教皇ヨハネ・パウロ二世との諸宗教の集い

1981年2月24日午前8時30分から
駐日ローマ法王庁大使館

出席者一覧(敬称略)

  • 全日本仏教会
    会長   秦慧玉(曹洞宗管長)
    副会長 山田恵諦(天台座主)
    副会長 藤井実応(増上寺法主)
    理事長 鱒淵正浩
         金子日威(日蓮宗管長)
         大谷光真(浄土真宗本願寺派門主)
         築山定誉(真言宗豊山派管長)
         川田聖見(真言宗豊山派前管長)
         谷耕月(禅宗正眠寺住職)
         馬場道男(日本宗教連盟事務局長)
  • 神社本庁
    神社本庁統理  徳川宗敬
    神社本庁総長  篠田康雄
    神社本庁副総長 浄見晴夫
    神社本庁評議会議長 服部貞弘
    伊勢神宮大宮司 二条弼基
    明治神宮宮司  高澤信一郎
    神社本庁常務理事 額賀大興
    神社本庁常務理事 黒神直人
  • 教派神道連合会
    潔教管長    坂田安儀
    神道大教管長 品田聖平
    金光教監    安田好三
    大本総長    出口京太郎
  • 新日本宗教団体連合会
    新宗連理事長   庭野日敬(立正佼成会会長)
    新宗連副理事長 石倉保助(大慧会教団会長)
    新宗連副理事長 田沢康三郎(松緑神道大和山教主)新宗連

尊敬する友人の皆さん

1. ここかしこ比類のない美しさ、目に見えるあらゆるものに隠れた神の現存を表わす美しさで際立っている皆さんの国への、このたびの私の訪問に際し、皆さんにこのように親しくお集りいただいたことは、私にとり光栄であります。さらにまた私は、皆さんの宗教的伝統によって培われた親切、善良、思慮深さ、優しさ、また勇気などの諸徳に、神の霊が結んだ実を認めるものです。この神の霊は、私たちの信仰によれば、「人間の友」であり、「全世界を満たし」、そして「万物を結び合わせる」お方であります(知恵の書1・6~7)。
 それで私は、聖パウロ–旅して歩き、広くキリスト教を宣べ伝えたあの最初にして偉大な宣教者が用いたと同じ言葉で、皆さんにお話します。「私たちはあなたがたに卒直に語ります。・・・私たちの心は広く開いています。あなたがたは私たちによって窮屈な思いにさせられているわけではありません」(2コリント6・11~12)と。人類の偉大な宗教的諸伝統の日本における著名な代表者でいらっしゃるのです。皆さんはそれらの伝統に関して、特に第ニバチカン公会議以後、カトリック教会によって表明されたこの心情をよくご存じと思います。なぜならその心情が実践に移されているのを皆さんは経験されているからです。そして、その最も身近な証拠は、私が今日このようにして皆さんの間にいることです。第ニバチカン公会議のずっと前にも、カトリック教会は皆さんに敬意を表していました。公会議以来、ローマの対諸宗教事務局を含めて、数多くの個人ならびに団体の価値ある努力のおかげで、私たちの相互関係は非常に発展し緊密なものとなり、今日ここにお集まりの皆さんのほとんどすべての方が、それも一度たらず、バチカンにおいでになり、私の前任者あるいは私自身にお会いくだ さったと言ってよいほどです。皆さんのこのようなご訪問に対し感謝いたします。今日のこの集いは、その一つのお返しの意味でもあります。

2. ここで、故セルジオ・ビニェドリ枢機卿の温厚な人柄と皆さんに対する愛を思い起こすことは、私にとって喜びであると同時に、義務でもあります。皆さんは、枢機卿の愛に好意と親切をもってお報いくださいました。今この時、枢機卿が霊的に私たちと共にあると私は確信します。目本のカトリック教会をそのように尊重してくださり、喜んで共に働こうとなさっておられることについても、皆さんに感謝申し上げねばなりません。そして、カトリック信者はカトリック信者として、積極的に皆さんと協力していることを、私は喜んでおります。

