
2026年1月7日(水)午後、1月7日から8日の2日間開催される臨時枢機卿会議開会にあたってシノドスホールで行ったあいさつ(原文イタリア語)。 ――― 親愛なる兄弟である枢機卿の皆様。 皆様をお迎えできてたいへんう […]
2026年1月7日(水)午後、1月7日から8日の2日間開催される臨時枢機卿会議開会にあたってシノドスホールで行ったあいさつ(原文イタリア語)。
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親愛なる兄弟である枢機卿の皆様。
皆様をお迎えできてたいへんうれしく思います。ご出席くださり、感謝します。わたしたちが祈り求めた聖霊が、この2日間の考察と対話においてわたしたちを導いてくださいますように。
わたしたちが主の公現の祭日の翌日に枢機卿会議のために集まったことはたいへん意義深いものだと思います。この神秘から示唆されることをもって、わたしたちの会議の導入としたいと思います。
典礼の中で預言者イザヤのつねに感動的な呼びかけが響き渡りました。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(イザ60・1-3)。
このことばは第二バチカン公会議の『教会に関する教義憲章』の冒頭を思い起こさせます。第一段落の全体を読みます。「諸民族の光はキリストであり、そのため聖霊において参集したこの聖なる教会会議は、すべての被造物に福音を告げ(マコ16・15参照)、教会の面に輝くキリストの光をもってすべての人を照らそうと切に望む。教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具であり、これまでの公会議の教えを守りつつ、自分の本性と普遍的使命とを、その信者と全世界とに、より明らかに示そうと念じている。現代の状況は教会のこの義務をいっそう緊急なものにしている。今日、すべての人は、社会・技術・文化の種々のきずなによっていっそう密接に結ばれているが、彼らはまた、キリストにおける完全な一致をも実現しなければならないからである」(『教会憲章(1964年11月21日)』1[Lumen gentium])。
わたしたちは、聖霊が数世紀を隔てて、預言者と公会議教父のうちに同じビジョン(幻)を与えたということができます。それは、主の光が聖なる町――初めにエルサレム、後に教会――を照らし、その上に映し出され、すべての民が世の闇のただ中を歩めるようにするというビジョンです。イザヤが「象徴によって」告げたことを、公会議は諸民族の光であるキリストによって完全に啓示された現実のうちに認めます。
わたしたちは教皇聖パウロ六世と教皇聖ヨハネ・パウロ二世の教皇職を、このような公会議の展望によって完全なしかたで解釈することができます。公会議は、教会の神秘がすべてキリストの神秘のうちに記されていることを観想し、そこから、福音宣教の使命を、救いの歴史の中心的な出来事から放たれる尽きることのないエネルギーの放射として理解するからです。
その後、教皇ベネディクト十六世と教皇フランシスコは、このビジョンを「魅力」の一語のうちに要約しました。教皇ベネディクトは2007年の 「ラテンアメリカ・カリブ司教会議アパレシーダ総会開会説教(2007年5月13日)」の中で次のように述べてこのことに言及しました。「教会は強制改宗を行いません。むしろ教会は〈「魅力」によって〉発展します。キリストが、十字架のいけにえにおいて頂点に達するその愛の力によって『すべての人を自分のもとへ引き寄せ』たのと同じように、教会は、キリストと結びつきながら、そのすべてのわざを主の愛との霊的で具体的な一致のうちに果たすかぎりにおいて、自らの使命を果たします」。教皇フランシスコはこの考えに完全に同意し、それをさまざまな文脈で何度も繰り返して述べました。
今日わたしは喜びをもってこの考えをあらためて取り上げて、皆様と分かち合います。そして、教皇ベネディクトがこの魅力の運動を支配する「力」として示したものに注意を向けてくださるようにお願いします。この力とは、〈カリス(恵み)〉であり、〈アガペー(愛)〉です。イエス・キリストのうちに受肉し、聖霊のうちに教会に与えられ、教会のすべてのわざを聖化する、神の愛です。実際、人々を引き寄せるのは、教会ではなく、キリストです。そして、もしキリスト者やキリスト教共同体が人々を引き寄せるなら、それは、救い主のみ心から流れ出る愛の精気がこれらの水路を通って人々に達するからです。「現代世界における福音の告知について」の使徒的勧告『福音の喜び(2013年11月24日)』(Evangelii gaudium)によって教皇職を始めた教皇フランシスコが、「イエスのみ心における人間的な愛と神的な愛について」の回勅『主はわたしたちを愛された(2024年10月24日)』(Dilexit nos)をもって教皇職を終えたことは意義深いことです。
聖パウロはこう述べています。「キリストの愛がわたしたちを駆り立てている(Caritas Christi urget nos)」(二コリ5・14)。ギリシア語のシュネケイという動詞は、キリストの愛が、わたしたちを所有し、包み、抱きしめるがゆえに、わたしたちを駆り立てることを意味します。キリストご自身が預言されたとおり、それはすべての人をキリストへと引き寄せる力です。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハ12・32)。〈キリストが〉わたしたちを愛してくださったのと〈同じように〉、わたしたちが互いに愛し合うかぎりにおいて、わたしたちはキリストに属する者であり、キリストの共同体であり、キリストもわたしたちを通して人々を引き寄せ続けることがおできになります。実際、信頼できるのは愛だけです。愛だけが信じるに値します(1)。
