特別講演「技術、社会、そして平和」

国連大学と広島市共催で行われた。
  1. スジャトモコ国連大学学長による法王ヨハネ・パウロ二世講演の紹介
  2. 教皇ヨハネ・パウロ二世の特別講演

スジャトモコ国連大学学長による法王ヨハネ・パウロニ世講演「技術、社会、そして平和」の紹介

法王猊下、宮沢知事、荒木市長ならびに御列席の皆様、

 本日ここ広島に法王猊下をお迎えすることは、私の大いなる喜びであり、かつ光栄とする所であります。広島市と、全人類の関心事を取り上げ、これを明確化することを目的とした、新しい種類の大学である国際連合大学との共同主催による本日の集会において、講演されることを御快諾下さいました法王猊下に、関係者一同深く感謝申し上げております。
 私はまた、このような異例の機会の実現に御協力下さいました広島市当局者の皆様、特に荒木市長にお礼を申し上げたいと思います。

 近代科学・技術を人類の進歩のために役立てることに関するむずかしい諸問題を考える時、この地上の都市で、広島ほど私たちの思考を挑発し、良心を悩ませるものはまず思い当たりません。長崎と共に、広島は、近代科学・技術が発揮し得る無意味な破壊力の究極のシンボルとして存在します。
 ヒロシマ以後、私たちは皆ヒバクシャであると言われています生き存えた者はすべて、自らの愚行によって、地球上の生命の絶滅を招きかねない現実に直面している、という意味においてであります。
 今日の世界において、平和が主として恐怖の均衡の函数にしか見えをいということは、何故でありましようか。
 科学・技術のかくかくたる成果と、今後それが約束する一層の発展–それは原理的に、飢餓、貧困、不公正の根絶を可能にする筈であるにもかかわらず、なぜ少くとも五億の人々が、貧者ばかりか富者をもおとしめるこれらの災いに、未だに苦しんでいるのでしょうか。

 その答は明瞭であります。この世界規模の相互依存の時代にあっては、いかなる国も、たとえどんな強国であっても、不可侵ではあり得ないことを、あらゆる国が悟らない限り、そして悟るまでは、軍備競争の病理が終ることは期待できません―また科学・技術を平和のために活用できるようにもならないのであります。
 私たちすべてが、不可侵があり得ないことを現実として受客し、自分自身の恐怖を制御することを学ばなければなりません。私たちは地球規模の人間的連帯と共感の精神をより大きく育くむことを学ばなければなりませんー根本的な、そしてしばしば恐るべき変化の過程にある世界においては、特にそうであります。私たちがその渦中にある変化は、世界的な勢力均衡の変動ばかりではなく、何世紀にもわたって自らの宿命であった貧困と不公正を、自らの努力によって克服しようとする、人々の念願にもかかわるものであります。

 私たちが科学・技術を社会的、倫理的目的に役立てることを学ばない限り、飢餓、貧困、不公正を内包する社会構造の変革において、科学技術の助けを借りることはできません。
 アルバート・アインシュタインは、その才能が図らずも、ここ広島における、最初の核爆発に手を貸してしまいましたが、彼は後日次のように述べて、おります。「原子力の開発が生み出した諸問題の解決策は、人類の心の中にある」と。人間性の基本的な精神的、道徳的価値の根源は、人の心の中にこそあると、アインシュタインは認識していたのであります。
 しかし今日、人類の心の鼓動は不確かになっております。ますます専門化する科学の継続的発展は、私たちの知識と全体意識をーそればかりか自己認識さえもー断片化してしまいます。
 生命科学ー微生物学、遺伝学、薬理学、心理学と臓器移殖は重大な倫理的問題を投げかけておりますが、これらの問題に対して科学は、それ自体の守備範囲内から、人間の生命の意味を考えることなく、解答を与えることはできませんし、また与えてはなりません。そこで人間は、自分自身とその人間性を改めて定義することしかもその再定義を、人間の生の超越的展望から発する、より広い意味の構造を以って行うことを強く迫られています。
 人間性のこのような再定義、再評価がなければそしてそれを行動に移す勇気がなければー道徳的感覚麻痺は終ることがありません。現代人は、自分が立ち向かわなければならない緊急の諸問題に有効に対処する能力を、ますます失って行くばかりであります。

