「カトリック情報ハンドブック2021」巻頭特集

「カトリック情報ハンドブック2021」 に掲載された巻頭特集の全文をお読みいただけます。 ※最新号はこちらから 特集 回勅『ラウダート・シ』公布5周年にあたって カトリック中央協議会出版部・編  本特集の準備は2020年 […]


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特集 回勅『ラウダート・シ』公布5周年にあたって

カトリック中央協議会出版部・編

回勅『ラウダート・シ』

 本特集の準備は2020年の春に始まりました。それは、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい、わたしたちの暮らしが一変した時期と重なります。各地で多くの人命が失われ、ロックダウンにより、人々が行き交うにぎやかな街は、ひっそりと静まり返りました。感染拡大を防ぐため、日常生活に欠かせない人と人との接触が制限を受け、多くの企業が休業や一部の稼働休止を余儀なくされました。この時期、カトリック中央協議会出版部も、通常の態勢で皆様のご要望にお応えすることができず申し訳なかったと思っております。
 こうした中、本特集は、回勅『ラウダート・シ』をテーマとして取り上げることにいたしました。
 3月3日、教皇フランシスコは、世界中のカトリック教会に「ラウダート・シ週間」への参加を呼びかけました。これは、回勅の公布から5周年を記念して、2020年5月16日から24日までの間、地球環境問題について考え、そのための具体的な行動を個人や教会共同体に呼びかける特別週間です。さらに教皇は、特別週間の閉会ミサで「ラウダート・シ特別年」の開年を告げました。この特別年は2020年5月24日に開始され、2021年5月24日まで続きます。
 新型コロナウイルス感染拡大の危機において、自分の暮らしの安全を守ることだけに意識が向きがちな今、わたしたちは「ラウダート・シ特別年」への参加を通して、回勅『ラウダート・シ』が投げかけるメッセージを熟考するとともに、わたしたちの「共通の家」(同回勅232)と「もっとも弱い立場に置かれた兄弟姉妹たち」(同64)の保護に取り組むよう呼びかけられています。そこで本特集では、回勅発表後の5年間の流れを振り返り、あらためて回勅の意義について考えるとともに、日本のカトリック教会の取り組みにも目を向け、最後に、環境と貧しい人々を守るためにわたしたち自身が「なしうること」(同19)に焦点を当てます。
 本特集が、教皇の招きにこたえ、地球環境を守るための一歩を踏み出すきっかけになればと願っております。



第一部 『ラウダート・シ』の招きと、教会と社会の動き

回勅『ラウダート・シ』発表から現在まで

 この5年間、国際社会はどのように動いてきたでしょうか。回勅が公布される少し前の時期を含めて振り返ってみます。一言に環境問題といっても、さまざまな分野が含まれますし、この問題を扱う国際的な取り組みをめぐっては、公的なものから市民レベルに至るまで会議や運動が数多く存在しており、その全体像を掌握することは困難です。そこで、おもに温室効果ガス削減を目指すパリ協定をめぐる動きに教皇の発言や活動を重ね合わせて追ってみます。

(1)2014年まで:「地球サミット」と「リオ+20」
 『ラウダート・シ』公布以前の状況について、教皇フランシスコは次のように指摘しています。
 「1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットは、特筆に値します。「人類は、持続可能な開発への関心の中心にある」(リオ宣言)と言明したのです」(同回勅167)。
 「「リオ+20」(2012年、リオデジャネイロ開催)が公表した成果文書は、多岐にわたってはいるものの、効力のないものでした。国際交渉は、地球規模の共通善よりも自分たちの国益を優先する国々がとった立場ゆえに、有意義な進展が見られてはいません」(同169)。
 教皇が高く評価した「地球サミット」は、1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催されました。そこで採択された「環境と開発に関するリオ宣言」には、各国が「共通だが差異ある責任」を有することが盛り込まれています。これは、地球環境問題に関しては先進国も途上国も共通の責任を負うが、その関与度と解決能力には差異があるという考え方です。また、同宣言により、環境に「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合」(環境省発表訳)、科学的知見が不確実でも「費用対効果の大きい対策を延期」(同)すべきではないという「予防原則」の考えが確立されました。
 さらにこのサミットでは国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が採択され、日本を含め155か国が署名しました。同条約は1994年に発効しますが、これに基づき翌1995年より気候変動枠組条約締約国会議(条約の締約国会議はCOPと呼ばれます。日本では気候変動枠組条約ばかりが報じられる印象がありますが、生物多様性条約のCOPもあれば砂漠化対処条約のCOPもあります。環境悪化は地球温暖化の分野に限られた問題ではありません)が毎年開催され、温室効果ガス排出削減に向けた議論の場となっています。COPが数値目標を策定するにあたっては、最新の科学的知見を評価し、各国政府に助言することを目的とする組織である気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書が、いわば羅針盤の役割を果たしています。同報告書はこれまで第1次(1990年)から第5次(2013年)までが出され、第6次がまもなく発表されるようです。第1次報告書では、もし人間活動に由来する温室効果ガスをこのまま排出し続けるならば、生態系や人類に甚大な影響を及ぼす気候の変化が生じるだろうとの警告が発せられ、なんら対策が講じられないのであれば、21世紀末までに世界の平均気温は約1~3℃、海面水位は35~65cm上昇するだろうとの予測が示されました。
 1997年に京都で行われた気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)では、2020年までの温室効果ガス排出削減の目標を定める枠組として京都議定書が採択されています。しかし、京都議定書は、「共通だが差異ある責任」の原則に従って先進国と開発途上国の間で実施のルールに明確な差を設けていたことで米国が参加せず、新たな枠組が求められることとなりました。2011年に南アフリカのダーバンで開催された第17回締約国会議(COP17)では、全締約国が参加する新たな枠組となるパリ協定採択に向けた土台が作られます。
 一方、教皇が厳しい見方を示した「リオ+20」は、「地球サミット」20周年を受け、2012年6月に同じくリオデジャネイロで開かれました。しかしこの会議では、数値目標や達成時期が定められることが期待されていたにもかかわらず、具体的な決定はなく、各国の自主的な取り組みに任されることになりました。その後、2014年にペルーのリマで行われた第20回締約国会議(COP20)でも、削減目標を後退させてはいけないという点での意見の一致は見られたものの、全体的に乏しい内容に終わっています。
 『ラウダート・シ』公布の背景には、地球環境保護に向けた国際社会の取り組みが一向に進まない事情があったのです。

