教皇フランシスコの 教皇ヨハネ二十三世・教皇ヨハネ・パウロ二世列聖式ミサ説教

復活節第二主日(神のいつくしみの主日)の2014年4月27日(日)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコは教皇ヨハネ二十三世(アンジェロ・ロンカリ 1881年11月25日-1963年6月3日、教皇在位195 […]

復活節第二主日(神のいつくしみの主日)の2014年4月27日(日)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇フランシスコは教皇ヨハネ二十三世(アンジェロ・ロンカリ 1881年11月25日-1963年6月3日、教皇在位1958年10月28日-1963年6月3日)および教皇ヨハネ・パウロ二世(カロル・ヴォイティワ 1920年5月18日-2005年4月2日、教皇在位1978年10月16日-2005年4月2日)列聖式ミサをささげました。以下はミサにおける教皇の説教の全訳です(原文イタリア語)。列聖式には150名の枢機卿、700名の司教、名誉教皇ベネディクト十六世が参加しました。

教皇フランシスコは、2013年7月5日、福者ヨハネ・パウロ二世が列聖される条件となる、その執り成しによる2つ目の奇跡を認める教令を認可し、また、福者ヨハネ二十三世の列聖も承認しました。ヨハネ二十三世は2000年9月3日、教皇ヨハネ・パウロ二世により列福され、ヨハネ・パウロ二世は2011年5月1日、教皇ベネディクト十六世により列福されています。
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 復活の八日間を締めくくる、聖ヨハネ・パウロ二世が「神のいつくしみ」にささげることを望んだ、今日の主日の中心にあるのは、復活したイエスの栄光ある傷です。

 イエスはこの傷を、安息日の翌日、すなわち復活の日の晩、初めて使徒たちに現れたときに、すでに示しておられました。しかし、いま耳にしたとおり、その晩、トマスはそこにいませんでした。そして、他の使徒たちが、「わたしたちは主を見た」と彼にいうと、トマスはこたえていいました。あの傷を見、それに触れなければ、わたしは信じないと。八日の後、イエスは、二階の広間にいた弟子たちのただ中に再び現れました。トマスもそこにいました。イエスはトマスに向かい、ご自分の傷に触れるよう招きます。すると、この真面目で、何事もいつも自分で確かめていたこの人は、イエスの前にひざまずいていいました。「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ20・28)。

 イエスの傷は信仰にとってつまずきですが、それはまた信仰を確かめるものでもあります。そのため、復活したキリストのからだにおいて、傷はなくならないのです。なぜなら、この傷は、わたしたちに対する神の愛の永遠のしるしだからです。それは、わたしたちが神を信じるために不可欠だからです。それが不可欠なのは、神が存在することを信じるためではなく、神が愛であり、あわれみであり、忠実なかたであることを信じるためです。聖ペトロは、イザヤを引用しながら、キリスト信者にこう書き送ります。「そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(一ペトロ2・24。イザヤ53・5参照)。

 聖ヨハネ二十三世と聖ヨハネ・パウロ二世は、勇気をもってイエスの傷を仰ぎ見、その手の傷跡と、刺し貫かれた脇腹に触れました。二人はキリストの肉を恥としませんでした。キリストとその十字架につまずきませんでした。二人は兄弟の肉を恥としませんでした(イザヤ58・7参照)。なぜなら、二人は、あらゆる苦しむ人々のうちにイエスを見いだしたからです。二人は聖霊の大胆さ(パッレーシア)に満ちた、勇気ある人でした。二人は、教会と世界に、神のいつくしみとあわれみをあかししました。

 二人は二十世紀の司祭、司教、教皇でした。二人は二十世紀の悲劇を知っていましたが、この悲劇に打ち負かされませんでした。彼らのうちにあって、神はもっと力強いかただったからです。人間のあがない主であり、歴史の主であるイエス・キリストへの信仰は、もっと力強いものだったからです。彼らのうちにあって、キリストの五つの傷によって示された神のあわれみは、もっと力強いものだったからです。マリアが母として近くにいてくださることは、もっと力強いものだったからです。

 キリストの傷を仰ぎ見、そのあわれみをあかしした、この二人の人のうちには、「生き生きとした希望」と「ことばでは言い尽くせない、すばらしい喜び」(一ペトロ1・3、8)が宿っていました。それは復活したキリストが弟子たちに与えてくださる希望と喜びであり、何ものも、まただれも彼らから奪うことのできないものです。この復活の希望と喜びは、奪い取られ、剥ぎ取られ、極みまで、それも苦い杯を取り除けてほしいと望むまで罪人に近づく試練を通ります。これこそが、二人の聖なる教皇が復活した主のたまものとして与えられた希望と喜びです。そして彼らもそれを神の民に豊かに与えてくださいました。わたしたちはそれをとこしえに感謝します。

 この希望と喜びは、第二朗読で読まれた使徒言行録が語ってくれるとおり(使徒言行録2・42-47参照)、エルサレムの初期キリスト教共同体のうちに息づいていました。この共同体のうちでは、簡素な生活と兄弟愛のうちに、福音の本質である、愛とあわれみが生きていたのです。

 これは、第二バチカン公会議がわたしたちに示した、教会の模範でもあります。ヨハネ二十三世とヨハネ・パウロ二世は、本来の特徴に従って教会を修復し、現代化するために、聖霊に協力しました。この特徴とは、聖人たちが諸世紀を通じて教会に与えてきたものです。教会を前進させ、成長させてきたのは聖人たちであることを忘れてはなりません。聖ヨハネ二十三世は、公会議を招集することにより、細心の注意をもって聖霊に忠実に聞き従う態度を示しました。教皇は、聖霊に導かれながら、教会にとっては牧者でした。彼は導かれた指導者、聖霊に導かれた指導者でした。これこそが教会に対する教皇の偉大な奉仕でした。それゆえわたしは、ヨハネ二十三世を「聖霊に忠実に聞き従う教皇」だと考えたいと思います。

 聖ヨハネ・パウロ二世は、神の民への奉仕において、「家庭の教皇」でした。教皇自身、あるとき、自分のことを「家庭の教皇」として思い起こしてほしいと述べています。わたしたちが家庭についての世界代表司教会議(シノドス)に向けて家庭とともに歩んでいる今、このことを強調できてうれしく思います。きっとヨハネ・パウロ二世は、天からこの歩みに同伴し、それを支えてくださることと思います。

 この新たな二人の神の民の聖なる牧者が、教会のために執り成してくださいますように。そして、シノドスの二年間の歩みの間、教会が、家庭への司牧的奉仕に関して聖霊に忠実に聞き従うことができますように。この二人の聖人が、キリストの傷につまずくこ

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