 国際連合大学が法王猊下に本日の御講演をお願い申し上げましたのは、21世紀の世界への準備を進めるにあってーその世界はあらゆる兆候から見て、人口過剰の、飢えに悩む、そして競争のきびしい世界であるに違いありませんがー我々の技術的資源は、道徳性の源泉と関連づけられない限り、そして人間の苦しみ、正義、暴力に対する我々の態度と行動が、精神的認識をも取り込んだものとならない限り、これを全世界的諸問題の解決に役立てることはできないと信じるからであります。この目的を達するためには、世界の主要な宗教の指導者の方々の英知に接し、それに耳を傾けることがきわめて重要であります。

 歴史のある時点において科学と宗教は相携えて、人間が有限の感覚と無限との間の、そして自立的理性と超越的存在の意識との間の平衡関係を理解し、かつその関係を確立するのに力を貸していました。しかし近代化指向の何世紀かの間に、科学的知識と超越的英知とは離れ離れになってしまいました。両者は今、相互の関係を再び確立すべき時に来ています。
 現在、科学者のみでは答えられない―人間性の研究者、哲学者、神学者の洞察と展望をも必要とするー問題が山積しています。これらの問題は、様々な文明、文化、宗教に源を発する、古来の真理の流れ―それは、個人、集団の両面から人間の生の究極の意味と目的を認識させてくれます―に教えを仰ぎ、広い倫理的見地から解答が与えられなければなりません。
 真に全世界的な大学人類の生存、発展、福祉の緊急の問題に関わる大学ーとしての国際連合大学の性格から見て、これらの問題を論じて頂きたいとの私共のお願いを、法王げい下が御快諾下さいましたことは、特に意義深いことであります。本大学の創立当初よりヴァチカンの支持を賜ったことに、私共は勇気づけられ、励まされて来たのであります。

 本大学の課題の核心をなすものは平和という至上の要請でありまして、これは当広島市民の皆様、ならびに日本の全国民の皆様が、その重要性を痛感しておられる問題でもあります。ちなみに本大学は、日本国民の先見の明により、五年前にこの国に設置されたものであります。
 法王猊下、心やさしく、公正で、しかも恐怖から解放された未来の世界の見取図を描くにあたって、倫理と道徳的、精神的諸価値の優位を確立しなければならないとされる、猊下の御確信に、私共も全く同感であることを申し上げたいと存じます。

 現代社会の技術の暴走は、軍備競争により、従って人間としての我々の恐怖や野心によっても、著しく促進されています。平和の実体が、頼りない、そして恐ろしい核の均衡にとどまっていてはなりません。平和は単に戦争がない状態としてではなく、我々のすべての中にある本質的人間性の真の表現として定義されなければなりません。互いに愛することを学ぶか、すべての人間が滅びるか、我々は二者択一を迫られています。
 それでは軍備競争を中心としない、軍備競争に依存しない、将来の技術発展のための原動機を、私たちは設計することができるでしょうか。平和の原動機を造ることができるでしょうか。ここで私たちは、21世紀に向かうにあたって、単に生き存えるだけではなく、進歩することを可能にするような針路の設定に役立つ、超越的英知の助けを緊急に必要としています。
 人類を破滅させるのではなく、人類に奉仕するような技術に対する、この切望と、全く世俗的な世界において我々を導くことのできる、自立的な力としての合理主義がすでにその役割を終えたとする認識の高まりとの間には、関連性があるように思われます。より精神的な生命観、持続的な価値を探求する内省に対する新しい欲求が顕在化して来ております。
 もとより、科学・技術を、その創造性を損う危険なしに超越的生命に適合させるという課題は、大きな挑戦をはらんでおります。そこには、人間の理性の行使に内在すると見られる、自立性の度合いに関わる、きわめて深い哲学的意義が内包されています。超越的英知の主張する所を、経験的英知の洞察に、どのように関連づけたらよいものでしょうか。

