2014年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ(2014.9.28)

2014年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ 「移住者と難民、よりよい世界へ」 親愛なる兄弟姉妹の皆さん  わたしたちの社会は、これまでにない形で、世界規模で相互に依存し、かかわり合っています。こうしたプロセスは、 […]

2014年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ
「移住者と難民、よりよい世界へ」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 わたしたちの社会は、これまでにない形で、世界規模で相互に依存し、かかわり合っています。こうしたプロセスは、問題点や否定的要素を伴いながらも、人類家族の生活状況の経済的、政治的、文化的な向上を目指しています。一人ひとりの人間は、人類の一員であり、よりよい未来への希望を人類家族全体と分ち合っています。こうした思いのもとに、わたしは今年の世界難民移住移動者の日のテーマを「移住者と難民、よりよい世界へ」とすることにしました。
 変動する現代社会において、人々の移動はますます盛んになっています。教皇ベネディクト十六世のことばを用いれば、それは「時のしるし」(2006年「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ参照)です。移住は、確かに国家や国際社会の不備や欠点をたびたび明らかにしますが、一致を味わいたいという人類の願いの表れでもあります。その一致は、互いの違いが尊重され、地上の財を公平に分かち合えるように受け入れ、もてなす姿勢がとられ、さらには一人ひとりの人間が尊厳ある中心的な存在であることが守られ、促されることにより表われるのです。
 キリスト者の視点から見れば、移住という現実は、他の人類社会の現実と同様、恵みとあがないに表れている被造物のすばらしさと、罪の神秘の間の張りつめた状態です。連帯、受容、さらには兄弟愛と理解のしるしが、拒絶、差別、違法売買や搾取、苦しみ、死と向き合っています。とりわけ問題なのは、移住が強制的に、しかもさまざまな形の人身売買や隷属のもとに現実に行われているという状況です。「隷属的な労働」は今や珍しいことではありません。それでも、莫大な数の移住者と難民が、問題や危険や困難に直面しながらも、信頼と希望によってつねに力づけられています。彼らは、よりよい未来が自分だけでなく家族や親しい人にも訪れるよう心から願っています。
 「よりよい世界」を築くとは何を意味するのでしょうか。このことばは、単に抽象的な観念や実現できない理想を表しているのではありません。それは、全面的な真の発展を求めること、すべての人にしかるべき生活環境を提供するために尽力すること、個人や家族の要望に対して的確な対策を見いだすこと、そして被造物という神のたまものが確かに尊重され、守られ、育まれるようにすることを目標としています。尊敬すべき教皇パウロ六世は、現代の人々の願望を次のように説明しました。「生活物資、健康、安定した仕事をより確実に手に入れること。……よりいっそう責任を担うこと。……より大きな存在になるために、より多くのことを行い、知識を深め、より多くを所有すること」(教皇パウロ六世回勅『ポプロールム・プログレシオ』6)。
 わたしたちの心は、「より多く」を求めずにはいられません。より多くを知り所有することを望み、さらには、より大きな存在に「なる」ことを望みます。貧しい人や弱い立場の人々のことを少しも考えずにしばしば達成される経済成長だけが発展ではありません。人間への配慮が最優先され、霊的側面を含むあらゆる次元で人間が全面的に高められ、貧しい人、病者、囚人、困窮者、移住移動者を含むあらゆる人がないがしろにされることなく(マタイ25・31-46参照)、出会いと受け入れの文化が拒絶の文化にとって代わるときこそ、よりよい世界が訪れるのです。
 移住者と難民は、人類というチェス盤上で操られる駒ではありません。彼らは、さまざまな理由により故郷を出たり、追い出されたりした男女や子どもたちです。彼らも当然、知ること、持つこと、そしてとりわけ、より大きな存在になることを望みます。莫大な数の人々が別の大陸に移住したり、国内や地域内を移動したりしていることは重大な事実です。現代における移住の流れは、民族移動ではないとしても、人々の移動としては史上最大です。教会は、移住者と難民の旅路に教会が寄り添うにあたり、移住の原因を理解するよう努めると同時に、移住がもたらすよくない影響を克服し、母国、通過国、受け入れ国の社会にプラスになる影響を極限まで高めるために活動しています。
 よりよい世界に向けた発展を促すに際し、わたしたちは、さまざまな形で貧困が生じているという悪しき現実を見過ごすわけにはいきません。暴力、搾取、差別、疎外、そして個人や団体の基本的な自由の制限は、貧困の克服すべき主要要素です。多くの場合、これらはまさしく移住の特徴となっています。このように、移住と貧困は結びついているのです。何百万もの人々がよりよい未来への希望を抱きつつ、または自分のいのちをひたすら守るために、貧困や迫害から逃れて移住することを選択しています。希望や期待とは裏腹に、彼らはしばしば、不信感、拒絶、阻害、さらには人間としての尊厳を脅かすような悲劇や惨事に遭遇します。