(2)2015年:『ラウダート・シ』公布と、パリ協定採択
 2015年5月24日、回勅『ラウダート・シ』が公布されました。地球環境問題に対する人類の責任を明確に述べた初めての回勅です。教皇フランシスコは、この回勅の中で、エコロジカルな問題においてカトリック教会は「他教派や他教団」と「同じ懸念に結ばれて」(同回勅7)いると述べ、グローバルな環境問題に取り組むにあたり、エキュメニカルな交わりを重視する姿勢を示しました。
 続いて8月、「被造物を大切にする世界祈願日」(2016年より毎年9月1日)が制定されます。すでに正教会では1989年以降、コンスタンティノープル全地総主教ディミトリオス一世のイニシアティブによって、9月1日は「被造物の保護を祈る日」とされていました。教皇は、祈願日の制定を知らせる書簡の中で、この日に他教派や他教団が何らかの形で関与し、ともに祝われるものとなるよう願っています。
 9月に教皇はニューヨークの国連本部を訪問し、総会での演説で、自然環境の保護、社会的経済的排除の撲滅のための友好的、実際的、恒久的な決意、さらに具体的かつ緊急の措置を訴えました。また、自分たちのことよりも先に、貧しさにより痛ましい生活を強いられている人々のことを考えるよう、強く促しています。
 11月7日、パリで気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)が開催されます。ここで、新たな枠組としてパリ協定が採択されました。これにより、2020年以降の地球温暖化対策として、世界の平均気温上昇を産業革命以前から2℃未満、可能ならば1.5℃未満に抑えるという目標が定まりました。回勅公布の年に、国際社会も一歩を踏み出します。

(3)2016年:「いつくしみの特別聖年」と、パリ協定発効
 2015年12月8日から2016年11月20日は「いつくしみの特別聖年」と定められました。この年、教皇フランシスコは、とくに貧しい人々に目を向けました。
 2月12日、教皇はキューバの首都ハバナで、全ロシアのキリル総主教と会談しました。共同宣言では、極端な貧困に苦しむ人々、移民、難民に対して無関心でいてはならないことや、消費主義による地球資源の枯渇について指摘されています。また、9月1日に第1回「被造物を大切にする世界祈願日」が記念され、そのメッセージの中で、「「大地の叫びと貧しい人の叫び」(回勅『ラウダート・シ』49)に耳を傾け」るよう呼びかけました。
 11月4日、温室効果ガスの二大排出国である米国と中国を含む55か国の批准によってパリ協定が発効します。同月7日からモロッコのマラケシュで開催された気候変動枠組条約第22回締約国会議(COP22)では、2018年までに温室効果ガス削減の国別目標に向けてどうやってその進捗や達成を確認するのか、報告には何を書くのかといった、さまざまなルールをまとめることが合意されました。
 特別聖年の閉年にあたっては、使徒的書簡『あわれみあるかたと、あわれな女』が公布されました。教皇はこの中で、「貧しい人のための世界祈願日」(年間第33主日)の制定を宣言しています。貧しい人に寄り添う教皇の姿勢は一貫しています。

(4)2017年:米国のパリ協定離脱表明と、アマゾンシノドス召集の決定
 2017年1月、トランプ米大統領が就任します。地球温暖化対策に積極的に取り組む教皇フランシスコとは対照的に、この問題を「捏造」と主張するトランプ大統領の姿は、メディアで大きく取り上げられました。5月24日に教皇は、欧州歴訪中のトランプ大統領をバチカンに迎えました。毎週水曜日に行われている一般謁見の前に30分の会談が行われ、意見が交わされました。その際教皇は『ラウダート・シ』を直接トランプ大統領に手渡しています。しかし、わずか数日後の6月1日にトランプ大統領は、米国のパリ協定からの離脱を表明しました。
 10月15日に教皇は、ラテンアメリカのいくつかの司教評議会および世界諸地域の司牧者や信徒の願いを受け、2019年10月にアマゾン周辺地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)を召集する旨を発表しました。その際、アマゾン熱帯雨林の危機について言及しています。
 11月6日、ドイツのボンで気候変動枠組条約第23回締約国会議(COP23)が開催されました。米国はこれに先立つ11月4日にパリ協定からの離脱を国連に正式通知していましたが、規定上、2020年11月に正式な離脱は可能となります。当然ながらCOP23における米国政府の参加は消極的なものでしたが、同国の企業、自治体、教育機関などが主体的に展示や発表を行っていることからは、米国の姿勢が必ずしも一枚岩ではない様子がうかがえます。COP23は、2018年までにまとめることが予定されているパリ協定のルールについて話し合われましたが、今後の作業を加速化させることを合意したにとどまり、目立った成果は上げられませんでした。

(5)2018年:アマゾンシノドス準備と、パリ協定における先進国・途上国共通のルール
 教皇フランシスコは、2018年1月15日から21日まで、アマゾンシノドスの前段階として、南米のチリとペルーを訪問し、アマゾン地域のさまざまな民族の代表と面会しました。ペルーのボリビア国境に近いプエルト・マルドナドでの先住民らとの交流の際には、地域の人々の生活を脅かす環境破壊や搾取などの問題について話を聞いています。さらに6月8日には、シノドス事務局がアマゾンシノドスの準備資料を公布しました。シノドスでは、現在多くの危険にさらされている、アマゾン河流域の先住民への関心が優先課題とし、さらに「共通の家」としての環境、エコロジー問題が取り上げられることになりました。
 教皇はまた、『ラウダート・シ』公布から3年を記念して、7月6日と7日にバチカンで国際会議「わたしたちの共通の家と地球上の未来の生活を守る」を開催しました。教皇はその席上で、ポーランドのカトヴィツェで12月に行われる気候変動枠組条約第24回締約国会議(COP24)を、「パリ協定によってしるされたプロセスを歩むうえでの大きな道しるべ」と位置づけました。
 12月2日に始まったCOP24では、先進国と途上国が共通のルールで温室効果ガス削減に取り組む方針が固まりました。目標達成状況に関する国連への国ごとの報告については、途上国に柔軟性が付与されましたが、ルールはあくまで同一として妥結されました。一方、これまでに示されている各国の温室効果ガス削減目標では、気温上昇を産業革命前に比べ2℃以下に抑えるという国際合意の達成には不十分だとの指摘もなされています。課題はまだ残されています。

