
2026年1月29日(水)午前、バチカン宮殿枢機卿の間で行われた教皇庁教理省総会参加者との会見におけるあいさつ(原文イタリア語)。 父と子と聖霊のみ名によって。 あなたがたに平和があるように。 おはようございます。 […]
父と子と聖霊のみ名によって。
あなたがたに平和があるように。
おはようございます。ようこそおいでくださいました。
枢機卿の皆様
親愛なる司教職にある兄弟の皆様
親愛なる兄弟姉妹の皆様。
総会に際して、皆様とお目にかかることができることをうれしく思います。教理省長官、局長、事務局スタッフの皆様にごあいさつ申しあげます。わたしは、皆様が――使徒憲章『福音をのべ伝えなさい(2022年3月19日)』(Praedicate Evangelium)が述べるとおり――「信仰と道徳に関するカトリック教義の完全性を促進し、保護することにより、ローマ教皇と司教団が、全世界に福音をのべ伝えるのを支援する〔……〕。信仰の遺産を活用し、新しい問いに直面しながら、その理解をさらに深めようと模索することで、これを行う」(同69)という目的のために貴重な奉仕を果たしておられることをよく知っております。
皆様の務めは、しばしばきわめて微妙な問題に関する司牧的・神学的な指示を通して、教会の教理を明快にすることです。そのために教理省は最近の2年間にさまざまな文書を公布しました。そのおもなものを思い起こしますと、秘跡の執行に関する疑義のある事例の解決のための明確な指針を示した覚書『秘跡の有効性について(2024年2月2日)』(Gestis verbisque)。今日、とくに継続中の戦争や利益を第一に据える経済によって深刻な危険にさらされているすべての人間の無限の尊厳を再確認した、宣言『無限の尊厳(2024年4月2日)』(Dignitas infinita)。超常現象に関する事案を解決することを可能にした『超自然現象とされるものの識別手続きのための規則』(2024年5月17日)』(Norme per procedere nel discernimento di presunti fenomeni soprannaturali)。こうした超常現象に含まれるメジュゴリェでの霊的経験を特別なテーマとした覚書『平和の元后(2024年9月19日)』(La Regina della Pace)。人工知能と人間知能の関係を広範かつ詳細に考察した、教皇庁文化教育省と協力して作成された覚書『人工知能と人間知能の関係に関する覚書(2025年1月28日)』(Antiqua et nova)。マリア信心の聖書的・神学的基盤を深く考察することによって民衆のマリア信心を奨励すると同時に、マリア論のための正確で重要な解明を提供する、教理に関する覚書『信じる民の母――救いのわざへのマリアの協力に関連するマリアのいくつかの称号について(2025年11月4日)』(Mater Populi fidelis)。最後に、男と女の間で行われる結婚の唯一性の特性を独自のしかたで探究する、排他的な結合と相互への帰属としての結婚の価値に関する『一つのからだ――一夫一婦制の称賛(2025年11月25日)』(Una caro. Elogio della monogamia)です。
これらの文書が聖なる信じる神の民の霊的成長のために大いに役立つことは間違いありません。実際、わたしたちが経験している時代の変化の状況の中で、それらは、とくに歴史の舞台に現れている多くの新しい現象に関して、教会からの速やかで明快なことばを信者に示します。それらはさらに、司牧活動を行う司教と、また研究と福音宣教を行う神学者に、貴重な指針を提供します。
わたしはとくに皆様がこの「総会」の中で、現代においてきわめて緊急のテーマである信仰の伝達に関して実りある議論をしてくださったことを評価します。実際わたしたちは、「ここ数十年間、カトリック信者の世代間のキリスト教信仰伝達において、断絶があったことも認めざるをえません」(1)。とくに古くから福音宣教が行われている地域において、福音を自分の人生にとっての根源的な源泉とみなさない人々の数が、とくに若い世代の中に増えています。現実に、神とも教会ともまったくかかわりなしに生活する若者は少なくありません。このことがわたしたち信者に悲しみを覚えさせるものであるとしても、それはわたしたちを、キリストの花嫁の生活と宣教の中心である「甘美と慰めに満ちた福音宣教の喜び」(2)の再発見へと導きます。
わたしが最近の臨時枢機卿会議の際に思い起こしたとおり、「わたしたちが望むのは、自分だけを見つめることなく、宣教的で、自分を超えた他者を見つめる教会であることです」(3)。それは、わたしの前任者である教皇ベネディクト十六世と教皇フランシスコが繰り返し述べたとおり(4)、とくに人を引きつける力によって福音をのべ伝える教会です。
キリストのからだの基盤は、人となられた御子のうちに示され、聖霊の恵みによってわたしたちのうちに存在し、働く、御父の愛です。それゆえ、「人々を引き寄せるのは、教会ではなく、キリストです。そして、もしキリスト者やキリスト教共同体が人々を引き寄せるなら、それは、救い主のみ心から流れ出る愛の精気がこれらの水路を通って人々に達するからです」(5)。
教会は、自己主張や自己中心主義に陥ることなしに、キリストをのべ伝えます。そして、教会の中では、だれもがつねに、また、ただ「主のぶどう畑の単純で卑しい働き手」(6)であり、そうでなければなりません。
あいさつを終える前に、わたしが皆様に感謝し、また大切にしていただきたい、皆様のもう一つの奉仕に触れたいと思います。それは、教理省に留保された犯罪事件を扱うために召集された司教と総長を、あらゆる慈愛と判断をもって迎え入れ、これに同伴するという奉仕です。これはきわめて微妙な奉仕職の領域であり、そこでは、正義と真理と愛の要求をつねに重んじ、尊重することが不可欠です。
親愛なる友人の皆様。最後に、皆様が教理省と教会全体の生活と活動に貴重な貢献をしてくださっていること、とくにこの貢献がつつましく目立たない形でなされていることに、あらためて感謝します。この感謝のしるしとして、皆様と皆様の愛する人々に心から使徒的祝福を送ります。ご清聴ありがとうございます。
