教皇庁内赦院 教皇フランシスコにより発表された 2025年の通常聖年の間に与えられる免償*に関する教令 「そして今、新たな聖年の時が来ました。この聖年の間に聖なる扉が再び大きく開かれ、キリストにおける救いという確かな希 […]

教皇フランシスコにより発表された
2025年の通常聖年の間に与えられる免償*に関する教令
「そして今、新たな聖年の時が来ました。この聖年の間に聖なる扉が再び大きく開かれ、キリストにおける救いという確かな希望を心に呼び起こす、神の愛の生きた体験がもたらされます」(教皇フランシスコ大勅書『希望は欺かない(2024年5月9日)』6[Spes non confundit])。「過去の惨事を忘れがちな人類は、おびただしい人々が暴力の蛮行によって虐げられるさまを目の当たりにする、新たな、そして困難な試練にさらされています」(同8)。このような歴史的瞬間に、教皇は2025年の通常聖年を公布する大勅書で、希望の巡礼者となるようすべてのキリスト信者に呼びかけます。希望という徳は、時のしるしの中で再発見されなければなりません。「救ってくださる神の現存を必要とする人間の心の渇望を含んだ時のしるしは、希望のしるしへと変えられることを望んでいるのです」(同7)。この希望は、何よりも、神の恵みとその満ち満ちたいつくしみからくみ取らなければなりません。
教皇フランシスコは、すでに2015年のいつくしみの特別聖年を公布する大勅書において、聖年の期間中、免償を受けることが「とくに大切」であることを強調しました(教皇フランシスコ、いつくしみの特別聖年公布の大勅書『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔(2015年4月11日)』22[Misericordiae vultus])。なぜなら、神のいつくしみは「キリストの花嫁を介して……御父の免償となり、罪人のもとにゆるしを届けます。そしてその人が……再び罪に陥るのではなくむしろ……罪のあらゆる結果から解放してくださ」るからです(同)。同じように、教皇はこう宣言します。免償のたまものは「神のあわれみがいかに無限であるかを分からせてくれます。古代において、「あわれみ(misericordia)」ということばは、「免償(indulgentia)」ということばと互換性のあるものだったのは偶然ではありません。なぜなら、まさに「免償」は、限界を知らない神のゆるしの十全さを表そうとするものだからです」(『希望は欺かない』23)。それゆえ、免償は聖年の恵みです。
それゆえ、2025年の通常聖年の期間中、教皇の望みにより、免償の授与と使用にかかわるすべてのことがらに責任を負う「いつくしみの法廷」である本内赦院は、信者の魂を力づけ、すべての聖年に固有な恵みのたまものである免償を得ようとする聖なる望みをはぐくむことを目指して、以下の規定を定めます。それは、信者が「聖年の免償を得て、それを有効なものとするための諸規定」(同23)を用いることができるようにするためです。
2025年の通常聖年の期間中、すでに与えられた他の免償は有効であり続けます。心から痛悔し、罪の傾きから離れ(『免償の手引き』[Enchiridion Indulgentiarum, IV ed., norm. 20, § 1]参照)、愛の精神に動かされ、聖年の間、ゆるしの秘跡によって清められ、聖体に力づけられ、教皇の意向に従って祈る信者は、教会の宝から全免償が与えられ、その罪の赦免とゆるしが与えられます。これは代願のかたちで、煉獄の霊魂に対して与えられることも可能です。
一 聖なる巡礼
希望の巡礼者である信者は、聖なる巡礼を行うことにより、教皇から聖年の免償を受けることができます。
聖年の巡礼所への巡礼 聖なるミサに敬虔に参加する(典礼規則が認めるかぎりにおいて、まずは聖年のためのミサ、あるいは、和解のため、罪のゆるしのため、愛徳を願うため、一致を深めるための信心ミサをささげる)。キリスト教入信の秘跡や病者の塗油を授けるための儀式ミサ、神のことばの祭儀、教会の祈り(読書、朝の祈り、晩の祈り)、十字架の道行、ロザリオの祈りに参加する。アカティストスの聖母賛歌を唱える。ゆるしの式―儀式書『ゆるしの秘跡』で定められているような(第2形式)、個人の罪の告白で終わる式―に参加する。