(6)2019年:アマゾンシノドスと教皇訪日
 2019年は、教皇フランシスコを日本にお迎えするという記念すべき年となりました。この年教皇は、「すべてのいのちを守るため」に、他にも多くの活動に取り組んでいます。
 2月14日には、ローマで開催された国際農業開発基金(IFAD)第42回総会の開会式に出席し、貧困と飢餓に苦しむ世界の人々のため、積極的な取り組みを国際社会に呼びかけるとともに、飢餓に脅かされている人々の大半が農村地帯に暮らし、食料生産に携わっている事実を指摘しました。また3月8日には、バチカンで教皇庁人間開発のための部署主催の国際会議「宗教と持続可能な発展:地球と貧しい人の叫びに耳を傾ける」参加者に会い、地球と貧しい人々が不正によって苦しめられている今日の現状を変えるために闘い続けることの重要性を強調しました。6月27日には、ローマで開かれていた国連食糧農業機関第41回総会の参加者らをバチカンに迎え、貧困と飢餓の撲滅のための一致した努力の継続を願い、わたしたちが実践できることの一つとして、食べ物や水の無駄を減らすことを挙げています。
 9月23日、教皇は「国連気候行動サミット2019」にビデオメッセージを送り、パリ協定採択後の各国の取り組みの不足を指摘し、あらゆる方面から早急に対応するよう訴えました。教皇は、いちばん苦しんでいるもっとも弱い立場にいる人々を人的、財政的に支援する政治的意思の有無を問いかけ、環境悪化が人間の倫理的社会的荒廃とリンクしていることを強調し、消費、生産、教育等のプロセスを人間の尊厳にふさわしいものにするよう見直すことを、わたしたちに義務づけました。厳しい主張の中でも教皇は、「まだわたしたちは間に合います」と励ましています。この会議では、2050年までに温暖化ガス排出量を実質ゼロにすることが65か国(加えてカリフォルニアなどの自治体)により約束されましたが、この中に、二酸化炭素排出量のとくに多い中国、米国、日本などは含まれていません。
 またこのサミットは、15歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが参加したことでも話題となりました。グレタさんが語気を強くして、大人たちが経済を優先して温室効果ガス排出量の削減をおろそかにするならば、若い世代がその結果とともに生きていかなければならないのだと訴える姿は、多くの人の記憶に残っていることと思います。
 バチカンでは10月6日から27日にかけて、「アマゾン、教会と総合的エコロジーのための新たな歩み」をテーマとするアマゾンシノドスが開催されました。会期中、参加司教らは、アマゾン地域とそこに住む人々の現実を展望し、総合的な(インテグラル)エコロジーの視点から同地域が抱える苦しみと希望を見据え、福音宣教、インカルチュレーション、典礼、遠隔地域での司牧などの課題において、教会の新たな歩みを模索しました。
 そして教皇は、11月20日から23日のタイ訪問に続いて、23日から26日に日本を訪問します。「すべてのいのちを守るため~PROTECT ALL LIFE~」という訪日のテーマは、『ラウダート・シ』の中にある「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」から取られています。長崎、広島、東京で、いのちの尊さを力強く訴えかける教皇の姿は、わたしたちの記憶に深く刻まれました。
 12月2日から15日にかけて、スペインのマドリードで気候変動枠組条約第25回締約国会議(COP25)が開催されました。この会議にもグレタさんは参加し、「国連気候行動サミット2019」での演説とは対照的な静かな口調で、最大の脅威は行動を取らないことであると主張しました。COP25では残念ながら各国の温室効果ガス削減目標の引き上げについて最終合意に至ることができず、この課題はCOP26に持ち越しとなります。
 12月20日、教皇はアントニオ・グテーレス国連事務総長をバチカンに迎えます。教皇はこの席で、紛争、暴力、貧困、気候変動によって、難民となったり、飢餓や貧困に陥ることで亡くなった子どもたちや、あらゆる形で搾取にあっている子どもたちに言及し、多くの無実の人を殺す戦争や人間の尊厳の蹂躙に無関心でいないよう促すとともに、世界が団結して平和を構築するよう働きかけることを、グテーレス事務総長に求めました。とくに環境問題については、わたしたちが神からその管理をゆだねられた土地を世話し、それを耕して子どもたちに引き渡す必要があることを強調し、手遅れになる前に何かをしましょう、と訴えています。

(7)2020年:回勅『ラウダート・シ』公布5周年と、新型コロナウイルス感染拡大
 イタリアで新型コロナウイルスの感染が初めて確認されたのは2020年1月末のことで、2月下旬ごろから同国内における感染は爆発的に拡大し、3月に入ると、バチカンでも美術館の休館に引き続き、サンピエトロ広場や大聖堂が閉鎖され、3月9日からは一般会衆の参加するミサは中止になりました(その後、感染者数の減少を受けて、ミサの中止は5月18日に解除、バチカン美術館は6月1日から公開が再開しました)。3月中旬になると、世界各地で感染が拡大し、ロックダウンなどの行動制限が導入されました。
 こうした中、アマゾンシノドス後の使徒的勧告『愛するアマゾン』(Querida Amazonia)が2月2日付で公布されました。本使徒的勧告は、アマゾンシノドスの提言を受け、福音宣教、環境保護、貧しい人々への配慮などにおける、新たな歩みの指針を示すものとなっています。
 そして、『ラウダート・シ』公布5周年を記念し、5月16日から24日の9日間は、「すべてはつながっている」をテーマとする「ラウダート・シ週間」とされました。新型コロナウイルス感染防止対策のため、大勢が集う行事はありませんでしたが、スペイン、イタリア、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、米国、フィリピンなど世界各地の都市で、オンラインワークショップが実施されました。さらに引き続いて、5月24日から2021年5月24日の期間は「ラウダート・シ特別年」となっています。
 一方、2020年秋にイギリスのグラスゴーでの開催が予定されていた気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)は、やはり新型コロナウイルスの影響で、翌年秋への延期が決まりました。パリ協定による温室効果ガス削減に向けた国際社会の取り組みは、2020年、制度を作り上げる段階から実施段階へと移行しましたが、削減目標の引き上げ問題について、いまだ各国は合意に至っていません。

