第27回日韓司教交流会 2025年11月20日ミサ説教 白浜満司教(広島教区司教)

第27回日韓司教交流会ミサ説教 2025年11月20日/年間第33週木曜日(於:広島カテドラル世界平和記念聖堂) 白浜満司教(広島教区司教) 1マカバイ2・15-30 ルカ19・41-44  第2次世界大戦の終戦から節目 […]

第27回日韓司教交流会ミサ説教
2025年11月20日/年間第33週木曜日(於:広島カテドラル世界平和記念聖堂)
白浜満司教(広島教区司教)

1マカバイ2・15-30
ルカ19・41-44

 第2次世界大戦の終戦から節目を迎えた50年、60年、そして70年にあたって、当時の日本の首相は談話を発表して、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して、多大な損害と苦痛を与えた」ことに対し、反省とお詫びを表明しました。

 終戦80年を迎えた今年、日本の首相は、この歴史認識を引き継ぎながら、さらに「冷静で合理的な判断よりも、精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき進路を誤った歴史を繰り返してはならない」と言う新たな見解を付け加えました。

 日本が朝鮮半島を侵略し、35年間に及ぶ植民地支配によって、朝鮮半島の人々に、多大な損害と苦痛を与えてしまったことをお詫びしなければなりません。そして第2次世界大戦中、広島には約14万人もの朝鮮半島出身の人々が暮していましたが、その多くが強制労働のために動員された方々でした。それは、おそらく広島が、軍都であったからであると思われます。

 80年前の8月6日、広島に原爆が落とされて7万人が死亡しました。その後、わずか数か月の間にも、やけどや脱水症、多量に放射能を浴びたことによる後遺症のために、さらに数万人が命を落とすことになりました。原爆による犠牲者の約20パーセントは、朝鮮出身の方々でした。まさに、日本による植民地支配と戦争は、「多大な損害と苦痛」を与えてしまいました。

 「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら -しかし今はお前には見えない。」
第2次世界大戦前の日本は、まさにイエスさまが涙を流しながら、嘆いたこの言葉が当てはまる状態でした。日韓司教交流会は、このような過去の痛ましい歴史をしっかりと見つめ、憎しみや対立を乗り越えて、平和への道をわきまえていくために始められ、その役割を果たしてきました。

 第2次世界大戦以降、広島は過去の反省を踏まえて、軍都から平和都市に生まれ変わる新たな歩みを開始し、最初の被爆地として、核兵器の非人道性を世界に訴え続ける使命を果たそうと努力しています。そのために、1981年2月25日の教皇聖ヨハネ・パウロ2世、また2019年11月24日の教皇フランシスコによる被爆地の訪問は、この平和都市への変容を励ます一つの力となりました。そして、今回、被爆80年にあたり、日韓の司教様方が広島に集い、この世界平和記念聖堂で、ともに祈ってくださったことに、心から感謝いたします。

 広島の一人の被爆者が、「わたしたち被爆者の余命を心配するより、最新の核兵器による人類の絶滅の危険を心配すべきである」と、警告してくださいました。最新の原爆は、80年前に広島に落とされたリトルボーイの500倍以上の破壊力があると言われています。もし核戦争が引き起こされてしまうならば、今日の福音の中で預言されている終末の滅びが実現することは、確かです。――「それは神が訪れてくださるときをわきまえなかったからである」と、イエスは教えています。

 6年前に広島を訪問されて、とくに核兵器の廃絶を強く訴えた教皇フランシスコは、「原子力の戦争目的の使用は、これまで以上に犯罪とされます。―核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています」と発言されました。また、平和への道を歩んでいくために、わたしたちが「思い起こし、ともに歩み、守る」ことは、3つの倫理的な命令であると指摘されました。

 そして、教皇レオ14世は、選出された直後の挨拶で呼びかけました。「皆さん、どうか手を貸してください。対話をもって、出会いを通して、互いに橋を架けましょう。皆が一致して、いつも平和な、ただ一つの民になりましょう。」

 カトリック教会は、世界のすべての民が平和を愛する一つの人類家族であることを目指す目に見えるしるし、またそれを実現する平和の道具となる使命があります。日韓の教会が、これからも、ともに祈り、交わり、活動を通して、平和へ道を歩んで行くための希望の架け橋となることができるよう、神の導きと豊かな祝福を祈りたいと思います。

広島教区 司教 アレキシオ 白浜 満

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