たった今朗読された福音の中で、イエスは弟子たちと大勢の群衆の前で真福八端を宣言します。わたしたちは真福八端を何度も耳にしているにもかかわらず、それはわたしたちを驚かせ続けます。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6・20-21)。このことばは世の論理を覆し、わたしたちが現実を新しい目で、すなわち神のまなざしで見るように招きます。神は外見を超えたところをご覧になり、脆弱さや苦しみの中にも美を見いだされるからです。
後半には厳しく警告することばが含まれます。「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる」(ルカ6・24-25)。「幸いである」と「あなたがたは、不幸である」の対比は、わたしたちがどこに安定を見いだすかを識別することの重要性を思い起こさせてくれます。
芸術家、文化人である皆さんは、真福八端の革命的なビジョンの証人となるように招かれています。皆さんの使命は、美を創造することだけではなく、歴史のひだに隠れた真理と善と美を明らかにし、声をもたない人に声を与え、苦しみを希望に変えることです。
わたしたちは複雑な危機の時代を生きています。この危機は経済的・社会的なものであるとともに、何よりもまず霊魂の危機、意味の危機です。わたしたちは時間と航路について問いかけます。わたしたちは巡礼者なのか、それとも放浪者なのか。目的をもって歩んでいるのか、それとも道に迷いながらさまよっているのか。芸術家は、人類が方向を見失わず、希望の地平を忘れないように助けとなるという務めをもつ人です。
しかし、注意してください。この希望は、安易で、表面的で、実体のない希望ではありません。そうではありません。真の希望は人間の実存のドラマと結び合わされています。それは安楽な避難所ではなく、神のことばのように燃え上がりながら照らす炎です。そのため真正な芸術はつねに神秘との出会いです。わたしたちを超えた美との出会いです。わたしたちに問いかける苦しみとの出会いです。わたしたちを招く真理との出会いです。もしそうでなければ、「不幸」です。主は厳しく呼びかけます。
詩人ジェラード・マンリー・ホプキンズが述べているとおり、「この世は神のかがやきをいっぱいに帯びています。それはふるえる金箔から発する光のように きらきらと光り輝くことでしょう」(「神のかがやき」[God’s Grandeur〔安田章一郎・緒方登摩訳、『ホプキンズ詩集』春秋社、1982年、125頁〕])。この隠れた偉大さを見いだし、示すこと、それをわたしたちの目と心に感じ取らせること。これが芸術家の使命です。同じ詩人は世界の中に「鉛のこだま」と「金のこだま」(「鉛のこだまと金のこだま(「聖ウィニフレッドの泉」の中の乙女たちの歌)」[The Leaden Echo and the Golden Echo〔前掲安田章一郎・緒方登摩訳、『ホプキンズ詩集』、187-191頁〕]参照)も感じました。芸術家はこの反響を感じることができます。そして、その作品によってこの世界の出来事のさまざまなこだまを識別し、他の人々がそのような識別を行う助けとなります。そして文化人は、このこだまを評価し、それをわたしたちに解説し、わたしたちが歩むべき道を照らすよう招かれています。それはわたしたちを誘惑するセイレーンの歌声でしょうか。それとも、わたしたちのもっとも真実な人間性への招きでしょうか。皆さんは「風に吹き飛ばされるもみ殻」と「流れのほとりに植えられた木」のように実を結ぶことができる(詩1・3-4参照)堅固なものを見分けるための知恵を求められています。
親愛なる芸術家の皆さん。わたしは皆さんのうちに、世界の傷に身をかがめ、貧しい人、苦しむ人、傷ついた人、捕らわれ人、迫害された人、難民となっている人の叫び声に耳を傾けることができる、美の守護者を見いだします。わたしは皆さんのうちに真福八端の守護者を見いだします。わたしたちは、新たな壁が築き上げられるとともに、違いが、互いを豊かにし合う機会ではなく分裂の口実とされる時代を生きています。しかし、皆様文化人は、橋を架け、出会いと対話の空間を造り出し、精神を照らし、心を温めるように招かれています。
ある人はこういうかもしれません。「でも、傷ついた世界の中で芸術は何の役に立つのだろうか。もっと切実で具体的で必要なものがあるのではないだろうか」。芸術は贅沢品ではなく、精神に必要なものです。それは逃避ではなく責務です。行動への招きであり、呼びかけであり、叫びです。美を教育するとは、希望を教育することです。そして希望は実存のドラマから決して切り離されたものではありません。希望は、日々の闘い、生きる労苦、現代の課題の最中にあるのです。
今日わたしたちが耳にした福音の中で、イエスは、貧しい人、苦しむ人、柔和な人、迫害されている人は幸いであると宣言します。これは逆転の論理であり、ものの見方の革命です。芸術はこの革命に参加するように招かれています。世界は、預言的な芸術家を、勇気ある知識人を、文化を創造する人を必要としています。
皆さんが真福八端の福音によって導かれますように。そして、皆さんの芸術が新しい世界を告げ知らせますように。皆さんの詩がこの新しい世界を見せてくれますように。探求し、問いかけ、危険を冒すのを決してやめないでください。なぜなら、真の芸術は決して安楽なものではなく、安らぎを得ない平和を与えるものだからです。このことを思い起こしてください。希望は幻想ではありません。美はユートピアではありません。皆さんのたまものは偶然ではなく、召命です。寛大な心と、情熱と、愛をもってこの召命に答えてください。