 法王猊下、私共は、今日この広島において、これらのきわめて重要かつむずかしい問題に、猊下が示唆を与えて下さるものと、熱心に期待しております。そして、今日ここで、猊下の御高説を拝聴するように御招待下さいました広島市の皆様に、重ねてお礼を申し上げます。武器の使用の放棄と国益の保全とを調和させるための平和的な道を求めている日本の国民は、猊下の御講演を傾聴するでありましょう。日本国民ばかりではありません。この不安定にして危険に満ちた、脆弱な世界において、人類の未来に希望を見出そうとする、世界中のすべての人々もまた、猊下のお言葉に耳を傾けることでありましょう

教皇ヨハネ・パウロ二世記念講演 『技術、社会、そして平和』

御列席の皆様、

1. 広島において開催されましたこのたぐいまれな集会に、広島ならびに科学、文化、高等教育の各界を代表されるそうそうたる方々と共に参加する機会を得ました私の感慨を、どのように言葉に表わしたらよろしいでしょうか。まず第一に、政治ならびに研究、知的考察、教育に精力を傾けておられる、きわめて有能な方々と同席できますことは、私の深く名誉とする所であることを申し上げたいと思います。私は、本日ここに私を迎えて下さいました、広島市ならびに広島県の皆様に深く感謝しております。皆様方の心暖まる、善意に満ちた歓迎に、心からお礼を申し上げます。

 国際連合大学を代表して本日ここに御出席のスジャトモコ学長、各副学長、理事の皆様、そして、国連大学の主要な協力者の方々に対しては、特別の御挨拶を申し述べたいと存じます。国連大学はその憲章により国際連合ならびにユネスコと結びついておりますが、この大学は全く独特の機関でありまして、研究、高等教育、知識の普及という面において国際連合の崇高な目的に寄与すべく設置されたものであります。それは全地球的、全世界的機関たることを目標として創設されたものであります。先々代の法王パウロ六世と私は、この気高い事業に対する敬意と、その未来に託する希望を一再ならず表明してまいりました。国連大学の目的は、平和、開発、食糧資源の改善、天然資源の適正な利用、諸国間の協力など、偉大な人道主義的理想に科学と研究を奉仕させるところにあります。

2. 御列席の皆様、私たちは今日、ここ広島につどいました。現代における科学・技術の責任について、それに関連する多大の希望、多大の憂慮とも併せて、私たちが共に考える機会を与えられたと、私は深く確信しておりまして、この私の確信を皆様に御承知頂きたいと思います。広島におきましては、劇的にして忘れがたく、かつ独白な形で事実が自ら物語ります。人間としての私たちすべての心を揺り動かす、忘れがたい悲劇を前にして、広島、そして長崎という日本の都市が被った恐ろしい傷に対して、私たちがどうして兄弟愛と深い同情を表わさないでいられましょうか。

 その傷は、人類家族全体を苦しめました。広島と長崎、歴史上、これほどまでに人問の良心を揺さぷった事象は数多くはありません。最初の原子爆弾の爆発が世界中に巻き起こした道徳的危機に、科学者たちも人一倍心を痛めました。人間の知能は、正に恐るべき発見をしてしまったものであります。核エネルギーが今後、徹底的破壊の武器として利用し得るようになったことを、私たちは恐怖をもって認識したのでありました。次いで私たちは、この恐ろしい兵器が現実に、初めて、軍事目的に使用されたことを知ったのでありました。そして生じたのが、将来にわたって人類につきまとう難問であります。すなわち、この兵器は、完成され、無数に量産されて、明日にも使用されるのであろうか、もし使用されれば、人類家族を、その成員と文明の成果すべてを、破壊し尽すのではないか、という問題であリます。

