教皇レオ十四世、2026年4月11日、平和のための夕の祈りでの講話

2026年4月11日(土)午後6時(日本時間12日午前1時)からサンピエトロ大聖堂で行った「平和のための夕の祈り」での講話(原文イタリア語)。夕の祈りではロザリオの祈り(栄えの神秘)が唱えられた。夕の祈りをささげる前に、 […]

2026年4月11日(土)午後6時(日本時間12日午前1時)からサンピエトロ大聖堂で行った「平和のための夕の祈り」での講話(原文イタリア語)。夕の祈りではロザリオの祈り(栄えの神秘)が唱えられた。夕の祈りをささげる前に、教皇はサンピエトロ広場に集まった信者に対してイタリア語で次のあいさつを述べた。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんばんは。ようこそおいでくださいました。

 皆様に心から兄弟としてごあいさつ申し上げます。皆様が来てくださったこと、声と心と生活をもって平和のためにともに祈ってくださるようにというこの呼びかけ、招きにこたえてくださったことに感謝します。わたしたちは皆、心に平和を抱いています。平和が真の意味で世界を支配しますように。そしてわたしたちがこの平和のメッセージの使者となりますように。

 神はわたしたちに耳を傾けてくださいます。神はわたしたちとともにいてくださいます。イエスは、二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのであるといわれました(マタ18・20)。わたしたちはこの復活の八日間にあたり、復活したイエスがわたしたちの間にいてくださることを深く信じます。

 今、聖なるロザリオを一緒に唱え、わたしたちの母であるマリアの執り成しを願いながら、全世界にこういいたいと思います。平和を築くこと、新たな平和を築くことは可能です。すべての宗教、すべての人種の人とともに生きることは可能です。わたしたちは兄弟姉妹として一つに結ばれ、平和な世界において一つに結ばれたイエス・キリストの弟子となりたいと望みます。

 わたしたちとともに祈ってください。皆様が来てくださったことに感謝します。神が今日も、とこしえに、皆様と、皆様の愛する人々とともにいてくださいますように。

 今、皆様に祝福を送ります。その後、大聖堂でともに祈ります。皆様はスクリーンでご覧いただくことができます。皆様が来てくださったことにあらためて感謝します。

(祝福)

皆様、ありがとうございます。よい祈りとなりますように。


平和のための夕の祈りの講話

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 皆様の祈りは、イエスのことばのとおり、山をも動かす信仰の表れです(マタ17・20参照)。この聖ペトロの墓前で、また、世界の他の多くの場所で、平和を祈り求めるために集まってくださるようにというこの招きを受け入れてくださったことを感謝します。戦争は分裂をもたらし、平和は一致をもたらします。傲慢は人を踏みにじり、愛は人を高く上げます。偶像崇拝は人の目を見えなくし、生ける神は人を照らします。愛する友人の皆様。わずかな信仰があれば、ひとかけらの信仰があれば、人類〈として〉、人類〈とともに〉、この歴史の劇的な時にともに立ち向かうことができます。実際、祈りは、責任から逃れるための避難所でもなければ、多くの不正が生み出す苦しみを避けるための麻酔薬でもありません。むしろ祈りは、死に対する無償で普遍的で変容をもたらす応答です。わたしたちはすでに復活させられた民です。実際、わたしたち一人ひとりのうちで、すべての人のうちで、内なる師であるかたは平和を教え、出会いへと駆り立て、祈りを促します。今、目を高く上げようではありませんか。瓦礫の中から再び立ち上がろうではありませんか。何ものもすでに定められた運命にわたしたちを閉じ込めることはできません。人々が人を十字架につけ続け、権利もあわれみも顧みることなくいのちを破壊し続けるために、墓が足りないかのように思われるこの世界にあっても。

 うむことのない平和の証人である教皇聖ヨハネ・パウロ二世は、2003年のイラク危機に際して、思いを込めてこう述べました。「わたしは、第二次世界大戦を経験し、それを生き延びた世代に属しています。わたしは、すべての若者の皆様に対して、この経験をもたないわたしよりも若い人々に対して、こう述べる義務をもっています。「二度と戦争をしてはいけません」。教皇パウロ六世が最初の国連訪問の際に述べたとおりです。わたしたちは可能なすべてのことをしなければなりません。わたしたちはどのような代償を払っても平和を実現できないことをよく知っています。しかしわたしたちは皆、この責務がどれほど大きいかも知っています」(「お告げの祈り(2003年3月16日」)。今晩、わたしは、このきわめて現代的な意味をもつヨハネ・パウロ二世の呼びかけを自分のものとします。

 祈りはわたしたちにいかに行動すべきかを教えます。祈りの中で、人間の有限な可能性は神の無限の可能性と結びつきます。そのとき、思いとことばと行いは、悪の悪魔的な連鎖を断ち切り、神の国に奉仕します。このみ国には、剣も、ドローンも、復讐も、悪の矮小化も、不正な利益もありません。むしろそこには、尊厳と理解とゆるしだけがあります。わたしたちはそこに、わたしたちの周りでこれまでにまして予測不能かつ攻撃的になっている、錯乱した全能感に対する歯止めを見いだします。人類家族におけるバランスは深刻なしかたで不安定になっています。いのちの神である神の聖なるみ名さえも、死の言説に引きずり込まれています。そのとき、天におられる唯一の神とともにいる兄弟姉妹の世界は消え去り、現実は悪夢のように敵で満ちています。わたしたちは、傾聴と出会いへの招きの代わりに、あらゆるところに脅威を感じます。兄弟姉妹の皆様。祈る人は自分の限界を自覚します。祈る人は、人を殺すことも、死の脅威を与えることもありません。その反対に、生ける神に背を向ける人は、死の奴隷となります。それは、自らとその力を、話せず、見えず、聞こえない偶像とし(詩115・4-8参照)、あらゆる価値を犠牲にして、世界全体がひざまずくことを求めるためです。

