここにおいでくださった他の教会・教会共同体の代表者、ユダヤ教共同体、また他の宗教団体の代表者の皆様に感謝申し上げます。国家・政府の元首、世界の多くの国々の代表者、外交使節団の皆様に心からごあいさつ申し上げます。
 わたしたちは福音の中で次のことばを耳にしました。「ヨセフは主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた」(マタイ1・24)。このことばはすでに神がヨセフにゆだねた使命を含んでいます。それは、守護者(custos)となるという使命です。ヨセフはだれの守護者となるのでしょうか。マリアとイエスです。しかし、ヨセフが守護する対象はさらに教会にも及びます。福者ヨハネ・パウロ二世が強調したとおりです。「かつて聖ヨセフは愛をこめてマリアの世話をし、喜びをもって献身的にイエス・キリストを養い育てました。その聖ヨセフが、今も同じように、キリストの神秘体である教会、聖なるおとめマリアを理想像、模範と仰ぐ教会を見守り、保護しています」(使徒的勧告『救い主の守護者聖ヨセフ』1:Redemptoris custos)。
 ヨセフはこの保護者としての使命をどのように果たすのでしょうか。彼はそれを分別と謙遜と沈黙のうちに、絶えざる同伴と完全な忠実をもって果たします。たとえ意味が分からなくてもです。マリアとの結婚からエルサレム神殿における十二歳のイエスの出来事に至るまで、ヨセフはあらゆるときに配慮とまったき愛をもって同伴します。ヨセフは、生涯の中の平穏なときも困難なときも、妻マリアに付き添いました。住民登録のためのベツレヘムへの旅のときも、出産の不安と喜びのときも。エジプトに避難する悲惨なときも、神殿で息子を必死に捜すときも。その後の、ナザレの家での日々の生活の中でも、イエスに仕事を教えた作業場の中でも。
 ヨセフはマリアとイエスと教会の守護者としての召命をどのように果たすのでしょうか。つねに神に目を注ぎ、神のしるしに心を開き、自分の計画ではなく、神の計画に進んで従うことによってです。これは神がダビデにも求めたことでした。第一朗読で読まれたとおりです。神が望むのは、人間が建てた家ではなく、ご自分のことばへの忠実です。神ご自身が家を建てます。ただし、ご自身の霊によってしるしづけた、生きた石をもって。ヨセフが「守護者」なのは、彼が神のことばを聞くことができ、神のみ心に導かれるからです。だからこそ彼は自分にゆだねられた人々をますます気遣います。そして、出来事の意味を現実的に読み取り、周りの状況に気を配り、賢明な決断を行うことができたのです。親愛なる友人の皆様。わたしたちはヨセフのうちに、どうすれば進んで力強く神の召命にこたえられるかを見いだします。同時にわたしたちは、キリスト信者の召命の中心が何であるかも見いだします。すなわちキリストです。自分の人生の中でキリストを守ろうではありませんか。それは、他の人々を守り、被造物を守ることができるためです。
 しかし、守護者としての召命は、わたしたちキリスト信者だけにかかわることではありません。それはキリスト信者である以前に、すべての人にかかわる、単純に人間的な次元の問題です。守護するとは、全被造物を、被造物の美しさを守ることです。創世記が述べ、アッシジのフランチェスコが示してくれたとおりです。守護するとは、神が造られたすべてのもの、わたしたちがその中で生きる環境を尊重することです。守護するとは、人々を守ること、すべての人、一人ひとりの人を気遣うことです。とくに子ども、高齢者、もっとも脆弱な人、しばしばわたしたちが気にとめない人を気遣うことです。守護するとは、家庭の中で互いを気遣うことです。夫婦は互いを守り合い、親は子どもを気遣い、時には子どもも親を守らなければなりません。守護するとは、真実に友愛を生きることです。信頼と尊敬といつくしみをもって互いを守り合うことです。要するに、わたしたちはすべてのことを守護するようゆだねられています。そしてこの責務はすべての人にかかわります。わたしたちは神の与えてくださったたまものの守護者とならなければならないのです。