ローマへの巡礼 四つの教皇バジリカ―バチカン・サンピエトロ大聖堂、ラテラノ・サンティッシモ・サルヴァトーレ(聖救世主)大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ(城外の聖パウロ)大聖堂―の少なくとも一つに巡礼を行う。
聖地への巡礼 三つのバジリカ―エルサレム・聖墳墓大聖堂、ベツレヘム・降誕大聖堂、ナザレ・お告げの大聖堂―の少なくとも一つに巡礼を行う。
他の教会地域への巡礼 地区裁治権者の指定した司教座聖堂、他の聖堂、または巡礼所。司教は、信者の必要を考慮するとともに、回心と和解の大きな必要性を示すことができる、象徴的な力を含む巡礼がもつあらゆる意味を保つ機会について配慮しなければならない。
二 巡礼所への聖なる訪問
同じように、信者は、個人またはグループで、聖年の巡礼地を敬虔に訪れ、そこで適切な時間、聖体礼拝と黙想を行い、終わりに主の祈り、正式なかたちでの信仰宣言、神の母マリアへの祈願を唱えるなら、聖年の免償を受けることができます。それは、聖年の間、すべての人が「わが子を決して見捨てない母の中でもっとも愛情深い母であるかた……の寄り添いを味わう」(『希望は欺かない』24)ためです。
聖年の特別な期間、上記の著名な巡礼地のほか、他の聖なる場所を同じ条件で訪問することもできます。
ローマ サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ(エルサレムの聖十字架)大聖堂、サン・ロレンツォ・アル・ヴェラノ(城外の聖ラウレンチオ)大聖堂、サン・セバスティアーノ大聖堂(聖フィリポ・ネリが愛した「ローマの7巡礼聖堂」を敬虔に訪問することは大いに推奨されます)、サントゥアリオ・デル・ディヴィノ・アモーレ(神の愛の巡礼大聖堂)、サント・スピリト・イン・サッシア教会堂、使徒パウロの殉教地であるサン・パオロ・アッレ・トレ・フォンターネ教会堂、ローマのカタコンベ、『イテル・エウロペウム』(Iter Europaeum)(訳注:2021年に制定された、EU加盟国に紐づけられた教会を巡るローマ市内の巡礼路)に示された聖年の巡礼教会および「ヨーロッパの女性守護聖人と教会博士」にささげられた教会堂(サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会、サンタ・ブリジダ・ア・カンポ・デ・フィオーリ教会、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会、トリニタ・デイ・モンティ教会、サンタ・チェチリア・ア・トラステヴェレ教会、サンタゴスチーノ・イン・カンポ・マルツィオ教会)。
世界の他の地域への巡礼 アッシジの二つの教皇小バジリカ(サン・フランチェスコ聖堂、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂)、ロレトの聖母教皇バジリカ、ポンペイの聖母教皇バジリカ、パドヴァの聖アントニオ教皇バジリカ、あらゆる小バジリカ、司教座聖堂、共同司教座聖堂、聖母巡礼所、ならびに、信者の善益のために教区司教ないし東方教会司教区司教が指定したあらゆる著名な参事会聖堂または巡礼所、司教協議会によって定められた、「歓待する聖所、希望を呼び起こす特別な場となる」(『希望は欺かない』24)、各国巡礼所および国際的巡礼所。
心から罪を痛悔していても、重大な理由でさまざまな荘厳な典礼への参加や、巡礼や聖なる訪問ができない信者(とくに男女の隠世修道者、高齢者、病者、受刑者、また、病院や他の看護施設で継続的に病者に奉仕する人々)は、同じ条件のもとに聖年の免償を受けることができます。すなわち、とくに教皇や教区司教のことばがさまざまなコミュニケーション手段によって伝えられるときに、そばにいる信者と心を一つにし、自宅または自分がとどまらなければならない場所(たとえば、隠世修道院、病院、看護施設、刑務所の礼拝堂)で、主の祈り、認可されたかたちでの信仰宣言、聖年の目的にかなう他の祈りを唱え、自分たちの苦しみと生活の困難をささげることによって。