 国際政治における反応の鈍さは注目に値します。環境に関する世界サミットの不成功は、政治がテクノロジーと金融とに屈服していることを明らかにします。特殊な利害があまりにも多く存在し、経済的利害がいともたやすく共通善に優先され、自らの計画への影響を回避するために情報は操作されます。……結果として期待できるのは、形だけの宣言、継続性のない慈善活動、見せかけだけの環境配慮アピールばかりであり、その一方で、社会集団による実際上の変革の試みはどれも、現実離れした夢想が引き起こす迷惑行為、回避すべき厄介ごとだと理解されてしまいます。(回勅『ラウダート・シ』54)

 回勅の中のこのことばは、悲しむべきことですが、5年経った今でも、同じく現状批判であり続けています。

回勅『ラウダート・シ』に導かれる方向転換

 以上、地球環境保護をめぐる教皇フランシスコの活動と国際社会の動きを見てきました。次は、わたしたち自身の環境保護のための方向転換に目を向けます。
 効率本位で快適な都市型生活に浸るわたしたちにとって、環境保護のためにライフスタイルを変えることは億劫ですし、そもそも身近に森林や河川がない人にとって、自然破壊の問題は、遠い世界で起きている、他人事のように感じられてしまいます。最初の一歩を踏み出すには、無関心に流れがちな心を変えていかなければなりません。その実践について、『ラウダート・シ』のことばから学びたいと思います。

(1)「ともに暮らす家」の美しさ
 『ラウダート・シ』には、地球環境が破壊されている厳しい現実が数多く指摘される一方、地球の持つ本来の美しさを賛美することばが随所に散りばめられています。

 さらに、聖書に忠実な聖フランシスコは、自然を、神がそこでわたしたちに語りかけ、ご自身の無限の美や善を垣間見させてくれる、壮麗な一冊の本とみなすよう誘います。「造られたものの偉大さと美しさから推し量り、それらを造った方を認め」(知恵13・5)ます。……フランシスコは、野の花々や香草が成長できて、またそれを見る人々がそうした美の創造主である神を心から仰げるようにと、修道院の庭の一部をつねに人の手が加わらない状態にしておくよう求めました。世界は、解決すべき問題であるよりは、むしろ歓喜と賛美をもって観想されるべき喜ばしい神秘なのです。(12)
 全物質界は、神の愛を、わたしたちへの神の限りなき愛の思いを語っています。土壌、水、山々、つまりあらゆるものは、いわば神の愛撫です。わたしたちの神との友情の歴史はいつも、濃密な個人的意味を帯びた個別の場所とつねに結びついています。場所を思い出し、またそうした記憶を思い返すことは、わたしたち皆にとって大いにためになります。丘陵地帯で育った人、泉の傍らに座ってはそこから飲んでいた人、外に出て近所の広場で遊んだ人なら、だれにとっても、そうした場所に戻ることは、何かしら本当の自分を取り戻すいい機会です。(84)
 イエスが人間の眼をもって見つめられ感嘆なさったまさにそうした野の花々や鳥たちには、今や、イエスの輝かしい現存が吹き込まれているのです。(100)

 教皇は、地球の美しさに目を留めることで環境に対して自然に込み上げてくる思いに言及しています。その美しさを再認識できれば、地球に対する愛は、おのずと深まっていくはずです。

 ちょうどだれかと恋に落ちたときに起こる出来事のように、彼(聖フランシスコ)が太陽や月や小さな動物を見つめるときは、いつも歌があふれ出し、他の被造物すべてをその賛美に引き込むのです。…もしわたしたちが、畏敬と驚嘆の念をもたずに自然や環境に向かうなら、世界とのかかわりにおいて友愛や美のことばを口にしなくなるなら、わたしたちの態度は、限度を設けることなく当面の必要を満たそうとする支配者、消費者、冷酷な搾取者の態度になるでしょう。これとは対照的に、もし存在するすべてのものと親密に結ばれていると感じるなら、節制と気遣いがおのずとわき出てくるでしょう。(11)
 美に目を向けそれを味わう学びによって、わたしたちは利己的な実用主義を退けることを学ぶのです。(215)

 しかし、その美しかったはずの地球が、わたしたち自身の手によって、破壊され、傷つけられ、危機に瀕しているのです。

 わたしたちの家である地球は、ますます巨大なゴミ山の体をなし始めています。この星のあちこちで、かつて美しかった景観が今ではゴミに覆われていると、年配者たちが嘆いています。(21)
 世界のサンゴ礁の多くが、枯れたり、あるいは衰退し続けています。「海の中のすばらしい世界を、色彩も生命も奪われた水底の墓場へと変えてしまったのは、一体だれなのですか」。(41)

 この現実にしかと目を向け、教皇の呼びかけにこたえていかなければなりません。

(2)貧しい人とのつながり
 『ラウダート・シ』は、地球環境の悪化と貧困問題は切り離すことができないと繰り返し訴えています。

 人間環境と自然環境はともに悪化します。……実際、環境と社会の悪化は、地球上のもっとも弱い人々に影響します。「あらゆる環境破壊によるもっとも重大な影響は貧困に苦しむ人々が被ることを、日常生活と科学的研究の双方が示しています」。(48)
 今日認識すべきなのは、真のエコロジカルなアプローチは、つねに社会的なアプローチになるということ、すなわち、大地の叫びと貧しい人の叫びの双方に耳を傾けるために、環境についての討論の中に正義を取り入れなければならないということです。(49)
 仲間である人間に対する優しさや共感や配慮が心に欠けているならば、人間以外の自然との親しい交わりの感覚は本物ではありえません。人身売買にまったく無関心でいて、貧しい人々について無頓着なままで、あるいは不要とみなされた他の人間を打ちのめそうとしながら、絶滅危惧種の不法売買と戦うことは、明らかに一貫性を欠いています。(91)
 あらゆるエコロジカルなアプローチは、貧しい人や不遇な人の基本的権利を考慮する社会的視点を組み入れなければなりません。(93)
 わたしたちは、環境危機と社会危機という別個の二つの危機にではなく、むしろ、社会的でも環境的でもある一つの複雑な危機に直面しているのです。解決への戦略は、貧困との闘いと排除されている人々の尊厳の回復、そして同時に自然保護を、一つに統合したアプローチを必要としています。(139)