一致は人々を引き寄せますが、分裂は人々を散らします。物理学も、小宇宙と大宇宙のレベルでこのことを指摘しているように思われます。それゆえ、真の意味で宣教的な教会、すなわち、キリストの愛の魅力的な力をあかしできる教会であるために、何よりもまず、キリストの掟を実践しなければなりません。それは、弟子たちの足を洗った後にキリストがわたしたちに与えた唯一の掟です。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。キリストは続けてこういわれます。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハ13・34-35)。聖アウグスティヌスはこれを注解してこう述べます。「この目的のためにわたしたちもまた互いに愛するようにと、主はわたしたちを愛されたのである。そして、わたしたちが相互の愛によって互いにかたく結びつけられ、魅力的な紐(ひも)によって肢体として結合されることによって、力ある頭(かしら)〔主イエス〕のからだとなるようにと、主はわたしたちを愛することによって相互の愛をわたしたちに委託されているのである」(『ヨハネ福音書講解』[In Johannis Evangelium tractatus 65, 2〔茂泉昭男訳、『アウグスティヌス著作集25 ヨハネによる福音書講解説教(3)』教文館、1993年、75頁〕])。
親愛なる兄弟である枢機卿の皆様。ここから、すなわちこの主のことばから、わたしたちの最初の枢機卿会議と、そしてとくに、わたしたちが神の恵みによって果たすように招かれている団体的な歩みへと出発したいと思います。わたしたちは、さまざまな背景、文化、教会的・社会的伝統、教育的・学術的な歩み、司牧経験、そして当然のことながら個人的な性格と特徴によって豊かにされた、多様性に富むグループです。わたしたちは何よりもまず、教会への奉仕のために共同で作業できるように、互いに知り合い、対話するように招かれています。わたしたちが団体性の模範を示すために交わりのうちに成長できることを願っています。
わたしたちは今日、ある意味で、わたしが教皇選挙(コンクラーベ)の直後に皆様の多くとともにもつことができた記念すべき出会いを「普遍教会の統治という重大な責任において教皇を支え、これに助言するための、交わりと兄弟愛、考察と分かち合いの時」(教皇レオ十四世「臨時枢機卿会議を招集する書簡(2025年12月12日)」)として、継続します。
わたしたちはこれからの2日間、実験的に、4つのテーマを共同で考察します。すなわち、(1)『福音の喜び』(Evangelii gaudium)、すなわち、現代世界における教会の告知。(2)『福音をのべ伝えなさい』(Praedicate Evangelium)、すなわち、とくに部分教会に対する聖座の奉仕。(3)協力の手段と形式としての世界代表司教会議(シノドス)とシノダリティ。(4)キリスト教生活の源泉と頂点としての典礼です。時間的な理由と、実際に深い考察を促すために、これらのうち2つだけをとくに考察の対象とします。
21のグループのすべてがわたしたちの行った選択に寄与しますが、教皇庁で働く人々とローマに住む人々に助言を求めるのはわたしにとって容易なため、報告を行うのは地域教会からの9グループに限ります。
わたしは皆様に耳を傾けるためにここにいます。わたしたちが2023年と2024年の2つの世界代表司教会議(シノドス)総会の間、学んだとおり、シノドスのダイナミズムは、優れた意味で耳を傾けることを必要とします。この種のすべての会合は、シノダリティに対するわたしたちの共通理解を深めるための機会となります。「わたしたちが生きている世界、わたしたちがその矛盾の中にあっても愛し、奉仕するよう呼ばれているこの世界において、教会はその使命のすべての分野における協力を強化していくよう、強く求められています。まさに〈シノダリティ〉の歩みとは、神が第三千年期の教会に期待しておられる歩みなのです」(教皇フランシスコ「世界代表司教会議設立50周年記念式典における演説(2015年10月17日)」)。
この一日半は、わたしたちにこれからの歩みの先取りとなります。わたしたちは何らかの文書に到達する必要はありません。むしろ、全教会の使命のためのわたしの奉仕職にとってわたしの助けとなる会話を前に進めなければなりません。
明日は、次の導きとなる問いに従って、選ばれた2つのテーマを議論します。
「これからの1年ないし2年に向けて、どのような関心と優先事項がこれらの問題に関する教皇と教皇庁の活動を方向づけるべきか」。
一人ひとりの思いと心と霊に耳を傾けること。互いに耳を傾け合うこと。すべての人が発言できるように、中心的なポイントだけを簡潔に述べること。これがわたしたちの進め方です。古代ローマの賢者はこう述べました。「量より質を」(Non multa sed multum)。今後も、聖霊の導きを求め、ともに歩みながら行われる、このような互いに耳を傾け合うスタイルは、わたしにゆだねられたペトロの奉仕職にとって大きな助けとなり続けるものです。わたしたちが兄弟愛と心からの友愛によって協働することを学ぶ方法からも、現在と未来を左右する何か新しいことを始めることができるのです。
親愛なる友人の皆様。皆様が会議に出席してくださり、寄与してくださることを、今から神に感謝します。教会の母であるおとめマリアがつねにわたしたちを支えてくださいますように。