 自己自身と金銭の偶像崇拝はもうたくさんです。力の誇示はもうたくさんです。戦争はもうたくさんです。真の力はいのちへの奉仕によって示されます。教皇聖ヨハネ二十三世は福音の単純さをもって次のように述べました。「平和によっては何も損なわれないが、戦争によってはすべてが失われうる」(教皇聖ヨハネ二十三世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和(1963年4月11日)』62[Pacem in terris])。 

 それゆえ、今日、平和を信じ、今日、平和を選択し、傷をいやし、愚かな戦争が残した損害を修復する、男女・老若を問わない何百万、何十億人の人の道徳的・精神的な力を集めようではありませんか。わたしは紛争地域の子どもたちから多くの手紙を受け取っています。それらの手紙を読むと、一部の大人が誇る行為の恐ろしさと非人道性を、無垢なレンズを通して感じることができます。子どもたちの声に耳を傾けようではありませんか。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。確かに諸国の指導者には重大な責任があります。わたしたちは彼らに向けて叫び声を上げます。戦争をやめてください。今は平和の時です。再軍備が計画され、死をもたらす行為が検討されるテーブルではなく、対話と仲介のテーブルに着いてください。しかし、わたしたち皆にも、さまざまな多くの国の人々にも、すなわち、ことばだけでなく行いをもって戦争を拒絶する膨大な数の人間にも、同じように大きな責任があります。祈りは、わたしたちが心と思いに残るものを改めるように促します。平和のみ国へと心を改めてください。平和のみ国は、家庭、学校、地域社会、市民社会、宗教共同体の中で、日々、築かれます。友愛と出会いの文化によって論争と諦めに勝利することによって。愛と節度といつくしみに満ちた政治に立ち帰ろうではありませんか。自己を陶冶し、自らかかわりながら、一人ひとりが自分の召命にこたえなければなりません。一人ひとりの人が平和のモザイクの中で自分の居場所をもっています。

 他の古くからの祈りの形と同じように、ロザリオは、繰り返しに基づく規則的なリズムによって、今晩、わたしたちを一つに結び合わせます。こうして、ことばとことば、行いと行いを通じて、平和のための場が作り出されます。それは、一滴一滴が岩をうがち、織機が少しずつ織物を織っていくのと同じです。それが、神の忍耐のしるしである、人生の長い時間です。わたしたちは、何を追い求めているかを知らない世界の加速化によって圧倒されないようにしなければなりません。それは、あらためて人生のリズム、被造界の調和に奉仕し、その傷をいやすためです。教皇フランシスコが教えてくれたとおり、わたしたちには「傷の回復につながる平和の歩みが必要で、才覚と大胆さで、いやしと再び会う道を生み出す決意をもった平和の職人が必要です」(教皇フランシスコ回勅『兄弟の皆さん(2020年10月3日)』225[Fratelli tutti])。実際、「社会のさまざまな機関が、それぞれの専門性をもって参加する平和の「構築」もあれば、わたしたち皆を巻き込む「手仕事」の平和もあります」(同231)。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。うむことなくつねに祈り、心を深く改めようというこの決意をもって家に帰ってください。教会は、和解と平和に奉仕する大いなる民です。戦争の論理の拒絶が無理解と軽蔑を伴うことがあるとしても、教会は揺らぐことなく前進します。教会は平和の福音を告げ知らせ、とくに国際法の絶え間ない侵害によって危険にさらされた他者の無限の尊厳にかかわることにおいて、人ではなく神に従うことを教えます。「全世界で、「すべての共同体が、対話を通じて敵意を取り除くことが学ばれ、正義が実践され、ゆるしが大事にされる場となり、『平和の家』となること」が望まれています。事実、今日ではこれまでに増して、〔……〕平和はユートピアではないことを示す必要があります」(教皇レオ十四世「第59回「世界平和の日」メッセージ(2026年1月1日)」)。

 あらゆる言語、民族、国籍の兄弟姉妹の皆様。わたしたちは、悲しみ、希望し、再び立ち上がる、唯一の家族です。「二度と戦争をしてはなりません。戦争は帰還のない冒険だからです。二度と戦争をしてはなりません。それは悲しみと暴力の悪循環だからです」(教皇聖ヨハネ・パウロ二世「平和のための祈り(1991年2月2日)」)。

 愛する友人の皆様。あなたがたに平和があるように。これが、十字架上での愛の犠牲の実りである、復活したキリストの平和です。それゆえ、わたしたちはキリストにこの祈りをささげます。

 主イエスよ。
 あなたは武器も暴力もなしに死に打ち勝ちました。
 あなたは平和の力で死の力を打ち滅ぼしました。
 あなたの平和をわたしたちにお与えください。
 復活の朝、不安に満ちた女たちに
 恐れのうちに隠れていた弟子たちにあなたが与えてくださった平和を。
 あなたの霊を送ってください。
 いのちを与え、和解をもたらし
 敵対する者を兄弟姉妹とする息吹を送ってください。
 あなたの母であるマリアの信頼をわたしたちにお与えください。
 マリアは心を引き裂かれながらあなたの十字架の下に立ち
 あなたが復活することを堅く信じました。
 狂気の戦争が終わり
 いのちを生み出し、守り、愛することを今なお知っている人々によって
 大地が大切にされ、耕されますように。
 いのちの主よ。わたしたちの祈りを聞き入れてください。

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