 環境悪化が具体的にどのように貧しい人々を苦しめているのか、多くの具体例が挙げられています。

 大気汚染物質にさらされることによる健康被害は広範囲に、とくに貧しい人々に及び、おびただしい数の早逝をもたらす原因となっています。(20)
 環境悪化によってますますひどくなる貧困から逃れようとしての移住者数は、痛ましいまでに増加しています。こうした人々は、国際条約によって難民と認定されず、いかなる法的保護も享受することなく、後にしてきた生活を奪われたものとして堪え忍んでいるのです。(25)
 とりわけ重要な問題は、貧しい人々が利用できる水の質です。日々、安全でない水が、大量の死、そして微生物や化学物質によるものを含む、水に関連した疾病の蔓延を招いています。(29)
 たとえば、漁業資源の枯渇は、代替資源をもたない小規模漁業共同体に著しい不利益を与えます。水質汚染は、ボトル詰めの飲料水を買えない貧しい人々にとくに影響を及ぼします。そして、海面上昇は、移住する場所のない沿岸地域の貧しい住民に影響を及ぼします。現今の不均衡の悪影響はまた、多くの貧しい人々の早逝にも、資源不足が火種となった紛争にも、そして国際的な行動計画の中で十分に取り上げられていない他の諸問題にも見られます。(48)

 環境問題への取り組みは、こうした弱い立場にある人々の暮らしの改善につながるのです。
 教皇は、利便性ばかりを追求する消費型の生活に慣れたわたしたちが、貧しい人々が得られるはずだった恵みをどれほど掠め取っているのか、反省するよう呼びかけています。弱い立場の人々の側に立ったライフスタイルの転換へと招かれているのです。

 生産された食品のおよそ三分の一が捨てられていること、「食料を捨てるなら、貧しい人の食卓から奪うことになる」ということを、わたしたちは知っています。(50)
 いくつかの富裕国の莫大な消費が原因である温暖化は、世界のもっとも貧しい地域、とくにアフリカにその付けを回し、気温上昇と旱魃が組み合わさって、農業に壊滅的な打撃を与えます。(51)
 一方では、絶望的で屈辱的な貧しさに陥って出口のない状況に置かれている人がいるのに、他方では、自分の所有物の扱い方を省みることなく、むなしくも見かけの優越性を見せびらかし、皆が同じようにすればこの星が壊れるであろうほど大量の廃棄物を後に残す人がいることを、わたしたちは気づかずにいます。(90)

 教皇はわたしたちに、恵まれない人々に対する自助自立を目指した支援を求められ、同時に、貧しい国の人々に対しては、自国で生じている経済格差や不正に立ち向かうよう、呼びかけています。

 働くことは一つの必然であり、地上における生の意味の一部であり、成長や人間的発達や人格的完成への小路です。その意味で、貧しい人々への金銭的援助はつねに、差し迫った必要にこたえる、当座の解決策でなければなりません。真の目標はつねに、貧しい人々が自ら働くことによって尊厳ある生活を送ることができるように条件を整えることであるべきです。(128)
 貧しい国にとっての最重要課題は、極度の貧困の撲滅と自国民の社会的発展の推進でなければなりません。同時に、そうした国は、自国民の中の特権階層の恥ずべき消費量を認識し、また、全力で腐敗と闘う必要があります。(172)

 地球環境の保護は、すべての人がともに取り組む課題なのです。

(3)より豊かなこと
 『ラウダート・シ』は、自然に目を向け、貧しい人々に寄り添うことを、より豊かな、解放をもたらす生き方として示します。快適さばかりを追い求める生活様式を改めることを躊躇するわたしたちに、本当の豊かさとは何かを語りかけています。

 それは「より少ないことは、より豊かなこと」という確信です。事実、新たな消費がひっきりなしに氾濫し続けることが、心を惑わし、一つ一つの物事や、一瞬一瞬の時を大切にできなくしてしまいます。他方、たとえそれがどんなにささやかなものであっても、一つ一つの現実に落ち着いて臨むことは、理解や自己実現というはるかに大きな地平へとわたしたちを開いてくれます。(222)
 そうした節欲は、自由にそして意識的に生きられるならば、解放をもたらします。それは、劣った生き方でも、刺激に欠けた生き方でもありません。……幸福とは、自分をだめにするような欲求を抑えて、人生が与えてくれる多様な可能性に開かれること、そのすべを知ることです。(223)
 心の平安は、エコロジーや共通善を大切にすることと密接にかかわっています。(225)

 これは、わたしたちの霊性に訴えかける教皇からのメッセージです。そして、この霊性こそが、わたしたちを実践へと導く原動力になるのです。

(4)ささやかな行い
 環境保護はグローバルな課題ですが、その基礎となるのは、わたしたち一人ひとりが踏み出す一歩です。しかし、それはあまりにもささやかで、ごく小さな一歩ですから、何の影響力ももたず、大して意味がないのではと感じてしまうこともあるかもしれません。そんなふうにあきらめてしまいがちなわたしたちを、教皇は励ましてくれます。

 日々のささやかな行いを通して被造界を大切にするという務めには高潔さが宿っており、また、教育がライフスタイルを実際に変化させうるのはすばらしいことです。(211)
 こうした努力では世界は変えられないだろう、と考えてはなりません。そうした努力は気づかれないこともしばしばですが、目には見えずとも必ず広がるであろう善を呼び出すがゆえに、社会にとって益となります。(212)

 『ラウダート・シ』は、教皇の厳然とした姿勢が貫かれた回勅ですが、同時に、「ともに暮らす家」の仲間であるわたしたちを包み込むような優しさもあふれています。すべてのいのちに対する教皇の温かな思いは、日常生活の中での方向転換へとわたしたちを促します。

日本司教団の呼びかけ「すべてのいのちを守るための月間」

 日本のカトリック教会も、地球環境保護のための具体的な取り組みを始めています。日本カトリック司教協議会は、2019年11月に実現した教皇フランシスコ訪日にこたえて、毎年9月1日から10月4日を「すべてのいのちを守るための月間」と定めました。2020年5月9日付で、司教協議会会長である髙見三明長崎大司教が発表したメッセージにおいて、その設置理由が次のように説明されています。