3. ローマからやって来た教皇は、東洋のこの名高い国への初めての訪問に際して、いったい何を皆さんにお話したらよいのでしょうか。皆さんは、伝統ある知恵の継承者であり守護者です。その知恵は、日本において、また東洋の至る所で、高い水準の倫理生活を培かってきました。「清く、直く、誠の心」を尊ぶようにと皆さんに教えてきました。万物に、ことにすべての人間に、神の現存を見るように促してきました。皆さんの偉大な教師である最澄の言葉を用いるたらぱ、「無我、そして友情と慈悲の極致としての他人への奉仕」を皆さんの心に植えつけてきました。皆さんが大切に守り、教えておられる霊的価値のすべてを数え挙げるとすれば、長い時間がかかることでしょう。神がこれらの賜物を皆さんの上に注がれたこと、また、皆さんが完全な“宗教の自由”をもってそれらの賜物を表明しておられることに、カトリック教会の代表者として、私は喜びにたえません。聖書の次の言葉は真実です。神の知恵は大空を駆げ巡り、深淵の回りを歩いた。海の波の上に、全地の上に、あらゆる民と国の上に、知恵は君臨した(ベン・シラの書24・5~6参照)。「人の子らと共にあることを喜び ながら」(箴言8・31)。したがって、キリスト信者たちは、イエズスが「我々に反対しない人は、我々の味方」であると言われたときの言葉を、適用する特別な義務を感じております。(マルコ9・40。ルカ9・50参照)。

4. そうです、確かに、数多くの事柄において皆さんはすでに私たちといっしょです。しかしまた、私たちキリスト信者は、「我々の信じているのはイエズス・キリスト」、つまり、「我々の宣べ伝えるのはイエズス・キリスト」、であるとも言わなくてはなりません。私たちは聖パウロの言葉を繰り返して、次のように言います。「私は、あなたがたの間でイエズス・キリスト、しかも十字架につけられたこの方以外のことは何も知るまいと決心したのです」(1コリント2・2)と。このイエズス・キリストは、全人類の救いと幸福のために復活した方でもあります(1コリント15・20参照)。それで、私たちは、このキリストの御名と喜ばしいメッセージを万国の人々にもたらし、そしてその人々の文化と伝統とに心からの敬意を表しながら、イエズスに耳を傾け、心を開くようにと謹んで人々を招くのです。私たちが対話を始めようとするとき、それはキリストの愛を証するため、あるいは、具体的に言えば、「我々が共通して有しているもの、秩序の間に友好を促進しようとするものに、先ずもって思いを致すことによって、個人同志の間に、それどころか諸国民の間に一致と愛を促進するため」で あります(「ノストラ・エターテ」第ニバチカン公会議文書キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」第一項参照)。教会により宣べ伝えられるキリストのメッセージは、人間に対する愛を中心としています。この愛こそキリストの大いなる掟、この上ない完全さであります。ここで「人間」というのは、だれでも私たちの隣人である人、母親の懐で育まれた一人ひとりのことです。

5. 人間とかかわり合って、私たちキリスト信者は、喜んで、また進んで人間の尊厳のために皆さまと協力するものです。人間の生まれながらの権利、母親の胎内においてさえも持っている生命の貴さ、個人および社会の面での自由と自立、道徳教育、そして精神的次元の優位のためにであります。宗教人として、私たちは特別な注意を払って、真心こもった友好関係を促進し、人間としての節度、また自分たちの住む世界の美しさに対する真摯な尊敬の念が特徴である生き方を採らねぱなりません。そうすることは、今まで以上に今日、私たちの義務であります。人間から尊厳を奪うことにたるかもしれない、物質主義的イデオロギーや種々の形の産業主義からのしだいに増大する脅威に、人間性が直面している時だからです。この義務を果すために、日本でもローマでも、カトリック教会と皆さんが代表されている宗教組織との間に、対話と協力が始められたことを私は知っております。そして、教皇および日本のカトリック教会に対して、皆さんがこのようにはっきりとお示しくださった敬意と信頼に改めて感謝いたします。教会は、教会として、対話によってますますカトリック的、つまり、ますます 普遍的になりますが、このことは、すべての人間に対するキリストの愛を告げ知らせ、証するという教会の本質また使命にかなうことであります。

6. もっとお話したいのですが、人間の言葉というものは、あまりにも限られ、また難かしことがよくあるものです。けれども、私のこの心の想いをご理解いただけるものと思います。そして、私たちの心が願ってやまないものは、同じ方向を目指しているということであります。それですから、私は皆さんに申し上げます一「キリストの霊と愛とが皆さんご一同の上にありますように」と。

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