3. 皆様方の中で、近代科学に生涯を捧げておられる方々は、核戦争が人類にもたらす災厄を推計し得る第一人者であります。そして、最初の原子爆弾の爆発以来、多数の科学者の方々が、近代科学とその果実である技術との責任について、憂慮を抱いて来られたということを、私は承知しております。多数の国々において、学者や研究者の団体が、自然のバランスに著しい悪影響を及ぽす、あるいは、人間による人間の破滅と抑圧をもたらすことがあまりにも多い、科学の無責任な利用に直面して、学界の憂慮の念を表明しております。これについてまず考えが及ぷのは物理、化学、生物学、遺伝に関する諸科学であリ、人間性にとって有害な形で、それらの科学の応用、実験を行うことを、科学者の皆様が非難されるのは当然なことであります。しかし、各種の社会科学や人間行動科学も、人間を操作したリ、その知性、精神、尊厳、自由を抑圧したりするために利用されることがあることも、人は忘れてはおりません。科学・技術に対する批判は時としてきわめて厳しく、ほとんど科学そのものを断罪するところまで走ることもあります。一方、科学・技術は、私たちにすばらしい可能性を与える、神が 授け給うた人類の創造性の驚異の産物でもあリ、私たちは皆、感謝をもってその恩恵に浴しております。しかしながら、この潜在能力は、決して中立のものではありません。それは人間の進歩のためにも、その堕落のためにも利用することができます。皆様方と同じく、私も現代を生きて来まして、この時代を私は「広島後の時代」と呼びたいのであリますが、私はまた皆様方と同じ憂慮を抱いております。そして今日、私は次の事を皆様方に申し上げずにはおられません。すなわち、人類社会にとって、特に科学界にとって、人類の未来は、かつてなく、我々の集団としての道徳的選択にかかっているということを、自覚すべき時が正に到来したということであります。

4. 過去においても、一つの村、一つの町、一つの地域、あるいは、一つの国であろうと、それを全面的に破壊することは可能であリました。今や脅威にさらされているのは全地球であります。この事実は、究極的に万人を根本的な道徳的命題に直面させるものであります。すなわち、今後、人類の生存は自覚的選択と熟慮された政策によってのみ可能であるという命題であります。私たちが迫られている道徳的、政治的選択は、知性、科学、文化の全資源を、平和と新しい社会の建設とに奉仕させるという選択であリ、その新しい社会とは、各個人、全人類の全面的進歩を飽くことなく追求することによって、’兄弟が殺し合う戦争の原因を根絶する社会であります。もとより、個人も社会も、貧慾と憎悪の激情に常にさらされております。しかしながら、私たちの力の及ぷ限りのことであれば、不公正や対立を生むような社会の状況、構造を正すために、効果的な努力を行おうではありませんか。私たちは、より心やさしい世界を造ることにより、平和を建設するものであります。この希望に照らして見れば、科学、文化、大学の世界が果すべき重要な役割があります。平和は文化が達成し得る最も崇高な 成果であり、そうであるからこそ、私たちの知的、精神的エネルギーすべてを投入するに値するものであります。

5. 科学者、研究者として、皆様は、人類の未来にとって決定的ともなり得る任務を負った、一つの国際共同体を代表しておられます。しかし、それには一つの条件があります。貴重な財産としての人間の真の文化を守り、それに奉仕するという課題を首尾よく遂行することが、その条件であります。人が単にその財産や知識や力を増やすことだけではなく、その存在自体を豊かにすることに貢献される時、皆様の役割は気高いものとなります。人間の真の文化は、その存在の奥底にこそ存在します。私は1980年6月2日のユネスコにおける演説で、人類文明のこの基本的側面を明らかにしようとしました。「文化は人間の『実存』、『存在』の具体的形態であります…・文化とは、それを通じて人間が、人間として、より人間的になり、より人間的で『あり』、『存在』への接近をより確実にするものであります。人が何であるかと、何を持っているかとの基本的な差異、存在と所有との基本的な差異も、その基礎をここに見出すのであります…人が『所有するもの』はすべて文化にとって重要であり、文化を創造する一つの要因でありますが、ただしそれは、人がその『所有するもの』を通じて、同時に人問 としてより全面的に『存在』し、その実存の全次元において、その人間性を特徴づけるすべてにおいて、より全面的に人間となる限りにおいてのみ言えることであります。」この文化の概念は、人間を肉体と精神、個人と社会、理性的存在と愛によって高められた存在、それぞれ両面からとらえた、全人的人間観に基づくものであります。「そうです!人間の将来は文化にかかっております!そうです!世界平和は精神の優位にかかっております!そうです!人類の平和な未来は愛にかかっております!」(同演説より)。正に我々の未来、我々の生存そのものが、我々が人間について形作るイメージに結び付いているのであります。