 わたしたち司教団は、教皇フランシスコの訪日にこたえて、毎年9月1日~10月4日を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、今年から実施することにいたしました。おりしも教皇は、エコロジーをテーマとした回勅『ラウダート・シ』の発表から5年目を迎える今年、5月16日~24日を「ラウダート・シ週間」と定め、「地球の叫びと貧しい人々の叫びはこれ以上待つことはできません」と、環境危機に対処するための緊急アピールを繰り返しておられます。
 しかし世界では今、新型コロナウイルスの感染阻止のため、まさに「すべてのいのちを守るため」に、すべての人が闘っています。初回の「すべてのいのちを守るための月間」においては、まず一人ひとりが感染防止のための努力を継続するとともに、社会活動が制限されるなか経済的にも精神的にも困窮している人々への支援を行い、またできる範囲で環境保護のための運動も展開していきたいと思います。ご協力をよろしくお願いいたします。

 2007年、第3回ヨーロッパエキュメニカル会議において、正教会の「被造物の保護を祈る日」である9月1日から、アシジの聖フランシスコの記念日である10月4日までを「被造物のための期間」とすることが提唱され、世界教会会議(WCC)がそれを支持し、現在では「被造物の季節(Season of Creation)」としてエキュメニカルな年間行事になっています。教皇は、2019年の「被造物を大切にする世界祈願日」メッセージの中で、カトリック信者もこれに加わって祈るよう招きました。日本司教団の定めた「すべてのいのちを守るための月間」は、この期間と一致しています。エキュメニカルな交わりに重きを置く教皇の姿勢に倣い、わたしたちも、この期間を祈りと実践のうちに過ごしたいと思います。

わたしたちが「なしうること」

 『ラウダート・シ』は次のように述べています。

 わたしたちのねらいは、情報の蓄積や好奇心の満足ではなく、むしろ、痛みをもって気づくこと、世界に起きていることをあえて自分自身の個人的な苦しみとすること、そして一人ひとりがそれについてなしうることを見付け出すことです。(19)

 これは、環境問題のために何が自分にはできるのかを考えるようにとの呼びかけです。具体的なイメージを描くために、実践例の一つとして神奈川県川崎市で展開されている資源循環の取り組みを紹介します。
 この取り組みは、30数年前に数名の主婦によって始められました。高度経済成長期には、東京と川崎の間を流れる多摩川は水質汚濁が進み、多くの生き物も姿を消していました。美しかった多摩川の水を取り戻すべく、廃食油と合成洗剤を含む排水の流入を防ぐため、彼女たちは1989年に川崎市民石けんプラントを設立し、各家庭から廃食油を集め、これを原料に「きなりっこ」という石けんを作り始めました。「きなりっこ」は、漂白剤や香料といった有害な助剤を使わずに、食用油だけを原料として作られているので、合成洗剤に比べ毒性がなく、分解も早く、排水による海川の汚染が少ない石けんです。市民自身によって廃食油を回収し、さらに安全な石けんを使うことで、川に流れ込む廃油と合成洗剤の量を減らすことが可能になったのです。小さな呼びかけから始まったこの取り組みは、多摩川の水質改善に大きく貢献しました。

川崎国際環境技術展2013での川崎市民石けんプラントの出展風景。
中央が同法人理事長の薄木かよ子さん。


 この取り組みには、特筆すべき点が2つあります。1つは、市民の手によってライフスタイルが見直され、環境保護のニーズに合わせた暮らしが創出されたということです。呼びかけに賛同した多くの市民が、これまで流し台に捨てていた廃食油を積極的に集めるようになりました。また、使い慣れた合成洗剤を離れ、「きなりっこ」を使うようになりました。取り組みの発想は啓発となり、個々人のライフスタイルの画期的な転換を促したのです。

かわさきかえるプロジェクトの活動風景

 そしてもう1つは事業の成り立ちと形態です。プラント設立にあたって、数名の主婦たちは6千人もの出資者を集めました。一人ひとりの出資額は決して高額ではありません。しかし、小さな額の積み重ねによって事業が立ち上げられ、営利を目的としないながらも、経営を成り立たせているのです。またこの事業は、雇用という関係がなく、だれもが運営にも参加しつつ働くワーカーズコレクティブの形をとっています。そして、障害をもった人たちの社会参加に貢献するなど、環境保護と福祉の両面をもって展開しているのです。詳しくは、特定非営利活動法人川崎市民石けんプラントのウェブサイトをご覧ください(http://kinarikko.kazekusa.jp/)。また、日本カトリック正義と平和協議会の機関紙「JP通信」195号(2015年12月)でも、この取り組みは紹介されています。併せてご参照ください。
 なお、廃油の回収と啓発活動の面については、「かわさきかえるプロジェクト」が担っています。ウェブサイト(http://kaeru.kazekusa.jp/)にてご確認ください。


 『ラウダート・シ』の公布から5年、地球を守るための対策は、それほど成果を上げられていません。教皇はこの5年という節目に、あらためて、地球環境保護のための具体的な取り組みへとわたしたちを招いています。わたしたちも、自分なりに「なしうること」を見付け、実現していく決意を新たにしなければなりません。
 次の第二部では、2016年「被造物を大切にする世界祈願日」の教皇メッセージ(https://www.cbcj.catholic.jp/2016/09/01/9837/)に沿った、聖母訪問会の実践の分かち合いを紹介します。同会の取り組みは、環境保護に向けた、教区、小教区、また個人での活動に、多くの示唆を与えてくれます。




第二部 聖母訪問会の実践に学ぶ

 この第二部では、聖母訪問会の会報「訪れ」の2018年号(37号)に掲載されている、同会会員による環境保護や社会との連携の具体的実践例のいくつかを紹介します。
 総長である米田ミチル修道女は、同誌巻頭のあいさつの中で次のように述べています。

 今年の「訪れ」は、本会が21世紀の本会の福音宣教にふさわしい霊性として選択し大切にしている「宣言」~私たちは神から創られた いのちのいとなみに立ち返り すべての生命との共生の価値に目覚めた 礼拝と愛の交わりを生きる~の生き方を、より理解していただくために、教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」やメッセージについて、分かち合いたいと企画いたしました。現代社会にあって私たちが招かれている“総合的なエコロジー”の生き方について、お伝えすることができれば幸いです。人間中心の開発と経済優先の選択により、ほんとうに私たちの家である地球・未来からの預かりものである地球とそこに生きている多くの人々が苦しんでいる現実に、丁寧に向かい合いたいと強く思っています。

 同会の三浦修道院(神奈川県三浦市)は、「2002年の第12回定期総会で採択した、上記の「宣言」の具体化として「創造と贖いの恵みをエコロジカルに生きる」生活の模索と実践をめざして2005年に誕生し」た共同体です。「テレビは無く冷房器具も聖堂と食堂のみ、太陽光発電や雨水の貯水槽を設置し、トイレや畑にはこの水を利用、食の見直し、パーマカルチャー的土作り等々、エコの発信の場にもなってい」ます。