三 慈善と償いのわざ
さらに信者は、敬虔な心で、宣教活動、霊操、教皇の精神に従って教会や他の適切な場所で行われる『第二バチカン公会議公文書』や『カトリック教会のカテキズム』の勉強会に参加するなら、聖年の免償を受けることができます。
全免償は1日に1回しか受けられないという規定(『免償の手引き』[Enchiridion Indulgentiarum, IV ed., norm. 18, § 1]参照)にもかかわらず、煉獄の霊魂のために愛のわざを行う信者は、同じ日に合法的に2回目の聖体拝領をするなら、同じ日に死者にのみ適用される、2回目の全免償を受けることができます(これは感謝の祭儀の中でのみのことです。教会法第917条、教皇庁教会法解釈委員会『疑問に対する応答(1984年7月11日)』1[Responsa ad dubia]参照)。この二重の奉献により、地上の旅にある信者を、キリストの神秘的なからだのうちに、すでに旅路を終えた信者と結びつけるきずなを通じて、褒むべき超自然的な愛のわざがなし遂げられます。「聖年の免償は、祈りの力によって、わたしたちより先に召された人々が満ち足りたあわれみにあずかれるよう、特別な方法で彼らのためにも意図されている」(『希望は欺かない』22)からです。
しかし特別なしかたで、「聖年の間にわたしたちは、苦しい境遇のもとで生きる大勢の兄弟姉妹にとっての、確かな希望のしるしとなるよう求められます」(『希望は欺かない』10)。それゆえ免償は、回心の始まりをあかしする、慈善と償いのわざとも結びつけられるのです。信者は、キリストの模範と命令に従って、愛と慈善のわざをいっそう頻繁に行うよう駆り立てられています。このわざはおもに、さまざまな困難に苦しむ兄弟への奉仕によってなされます。とくに「身体的な慈善のわざをあらためて見てみましょう。飢えている人に食べさせること、渇いている人に飲み物を与えること、着る物をもたない人に衣服を与えること、宿のない人に宿を提供すること、病者を訪問すること、受刑者を訪問すること、死者を埋葬すること―、これです」(『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』15)。また、「精神的な慈善のわざも忘れてはなりません。疑いを抱いている人に助言すること、無知な人を教えること、罪人を戒めること、悲嘆に打ちひしがれている人を慰めること、もろもろの侮辱をゆるすこと、煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと、生者と死者のために神に祈ること―、これです」(同)。
同じように信者は、困窮や困難のうちにある兄弟(病者、受刑者、孤独な高齢者、障害者……)をふさわしい頻度で訪問することにより、聖年の免償を受けることができます。いわば、通常の霊的・秘跡的また祈りの条件に従って、その人々のうちにおられるキリストへの巡礼を行うことによってです(マタイ25・34―36参照)。信者は間違いなく、聖年の期間中、このような訪問を繰り返すことにより、毎日でも、そのつど全免償を受けることができます。
聖年の全免償は、具体的かつ寛大なしかたで償いの精神を実践する取り組みによっても与えられます。償いの精神はいわば聖年の魂です。とくに金曜日の償いとしての意味を再発見しなければなりません。償いの精神をもって少なくとも週に1日、無益な娯楽(現実の娯楽とともに、たとえばメディアやソーシャル・ネットワークを通じた仮想の娯楽)や過剰な消費を控えること(たとえば、教会の一般的な規則や司教の指示に従った断食や節制のわざによって)。また、貧しい人々に適切な金額の寄付をすること。宗教的・社会的な性格の援助活動―とくにあらゆる段階におけるいのちを保護し、守るだけでなく、見捨てられた子どもたち、困難のうちにある若者、困窮や孤独のうちにある高齢者、さまざまな国からの移住者の、生活の質を守ることです。移住者は「自分自身と家族のために、よりよい生活を求めて故郷を去る」(『希望は欺かない』13)のです。免償は、適切な量の自由時間を、共同体に奉仕するボランティア活動や、他の同様な個人的な取り組みにささげることによっても与えられます。
