レポート(3) 髙山徹神父

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一人一人がシノドスのつくり手

髙山 徹神父(高松教区/若手教区司祭として参加)

 今回、一人の若手司祭として、大陸シノドスに参加させていただきました。アジア諸国から集まって行われた今回のシノドスは、貴重な分かち合いの機会であり、私個人にとってもまたとない体験となりました。3日間のプログラムを通して、基調講演、分かち合い、祈りが繰り返され、報告文書が検討されました。それは、シノドスとしての霊的な深まりとともに、私個人が参与させていただき、気付きをいただくくプロセスだったと思います。
 実は、プログラム開始当初、特に分かち合いのグループで、私は圧倒されていました。なぜなら、国を代表する大司教様やベテランの神学者の神父様、教会のさまざまな側面でコミットする(関わる)信者さんたちがメンバーであったからです。「自分が参加させていただいていいのか…」とさえ思いました。しかし、シノドスが「ともに歩む」という意味であるならば、一人の若手司祭として参加させていただいている自分の存在の意味はきっとあるはずだ、とふと感じたのです。実際に、「若手司祭の言葉も聞きたい」と小グループの方々のコメントもあり、その後は前向きな気持ちになり、素直にお話しできました。皆さんに助けていただきました。
 グループでの分かち合いは、互いに本当に耳を傾けながら、次第に深まっていきました。最後の方で、インドの女性が、「それぞれの持ち味を持ち寄ってシノドスができた」とおっしゃいました。一人一人の存在があって、シノドスが実際に行われたと私も思いました。そして、シノドスは、今後も皆で歩み続けてこそ深まるということも感じました。それは、課題が残るという意味でもあります。例えば「女性」「家庭」「貧しさ」といったテーマを論じる上で、本当に当事者の声にますます耳を傾けなければならないということです。
 それは、小グループ以外の方々との出会いを通しても感じました。例えば、信徒数が国全体で500人のキルギスの使徒座管理者の神父様や、伝統文化の根強いネパールでカトリック学校を経営している神父様のお話を伺いました。各国の状況を、そこで生きている方々から直接お話を伺いながら、自分の置かれた環境が恵まれていることに改めて気付かされるとともに、無関心ではいられないと痛感しました。
 この貴重な機会を頂いたことは何より感謝であり喜びでした。今後もこのシノドスの動きそのものが、必ず何か教会全体のうねりとなるはずですし、大きな希望であると思います。自分自身が、頂いた気付きを糧にして、置かれた場で多くの人々と共に宣教司牧を続けてまいりたいと思います。
(2023年3月19日付カトリック新聞(第4663号)より)

アジア大陸別ステージを終えて レポート

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