 人間が守護者としての責務を果たさず、被造物と兄弟に対する配慮を怠るとき、破滅が始まり、心はすさみます。残念ながら、歴史のあらゆる時代に「ヘロデ」が存在します。彼らは死を企み、人間の姿を壊し、醜いものとします。
 経済、政治、社会の領域で責任を負う人々、すべての善意の人々に心からお願いします。被造物の守護者となってください。自然に刻まれた神の計画の守護者となってください。人間関係と環境の守護者となってください。現代世界の歩みに死と破壊のしるしが伴うことのないようにしてください。しかし、わたしたちは「守護する」者となるために、自分自身にも気を配らなければなりません。憎しみと妬みと高慢が人生を台無しにすることを忘れてはいけません。それゆえ、守護するとは、自分の感情と心に注意を向けることです。よい意向も悪い意向も心から出てくるからです。こうした意向が、築き、また壊すからです。いつくしみと柔和さを恐れてはなりません。
 ここでもう一つのことを付け加えて申し上げたいと思います。配慮し、守護するには、いつくしみが必要です。柔和さを生きることが必要です。福音書の中で、聖ヨセフは力強く、勇気に満ちた労働者としての姿を示します。しかし、ヨセフの心の中に見られるのは深い柔和さです。柔和さは弱者の特徴ではなく、むしろその反対に、心の強さを示します。それは、注意し、共感し、他者に心を開く力です。愛する力です。いつくしみと柔和さを恐れてはなりません。
 今日わたしたちは、聖ヨセフの祭日とともに、ペトロの後継者である新しいローマ司教の奉仕職の開始を祝います。この奉仕職にはある種の権能が伴います。確かにイエス・キリストはペトロにある種の権能を与えました。ところで、それはどのような権能でしょうか。イエスのペトロに対する、愛しているかという三つの問いかけには、三つの命令が続きます。わたしの羊を飼いなさい。わたしの小羊を飼いなさい。真の権能が奉仕であることを忘れてはなりません。教皇も、権能を果たすために、ますます奉仕に努めなければなりません。この奉仕の輝かしい頂点は、十字架です。教皇は、聖ヨセフと同じように、つつましく、具体的に、また忠実に奉仕することを目指さなければなりません。そして、ヨセフと同じように、手を広げて神の民全体を守り、愛と柔和さをもって全人類を受け入れなければなりません。とくに貧しい人、弱者、小さい人、マタイが愛のわざに関する最後の審判について述べた人々を受け入れなければなりません。すなわち、飢えている人、のどが渇いている人、旅をしている人、裸の人、病気の人、牢にいる人です(マタイ25・31-46参照)。愛をもって奉仕する人だけが、守ることができるのです。
 第二朗読の中で、聖パウロはアブラハムについて語ります。アブラハムは「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」(ローマ4・18)ました。希望するすべもなかったときに、堅固な希望を抱いたのです。現代においても、曇った空の下で、わたしたちは希望の光を見いださなければなりません。自分自身に希望を与えなければなりません。柔和で愛に満ちたまなざしをもって、被造物とすべての人を守ることが、希望の地平を開きます。暗い雲のただ中に、光の裂け目を開きます。そして、希望のぬくもりをもたらします。信じる者にとって、わたしたちキリスト信者にとって、アブラハムや聖ヨセフと同じように、わたしたちがもたらす希望は、キリストによって開かれた、神への地平です。この希望は、神という岩を土台としています。
 マリアとともにイエスを守ること。被造物全体を守ること。すべての人、とくに貧しい人を守ること。自分自身を守ること。これが、ローマ司教の果たすべき務めです。しかし、すべての人がこの務めを果たし、希望の星を輝かせるよう招かれています。神が与えてくださったものを、愛をもって守ろうではありませんか。
 おとめマリア、聖ヨセフ、聖ペトロとパウロ、聖フランチェスコの執り成しを祈り求めます。聖霊がわたしの奉仕職を導いてくださいますように。そして皆様にお願いします。わたしのために祈ってください。アーメン。 

 

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