教区と東方教会の司教区司教、および法的にこれに相当する立場にある人々は、聖年の期間の適切な日に、司教座聖堂や個々の聖年の教会堂で主要な祭儀を行うときに、全免償を伴う教皇祝福を与えることができます。この全免償は、通常の条件のもとでこの祝福を受けるすべての信者が受けることができるものです。
ゆるしの秘跡に近づくことと、「(聖ペトロの)鍵の力」(訳注:マタイ16・19、18・18参照)による神のゆるしを得ることを司牧的に助けるために、地区裁治権者は、司教座聖堂や聖年のために指定された教会堂で信者の告白を聞く参事会員や司祭に、『東方教会法』第728条第2項で定める東方教会の信者の内的法廷に限定された権能、また、留保された場合においては第727条の権能を与えるように招かれます。第728条第1項が述べる場合を除外することはいうまでもありません。ラテン教会の信者の場合、教会法第508条第1項で述べられる権能がこれに該当します。
これに関連して、本内赦院はすべての司祭に対して、救いの手段から益を得るための最大限の機会を信者に与えるために、寛大な協力と献身を促します。そのために、主任司祭や近隣の教会主管者司祭の同意のもとに、告白の時間割を作成・公表し、進んで告白場で告白を聞き、時間を固定して頻繁にゆるしの式を行うことを計画してください。さらには、司牧的な職務をもたない引退司祭を、できるかぎり動員してください。場合により、教皇ヨハネ・パウロ二世自発教令『神のいつくしみ―ゆるしの秘跡の執行に関する若干の側面(2002年4月7日)』(Misericordia Dei)に従い、感謝の祭儀の司式中にも告白を聞く司牧的な機会があることを司祭は思い起こさなければなりません。
聴罪司祭の任務を助けるために、教皇庁内赦院は、教皇の命令により、自教区外で聖年の巡礼に同行ないし参加する司祭に、自教区内で正当な権威者によって与えられたのと同じ権能を与えます。さらに本教皇庁内赦院は、ローマの教皇バジリカの聴罪司祭、参事会聴罪司祭、および個々の教会区域に設立された教区聴罪司祭にも、特別な権能を与えます。
聴罪司祭は、留保と懲戒が伴う罪の重大性を信者に愛をもって教えた後、司牧的な愛をもって適切な秘跡的な償いを定めなければなりません。罪を悔い改めた人が、悔い改めをできるかぎり確固たるものとし、事例の性格に従い、つまずきと損害をも修復できるようにするためです。
最後に、本内赦院は、教え、統治し、聖化するという三つの任務を担う司教の皆様を心から招きます。場所、文化、伝統をとくに考慮しながら、信者の聖化のために、ここに定めた規定と原則を明快に説明するようにしてください。各国民の社会的・文化的性格に合わせたカテケージスは、福音とキリスト教のメッセージ全体を効果的に提示し、教会の仲介を通して与えられる、免償という固有のたまものへの望みを、人々の心に深く根づかせることができます。
本教令は2025年の通常聖年の期間中、有効です。対立する規定類がある場合、本規定が優先します。
2024年5月13日、ファティマの聖母の記念日
内赦院長
アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿
内赦執行官
クシストフ・ニキエル
*訳注 ^ 免償とは、罪科としてはすでに赦免された罪に対する有限の罰の神の前におけるゆるしである。キリスト信者はふさわしい心構えを有し、一定の条件を果たすとき、教会の助けによってこれを獲得する。免償は、罪のために負わされる有限の罰からの解放が部分的であるか全体的であるかによって、部分免償および全免償とに分けられる(教会法第992~993条、『カトリック教会のカテキズム』1471、『カトリック教会のカテキズム要約』312参照)。