6. 核兵器による絶滅の危険にさらされた、この惑星上における我々の未来は、ある一つの要素に掛かっております。それは、人類は道徳的転換を実行しなければならないということであります。歴史の現時点においては、すべての善意の男女を全面的に動員することが必要とされます。人類は大きな前向きの一歩を、文明と英知における前向きの一歩を進めることを要求されています。文明の欠如、人間の真の諸価値について無知であることは、人間性破壊の危険をはらんでおります。我々はより賢明にならなければなりません。法王パウロ六世は「諸民族の発展」と題した回勅(1967年3月26日、第20号)で、新しい社会の発展を導くために賢人にたよることが緊急に必要とされる旨を何度も強調しておられます。故法王は特に次のように述べられました。「今後の発展がますます多くの技術者の作業を必要とするのであれば、より以上に必要とされるものは、愛と友情、祈りと思索の、よリ高次の価値を受け入れることにより、現代人が自らを再発見することを可能とするような、新しいヒューマニズムを求める賢人の深い思想と内省である」と。

 この日本の国は、文化、技術の両面における創造性で知られ、多数の科学者、学究、著作家、宗教思想家を生んだ国でありますが、私は何よりもこの日本において特別のアピールをさせて頂きます。私は日本の賢明なる男女の皆様に、そして皆様を通じ全世界の賢明なる男女に呼び掛けて、現代世界が切望している社会的、道徳的再建の任務に、より一層効果的に取り組まれるように訴えたいと思います。どうか、公正な世界、人間の寸法に合わせた世界、各人がそれぞれの能力を発揮できる世界、各人の物質的、道徳的、精神的必要を充足できるような世界の理念を守り、その理念を日本の全国民、世界の全人民に広めるために力を合せて頂きたい。

7. 研究と文化に献身しておられる男女の皆様、皆様の職務は、科学・技術の興隆を特色とする現代において、全く新しい重要性を帯びるようになりました。我々の時代にとって何たる偉業でありましょうか、何たる知的、道徳的力でありましょうか、社会および人間性に対して何と重い責任でありましょうか!私たちは、この科学的、文化的遺産を、万人のための公正と尊厳の世界を建設するために、人類の真の進歩に役立たせるよう力を合せることができるでしょうか。この課題は途方もなく大きな課題であります。人によってはこれをユートピア的課題と言います。しかし、私たちは、運命論、力を麻痺させる受動性、道徳的意気喪失におちいる誘惑をすべて振り払って、現代人の信頼をつなぐという任務に失敗していられましょうか。私たちは今日の人々に告げなければなりません。疑うなかれ、あなたの未来はあなた自身の手中にあります、と。より公正な人類社会、より強く結ばれた国際社会の建設は、単なる夢物語や、空虚な理想ではありません。それは避けられない道徳的責務、聖なる義務であります。万人の才能と精力を新たに結集し、人間のあらゆる技術的、文化的資源を活用することを 通じて、人間の知的、精神的能力が取り組むことのできる任務であります。

