教皇レオ十四世、2026年5月6日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 Ⅱ.『教会憲章』(Lumen gentium) 8.天の祖国を目指して歴史の中を旅する教会(聖書朗読箇所:黙7・9-10)

 

教皇レオ十四世、2026年5月6日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」

Ⅱ.『教会憲章』(Lumen gentium
8.天の祖国を目指して歴史の中を旅する教会(聖書朗読箇所:黙7・9-10)

2026年5月6日(水)午前10時(日本時間同日午後5時)からサンピエトロ広場で行った一般謁見演説(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。ようこそおいでくださいました。

 今日は第二バチカン公会議『教会憲章』Lumen gentium)の第7章に目を留めながら、教会の〈終末論的な次元〉という、その際立った特徴を考察します。実際、教会は、天の祖国という最終目的をつねに目指しながら、この地上の歴史の中を歩んでいます。しかし、このことは本質的な次元であるにもかかわらず、しばしば見過ごされ、軽んじられています。なぜなら、わたしたちは、直接目に見えるもの、また、キリスト教共同体の生活のきわめて具体的な出来事に目を向けることが多いからです。

 教会は歴史の中を歩む神の民です。教会のすべての行動の目的は神の国です(『教会憲章』9[Lumen gentium]参照)。イエスは、まさにこの愛と正義と平和の国を告げ知らせることによって、教会を設立しました(『教会憲章』5参照)。それゆえわたしたちは、キリストにおける救いの共同体的また宇宙的な次元を考察し、この最終的な地平に目を向け、すべてのことをこの視点から測り、評価するように招かれています。

 教会は、世に神の国が到来することに奉仕するために歴史の中を生きています。教会はこの約束のことばをすべての人につねに告げ知らせます。さまざまな秘跡、とくに聖体を祝うことによってその保証を与えられます。愛と奉仕の関係の中でその論理を実践し、体験します。さらに教会は、自らがキリストとの一致が「より固く」(『教会憲章』48)実現される場また手段であることを知ると同時に、救いが自らの目に見える境界の外にも聖霊によって神から与えられることを認めます。

 このことに関連して、『教会憲章』は重要なことを述べます。教会は「救いの普遍的秘跡」(『教会憲章』48)、すなわち、神が約束した完全ないのちとの平和のしるし、道具です。このことは、教会が神の国と完全に同じではなく、むしろその種、始まりであることを意味します。なぜなら、完成は終わりのときに初めて人類と宇宙に与えられるからです。それゆえ、キリストを信じる者は、善の成長だけでなく、不正や苦しみによっても特徴づけられるこの地上の歴史を、幻想ももたず、絶望もせずに歩みます。信じる者は、「万物を新しくする」(黙21・5)かたから与えられた約束に導かれながら生きるのです。そのため教会は、神の国の始まりの「すでに」と、約束と期待の実現の「まだ」の間で、自らの使命を果たします。教会は、道を照らす希望の守護者として、いのちを弱らせ、その成長を妨げるすべてのものを拒絶し、貧しい人、搾取された人、暴力や戦争の犠牲者、肉体的また精神的に苦しむすべての人に味方する立場をとるために、明確なことばを述べる使命も帯びています(『教会の社会教説綱要』159参照)。

 み国のしるしと秘跡である教会は、地上を旅する神の民です。この神の民は、まさに終わりの日の約束から出発して、福音によって歴史のダイナミズムを読み取り、その意味を解釈し、あらゆる形態の悪を非難し、ことばと行いをもって、キリストが全人類のために実現することを望まれる救いと、正義と愛と平和のみ国を告げ知らせます。それゆえ教会は自分を告げ知らせるのではありません。むしろその反対に、教会におけるすべてのことがキリストにおける救いを指し示さなければなりません。

 このような観点から、教会は、自らの組織の人間的な弱さと過ちやすさを謙虚に認めるように招かれます。教会の組織は、神の国に奉仕するものでありながらも、過ぎ去るこの世の姿を示すからです(『教会憲章』48参照)。いかなる教会制度も絶対視してはなりません。そればかりか、それは歴史と時間の中で生きるものであるがゆえに、その使命に真にこたえることができるよう、絶えざる回心と、形態の刷新と、構造改革と、継続的な関係の再生を求められます。

 神の国の地平において、今その使命を果たしつつあるキリスト信者と、すでに地上での生涯を終え、清めないし至福の状態にある人々との間の関係も理解しなければなりません。実際、『教会憲章』はこう述べます。すべてのキリスト信者が一つの教会を構成しています。教会は交わりであり、すべてのキリスト信者のキリストとの一致に基づく霊的な善にあずかります。教会は、地上の教会と天上の教会の間の〈兄弟的な配慮〉(fraterna sollicitudo)です。これがとくに典礼の中で体験される聖徒の交わりです(『教会憲章』49-51参照)。わたしたちはまた、死者のために祈り、すでにイエスの弟子として生きた人々の足跡をたどることによって、歩みを支えられ、神への礼拝を強めます。わたしたちは唯一の霊によってしるしづけられ、一つの典礼において結び合わされながら、信仰においてわたしたちに先立つ人々とともに、至聖なる三位一体をたたえ、それに栄光を帰すのです。

 キリスト者であることの重要ですばらしい次元を思い起こさせてくれたことに対して公会議教父に感謝しつつ、それを生活の中で深めるよう努力しようではありませんか。

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