教皇フランシスコ、アジアン・ユース・デー閉幕式ミサ説教

8月17日、教皇フランシスコは、アジア各国から集まった約4万人の若者と共に、韓国の殉教地ヘミウプソンで第6回アジアン・ユース・デー(AYD)閉幕ミサを行いました。以下はそのミサ説教の全訳です。 —&minus […]

8月17日、教皇フランシスコは、アジア各国から集まった約4万人の若者と共に、韓国の殉教地ヘミウプソンで第6回アジアン・ユース・デー(AYD)閉幕ミサを行いました。以下はそのミサ説教の全訳です。
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親愛なる若者の皆さん、

 「殉教者の栄光が皆さんの上に輝いています」。第6回アジアン・ユース・デーのテーマの一つであるこのことばは、私たちすべてをなぐさめ、力づけます。アジアの若者の皆さん。皆さんは偉大なあかしを受け継ぎ、キリストへの尊い信仰宣言を継承する人です。キリストは世の光です。キリストはわたしたちのいのちの光です。韓国の殉教者とアジアの多くの人々が迫害者に自らの肉体を差し出してきました。彼らは、キリストの真理はあらゆる闇を一掃し、キリストの愛は栄光のうちに勝利することを絶え間なくあかしし、そのあかしを伝えてきました。イエスは確かに死に打ち勝ちます。その勝利にあずかることによって、わたしたちは現代社会でキリストに従うことから生じる課題に向き合うことができるのです。

 これらのことばは、なぐさめについて考えさせるものでしたが、今回のAYDのもう一つのテーマは「アジアの若者よ、目覚めなさい」です。このテーマは皆さんに義務と責任について語りかけます。このテーマの中の一つひとつのことばについて、少し考えてみましょう。

 まず「アジアの」ということばです。皆さんはアジアのあらゆる地域からここ韓国に集まりました。皆さん一人ひとりが、それぞれの土地で、固有の状況のもとに神の愛について考えるよう招かれています。哲学と宗教において豊かな伝統を持つアジア大陸は、「道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14・6)キリストをあかしするための最前線です。アジアの若者として、さらにはこの壮大な大陸の息子や娘として、皆さんは自分の社会生活にしっかりと関わる権利と義務を持っています。どうか恐れずに、信仰の知恵を社会生活のあらゆる局面に生かしてください。

 アジア人として、皆さんは自分の文化や伝統の中の美しく、崇高で偽りのないものを見つめ、心から愛しています。その一方で、キリスト者として、皆さんは福音にはその遺産を清め、高め、完成させる力があることを知っています。洗礼のときに注がれ、堅信の秘跡において霊印を授けた聖霊を通して、皆さんはアジアの様々な文化が持つ多くの前向きな価値観を、司牧者と共に認識することができます。また、カトリック信仰にそぐわないもの、洗礼によって受けた恵みに満ちた生活に反するもの、現代の文化の罪深く、堕落している要素や死に至る要素も識別することができます。

 今回のAYDのテーマにもどりましょう。第二のことばである「若者」について考えましょう。皆さんと皆さんの友人は、その年頃に特徴的な楽観性とエネルギーと善意に満ちています。キリストに、皆さんの自然な楽観性をキリスト者の希望に変えていただきましょう。皆さんのエネルギーを道徳的な美徳に、皆さんの善意を真に自らをささげる愛に変えていただきましょう。それこそが皆さんがたどるべき道です。この道は、皆さんの生活や文化の中で希望、美徳、愛を脅かすすべてのものを克服するための道です。こうして、皆さんの若さがイエスと世界への贈り物となります。

 皆さんが働いていようとも、学生であろうとも、すでに職歴を重ね始めていようとも、また、結婚や修道生活や司祭職の召命にすでに応えていようとも、若いキリスト者である皆さんは、教会の未来の一部であるだけでなく、教会が存続するために不可欠な大切な存在です。皆さんは今、この時の教会です。互いに寄り添い、神にさらに近づきましょう。そうれば、司教や司祭と共に、より神聖で福音的で謙遜な教会、すなわち貧しい人、孤独な人、弱い人、社会の片隅に追いやられた人に尽くすことによって神を愛し、あがめる教会を築くために年月を費やすことができるでしょう。

 今日の福音の中の弟子たちのように、皆さんは、キリスト教生活においてたびたび見知らぬ人、困窮している人、貧しい人、失望している人を遠ざけてしまいます。これらの人々こそが、「主よ、どうかお助けください」という福音に登場する女の叫びを繰り返しています。カナンの女のこの叫びは、キリストの愛と受容と友情を求めるすべての人の叫びです。「主よ、どうかお助けください」。この叫びは、名も知れない町にいる多くの人々の叫びであり、皆さんと同世代の大勢の人々の叫びであり、イエスの名のもとに今も迫害を受け、いのちを奪われているすべての殉教者の叫びです。これらの叫びに応えましょう。困窮している人々に仕えることは主に近づく妨げとなると考え、何かを要望する人々を遠ざけることがあってはなりません。それはいけません。わたしたちはキリストのようになるべきです。キリストは、助けを求めるすべての嘆願に対して、愛といつくしみと深い共感をもって応じておられます。

 最後に、このAYDのテーマの最後の部分、「目覚めなさい」についてです。このことばは、主が皆さんに課した責任について語っています。それは、抑圧、誘惑、さらには自分や他者の罪によって、聖性の美や福音の喜びに対する感性が鈍くなることがないように、注意を払うという責務です。今日の答唱詩編は、何度も「喜び歌え」とわたしたちを招いています。眠っている人は、歌うことも踊ることも喜ぶこともできません。眠っている若者を見るのは嫌いです。だめです。目覚めてください。行きなさい。前に進みなさい。親愛なる若者の皆さん。「神、わたしたちの神が、わたしたちを祝福してくださいますように」(詩編67・7)。わたしたちは神から「あわれみを受けています」(ローマ11・30)。神の愛を信じて、世界に出かけてください。そうすれば、皆さんが受けたあわれみによって、皆さんの友人、同僚、同じ国の人々、そしてこの広大な大陸のすべての人が神のあわれみを受けるでしょう(ローマ11・31参照)。

 親愛なるアジアの若者の皆さん、皆さんがキリストと教会と一つになって、この道を歩むよう望みます。この道は必ずや皆さんに大きな喜びをもたらすでしょう。感謝の祭儀の食卓に今、あずかるにあたり、この世でイエスを産んでくださった母なるマリアに心を向けましょう。マリア様、わたしたちはイエスを待ち望んでいます。母としてのあなたの愛情のうちに、わたしたちが他の人々にイエスを伝え、イエスに忠実に尽くし、いつどこにいても、この国やアジア全土においても、イエスをあがめることができますように。

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