三浦修道院の聖堂


 パーマカルチャーとは、「パーマネント(permanent=永久の)」「アグリカルチャー(agriculture=農業)」そして「カルチャー(culture=文化)」を組み合わせた造語で、1970年代にオーストラリアのビル・モリソンとデビット・ホルムグレンによって構築された概念であり、「多様性と永続性そして自然回復力を備えた、人間の手による意識的なデザインのこと」です。「自然を循環させる農業の方法、水、土、植物、動物、建物、人間、経済、コミュニティーなど生態系の多様性永続性、自然回復力を備えている生活環境を意味してい」ます(学研ムック『自然農法でおいしい野菜づくり』より)。
 第一部の末尾にも記したとおり、同会のシスターたちは、2016年「被造物を大切にする世界祈願日」教皇メッセージに沿って分かち合いを行っています。そこに挙げられている実践例に、大掛かりなことはほとんどありません。ですが、それゆえに、わたしたちの日常生活における一つ一つのささやかな実践、その積み重ねこそが、何よりも大切であり、求められているのだということに気づかされます。
 そして、奉献生活者による声として、キリスト者にとっては、こうした実践と信仰との結びつきが求められていることにも、あらためて気づかされます。
 (◦が付されたものが、シスターたちが個々に、また共同体として実践している事例の分かち合いからの引用。数字の付いている小見出しは教皇メッセージのもので、「訪れ」でもこれが用いられています)

シスターたちの農作業風景

1 地球は叫んでいます……
 「種の多様性の喪失」「生態系の破壊」「地球温暖化」、そうしたさまざまな危機により、地球は苦しみの叫びを上げています。また、そうした危機について負うべき責任がほとんどないにもかかわらず、貧しい人々がその影響によって苦しんでいます。そうした声に耳を傾けてこたえていくには、どうすればよいのでしょう。シスターたちの分かち合いでは、次のようなことが挙げられています。

  • 生態系の破壊の痛み、大地の叫びを聴き、生活を具体的に見直し、祈る。
  • 貧しい人、苦しんでいる人のために、奉献生活を最後まで謙虚に生きる。
  • 自分を守る生活から離れ、人々との交わりを生きる。
  • 職場や日常出会う人に、折あるごとに、人間がもたらしたこの現状、地球を汚染し荒れ地にしてしまったことを伝える。
  • 神に創造された美を観想し、それを保つために、日常の必需品の購入も控え、代用できるものを使用する工夫をしている。

2 わたしたちが罪を犯したために……
 神の創造による被造界に対し、人間は、それを痛めつけ、傷つけるという罪を犯し続けてきました。『ラウダート・シ』が訴えているのは、そうした人間の「エコロジカルな回心」です。この責務について、シスターたちは次のように分かち合っています。聖母訪問会では「どこの修道院でも農作に取り組んでい」るそうです。シスターたちのことばからは、アシジのフランシスコのような生活が見えてきます。

  • 破壊に苦しむ大地の痛みを自らのものとし、土、水を汚す行為に赦しを願う祈りをする。
  • 地球という素晴らしい家に住んでいることを喜び、感謝して生き、また回心して神の慈しみを願い祈る。
  • 地球上の水、土、空気、全てのいのちを健やかにするための一環として、今いる場所を大切にする。
  • 本会の里山プロジェクトで、夢の里山に近づけるように土に関わり、子供のころに遊んだあのきれいな川も取り戻したい。
  • 自然や出会う人々にある、いのちの輝きを見出し賛美する。
  • 神からの恵みの土は奇跡の源であるので、それを通して神を讃える。
  • 自然を眺め、草花を眺め、ただ感謝する“ありがとう”と。そして、1本の花、1個の野菜でも育て、神を賛美する心を育む。
  • 畑作に力を入れ、土と親しみ作物を育てて、貧しい方々に配ったり、皆に分かち合いもする。
  • EM(発酵液)を掃除や洗濯に使用し、合成洗剤は使用しない。
    ※EMとはEffective Microorganisms(有用微生物群)のこと。土壌改良や生ごみ処理などに用いられます。また、その活性液は洗剤の代用として使われ、環境を傷つけることがありません。

3 良心の糾明と悔い改め
 「この歩みにおける最初の一歩は、つねに良心の糾明です」――教皇メッセージはそう教えています。そして『ラウダート・シ』の次の箇所を引用します。「わたしたちは他の被造物から切り離されているのではなく、万物のすばらしい交わりである宇宙の中で、他のものとともにはぐくまれるのだということを、愛をもって自覚することです。信仰者としてわたしたちは、御父が存在するすべてのものとわたしたちを結んでくださったきずなを意識しながら、外部からではなく内部から世界を見ます」(同回勅220)。コロナ禍にある今、とりわけ強く心に響くことばではないでしょうか。2年前に、シスターたちは次のように分かち合いを行っています。

  • 「共通善」に根ざした公益の感性、内容をより深く把握するため、努力、学び、祈りをする。
    毎日、欠かさず共同体では祈っているが、特に、良心の糾明、内的糾明をして回心し、身辺を整える。
  • 弱い立場に置かれている方々との分かち合い、特に、滞日外国人との関わりを大切にし、出来る限り言語、生活一般の手伝いや支援をする。
    ※修道院では、日本語クラスを開いたり、死刑囚の方の絵画を展示したりといった実践が行われています。
  • 毎日の生き方が、貧しい人々とのつながりになるように祈り、訪れてくる方を理由なく温かく迎え、質素な食事でも共にして喜びを分かち合う。

4 方向転換
 『ラウダート・シ』は、キリスト教の霊性は「消費への執着から解放された自由を深く味わうことのできる、預言的で観想的なライフスタイルを奨励」すると説いています。わたしたちの「共通の家」である地球は、この地上に住むすべての人のものであると同時に、将来世代の人々のものでもあります。ですから、限られた資源を一部の人間によって消費しつくすようなことが決してないよう、わたしたちには大きな方向転換が求められます。それは今すぐになさねばならないことです。シスターたちの実践から教わりたいと思います。