8. 現代の人々は、何よりもまず、膨大な科学的、技術的資源を保有しています。そして私たちは、これらの資源が、諸民族の発展、成長のために、現在よりも遥かに有効に役立てることができるものと確信しております。農業、生物学、医学、社会的コミュニケーションの媒体の教育への活用などにおいて達成された進歩を振り返ってみましょう。また、社会科学、経済学、計画の科学などもあります。これらすべてを結び付けて、工業化、都市化のプロセスをより人間的、効果的な方向に向かわせ、国際協力の新しいモデルを普及させるのに役立てることができるのであります。もし世界の富める国々すべてがそう望むなら、膨大な数の専門家を開発の作業に動員することもできます。もとより、これはすべて、そのような政治的選択、さらに根本的には、道徳的選択を前提としています。優先順位の見直しをすべき時が近づいています。たとえば、推計によれば、全世界の研究者の約半数が現在、軍事目的のために雇用されているといわれます。人類がいつまでもこのような方向に進んで行くことが、道徳的に許されるでしょうか。

 また、人類の総体的進歩に決定的な推進力を与えるのに必要とされる経済的資源の問題もあります。

 ここでも、私たちは選択を迫られています。人類が軍備に投じる費用は開発に投じる費用より遥かに大きいことを知りながら、一人の兵士の装備は一人の子供の教育より遥かに高価であることを知りながら、私たちは受身にとどまっていてよいものでしょうか。

9. 科学・技術は常に人間の文化の一部をなして来ましたが、今日私たちが眼にするものは、分裂の要素として作用することによって、文化の次元との平衡関係を破壊してしまったかに思われる技術の加速度的成長であります。現代社会が直面している大問題はこのようなものであります。科学・技術は今日の社会の発展の最もダイナミックな要因でありますが、その本質的制約の故に、それ独自では文化を統合する力を発揮することができません。それでは文化は、どうすればその主体性を失わずに、科学・技術とそのダイナミズムを吸収することができるでしょうか。

 この点に関して、避けなければならない三つの誘惑があります。第一は、それ自体が目的化した、技術の発達を追求する誘惑であります。それがあたかも、自然と、正しく人間に属する現実との問に存在する、人間にその無限の新しい可能性の必然的な実現を迫る、何か別個の現実の問題であるかのように、あたかも技術的に可能なことは必ず実行するのが義務であるかのように、それ自体の成長と確認をその唯一の規範とするような発達を求める誘惑であります。第二の誘惑は、技術の発達を、利潤あるいはとどまる所を知らない経済的拡張の論理に基づく経済的有用性に従属させること、すなわち人類全体の真の共通の利益を無視して一部の者を有利にし、他の者を貧困の状態にとどめ、技術を「所有」のイデオロギーに奉仕する道具に仕立てることであります。第三に、技術が軍事目的に利用される時、人々を支配に従わせようとして操作する時には必ず生じる事態でありますが、技術を力の追求あるいは維持に従属させようとする誘惑であリます。

10. 文化に献身される皆様方は、明日の政治に影響を与えることができる公私の意思決定機関すべてに働きかける上で、計り知れない道徳的信頼を享受しておられます。あらゆる正当かつ有効な手段を駆使して、全人的な人間観、寛容な文化理念が必ず優位を占めるように、努力されることをお願い申し上げます。平和すなわち人類の生存は、今後、あらゆる人間の進歩、発展、尊厳とに分かちがたく結び付いて来るということを誰もが理解できるように、説得的な論理を組み立てて下さい。「科学・技術は、それが人間と人間性とに奉仕することによって正当化される」こと、理性の科学は精神的諸価値に広く開かれた、一連の知識の分野に結び付いていなければならないことを、確信をもって再確認される時、皆様方は自らの任務を立派に果されたことになります。私は、すべての科学者、研究機関、大学が、技術社会の倫理的諸問題をさらに深く検討されるように促したいと思います。これはすでに、多数の現代思想家の注目を集めている主題であります。それは、資源の公正な配分、技術の平和利用、諸国家の発展の問題に密接な関わりを持っております。