 グローバル化が進む現代において新たな局面を迎えている移住には、新しく、適切かつ有効な手段で取り組み、対処しなければなりません。そのためには、何よりもまず、国家間の協力と心からの連帯と思いやりの精神が求められます。さまざまなレベルで協力することが非常に重要です。その中には、人間を守り、成長させるための政策や規則を広範囲で適用することが含まれます。教皇ベネディクト十六世は、そうした政策の特色を次のように説明しています。「このような政策は、移民の本国と目的国との緊密な協調から出発すべきです。そして、個々の移民とその家族の必要と権利、同時に、受入国の人々の必要と権利を守るために、種々の法制度を調整できる適切な国際規範を伴ったものでなければなりません」(教皇ベネディクト十六世回勅『真理に根ざした愛』62)。よりよい世界に向けて協力するためには、それぞれの国が、乗り越えることのできない障壁を設けずに、信頼のもとに進んで助け合うことが必要です。政府指導者が移住の要因である社会経済の不均衡や無秩序なグローバリゼーションに対処するにあたり、良好な協調態勢は彼らの力の源となるでしょう。移住の流れの中では、人間は主人公ではなく、むしろ犠牲者です。この現象の問題点に単独で対処できる国はどこにもありません。移住は現在、あまりに広範囲に広がっているために、入国と出国という二重の流れによってあらゆる大陸に影響を与えているからです。
 こうした協力関係は、各国が国内の経済や社会状況を改善するために尽力することから始まることも忘れてはなりません。それにより、平和、正義、安全、人間の尊厳の尊重を求める人々にとって、移住だけが唯一の選択肢ではなくなるからです。地元の経済における雇用機会の創出によっても、家庭は離散を免れ、人や団体が安定と平穏を確かに享受できるようになるのです。
 最後に、移住者と難民の状況に関して、わたしはよりよい世界を築くための要素を、もう一つ指摘したいと思います。それは、移住に対する先入観と偏見の克服です。移住者、避難民、庇護希望者、難民の入国により、疑いや敵意が生じるのは珍しいことではありません。社会の安全が損なわれ、アイデンティティと文化が失われ、雇用をめぐる競争が激しくなり、犯罪まで増えるのではないかという懸念が生じるのです。このことに関して、マスメディアには重大な責任があります。固定観念を打破し、正しい情報を提供できるかどうかは、実際、マスメディアにかかっています。マスメディアは、少数の人々が犯した過ちだけでなく、大多数の人々の誠実さ、正しさ、善良さも報道すべきです。すべての人が、移住者や難民に対する態度を変える必要があります。拒絶の文化の典型である自己防衛的で臆病で無関心で差別的な態度を捨てて、出会いの文化に基づく態度をとるべきです。よりよく、より正しく、より兄弟愛に満ちた世界を築くことができるのは、出会いの文化だけです。マスメディアは、このような「態度の転換」を自ら行い、移住者や難民に対する対応を変えるよう促す必要があります。
 わたしは、ナザレの聖家族が初めにどのような拒絶を体験したかを思い浮かべます。マリアは「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2・7)。イエスとマリアとヨセフは、祖国を離れて移住者となる経験をしました。彼らはヘロデの権力欲に脅かされ、エジプトに逃れて避難せざるをえなかったのです(マタイ2・13-14参照)。しかし、マリアの母としてのみ心と、聖家族の守護者であるヨセフの思いやりに満ちた心は、神がいつも彼らとともにあることを決して疑いませんでした。マリアとヨセフの取り次ぎによって、すべての移住者と難民の心に同じ確信が抱かれますように。
 教会は、「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」というキリストの命令にこたえ、あらゆる人々を受け入れ、彼らに福音を告げ知らせる神の民になるよう求められています。なぜなら、人間一人ひとりの顔には、キリストのみ顔が表れているからです。これが、わたしたちがつねに尊重し、守らなければならない人間の尊厳の根底にある基盤です。人間の尊厳は、能力、生産性、社会階級、民族、宗教といった基準ではなく、人は神の姿にかたどり、神に似せて造られた(創世記1・26-27参照)まさに神の子であるという事実に根ざしています。すべての人は神の子です。人間にはキリストの姿が表れています。移住者と難民は、解決すべき問題をもたらすだけの存在ではなく、歓迎され、尊重され、愛されるべき兄弟姉妹であることを、わたしたち自身が認識し、他の人々にも認識してもらう必要があります。彼らは、より公正な社会、より完全な民主主義、よりまとまりのある国、より兄弟愛に満ちた世界、より開かれた福音的なキリスト教共同体を築くのを助けるために、神の摂理がわたしたちに与えた機会なのです。移住は、新しい福音宣教への可能性を生み出し、過越の神秘のうちに前もって示されている新しい人間をはぐくむ場を広げます。新しい人間にとっては、どんな異国も母国となり、どの母国も異国となるのです。
 移住者と難民の皆さん。皆さんにもより確かな未来が待っています。旅路では手が差し伸べられ、兄弟愛に満ちた連帯と温かい友情を味わうことでしょう。そうした希望を決して失わないでください。わたしは、皆さんのために、そして生涯をささげて皆さんを支えるために尽力している方々のために祈りをささげ、心を込めて使徒的祝福を送ります。

バチカンにて
2013年8月5日
教皇フランシスコ

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