  • 今までにも実践してきたが日々の生活での小さい善、節水やコンセントを抜くなどの節電、ガスの使用量なども控え、質素に生きる。洗濯なども大きい物以外は手洗いをする。
    食器洗い、洗面、入浴などに常に必要量のみに抑えている。
  • 身の回りの整理をし、必要な物だけを持ち、リデュース・リサイクル・リユースをしっかり学び身につけて、丁寧に正直に取り組む。
  • ラップやホイルは使わず、タッパーを使用している。
  • マイバッグ、マイ箸を持参し、自動販売機は使わない。
  • 修道院のエレベータは極力使用せず、痛みも堪えて3階まで歩く。
  • 最近は資源の無駄遣いに罪悪感を抱き、注意に注意を重ねて生きている。
  • ゴミを減らすため、畑や庭などでキエーロに取り組み、コンポストを置き、生ゴミを土に返し、土に親しむ。
    ※「キエーロ」は、黒土中のバクテリアの分解力を利用した生ごみ処理機のことです。「コンポスト」は、生ごみに土を混ぜて発酵させることで堆肥を作る密閉容器のことです。

    モンタナ修道院のキエーロ・コンポスト


    造園技師・矢野智徳さん指導による研修会のフィールドワーク(里山構想の一環)

  • 「会憲」にもある“家庭精神”を大切にし、日常の些事にも忠実に取り組み、それを、礼拝と愛の生き方にまで高める。
  • 手に触れる物を大切に使い取り扱う。
  • 次世代の人々が、神の被造物の溢れる美しさに触れ、神を賛美できるよう祈りと努力をする。
  • 使い捨てを少なくするため、衣類につぎを当てる。
  • 温暖化をもたらしている経済優先の主要国家の指導者たちの写真を自室に貼って、彼らの回心のために祈る。

5 いつくしみの新たなわざ
 カトリックの教えには、伝統的な二種類の「七つの慈善のわざ」があります。「身体的な慈善のわざ」は「飢えている人に食べさせること/乾いている人に飲み物を与えること/着るものを持たない人に衣服を与えること/宿のない人に宿を提供すること/病者を訪問すること/受刑者を訪問すること/死者を埋葬すること」、「精神的な慈善のわざ」は「疑いを抱いている人に助言すること/無知な人を教えること/罪人を戒めること/悲嘆にうちひしがれている人を慰めること/もろもろの侮辱をゆるすこと/煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと/生者と死者のために神に祈ること」です。メッセージにおいて教皇は、ここに「わたしたちの共通の家を大切にすること」が補足されるよう望んでいます。そして、「精神的な慈善のわざ」には「神の世界を感謝のうちに観想すること」(『ラウダート・シ』214)を、「身体的な慈善のわざ」には「暴力や搾取や利己主義の論理と決別する、日常の飾らない言動」(同230)を挙げています。聖母訪問会では、第14回定期総会で決定された次の3事項が、共同体内で着実に実践されているそうです。

 ①祈りの工夫をする

  • 「宣言」を意識した食前、食後の祈りを毎日唱えている。
  • 毎日の内省に「宣言」のポイントを入れる。
  • 毎金曜日に30分以上の聖体礼拝の時間を「宣言」の目的で共同体としてもち、人々にも開いていく。(被造界の恵みに感謝し、〈神・人・自然・自分〉との和解を願って祈る。)

 ②生活の見直しをする

  • 見えるしるしとなるまでの生活の簡素化をする。
  • 食生活の見直し、改善を続ける。(それぞれの共同体が毎朝食のパンやジャムなども手作りのものにし、コーヒーなどもエシカル商品を使用している。ヨーグルトも手製。ある共同体では朝食を和食にしている。マクロビオティックの料理にも時々取り組むなど、色々な工夫をしている。台所の責任者としては、身体に害のある添加物使用の食品は極力使用を避けている。)
    ※「エシカル(ethical)」は「倫理的な」という意味ですが、最近では「エシカル消費」などのように、人や社会や環境に配慮する考え方を指して使われます。「マクロビオティック(Macrobiotic)」とは、玄米や穀物、野菜、海藻などをおもに摂取する、健康に配慮した食事法のことです。
  • 自然に触れる生活の実践。

 ③社会の人々との連携

  • 本会と志をともにしている方々との連携を深めその関係を大切にする。
  • 修道院の境内地を開き、共に学び合い分かち合う。
  • 使徒活動を外部の方と共にし、その連携を大切にする。
  • 祈りの場としても開放する。
    ※この③の実践例として、修道院庭での観桜会や、オープンなセミナーである「モンタナ学習会」などが行われています。

6 最後にともに祈りましょう
 メッセージの末尾には、『ラウダート・シ』の巻末にある「わたしたちの地球のための祈り」と「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」の一部が引用され、さらにそこに、次の祈りが付け加えられています。
 「いつくしみ深い神よ、/あなたのゆるしを受けて、/わたしたちの共通の家全体に/あなたのいつくしみを運ぶことができますように。/あなたはたたえられますように。/アーメン」。
 シスターたちは、最後に次のような分かち合いをしています。

  • 神の創造の世界を賛美し、愛の創造を自らにいただくよう祈る。
  • 地球に住む人々の苦しみを自分の苦しみにして、地球の健やかさを祈る。
  • 神の世界を感謝のうちに観想し、その愛に触れ、主イエスに倣って生きる。
  • 神の慈しみに結びつくまでの内面からの回心をする。
  • 毎日、与えられるみことばを大切に受け取り、聖体の前で神の慈しみの業を生きられるよう祈る。
  • 神のみ許に召される日まで、神の創造の世界を賛美して生きる。
  • 毎日の祈り、特にロザリオの祈りを捧げる。
  • 常に、世界の平和のために祈る。
  • 被災地の楢葉共同体に住み、“ならは応援団”や“なにかしたい隊”に属し、町民と希望のうちに歩んでいる。

 ここで紹介したシスターたちの取り組み、実践には、意志さえあればわたしたちにも、明日からでも行えることがたくさんあります。
 一方、奉献生活者だからこそ可能なこともあるでしょう。しかしキリスト者として、そうしたことからも多くを学べるはずですし、霊的糧を得ることもできるでしょう。
 髙見大司教による「すべてのいのちを守るための月間」設置についての趣意書には、末尾に具体的な取り組みについての活動例が添えられています。これをさらに具体化し、信者の助けとなるべく、聖母訪問会のシスターの分かち合いを使わせていただきました。多くのかたのお役に立つことを願っています。

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