11. 新しい社会秩序の建設は、不可欠な技術的能力もさることながら、崇高な霊感、勇気に裏づけられた動機、人間の未来、人間の尊厳、人間の運命に対する信念を前提としています。個人の利害、利己心、イデオロギーが生み出す様々な分裂を越えて、人の心情、精神にこそ働き掛けなければなりません。一言にして言えば、人は人であるがゆえに愛されな’ければなりません。これこそ、すべての誠実なヒューマニスト、寛容な思想家、.そして、すべての偉大な宗教が広めたいと欲する至高の価値であります。人を人として愛するということは、イエズス・キリストとキリスト教会の教えの核心に触れるものであります。.この結び付きは解こうとしても解くことはできません。ユネスコにおける演説で、私は、福音と、人間性そのものにおける人間との根本的関係を強調して、次のように述べました。「この関係は正に、文化をその基礎から創造するものであります…人は人自身のために肯定されなければなりません…さらに言えば、人は人であるが故に愛されなければなりません。人を愛することは、人に固有の尊厳の故にこそ求められなければなりません。人に関して肯定されるすべてのことは、 キリストの教えと、教会の使命との本質に属することであります」(第10号)。

 従って、人間の防衛と進歩を望む者は誰でも、人を人であるが故に愛さなければなりません。そしてこのためには、精神の諸価値にたよることが不可欠であります。精神の諸価値のみが、心と、深く根づいた態度とを変革することができるのでありますから。心に宗教的信念という宝を持っている私たち全員が、人間の開発という共同作業に参加しなければなりません。そして、私たちは、明確な見通しと勇気とをもって、この作業を遂行しなければなりません。人間の全人的な成長に献身するすべての男女を精神的、文化的に支える共同の努力に参加するように、全キリスト教徒、.神にすがるすべての人々、精神を重んじるすべての家族に呼び掛けなければなりません。

12. 日本においては、アジアの偉大な精神的、宗教的伝統、全世界にわたって人類の遺産をかくも豊かにした伝統を想起せずにはいられません。また人間の精神的使命、絶対の探求、正義と兄弟愛の追求、そして、私たち自身の信仰の言葉で言えば、贖罪と不滅に対する渇きを信じるすべての者相互間の、より密接な対話と効果的な協力を望まないではいられません。合理科学と人間の宗教的知識とは互いに結び付けられる必要があります。科学に献身しておられる皆様、皆様方は、科学・技術の知識と人間の道徳的知識との間に確立すべき関係を研究してみようとは思われませんか。知識と美徳とは、洋の東西を問わず、古代の人々が並行して育て上げたものであります。今日においてさえ、必ずしも特定の宗教への帰依を公言してはおりませんが、自らの専門の科学と、全人としての人間に奉仕したいという欲求とを統合する道を求めている多数の学者の存在を、私はよく承知しております。その知的誠実さ、真理の探求、学者としての自律、宇宙の神秘に対する客観性と敬意を通じて、この人々は偉大な精神的家族を構成しております。その知識を人類の進歩に惜しみなく捧げるすべての人、人間の精 神的使命を信じるすべての人は、共同の作業に参加を呼び掛けられています。その作業とは、人間の全人的進歩を追求する真の科学を形成する作業であります。

13. .一言にして言えば、現世代は大いなる道徳的挑戦に直面していると私は考えます。それは科学の諸価値と良心の諸価値との調和を求める挑戦であります。私は1980年6月2日のユネスコにおける演説で行いましたアピールを、今日、皆様の前で繰り返したいと思います。「現在の状況を認識している人であれば誰しも、一つの確信、それは同時に絶対の道徳的要請でもありますが、その確信に強く促されています・・・良心を結集しなければならない!と。人間の良心の努力は、20世紀末において人類がさらされる、善と悪との間の緊張に比例して増大されなければなりません。私たちは、技術に対する倫理の優位、事物に対する人間の優位、物質に対する精神の優位を確信しなければなりません(『人間の救済者』、16参照)。科学が良心と同盟を結べば、人間の大義にかなうことになります。科学に携わる人は、『人間は世界を超越し、神は人間を超越するという意識』(法王庁科学アカデミーにおける演説、1979年11月10日、第4号)を持ち続ければ、人間性に対して真に貢献することになります。」

 御列席の皆様、この崇高な挑戦を受けて立つのは皆様方の役割であります。

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