教皇レオ十四世、2026年4月5日、復活の主日・日中のミサ説教

2026年4月5日(日)午前10時15分(日本時間同日午後5時15分)からサンピエトロ大聖堂でささげた復活の主日・日中のミサ説教(原文イタリア語)。      親愛なる兄弟姉妹の皆様。  今日、全被造物は新たな光に輝き、 […]

2026年4月5日(日)午前10時15分(日本時間同日午後5時15分)からサンピエトロ大聖堂でささげた復活の主日・日中のミサ説教(原文イタリア語)。

 
 
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日、全被造物は新たな光に輝き、大地から賛美の歌がわき上がり、わたしたちの心は喜びで満たされます。キリストは死から復活しました。わたしたちもキリストとともに新たないのちへとよみがえります。

 この復活のメッセージは、わたしたちの人生の神秘と歴史の運命を包みます。そしてそれは、死の深淵においてもわたしたちに手を差し伸べます。たとえわたしたちがそこで脅かされ、時として圧倒されていても。このメッセージはわたしたちの心を、尽きることのない希望、消えることのない光、だれも打ち消すことのできない満ちあふれる喜びへと開きます。死は永遠に打ち負かされました。死はもはやわたしたちの上に力をもちません。

 これはかならずしも簡単に受け入れられるメッセージではありません。わたしたちはこの約束をなかなか受け入れることができません。なぜなら、死の力がわたしたちをつねに内側からも外側からも脅かしているからです。

 死の力は内側からわたしたちを脅かします。わたしたちの罪の重荷が、飛び立つことを妨げるときに。わたしたちが経験する失望と孤独が、希望を奪うときに。心配や恨みが、生きる喜びを失わせるときに。悲しみや疲れを感じるときに。裏切られ、拒絶されていると感じるときに。自分の弱さ、苦しみ、日々の労苦に直面しなければならず、出口の見えないトンネルに閉じ込められたかのように感じるときに。

 しかし、死はわたしたちの外側にもつねに潜んでいます。わたしたちは死の存在を、不正、党派的な利己主義、貧しい人々への抑圧、もっとも脆弱な人々に対する関心の欠如のうちに見いだします。わたしたちは死を、暴力と、世界の傷跡のうちに見いだします。もっとも弱い人々を苦しめる虐待、地球の資源を収奪する利益崇拝、殺害と破壊をもたらす戦争の暴力に対してあらゆるところから上げられる苦しみの叫び声のうちに見いだします。

 このような現実の中で、主の過越は、わたしたちが目を高く上げ、心を広げるように招きます。それはわたしたちの精神と歴史の歩みの中で、約束された勝利の種を育て続けます。それはマグダラのマリアや使徒たちと同じように、わたしたちを動かします。それはわたしたちに、イエスの墓が空であり、それゆえ、わたしたちのあらゆる死の経験の中にも、萌え出でる新しいいのちのための場所があることを見いださせるためです。主は生きておられ、わたしたちとともにいてくださいます。暗闇の中で開いた復活の破れ目を通して、主はわたしたちの心を、わたしたちの支えとなる希望へとゆだねます。死の力は、わたしたちの人生の究極的な運命ではありません。わたしたちは一度限り永遠に、完全ないのちへと方向づけられています。なぜならわたしたちも、復活したキリストのうちに復活させられたからです。

 教皇フランシスコは最初の使徒的勧告『福音の喜び』Evangelii gaudium)の中で、心をこめたことばでこのことを思い起こさせてくれました。教皇はいいます。キリストの復活は「過去の出来事ではありません。それは、世界を貫いたいのちの力を帯びています。すべてが死んだかのように思われるところにはどこにでも、復活は再び芽生えるのです。この力を止めることはできません。しばしば、神はいないかのように思われることが確かにあります。不正も悪意も無関心も、残酷な行為も減ることはなく、わたしたちはそれを目にしています。しかし、闇のただ中にあっても、新しい何かが必ず芽生え始め、ついには実りをもたらすこともまた確かなことです」(同276)。

 兄弟姉妹の皆様。主の過越はわたしたちにこの希望を与えます。復活したキリストのうちに、新しい創造が日々可能となることをわたしたちに思い起こさせてくれるからです。今日朗読された福音がこのことを述べています。それは復活の出来事を正確に位置づけます。「週の初めの日」(ヨハ20・1)。こうしてキリストの復活の日はわたしたちを創造へと連れ戻します。神が世界を造られた第一の日へと連れ戻すのです。そして同時にわたしたちにこう告げます。死よりも強い新しいいのちが、今まさに人類にその姿を現そうとしていると。

 過越は、復活した主が行われる新しい創造です。それは新たな始まりです。いにしえの敵に対する神の勝利によってついに永遠のものとされたいのちです。

 わたしたちが今日必要としているのは、この希望の歌です。そして、キリストとともに復活させられたわたしたちは、世の隅々までこの希望の歌をもたらさなければなりません。ですから、マグダラのマリアのように走って、すべての人にこの希望の歌を告げ知らせようではありませんか。わたしたちの人生によって復活の喜びをもたらそうではありませんか。そうすれば、死の脅威が今なお存在するあらゆるところで、いのちの光が輝くことでしょう。

 わたしたちの過越、キリストが、わたしたちを祝福し、全世界にご自身の平和を与えてくださいますように。

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