教皇レオ十四世、2026年4月1日、一般謁見演説 連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」 Ⅱ.『教会憲章』(Lumen gentium)6.教会の生ける石、世における証人――神の民における信徒(聖書朗読箇所:エフェ4・4-5)

 


教皇レオ十四世、2026年4月1日、一般謁見演説
連続講話「第二バチカン公会議の諸文書」


Ⅱ.『教会憲章』(Lumen gentium
6.教会の生ける石、世における証人――神の民における信徒(聖書朗読箇所:エフェ4・4-5)

2026年4月1日(水)午前10時(日本時間同日午後5時)からサンピエトロ広場で行った一般謁見演説(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。おはようございます。

 公会議の『教会憲章』Lumen gentium)に示された教会に関する考察の歩みを続けます。今日は、信徒を扱う第四章を取り上げます。教皇フランシスコは繰り返し次のように述べました。「信徒はいうまでもなく、神の民における圧倒的多数です。少数派すなわち叙階された役務者は、彼らに奉仕するためにいます」使徒的勧告(『福音の喜び(2013年11月24日)』102[Evangelii gaudium])。

 『教会憲章』のこの部分は、何世紀にわたって信徒が単に聖職者や奉献生活者に属さない者として定義されてきた後に、〈積極的な〉しかたで信徒の本性と使命を説明しようとします。そのためわたしは、キリスト信者の身分のすばらしさを述べたきわめて美しい一節を皆様とともに読み返したいと思います。「したがって、選ばれた神の民は一つである。すなわち「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」(エフェ4・5)である。キリストにおいて新たに生まれることから来る各成員の品位は共通であり、神の子としての恵みも共通、完徳への召命も共通であって、救いは一つ、希望は一つ、愛は分割されることはない」(『教会憲章』32)。

 公会議は、いかなる役務や生活様式の違い以前に、洗礼を受けたすべての者の平等性を確認します。『教会憲章』は、神の民に関する章ですでに述べたことを忘れないことを望みます。すなわち、メシア的な民の身分は、神の子らとしての品位と自由だということです(『教会憲章』9参照)。

 当然のことながら、たまものが大きいほど、責務も大きくなります。そのため公会議は、品位とともに、教会と世界における信徒の使命も強調します。しかし、この使命は何に基づき、また何から成るのでしょうか。公会議が示した信徒の定義そのものがそれを述べます。「ここでいわれている信徒とは、〔……〕洗礼によってキリストのからだに合体され、神の民に組み込まれ、自分たちのあり方に従って、キリストの祭司職、預言職、王職に参与する者となり、教会と世界の中で、自分たちの分に応じて、キリストを信じる民全体の使命を果たすキリスト信者のことである」(『教会憲章』31)。

 それゆえ、神の聖なる民は、決して形のない集団ではなく、キリストのからだです。あるいは、聖アウグスティヌスが述べたとおり、〈キリスト全体〉(Christus totus)です。それは、信者の共通祭司職と、役務としての祭司職という、キリストの祭司職に参与する二つの形の間の豊かな関係によって有機的に構成された共同体です(『教会憲章』10参照)。信徒は洗礼の力によってキリストの祭司職そのものに参与します。実際、「最高永遠の祭司キリスト・イエスは自分のあかしと奉仕を、信徒を通しても継続することを望み、自分の霊によって彼らを生かし、あらゆる善にして完全な働きをするよう、たえず彼らを駆り立てている」(『教会憲章』34)。

 このことに関して、教皇聖ヨハネ・パウロ二世とその使徒的勧告『信徒の召命と使命(1988年12月30日)』Christifideles laici)を思い起こさずにはいられません。この使徒的勧告の中で、教皇聖ヨハネ・パウロ二世は次のことを協調しました。「第二バチカン公会議は、非常に豊かな教義的、霊的、司牧的遺産をもとにして、信徒の本性、尊厳、霊性、使命、責任について、かつてなかったほどはっきりと書いています。この公会議に集まった司教たちは、主のぶどう畑で働くようにというキリストの声を響きわたらせて、すべての男女信徒に呼びかけたのです」(同2)。こうしてわたしの敬愛すべき前任者は信徒使徒職をあらためて重要視しました。公会議はこの信徒使徒職について特別な文書を作成しました。これについては後にお話しします(1)

 信徒使徒職の広大な領域は教会の空間に限定されず、むしろ、世界に広がります。実際、教会は、その子らが福音を告白し、あかしするあらゆる場所に存在します。すなわち、職場、市民社会、あらゆる人間関係をはじめとした、信者がその選択によってキリスト教的生活のすばらしさを示す場です。キリスト教的生活は、今ここで、神の国において完成する正義と平和を先取りするのです。世は「キリストの精神に貫かれ、正義と愛と平和のうちに、より効果的にその目的を達成するようにな」(『教会憲章』36)らなければなりません。そしてこのことは、信徒の貢献と奉仕とあかしによって初めて可能になります。

 これが、教皇フランシスコが述べた、「外に出て行く」教会となるようにという招きです。それは、つねに宣教へと開かれた、歴史の中で受肉した教会です。この宣教において、すべての人は、宣教する弟子、福音の使徒、神の国の証人、わたしたちが出会ったキリストの喜びをもたらす者となるように招かれています。

 兄弟姉妹の皆様。わたしたちが祝おうと準備している復活祭が、マグダラのマリアや、ペトロとヨハネと同じように、復活したキリストの証人となる恵みをわたしたちのうちで新たにしてくれますように。

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